第1章 第4節 パソコン部の助っ人
「・・・という訳で、廃部の危機なの。なんかアイディアない?」
翌日の放課後、パソコン部の事を相談をするため、香織と智也は上条博の部屋を訪れていた。
「俺のコンサルタント料は高いぞ。」
素人が気楽にプロを使うんじゃないとばかりに、上条がニヤリと笑う。
「ママが『先々月のお家賃まだかな』って言ってたなぁ・・・。」
「うっ。」
「もう少し待ってもらえるように、私から頼んであげても良いんだけど・・・。」
「ううっ。しかし・・・なぁ・・・」
迷った様子を見せた上条に、香織はダメ押しをするかのように勢いをつけて啖呵を切った。
「もう、高校生の財布なんて当てにしないでよ。」
そう言うと自宅から持ってきたレジ袋から、牛ももブロック肉のパックを取り出しテーブルに置いた。
「これで手を打たない?」
「・・・くっ、わかった。」
上条博は悔しそうに香織を睨んだ。
親戚の小父さんとしては、まともにお金を獲ろうと思っていた訳ではないが、やられた感が半端ない。
「・・・足元見やがって」
上条が知らなかった事とはいえ、『家賃と引き換え』と言われていたのに、『家賃支払いの延期と夕飯1食分』に出費を抑えたあたりは、香織さんの勝利と言えるかもしれない。
文句を言いながらも、上条が『カレーにするか、それともビーフシチューも捨てがたい』などと牛肉の調理法を考えていると、満足そうに微笑んでいる香織の隣から大きな音を聞こえてきた。
グ〜〜。
智也のお腹だ。
香織はちょっとだけ考えるそぶりをみせ、先ほど取り出したばかりの牛肉を指さした。
「そうねぇ、お腹すいたわねぇ。ちょうどお肉もあるし、何か作ってよ。」
「はあ、何言ってるんだ?これは、もうオレのもんだろ。」
「そうね、だから、御馳走して(ハート)」
今日一番の笑顔だった。
「ふざけるな。
これは、オレが、大事に、少しずつ、食うんだよ。
カレーだろ、ビーフシチューだろ、後は焼き肉にチンジャオロース。ちょっと豪華にローストビーフ。」
「ローストビーフ!いいわね。それでお願い。」
「話を聞け!」
「けち臭いわね。明日にでも代わりのお肉持って来るわよ。」
香織は笑顔のまま、上条とにらみ合う。
「夕飯前だろ。」
「ママは用事があって遅くなるから、夕飯は店屋物の予定だったの。」
「なら、店屋物とれよ。」
「ビール、追加するわよ。」
「・・・6本だ。」
「2本」
「・・・5本」
「2本」
「・・・4本」
「・・・」
「・・・3本」
「OK。沙織、ちょっと手伝って。カット野菜とバゲットあったわよね。」
部屋の隅でゲームをしていた沙織に声を掛け、自宅へと戻っていく。
上条はため息交じりに姉妹を見送ると、牛肉を持って台所へ移動して行った。
家主が料理を始め、神代姉妹が自宅へ戻ってしまうと、智也は一人手持ち無沙汰になってしまった。
「あのぉ、なんか手伝いましょうか?」
「ん〜、いいよ。台所狭いし。」
智也は手伝いを断られ、どうしたものかと考えていると、窓の方からカツカツとガラスに何かが当たる音が聞こえてきた。
何かと思い窓に近づくと、真っ黒な子猫が窓の外から開けて欲しそうに窓ガラスを引っ掻いていた。
智也が窓を開けると、ニャーと一声鳴き、台所へ向かっていく。
「博さん、ネコ飼ってるんですか?」
「ん?」
子猫は上条の足元まで行くと顔を見上げていた。
「こいつかぁ。・・・飼ってるわけじゃないけど、飯時になると何処からともなく来るんだよなぁ。」
『なんかあったかな』とつぶやき、冷蔵庫の中を物色しだした上条は、『しょうがねぇなぁ、明日の朝食にするつもりだったんだけど・・・。』と、赤魚の一夜干しを一尾取り出しガスコンロの魚焼きグリルにセットした。
上条が『もう少し掛かるからから、あっち行ってろ。』と智也がいる方を指さすと、子猫は分かったとばかりに一声鳴き、智也の方へと歩き出す。
「へぇ~、凄いですね。人間の言葉が分かってるみたいだ。こんなに聞き分けの良い猫、見たことありませんよ。」
「天才かもよ、粗相もないし、おとなしいもんだ。」
「へぇ~、すごいなぁ、おまえ。」
子猫の遊び相手を智也にまかせ、上条は牛もものブロック肉にたっぷり目にマジックソルトを掛けると揉みこんでいった。
下味を付けたブロック肉をフリーザーバックに入れ、炊飯器の内窯にお湯を張るとフリーザーバックを沈める。
フリーザーバックの上に小皿を乗せ、肉がお湯の中に浸るようにすると、蓋を閉め『保温』ボタンを押す。
ブロック肉が入っていたパックからグラム数を確認すると、『こんなもんかな』とつぶやき、スマホのタイマーをセットした。
台所に魚の焼ける匂いが立ち込め始めた頃、上条姉妹が帰ってきた。
「焼き魚?ローストビーフは?」
両手に荷物でパンパンになったレジ袋を下げた香織が不思議そうに台所に充満した匂いを嗅ぎながら、上条に問いかけた。
「今やってる。」
上条はぶっきらぼうに答え、姉妹と部屋に戻って来た。
「なんか、随分持ってきたけど、何を持って来たんだ。」
問いかける上条を胡乱気に見たあと、香織は持ってきたレジ袋の中身を出していく。
「約束のビールと、お茶、カット野菜にチーズ、あとは・・・、ドレッシングにバゲット。それと、冷蔵庫に入ってた作り置きのお惣菜を幾つか・・・。」
香織が説明しながら品物をテーブルに並べていくと、レジ袋のカサカサという音に反応したのか、香織が牛ももブロック肉を取り出してそのまま放置していたレジ袋から子猫が勢いよく飛び出してきた。
「わぁ、ネコちゃん!」
沙織が嬉しそうな声を上げるのとは対照的に、香織は渋い顔になった。
「小父さん、ここ、一応ペット禁止なんだけど。」
「ペットじゃねえよ。」
「ペットじゃない、家族だって?」
「そんな言い訳するか、ばぁーか。
野良がエサをねだりに来てるだけだよ。」
「野良猫にエサをあげるのは良くないんじゃ・・・」
「じゃあ、おまえは、ひもじそうに鳴いてる子猫を追い返せと?」
「ん~、・・・他の人に迷惑掛けないようにしてよ。」
焼き魚の匂いがしていたのはその所為かと察した香織は、『しょうがないなぁ』と小さくため息を吐き、沙織と遊んでいる子猫を見詰めた。
やがて、スマホからアラームが鳴ったのをきっかけにローストビーフの仕上げをするため、炊飯器からフリーザーバックを取り出し、上条は台所に引っ込んでいった。
しばらくして焼き魚を載せた小皿を持って、上条が戻ってきた。
「ローストビーフが出来たぞ、肉汁を安定させるため休ませてるから、サラダつくるなら台所使ってもいいぞ。」
上条が焼き魚を持って戻ってきたのを確認すると、沙織はそばに駆け寄り、『ちょうだい』とでもいう様に両手を差し出した。
「それ、ネコちゃんのごはん?」
「あ、あぁ・・・。」
沙織が受け取った小皿をそのまま子猫の前に置こうとしたので、上条が慌てて声を挙げた。
「あっ、半分。半分だけ。半分は明日のオレの朝飯だから。」
「もう、せこいんだから。半分ね、半分。沙織、2人で半分づつあげましょ。」
香織は呆れた様に返事をすると、沙織から小皿を受け取り、そのまま子猫の前に置いた。
「お、おい、半分づつって、あぁぁぁ。」
「あ、そういえば、ネコちゃんで思い出したんだけど、ママにはネコちゃんの事、言わないほうがいいかもよ。」
「ん?伊織さん、ネコ嫌いだっけ?」
「ううん、どっちかっていうと、好きな方だと思うけど、今はちょっとねぇ・・・。」
香織は焼き魚を食べている猫を眺めながら苦笑を浮かべた。
それは、数日前の天気が良い日の事。
愛車のボンネットの上で日向ぼっこをしていた猫を見付けた伊織さんは、撫でようと猫に近づいた。
すると、人影に驚いた猫が慌てて逃げようとした。
そして、足を滑らせた。
結果、猫が踏ん張った時の爪跡が、ボンネットに4本、綺麗に付く事になった。
※
「ママ、すごくへこんじゃって。しばらくネコは見たく無いんだって。」
「ママに聞いていたネコの特徴と、なんか似てるのよね、この子。全身まっ黒。肉球まで、ほら、まっ黒。」
香織は、焼き魚を食べ終わり、顔を洗っていた子猫を抱き上げると、前足の肉球をみんなに見せた。
「ふ~ん、それはそうと、お前らは、飯はいいのか?人にローストビーフつくらせといて・・・。あ~、ちなみに、白飯は無いぞ。後、30分は掛かる。ローストビーフ丼にしたいなら白飯は自分で用意しろ。」
「あっ、そういえば、ローストビーフ作るのに炊飯器つかってましたもんね。」
上条の言葉に智也が返事をすると、香織が驚いた顔をした。
「えっ、炊飯器?・・・?」
上条は、台所からアルミホイルに包まれた牛肉を持ってくると、まな板に載せたままテーブルに置いた。
「肉が固くなるのは、何でだと思う?」
「・・・加熱するから?」
上条の突然の問いに香織が、困り顔で答える。
「半分、正解。タンパク質は約60℃で固まり始める。と同時に縮む。」
「・・・?」
アルミホイルを剥がしながら、説明を続ける。
「縮むから、密度が上がり、より固くなる。しかし・・・」
そこまで言って、切り出したピンク色の肉を香織に差し出した。
「低温でゆっくり加熱すると、縮む割合が少なくてすむ。」
「あっ、柔らかい・・」
「ふふふ、しかも、このての料理は赤身肉の方が旨いからなあ。低温でじっくり火を入れないとこうはならない。飯食ったら、さっさと帰れよ。」
「うん・・・って、そうじゃないわよ。廃部回避のアドバイスをまだ聞いてない!」