作者目線でテンプレについて語ってみたい
このエッセイには特定の方が気分を害する恐れがある内容を含んでいます。
しかし、特定の個人、あるいは作品への誹謗中傷を目的としたものではないことをあらかじめご了承ください。
一度エッセイ書いてみたら思いのほか面白かったのでまた書きたくなった。
どうも、昨年「他力本願英雄」という話を完結させ、エッセイを書くことにちょっと嵌まってきた寒天と申します。
今回は冒頭の理由、ただそれだけで今度は「作者の目線ではテンプレってどうなの?」をテーマに主観的に語ってみたいと思います。
さて、今回のテーマであるテンプレなんですが……やはり小説家になろうを語る上でこれは外せないでしょう。
なろう文化に否定的な層はどこを見ても「なろうはテンプレだからダメ~」みたいなことを語っている人が必ずいるってレベルでテンプレと言う言葉を連呼しているようですし。
個人的にも次回作を書く上で非常に重要な要素なのでは無いかと思い、ここに自分の意見を纏めてみようかなと。
と言っても、テンプレを構成する要素を並べ上げてコレがいいアレはダメとかそんなことをやるつもりはありません。
あくまでも作者目線で「テンプレとは何ぞや? テンプレを使うと成功するのか?」という思考で行くつもりです。
しかしある程度は具体例に触れないわけにもいかないので、ここで注意事項を。所謂テンプレ展開が好きという方が気分を害する恐れがありますので、該当する方はここで引き返すのをおすすめします。
ちなみに、例として触れているのは「異世界転生」もの「悪役令嬢」もの「パーティ追放」ものですので、それは承知の上でお願いいたします。
ではまず最初に決定しておきたいことが一つ。そもそも「テンプレって何?」って話です。
「テンプレ」とは恐らく「テンプレート」の略、つまりは型にはまった構成という意味だと思われます。
じゃあその型とは何だと言いますと、テンプレテンプレと呼ばれる要素をなろう勢力の主張をまとめサイト何かから拾ってみると
・異世界転生
・楽してチートで最強
・ハーレム
って感じ?
うわぁ、凄いいい加減で表面だけさらった感満載の箇条書き……。まあこの三つを深く掘り下げていくってのも面白いと思いますけど、ここでは止めておきましょう。
とまあ、このようにいざテンプレについて考察しようとすると以外とわからないものですよね。
それでも考えるならばなろうテンプレとは「なろう内で流行った構成」と考えることができます。つまり似たような設定の話が沢山あればそれがテンプレってことになるんでしょう。
よく「なろうはテンプレばっかりでオリジナリティがない」なんて批判がされていますが、考えてもみれば流行を作った初代からすると迷惑な話ですよね。
自分のオリジナリティが詰まった構成の人気が出た結果、いつの間にか個性がないテンプレ扱いされているわけですから。
そもそも、最初に異世界転生した作品ってなに? チート能力(意味としては突然凄い力を手に入れたってところ?)を得た主人公って誰? ハーレム築いた(つまり異性にモテモテ)主人公とは?
と言われると困りますけど。多分それ、紀元前の神話まで遡りますよ。
そこまで遡って考えてしまえば現代にテンプレじゃない作品なんて無いでしょう。
大体過大解釈で考えれば大体のものは箇条書きマジックでテンプレ扱いできてしまうのですから。
以上、前振りです。ここまで読んだ方ははきっと「つまりこいつは何を言いたいんだよ?」と首を捻っているはずです。
当然です。私もわかってません。「テンプレって言われてもわけわかんねぇよ!」が率直な感想なんです。
テンプレだからダメ、あるいはテンプレ作品が好き、と言われても「だからテンプレ作品を書くには(あるいは書かないためには)どうすりゃそうなるんだよ!」って状態なんですよ。
いやまあ、冒頭だけに限定すればある程度はわかりますよ。例えば上記で触れた異世界転生ですが……「トラックに轢かれたり通り魔に襲われるなどの不運で死亡したら転生してた」とか「ある日突然異世界の魔法使いに召喚された」とか「ゲームしてたらゲームキャラの姿で転移してしまった」とか、まあそんな感じの。
じゃあ「この導入だったら全部テンプレ作品なの?」と問われてはいその通りと答える人は中々いないのではないでしょうか? というか、YESと答える人がいるなら一度冷静になった方が良い。
この条件で書けと百人に言えば百通りの物語ができますよ。だって導入しか設定されてないんだもん。主人公の性別も性格も能力も、転移する異世界の世界観も物語の目的もテーマも全て未設定で似通った話になるんなら、それはその百人がクローン人間であることを疑った方が良いでしょう。
まあ要するに、これだけでは到底テンプレとはなり得ません。これはあくまでも物語という流れの中の点でしか無く、物語とは点と点を結ぶ線であるはずですから。
つまり、テンプレになるには複数の点に類似点が多い作品が多数存在する……ということになります。異世界に転移(あるいは転生)してきた後、その世界の設定が類似するものが他にも沢山あり、またその後の行動から展開まで似たようなのが沢山あるのがテンプレということになります。
ここで作者視点でという本エッセイの前提条件に立ち返りたいのですが……これテンプレ書きたいですか?
ここまでで設定したテンプレの意味とはつまり「既に似たような話が沢山ある話」ってことですよ?
小説を書くのは道楽であっても決して楽では無いんです。一万字書くのにどれだけ苦労するかは小学生時代、高々400字程度の原稿用紙二、三枚埋めるのにどれだけ苦労したかを思い出せば考えるまでも無いでしょう。
そんな苦労をして誰が「わざわざ書かなくてももうある話」なんて書きたいと思います? 丸々コピーして貼り付けるだけの盗作行為ならいざ知らず、あくまでも自力で書く場合にそれはかなりの苦行ですよ。
特に必要も無いのにCtrl+Cを使わずに会議資料を手打ちでコピーしろみたいな、噂に聞く追い出し部屋の作業に匹敵する行為ですよ。
にも関わらず、この小説家になろうには似たような話が沢山あるじゃ無いか。テンプレ作品ばっかりじゃないか。どいつもこいつもコピーかクローンみたいに無個性じゃ無いか……とか思います?
ええまあ、ぶっちゃけある程度なら私もその意見に賛成です。今まで例として出した異世界転生以外にも、悪役令嬢ものだとかパーティ追放ものだとか、まあジャンル名出すだけで大体の話の流れが理解できる話しが多いのは事実です。
テンプレ悪役令嬢ものの要素を箇条書きマジックで表現すれば
ケースA
1.漫画やゲームと酷似した世界で敵役の令嬢(公爵相当の高い身分の家柄)に転生した
2.婚約者の王子が庶民的な原作ヒロインに引かれ恋に落ちる
3.原作ヒロイン主人公が虐めているという噂がシナリオ通りに流れる
4.王子は原作ヒロインを信じて主人公を断罪すべく婚約破棄を勝手に宣言
5.しかし根も葉もない罪状の力はなく、徐々に王子と原作ヒロインは追い詰められていく
6.一方馬鹿王子と婚約破棄できた主人公は有能なイケメンと恋に落ちる
7.没落していく王子と原作ヒロインとは対照的に主人公は幸せになりましたとさめでたしめでたし
ケースB
1.ケースAのような断罪を避けるべく、慎ましく生きていこうと決意
2.自分を断罪するイケメン達の機嫌と取るべく原作知識を駆使
3.原作知識チートによる有能さ+原作ヒロイン同様素が庶民的な主人公にイケメン達は引かれていく
4.原作ヒロイン(転生者であるパターンあり)が頑張っても既にイケメン達は主人公の虜
5.一人空回りする原作ヒロインとは対照的に無自覚逆ハーレムをができてしまいました
とまあ、大体こんな感じでしょうか?
パーティ追放ものなら
1.主人公は魔王を倒す勇者パーティの一員
2.しかし役立たずの烙印を押されて追い出されてしまう
3.追い出された途端に超パワーを発揮する主人公は徐々に成り上がる
4.一方、実は影で調整役などで役立っていた主人公を失った勇者パーティは崩壊する
5.没落する勇者パーティとは対照的に超パワーを得た主人公は大活躍
ってなところですかね?
これは何の調査も無く私の印象100%で書いただけの「テンプレってこんな感じ?」というふわっとしたものですが、皆さんこれを見てどんな作品をどれだけ思い浮かべたでしょうか?
自分で書いていて何ですが、具体的にどれと言えないような本当に適当な箇条書きです。何となくそんなのが多いんじゃないかな……というだけの。
ともあれ、もしこれで複数の作品が頭をよぎったのならばもうこれがテンプレで良いでしょう。これ以上の例出しは無理です。
無論、これ以外にもきっとテンプレと呼ばれている型はいくつもあるはずです。
何でこんな箇条書きしたのかはまた後ほど。
とまあ、この辺で私の頭の中にあるテンプレについての印象と認識は語り終えました。
ここからが本題なのですが……何故作者としてテンプレを使おうとするのかについて私の考えを書いていきたいと思います。
テンプレ作品を作ると言うことは、つまりありきたりな話を作るという作家としてもっとも避けたい評価のはず。にも関わらず量産されるには当然理由があるはずですからね。
まずはテンプレを使うメリットから話をすれば……読者を呼び込みやすいんですよ。
先ほどから繰り返し言っている通り、テンプレってのは「似たような作品が沢山ある」ってことです。つまり、その「似たような作品」のファンを引き込みやすいということです。
通常、新規の作品のファンなんていません。作者が有名であれば、過去作にファンがいればそこから引き込むことは可能ですが、正真正銘の処女作(あるいは過去に何個か書いていても無名)の場合、このメリットは非常に大きいと言えるでしょう。
読者からしても、小説を読むのは無料であっても時間はかかります。できることなら自分と波長が合う面白い話だけを読みたいと思うのは理解できる話であり、前に読んだ面白い話と似ているものを見ると考えるのは自然な発想でしょう。
とまあ、テンプレを書くというのは他のテンプレ作品の人気にあやかることができるということです。
ランキングに上がりでもしない限り極小のPV数と延々にらめっこするしかないなろうのシステムを知る作者の皆さんならばわかると思いますが、これは非常に大きい。
なろうユーザーがよく検索するタグを付けることができるかどうか。これだけでアクセス数は桁が違うことでしょう。
無名の新人が考えた独創性溢れる作品(大抵誰もが思いつくけどやらないもの)よりは、そこそこの品質を持っている可能性が高い量産品を。そう思う読者は決して少なくないはずなのです。
具体的なデータはそれを検証している人がきっといると思いますので、そっちを見てください……。
そして、メリットがもう一つ。PV数を稼ぎやすいという点以外に、話を書くことに関してもそれはあります。
ここで例え話をしますが、テンプレに倣うというのは二次創作にも近いものがあると思います。既存の型を使うという意味で。
これは完全に余談ですが、実は私、二年ほど前に別名義で二次創作を投稿サイトに出したこともあります。そこで「原作名」のところに人気原作を使うと序盤のPV数の多いこと多いこと。……全10話程度の中編でしたが、一時期日刊ランキングで1位に昇る詰めるなんて「他力本願英雄」ではついに叶わなかったことも達成したりしています。
その経験から言いますと、二次創作を書くのは一次創作を作るよりも楽な部分と難しい部分があります。難しい部分はテンプレのデメリットに回すとして、楽な部分はそのまま「原作」という既に完成した型があるのでそれに倣えばいいという点ですね。
本気で一から書くなら一つ一つ詳細に決めなければなりませんが、既に完成しているキャラを完成されている世界で動かすだけでいいわけです。ちなみに私が書いたのは二つの原作にあやかるクロスオーバーものでしたので、二つの世界のキャラのイメージを守るだけで大体話はできました。
テンプレ展開という奴はそこまで極端では無いですが、一から考えるよりは楽でしょう。二次創作レベルで真似て一次創作として出したらそれもうただの盗作ってなりますけど、アイデアに著作権は無いという金看板がありますのでコンセプトの類似程度では何を言うこともできません。
まあ要するに、一から自分で考えるよりは少ないというのがテンプレ作品を作る利点と言えるわけですね。
というよりも、考える量が多くなればなるほどテンプレから離れていくというべきでしょうか。
まあ、それをただ単純にメリットと喜んでいるようではダメであるとは思いますが。
と言うことで、メリットに関してはこのくらいで良いとして、ここからはデメリットについてです。
ここで作者としてというよりは一読者としてもっと言うならば私個人の意見になるのですが……ぶっちゃけ、私テンプレ展開って嫌いです。
ああ、別に俺TUEEEやらチートやらハーレムやらの個別要素が嫌いって意味では無いですよ。なんと言いますか……最終的には嫌いになるんですよね、テンプレって。
というのも、娯楽において何事も「新鮮さ」とか「目新しさ」って凄い重要だと思うんですよ。逆に言えば、どんな面白い要素も飽きられればそれだけ不利になるんです。
どんな名作を模倣したとしても、それはどこまでいっても二番煎じ。更にその後ろには百番煎じくらいまで似たようなのが続いている流れがあるわけで、似たような話を見れば見るほどに飽きてくるわけです。
未知の要素、初見の話を見たときは基本的に楽しいです。初めから美点が何一つとして見つからないなんてレベルで波長が合わない話も無いとはいいませんが、基本的に目新しい話はそれだけで楽しめるものです。
しかし、どこかで見たような話だと……粗が見えてくるんですよ。何度も何度も繰り返し見直すことでよりそれを深く理解できるようになるのはあらゆることに共通することですが、深く理解できるというのは何も美点ばかりではありません。欠点や矛盾について考察されるということでもあります。
これが仕事ならばいいことでしょう。長年の繰り返しの中で無駄や欠点を発見し、更に改良していくってサイクルを形成できるので。
しかしテンプレを使うとは改良も改悪もせずに前例に倣うということであり、下手に改変してはテンプレが好きというファンを放しています。これが原作が前提にある二次創作の難しい点ですね。
ですので、既に見切られている粗をそのまま晒すことになるんですよ。
具体例を出しますと、例えば上記で出した悪役令嬢テンプレやパーティ追放テンプレを使いましょうか。
悪役令嬢テンプレのケースAならば、愚かな王子を見事に論破して逆断罪。所謂「ざまぁ!」が決まるのってスッキリしますよね。
が、何度も何度も同じことを繰り返すとやがて「あれ? これこんな状況になるまで放置している主人公にも非があるんじゃ無いか?」と思うようになり、更には「王子の暴走を止められなかったとか普通に次期王妃として無能じゃね?」とか「原作知識前提で王子を無能扱いしているんだから嫌われて当然だろ」とか、更にはもっと根本的に「この王子のとち狂った行動止めれないとかこの国馬鹿しかいないの?」など、その内アンチ的な感想まで出るようになるわけです。
ケースBならば「原作ヒロインの行動を滑稽な道化師みたいにしてるけど、やってることは主人公も同じだよな?」から始まり「要するに原作知識というチートを使いイケメン侍らせたいだけじゃないか?」などなどまあいろいろ考えるようになるわけですよ。
それにパーティ追放ものならシンプルに「その有能さをもっとアピールしておけばそれで良かったんじゃ無いか?」の一言が頭に浮かぶだけで楽しめなくなるわけです。
主人公の有能さを、能力を見抜くことができなかった勇者の愚鈍さを笑ってばかりいるけど、そもそも自己アピールが足りない主人公が悪いんじゃ無いか?
というか、追放された途端に真の力に目覚めるとか何の嫌がらせ? 追放時点では事実として無能だったのならば首にするのは当然の判断だろ、命賭けた旅してんだぞ勇者は。
現実に例えれば、本当は優秀なのに真面目に仕事しない不良社員の首を社長として切ったってだけの当然の判断だろう。
むしろ追放されるまではお荷物が死なないように守りながら旅してたとか勇者さんマジ勇者。
などなど……まあ、そんな風に思われてくるわけですね。
と、これを見て気がついた方もいらっしゃると思いますが……これはようするに「お前主人公のこと嫌いなだけだろ」となりますよねこれ。
これは少々わかりやすくするべく拡大していますが、それもまたテンプレのデメリットです。メリットとしてあげた「あの作品が好きだから同じ要素があるこれも面白いかも」と読者を引きつける効果とセットで、「あの作品はつまらなかったから似たようなこれも同じかもな」って印象がマイナスからスタートするリスクがあるわけですね。
面白いと思わせることができれば多少の粗は見逃されます。しかし印象が悪ければ自然とあら探しを始めるのが人間です。テンプレとは、最初からあら探しされるリスクを背負っているんですよ。
だったら『嫌なら読むな』というこれまた金看板が掲げられるかもしれませんが、(悪印象持ちからすると)改良されていないテンプレかどうかは見なきゃわからないのでそれは理不尽でしょう。
もしかしたらあらすじだけ見たらテンプレだけど、そこは自己流で改良しているかも知れないって希望をもっているかもしれませんから。というか、普通は改良している(オリジナル相手にリメイク版でも無いにも関わらず改良ってのがまずおかしいですが)と思っているはずです。
ここで作者としての視点に戻りますが……恐ろしくないですか? 自分が手がけて今始めて人目に触れる作品が、既に飽きられているなんて意味不明な状況。
書く前から「どうせここで矛盾が発生すんだろ」と見破られており、更には「どうせどうせ」と物語の構成を先読みされているって。初めから悪印象でスタートって。
冷静に考えて、もはや一種の拷問といっても過言では無い羞恥プレイですよこれは。専門家相手に素人レベルの解説をするのと同じような話ですよ。
テンプレを構成する個別要素に対する肯定批判は横に置いといても、作者としてこれはかなり痛い。
とまあ、そんなわけで私は何とか中間を狙えないかと思いテンプレ展開に対して「どうせどうせ」と思っている層を狙って「他力本願英雄」のプロットを書きました。
序盤の導入だけはテンプレっぽく仕上げ、その後はひたすらなろうに置いて御法度とまで言われるような非テンプレ(だと思う)展開にしたつもりです。あるいはテンプレに倣おうとしても結局自分好みの展開になっていくともいう。
しかしまあ、この冒頭で書いた通りよく考えるとテンプレってよくわからない。そもそも人によって「テンプレ」の具体的な中身って違うんじゃないかってところに気がついた今となってはあまりいい狙いではなかったですけど……。
というところで、そろそろまとめに。
作者からすると「テンプレとは他の作品のファンの興味を引きつけることができる」のがメリット。しかし「始める前から飽きられている恐れがある」のがデメリットということになります。
じゃあどうすりゃいいんだといえば……そもそも完全オリジナルなんて紀元前まで戻らなきゃ不可能なんだし、自分で好きなテンプレ要素をきっちり研究して粗まで探し出す。その上でその欠点を改良することに努めるべしってところですかね。
この「テンプレの穴」も、はっきり言えばきっと初代はそこまでじゃなかったと思うんですよ。ただ要所要所をパク……参考にし続けた結果、オリジナルでは問題の無かった設定の齟齬が生まれ、そこから傷が広がったのが原因じゃ無いかなと思っています。
というわけで、一言でテンプレ作品を作ると言っても「テンプレだから考えること少ないぜ!」と楽な方に流れるのでは無く、さて「テンプレと独自要素を交えた結果何か問題は発生していないか?」と考え続けること。
きっと、それこそが重要なのだと私は結論しましょう。
以上で本エッセイを終わります。ほんの僅かでもここまで見てくださった方々の役に立てたのならば幸いです。