第1章 第5節 神代家の食卓
「へ~、なるほど、それで二日連続で冷蔵庫からお肉が消えていたのね。」
「てへっ」
伊織さんは、キッチンで夕飯の準備をしながら香織の話を聞いていた。
「食材持って行っても良いけど、一言いって欲しかったかな。夕飯の予定が狂っちゃうでしょう。それで、結果はどうだったの?」
「一応、アドバイスは貰って来た。」
「一応?」
「情報処理の資格を取って、実績としてアピールしたらって。
国家資格なら、就職の時にも有利になるって言えばアピールになりやすいでしょ。
ただ、問題もあるのよねぇ・・・。」
「問題って?
国家資格なんでしょ、ママもアピールとしては良いと思うけど・・・?」
「試験が春と秋にしかないらしいの。
秋に受験して、冬に発表でしょ。すぐにでも実績をあげたいのに、2学期末ぎりぎりって・・・。」
伊織さんはちょっとの間考え込むと、浮かない表情の香織に聞いてきた。
「それって、博さん情報?」
「・・・そうだけど、・・・?」
「ん~、博さんが資格取ったのって、随分昔らしいから。変わってない?」
「なんか、資格が無くなったとか前に言ってたのよねぇ」と言いながら首を傾げた。
伊織さんの言葉に不安になったのか急いでスマホを取り出すと、『情報処理試験』についてググりだす。
「ん~、なんか、いっぱい種類があって良くわからないんだけど・・・。あ~!」
香織は、突然に大声をあげ、椅子から勢いよく立ち上がった。
何事かとびっくりしている伊織さんを尻目に、ぶつぶつ言いながらキッチンから出て行こうとする香織。
「どうしたの?もうすぐご飯よ。」
「うん、ちょっと小父さんの処に行ってくる。」
「じゃあ、ちょうどいいから、沙織にご飯だからもう帰るように言ってくれる。まだゲームやってると思うの。」
「分かった。」
※
香織が上条の部屋へと駆け込んだ日の夜、上条の隣の部屋ではいつもと変わらない愚痴の言い合いで夕飯が始まろうとしていた。
「あ~、疲れた。タマ、居る?」
小柄な若い女性が、如何にも疲れた言わんばかりに片手で肩を抑え首を回しながら、持っていたレジ袋をテーブルの上に置くと、女性の呼びかけに答える様に、部屋の隅からまっ黒な子猫が姿を表し大きくあくびをした。
「ふぁ~、お帰り。今日の夕飯はニャに?」
「・・・、また寝てたの。良いご身分ね。こっちは仕事を終えて、やっと帰って来たばかりだっていうのに。」
「仕方ニャいニャ、猫は15,6時間は寝るものニャ。」
「何が猫は15,6時間よ。あんた猫又になってから何年経ったと思ってるの。その気になれば、寝なくとも平気なくせに。」
「てへっ、そう言うリコは真面目ニャあ。毎日、仕事に行ってるニャ。座敷童って、いたずら好きじゃニャかったかニャ。いつからそんニャに勤勉ニャ妖怪にニャったニャ?」
「仕方ないでしょ、働かなきゃ、お金が手に入らないし、ここの家賃も払えなくなるのよ。追い出されたくないでしょ。」
「またこっそり誰かの家に住みつけば良いニャ。」
「・・・、心にもない事言って。」
リコと呼ばれた女性は、そう言うと部屋の奥に置かれた写真立てに目を向けた。
写真立ての中では、老夫婦が幸せそうに微笑んでいた。
この世ならざる者達。
その禍々しい者達は、町のアパートの一室で、・・・平和に慎ましく暮らしていた。
彼女達が、この部屋に住みだして約1年になる。
もともと彼女達は、町で有名な老舗和菓子店を営む老夫婦と暮らしていた。
座敷童パワーの恩恵なのか、その和菓子店は順調に来客数を伸ばしていた。
それが災いしたのか、悪い奴に目をつけられる事になった。
ある日突然、老夫婦の元に退去勧告が届いたのだ。
寝耳に水どころではない、和菓子店の土地も建物も老夫婦の持ち物であり、退去を求められるいわれなど微塵もないはずだった。
ところが、土地の登記を調べてみると、既に何度も転売がなされており、老夫婦が不法占拠を
続けている状態になっているという。
困惑した老夫婦は警察に相談したのだが、不法に転売された証拠を見付ける事が出来ない。
警察が言うには、仮に老夫婦が言う通り詐欺があったとしても犯人に辿り着くのは難しいという。
納得いかないながらも、老夫婦は店を立ち退く事となってしまう。
そして、老夫婦は上条の隣へと引っ越してきた。
和菓子店に住み着いていた座敷童たちも老夫婦についてきた。
座敷童に去られた店は商売が傾くとの言い伝えのとおり、和菓子店からは客足が遠のき、程なく閉店してしまった。
詐欺という形で生き甲斐の和菓子店を失った店の主人は、最初こそ元気そうにしていたものの、次第に寝込む日が多くなり、遂には亡くなってしまった。
そして、婦人も後を追うように夫の49日法要を済ませた翌日、眠るように逝ってしまった。
「福の神の眷属とか言っといて、情けないニャ。」
「詐欺は、管轄外なの。」
人間と妖怪。
酷い言い方になるが、老夫婦がどうなろうと彼女達に関係はない。
長い長い営みのなか、たまたま一時期を一緒に過ごした、ただそれだけの関係。
居場所が無くなれば、別の場所をさがすだけ。
そのはずだった。
ただ、妖怪にも感情はある。
寒い時に陽だまりから追い出されれば頭に来る。
きっちりお返しはする。それこそが妖怪の本分だとばかりに。
「さあ、夕飯にしましょ。今日はちょっと豪華よ。」
そう言うと、リコこと野田場莉子がレジ袋からスーパーで買ってきたお惣菜を取り出した。
夕飯と聞いて上がっていた黒猫タマのテンションが、半額シールの張られたローストビーフのパックを見て、ちょっと下がった。
「一昨日食べたローストビーフの方が美味しそうニャ。量も、なんか少ないニャ。」
タマの言葉に、一瞬リコが固まった。
「・・・、へぇ~、タマ。一昨日もローストビーフ食べたんだ。私が、お昼のお金を切り詰めて、家計のやりくりに悩んでる時にローストビーフ食べてたんだ。へぇ~。」
「怖いニャ、リコ怖いニャ、全然福の神じゃニャいニャー。」