第四話 海賊船
地平線が見えない、見渡す限りの大海原。
そこを船で駆り、進む私達。
甲板に上がり潮風を浴びると、そこが本当にここが自分が知らぬ世界なのかと疑問に思うが。
見たことのない大きい猫の鳥が、巨大な翼を羽ばたかせ空を通り過ぎていくのを見て、そこはやはり違う世界なのだと私に思わせた。
「可愛いだろう?あれは猫鳥だ」
空を見上げ、その名所不明な鳥を見る岬に、
カイトが実にシンプルなそれの名称を押してくれた。
「にゃあにゃあ鳴いて、結構可愛いぞ。でも気まぐれな奴だから、居つかせるのはかなり難しいかな」
カイトはそう言って軽く笑う。岬がカイトに船内で飼わないのかと尋ねると、煩取り猫が居るから、そう言ってまた笑う。
では、煩取り猫とは何かと尋ねると。
「人の煩悩を取り払ってくれる妖怪だ」
と答えた。
そして妖怪とは何かと聞く岬。
カイトはそれに対して何も答えなかった。
おそらく、言いづらいか答えにくい問題なのだろうと岬は考え、質問の内容を変える。
「ところで、海賊船を見つけるとか言ってたけど、どうやって見つけるの?」
「え?………あ」
聞いた瞬間にキョトンとした顔をして、口を開けるカイト。
あまりにも分かりやすい態度。
岬もカイトの反応を見て、何かを悟るが、果たしてそれが言って良いか悪いかを判断できる程、彼女は彼の事を知らなかった。
空虚なる時間、潮風が耳に当たる音が大きく聞こえる。
そこで助け舟を出すかの如く例の巨乳猫が現れた。
煩悩を取り払うという猫。
だが、その体は煩悩を取り払うというより、より煩悩を肥大化させているように思える。
そしてその大きな胸をゆさゆささせながら、
彼女がカイトに傍へと寄り、岬の方を見て言った。
「人魚達の騒ぎようから見れば、おそらくまだ族は近くの海域に居る筈かの」
「なら、近場の海街が海樹の近くに船に停泊させている筈」
腕を組む格好でその大きな胸ポヨンと強調させながら、煩取り猫が言う。
「海街[かいが]?海樹[かいじゅ]?」
聞きなれない言葉が二つに耳に入り、困惑する岬。いや、海街だけは聞いたような覚えはあるが、海樹とは?
疑問を持ち、頭を傾げる岬に、カイトは言った。
「海街は、あんたが居たあの廃墟、そして海樹は塩水でも育つでっかい木の森だよ」
成程、分かりやすい。つまりこの世界は水に沈んでいるが、それに適応した生態系が出来上がっているっと言う事か。
岬はそう納得してカイトに礼を言う。
「これくらい常識だから、しっかり覚えなきゃ駄目だぜ!」
そう言って口元をニヤリとさせ、そのやや黄ばんだ歯茎を見せるカイト。
そこで岬は彼がしっかり歯を磨いているが疑問に思ったが、それを口に出すのは止めた。 そうして発言を飲み込み、カイトに愛想笑いをする岬を、煩取り猫がじっと見つめていた。
「あ、なんか船あったーーーよーー?」
そうして船旅を続けて2、3時間後。おそらくカイトが海街と言っていたであろう例のビル街の廃墟にたどり着いた。
そして、そこにある大きなビルを天井にして、木製だろうか、いや帆船と言って良いだろう。
こちらのヤマトと比べて、大分みすぼらしい、衰えた木船がそこにあった。
だが、その船の前方には大きな角のような物が付けられており、それがその木船にどこかワイルドは印象を持たせ、船自体のみすぼらしさを少し緩和させていた。
「旗は……帆を畳んでるから見えないなー」
望遠鏡を覗きながら、帆船を見るカイト。が、覗いても目当ての物が見つからなかったらしく、カイトはその後、甲板を思いっきりガンと足蹴にして、ヤマトに向かって大声を上げる。
「おいヤマト!一発ぶっ放せ!そうすれば、あいつ等も帆を張って逃げるだろう」
「アイアイサーー」
カイトの言葉を聞いてヤマトがそれに同意すると。
「あ、岬、さん……や、よ…。おう、岬さんよぉ、あんたは妊婦なんだから船内に戻りな。砲撃はどうしても振動あるからな」
言葉をやや濁しながらカイトが岬を気遣う。
その言葉を聞いて、岬が船内へと戻っていった。
そして、一発の轟音。それからもう一発。しばらく間を置いて、さらにもう一発。
音の内容から、おそらくはこちらからの一方的な砲撃のようた。
確かによく考えてみれば、あちらの船に砲台のような物は設置されていなかった。
岬はそう考えながら、船内の椅子に座り、事の顛末を待つ。
「羽の生えたドクロ……、成程、とりあえず接触してみるか」
甲板上に上がっているカイトは、砲撃した船が帆を貼り錨を上げ、逃げようとしている様子を再び望遠鏡で眺めていた。
そしてしばらく望遠鏡で船を眺め、それを下ろすとヤマトに向かって声を張る。
「さらに何発か撃ってから近づいていけ。それから近くに寄ったら叫べ。聞きたい事があるってな」
「はーーーいーーー」
カイトの言葉に気の抜けたような返事で返すヤマト。そうしてヤマトはカイトの言葉通りの手順を行い、木船に砲撃し、話しかける。
それから抵抗空しく、木船はその場にて停止した。
「よし、船を近づけろ」
それから船はゆっくりと近づき、しばらく動かない。
そして岬は船内で待つ。誰も居ない空虚な時間。掃除も洗濯も子供の世話も出来ない。勿論テレビやラジオも無い為、退屈で仕方ない。正直この船内で掃除や雑用をしている方がよっぽど良かった。
どうやら外で何か起こっているようだが、彼が帰ったら、船内での雑用を志願してみようか。
そう考えながら、岬は柔らかい、それでいて所々薄茶色の染みで汚れている長椅子にもたれかけながら、まどろみの中に、自分の意識を持っていた。
そして、岬の意識はそこで薄れる。
しかし、うっすらと揺らめいている意識の中で、彼女は旦那と息子、そして自分の三人で公園でゴザを敷きながら、桜を見ている光景を見る。そして傍らのベビーベッドには我が娘。その可愛い赤ん坊に息子海人が近寄って声をかける。が瞬間、息子がその手にフォークを握りながら。
[いただきます]息子がそう言って、娘に。
「あ………」
意識が覚醒して、目覚めた。
っと確信するまで数秒、そして岬は夢の内容があそこで終わった事をまず感謝した。
そしてここに来るまで、夢で見た息子の行為を関連付ける出来事が確かにあったと思い立ち、密かに安心した。
(夢で良かった……)
お腹にそっと手を置き、優しくさする岬。
「起きたか?良く眠ってたな」
横から聞こえてくる穏やかな声。その声には聞き覚えがある。岬は声の方をゆっくりと向いた。
「よぉ、おはようさんじゃの」
そこに居たのは煩取り猫。例の巨乳猫少女。
彼女は相変わらずな胸元が開いた服を着て、、すっかり薄暗くなった船内で岬の傍に寄り添い、共に長椅子に腰掛けている。
その空間でうっすらと見えるのは、ランプだろうか?電灯の光とは違う淡いオレンジの光が、見知らぬ船内の空間をゆらりと照らしている。
「もう、おはよう?」
まだ完全に覚醒しきれぬ状態で岬は煩取り猫に尋ねる。猫はややぁと顔をくいと上げると。
「もう夕闇が照らしておる。そろそろ、日も落ちるんじゃない?」
それを聞く岬。だが岬は日の照りよりもなぜかそこで彼女のその口調が気になった。
古風なのか、現代風なのか、ころころ変わる彼女の口調。岬は寝起きの恥とばかりにその件を彼女に聞いてみる事にする。
「口調が定まっていない?まぁ、そういう風に言われた事はあるかね。でも、特に気にしない事じゃ」
「私は、カイトに憑く妖怪。だから奴から吸う煩から、たまに口調や変な知識も吸うからの。だから、混じるのは仕方ない事」
説明する煩取り猫。しかし岬は聞いて、そして答えてもらった事に満足したのか。それ以上深くは追及せず、今は居ない、この船の主の居場所を訪ねた。
「カイトは、海賊船の奴らと賞金首を倒しに行った」
賞金首、また新しい単語だ。岬は少々うんざりしながら、煩取り猫が話す世界の理[ことわり]を聞く。
どうやら彼女が言う事に従えば、この世界には航海中の船を襲う化物や妖怪が闊歩しており、そしてそれを退治して、再び安全を取り戻す[ハンター]と呼ばれる職業が存在しているらしい。
そしてカイトもそのハンターの一人で、そして供に妖怪と幽霊と守護霊を従え、海を駆け回っているのだとか。
「カイトの守護霊はあのヤマトじゃ。この大きな巨船、これはカイトの武器、そして帰るべき家かな」
「そして、この船があるから、弱い男子の奴も、大きな顔をしてのさばる事も出来るのじゃ」
弱い男子っという言葉は彼女の主人に対する謙遜だろう。岬はそう感じながら、この世界についての、ごくごく自然な質問を彼女に向かってぶつける。
「この世界は、いつからこうなったの?」
それは、岬にとっては当たり前の問いだったが、しかし彼女にとってはそうでなかったようで。
「昔、同じ事を聞いた奴が居るわ」
煩取り猫は目を細め、そして岬の膨らみつつある腹をそっと撫でて、言葉を続ける。
「この世界にいつからもこうなったのもない」
煩取り猫は岬の腹を撫でる、そして顔を上げ、岬の目をジッと見る。薄暗いオレンジのランプ灯に照らされながら、煩取り猫は静かに答える
「この場所はずっとこの通りじゃ。今も昔も無い。ずっとこう。今も、昔も」
「だから汝が言う、こうなったも、存在しないのだ」
彼女の言葉。だが岬はそれを信じなかった。なぜなら動かぬ証拠があるのだから。
そう、カイト達が言っていた、あの海街。
あの崩れた人間の営みの残骸こそ、この世界に何かあった証拠ではないか。
彼女は嘘を言っている。岬はそれを確信している。ならば、彼女にはこの世界が変異した訳を言えない理由があるのか。
それとも、別の何かの要因で知らないだけなのか。
ならば、だとしたら、この世界が変わってしまったのだと分かっているのは自分だけで。
「お前さんが見た、あの例の海の街。あれは確かに何かの廃墟に見えるかもしれない。でも、あそこは前からああなんだ。あそこで浮かぶ物、全てが自然物。そういう物」
そんな筈は無い。あれはビルだ。大きなビルの残骸。
それが、岬が持つ知識で考えられる真実。
だが、煩取り猫はやはり違うらしく。
「あれは全部生きておる。大きな建物のように見えて、基本全部、貝なんですよ」
あのビルは貝?なら、あれは生きている?あのビルの残骸が?しかしそれはこの猫がそう思っているだけで、実際はきっと違うのだ。
岬は自分の考えを捨てられない。
確かにこの世界は色々と変わっているかもしれない。でもあれがビルではなく、本当に貝で、生物なのだとしたら。
「それなら、この世界は何なのよ」
頭の中を離れ、つい声に出してしまったその言葉。
岬はそれからブツブツと何かしら呟きながら、混乱する自分の頭を落ち着かせようとするが、それを行う為の手段が無い。
結局は世界の新参者であろう自分に、いったい何が分かると言うのか。
頭の中で描いていたこの世界のシナリオは、崩壊した世界が海面上昇、または核などで、といった未来の話を想像していたからだ。
だから、この世界に対してもある一定の理解も出来た。
確かに違うかもしれない。でも、元は同じで……なんとなく、おぼろげにそう思っていた。
しかし、あのビルに生態が存在し、それが
崩壊というプロセスを介して発生していなかったのだとしたら?
なら、この世界はやはり何なのか。
思考の海に沈む岬。煩取り猫がすっかり押し黙ってしまった岬に言葉を投げる。
「受け入れなさい」
受け入れろと?
でもそんな事言われても……。
悩む岬、そしてそんな彼女の耳元で、煩取り猫がささやくように呟く。
「じゃあ死ね」
予想だにしていなかった煩取り猫の言葉。岬は彼女の方を見やると、彼女は薄笑いを浮かべながら、再び口を開く。
「受け入れられぬと言うなら、死ねば良いと思うよ?」
「私として、貴方が死んでしまっても、何も苦する事はもうないんだから。このまま海の中に飛び込んで、その命を終わらせれば良い」
冗談で、と言った雰囲気ではない。彼女のその艶やかな長いまつ毛を持つ目が細められ、そしてその一点は岬の顔に向いている。
その目には何の好意も込められていない。
ただ込められているのは、嫉妬だろうか、岬自身にも良く分からない複雑な感情をもった瞳で、岬は煩取り猫に見られている。
「お前は、カイトから煩を出せる存在では無い上に、お前が居ると、奴はこの私に出す煩すらも薄めさせる」
「お前は、私が本来受ける煩を奪う。それは私として、とても口惜しく、そして悔しい話」
煩取り猫の顔に険しさが混じる。怒って、居るのだろうと岬は思ったが、それを聞くような状況ではまったく無かった。
「カイトは、この世界で見つけた、我の最大にして、今後絶対に見つけられる程の強い煩を持った男じゃ」
「だから、お前は居ると邪魔なんだよね。カイトは、私の物だから」
だから、その言葉を続ける前に、岬が煩取り猫に向かって口を開く。
「貴方は私を殺すの?」
やや口調に怯えを見せながら、岬は煩取り猫に向かって言った。
「そんな事、主には命令されてないの」
そう、それなら。
「なら、私は死なないわよ」
岬が煩取り猫に宣言する。
そう、岬は死ぬ気はない。岬は煩取り猫にそう言い返すと、唇をギュッと噛んでから、再び彼女に反論する言葉を組み立てる。
「私には、お腹の子供が居るの。だからたとえ貴方が私を迷惑だと思っても、彼が私を保護してくるって言っている限りは、私はここに居るし、貴方にどんなあざけりを受けても、居直るつもり」
一字一句、噛まずにしっかり言えた。
「私が出来る事は最大限、何でもするつもり、掃除とか洗濯とか、そういった面で役に立てる事はあるだろうし、ともかく、私は死なない」
そう、私は。
「私は一人じゃないから」
岬は腹の中の我が子に向かって、言った。
「どんな事をしてでも、守るの」
そして、そして………
「そして、元の場所に戻って見せる」
それから目を閉じて、そこからは何も考えていない。
彼女がまた私に対して何かを言ってくるのなら反論するし、そして仮に何らかの危害を加えてきたのなら……
ともかく、最大限の抵抗はするつもりだ。
岬は目を固く閉ざしながら、煩取り猫の出方を待った。
「ならここに居ても良い」
煩取り猫の言葉、彼女がどういった仕草でそれを言っているのか、目を閉じていた為知る事は出来ないが、ただ口調だけで察するに、先ほどまでの険しさを無いように思える。
煩取り猫が続ける。今度はやや口調に大人しさを付け加えて。
「その代わり、今言った事は忘れる事だね」
「わかった」
岬は彼女の条件に素早く答える。
どちらにしろ、いざこざを起こすつもりはない。
そうして表面上は和解した形で討論を終え、それから煩取り猫が、冷めきった周りの空気を変えようとしているのか、話を変えた。
「貴方何歳なのーーー?」
わざとなのかそうでないのか、わざとらしい幼さ混じりの口調で、岬にとってそんなに聞かれたい事ではない事を告げる。
「3、31だけど……それが?」
鯖?読んではいない。うん、これが私の年齢である。
「随分、ご高齢なんですね、それなのに子供を生むなんて、チャレンジャーな人だなー」
最後に彼女がとんでもなく失礼な事を言ったように思えたが、岬はそれを聞かなかった事にした。
それから、二人だけの空間は続き、夜が更け、朝になった。
ちなみに夕食は魚らしいスープ、朝は穀物らしい何かのパン。
そして朝が過ぎ、昼過ぎになっても。
彼は、帰ってこなかった。
「おそいねーーヤマトーーー」
そして、いつの間にかヤマトがカイトの身を案じる。
「貴方、何処に居たの?」
岬が突如沸いて、共に昼食の焼き魚と豆のスープを頬張るヤマトに、岬が尋ねる。
「寝てた」
そして主人の彼と同じく、シンプルな答えで、岬を納得させるのであった。