2.一夜明けて……
四葉精機の営業事務所には、三十人ほどの面々が集まり、不安そうな表情を浮かべていた。
それは当然だろう。携帯も電波が繋がらず、なんの情報も仕入れることができないのだから。
「えぇ、そのこの状況が全く呑み込めないのは私も同じです。しかしながら、ここにいるのは皆が仲間です! 力を合わせて乗り切りましょう!」
調達部係長の中野は、不安さを押し殺すように、しかし力強く発言した。中野は普段から気が強い方ではなく、優しく人情味のある人間だ。
それが調達業務の特性上、出世しきれない原因なのだろう。
中野は取り急ぎではあるが、社内の状況を確認するよう指示を出した。まずは、インフラの確認である。
四葉精機は、敷地内に多数の太陽光パネルを敷設しており、会社の電力については、ある程度はそれで賄うことが可能であった。
日頃は売電しているが、社内へ供給が可能なシステムとなっている。
すぐさま、保安部の人間が確認に向かった。また、無線機は使えるため、念のために持たせることを忘れなかった。
「おし、今のうちに水や食料の確認をしよう。会社内の災害時のマニュアル持ってきて」
中野の指示に対し、営業部の若手である、一ノ瀬が、事務所の棚を乱雑に漁る。
一ノ瀬は若者らしく、細身のスラックスにストライプのカッターシャツを身に纏い、ヘアスタイルも今風のツーブロックと営業マンらしい男である。
その風貌は、取引先へのファーストインプレッションも上々に映るものであっただろう。
一ノ瀬によって棚から引きずり出された、無関係なファイルは杜撰に投げ捨てられた。
今は非常事態であり、5Sがどうだとか言っている場合ではないだろう。
一ノ瀬はマニュアルを発見したようで、飄々とした振る舞いで、冊子を中野へ手渡した。
この状況の中にあって、一ノ瀬からは、ネガティブな印象を感じとることがどうしてもできない。「災害? ふーん、で?」と、言わんばかりだ。
中野は受け取った冊子から、非常食や飲料水の置場所を確認し、適宜指示を出していく。上には好かれないタイプだが、部下からすれば非常に頼もしい存在ではある。
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昼頃には、概ねの現状把握が完了した。
非常食や食堂の諸々をかき集めても、おおよそ一月しかもたない蓄えである。
飲料水については、自販機等を壊したりと、手はあるし最悪は雨水や付近の川水を煮沸すれば良い。
そして、電力については、不思議なことにソーラーパネルの損傷もなく、何ら滞りなく社内への電力供給が開始された。しかし、状況を鑑みて、節電を徹底されたことは言うまでもない。
また、社内の暴風による損傷についても一切が認められなかった。
以上の状況から、中野は早急に、外部へ救援を求めねばならないと結論着け、それに異を唱える者は一人もいなかった。
時刻は、十三時を指している。
「それにしたって、誰も会社に来ないのはおかしくないですか?」
突如口を開いたのは、営業の一ノ瀬であった。
確かにその指摘はもっともな話であるし、普通の感覚を持ってすれば、会社の上層部も気が気ではないだろう。
しかし、誰一人として会社の門をくぐるものがいないのだ。
「た、確かに……」
中野も首を捻った。
それに対して、一ノ瀬が何の躊躇もなく、中野へ返答する。
「自分外見てきましょうか? もちろん一人はヤバいので誰か体力に自信ある人も一緒に」
一ノ瀬のその提案には、事務所にいた数人が名乗りを上げた。さすがは、工場勤務の人間たちであろう。
中野はその提案に、すぐに戻るといった条件付きで、渋々といった具合に許可を出した。
四葉精機は、山を切り崩した小高い丘の上に建てられており、少し道路を下れば、平野部が広がり、同業他社が混在する工業地帯に出られる筈だった。
そうは危険な探索にはならない予定だが、如何せん会社の四方八方が草木で覆われているため、多少のリスクは付きまとうだろう。
「では、中野さん行ってきますね!」
一ノ瀬達一行は、元気よく歩き出した。その姿はまるで、遠足にでも出掛けるような足取りに見えた。
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一ノ瀬達が出発してから二時間と少し、薄暗い事務所内は混沌とした雰囲気となっている。
携帯の電波を拾おうと必死な者、壁に持たれて俯く者、トランプをし始める者たち と、様々であった。
中野はデスクへ座して、全くといっていいほどに動かない。
その時であった……
「中野さん! マジヤバいっすよ!」
一ノ瀬達が慌てた様子で、事務所へ駆け込んできたのだ。その声は尋常ではない、何かを伝えようとしていることが見て取れた。
「そもそも道路とか全部無くなってますし、下の永原通運さんも跡形もありません! しかも平野部は、畑と見たこともない木造の家と遠くに城が見えます」
「とりあえず落ち着け」
中野は一先ず飲料水を差し出し、一ノ瀬達を落ち着かせようとするが、闘牛の如くヒートアップした。
「いや、それがアスファルトとかも全部ないんですって! ここ俺達の知ってる豊川じゃないですよ! 画像もあります!」
その言葉に、皆が固唾を飲んでいるようだった。その言葉は「なにを世迷い言を言ってんだ」と、片付けられる内容だろう。
しかし、一行の言葉は、事態の急迫さを物語り、嘘偽りのなく真に迫る言葉に思える。
「そんなアホなことあるワケないやろ!」
一ノ瀬の言葉に、一人の男が叫んだのだが、一ノ瀬はその男から視線を外さずに、一言呟いた。
「じゃあ見てきたらいいじゃないですか…… ご自分の目で」
同行した工員の二人も首を縦に振った。
そして、一ノ瀬が電波の入らないスマートフォンで撮影した画像を確認するが、見た者全てが言葉を失う。
平野部に広がる筈の工場全てが消え去り、パチンコ屋は畑に変わり、付近の道路は見たこともない未舗装の道路に変貌している。止めの一撃には、遠方に微かに捉える、城と形容すべき建造物が聳えたっていた……
一同落胆の色は隠せないようだ。
「じゃあここどこなんですかね?」
紅一点、営業事務員の若い女性である、白川が呟いた。それに対して、明確な答を持った者など居る訳がない。
場は沈黙に支配され、誰もが口を開かなかった。
だが、ここで静寂を破るのは、やはり一ノ瀬であった。先ほどまでの動揺は何処へやらと、いった具合である。
「これ異世界だとか、タイムスリップみたいなやつなんじゃないですか?」
先ほどの画像を見せられると、その言葉も"妄想"や"虚言"で一蹴し得るものではなくなってしまったのだ。
「と、とりあえずだ。明日朝から何人かで外に出てみよう。念のために野球部のバットとか、ゴルフクラブ用意しとけ」
中野は、万が一のことを案じたのだろう。武器に代わる物品を用意させる。
「このゴルフクラブ買ったとこなんすけど」
一ノ瀬が客先とのゴルフ接待用に購入した、ほぼ新品といえるクラブを持ち、恨めしそうな表情で中野を見つめた。
中野はちらっと一ノ瀬を見たあと「知るか」と、言いたげに目線を外した。
皆がそれぞれ、腹五分目といった程度に食事をとり、会社に取り残された三十人は、千差万別の不安を抱えながら、真っ暗な事務所で眠りにつくことだろう。