第二話 カイトと言う男
「がははははははははは!」
男が笑う。その片手には酒瓶。
そしてもう片方には……焼き、魚?のような物を持って、男があの猫の少女、ああ名は煩取り猫と言ったか。
彼女と、そして銛船頭と呼ばれていた男?と、長く美しい金髪の少女と共に、男が宴会をしている。
「ねぇ、カイトー宴会なんてして良いのーー?獲物、形すら無かったよーー?」
気だるそうな顔で、金髪の少女がその魚だかなんだか分からない物に齧りつきながら、カイト、そう呼ばれていた男に尋ねる。
「大丈夫、気にすんな!ともかく敵は倒したんだ!ならなんとかなるなる!」
「ここにあの獲物がもう居ないって分かれば、また連中が特例、出してくれるさ!」
「そうかなーー?」
「そうそう、まぁ、でも出せなかったら出さなかったで、また違う獲物狙えば良いだけだ。
「違う獲物って?」
「ん?ああーーー まぁ、それは街に着いてから決めよう」
街……彼らの言葉に聞き耳を立てる岬。
カイト、そう呼ばれた彼が言うには、どうやら街があるらしい。
街、もしかしたら、そこに夫達が……
考え込む岬。そしてそんな彼女を気にして煩取り猫と呼ばれていた彼女が尋ねる。
「なぁ、岬さんとやら」
「あっ……」
突如思考を中断して、彼女が猫の方を向く。
そして見て思う。彼女の胸元は相変わらず開いている。大きい。そして無意識に心の中で自分の物とサイズを比べる。
まぁ、完敗であろうが……
「岬さんとやら、なんであんたはあの海街に一人で居たの?」
「え……?」
聞かれた言葉、しかし岬はそんな事は知らない。
だからその問いにどう答えるべきか、一瞬思案した岬に、カイトが話しかける。
「どうでも良いだろ……そんな事」
「どうでも良い、かの」
カイトの答えに煩取り猫は不服そうに下を向き、言葉を閉じる。
「見た感じ、何も分からないって顔だ」
そして最後に岬を見て、一言添える。
そう、彼女は何も分からない。
岬は黙る事にした。
なんとなく、擁護して貰えそうだったから。
「おそらく、記憶でも飛んじまったんだろう」
そうそう、記憶は、飛んでしまった。
うん、そういう事にしよう。
「まぁ、最初は獲物探しにあそこに拠った訳だけど、まさかあんな所に同業以外の一般人がポツンと居るんだからな」
「流石の俺も、驚いたよ」
カイトはそう言って笑った。
そして岬はそれに答えない。
どう答えれば良いかも分からない。
だから、押し黙る。
仮に何か答えたとしても。
何も分からない。
その事実だけは、何一つ変わりはしないのだから。
「ともかく、だ」
「ここで会ったのも何かの縁」
「乗っていきな」
「アンタが落ち着くまで……」
「俺が……」
「お」
「俺が一緒に居てやるよ!!」
カイトはそれから親指を自分の方に向けて、
かっこつけ風にポーズを取る。
そして、一言付け加える。
「あ、でもだからってタダって訳じゃないからな! ここに居るって事は……って」
「そういや、あんた妊婦か」
「あー」
「なら、炊事洗濯って、訳にはいかないか…」
豪快な風に見えて、かなり気を使える子だな。岬はそう思い、また押し黙ろうとするが。
「えっと、多少の炊事なら大丈夫!」
「料理とか、それくらいなら……」
「まぁ、なんとか…」
はっきり言って状況が何一つ掴めていない。
ここがどこなのかも分からない。
何一つ、本当に何一つ分からない状況ではあるが。
少なくとも、彼には会えた。
カイト、そう呼ばれている彼。
歳は、二十歳は超えていろだろう。
無精ひげを生やし、頬には傷。
そして穴の開いたジャージとジャケットを着込み、手入れしていないボサボサの髪を掻き、フケを飛ばしながら。
ながら……
「ねぇ、貴方」
「あ、なんだ?おか、いや名前、何だったか」
「岬、です。どうも」
「あ、ああ岬……うん」
カイトは岬の名を知ると、首を下に向け、唇を軽く噛む。
岬はそれに気付かない。彼女は続ける。
「貴方、もうちょっと身だしなみ、整えたら?」
「おぅ?」
私の忠告を聞いて、金髪の少女が声を上げる。
「身だしなみ、か」
「うん、えっとお風呂に入るとか……そんなの」
おずおずと、それでいてはっきりと伝える岬。
「お風呂、ね」
それに歯切れ悪く答えるカイト。
「そう、貴方そんなに不潔にしてると、病気になっちゃうわよ?」
岬に悪気は無い。彼女は親切心で、そう言った。
が、その親切はあの金髪少女の声で待ったが入る。
「おばちゃん駄目だよーー。カイトはーーお風呂嫌いなのーー。だから、そんな事言われても、入らないよーー?」
その可愛らしい顔で、間延びしたような口調をした彼女が、おばさんっという言葉を添えて、彼女に忠告する。
が、別に彼女は気にしない。
そう、もう子供が二人も居るのだ。
なのに、今更お姉さんなんて呼ばれようとは思わない。
だがしかし、ちょっとは気を使って欲しかった彼女はそう思ったが。
「おいヤマト、女の人に、おばさん、なんて言っちゃいかんぞ」
「ふぇーーーーー?」
岬がヤマトと呼ばれた少女に何かしら返答しようと思った矢先、カイトがそれを中断させる。
「でもカイトー普段わりとー女の人にそういう事言うじゃないー」
独特の間延びした声でヤマトが尋ねる。
しかしカイトはそれを意に介さず、手をひらひらと顔の横で振らすと。
「まぁ、細かい事は良いんだよ」
そう軽く笑みをこぼしながら、その場から立ち上がる。
「よし、煩取り猫、風呂入るぞ。一緒について来い」
「おっ……」
その言葉を聞いて、岬が少しギョッとする。
彼が、このセクシーな猫と風呂に入ると言う事はつまり、二人は裸の付き合いをすると言う事で。
(恋人同士、なのかしら?なら、今度は色々と注意しなくっちゃ)
私はもはや30前後の中年であるが、勿論女性ではある為、もしこの煩取り猫と呼ばれる少女が彼、カイトと呼ばれる青年と何かしらの関係があるのだとしたら、やはり色々と注意しなければならないだろう。
そう思い、少し彼女に対しての態度を改めるよう決意する。
ともかく、私はなぜかここに居る。
なぜ居るか、なんて分からない。
分からないから、考える余裕も無い。
そして近くに専門家が居る訳でなし。
おそらく、彼に聞いても詳細は分からないだろう。
それに、下手に違う世界から来たかもしれないなんて話したら、頭がおかしい奴だと思われて、今後の関係にも亀裂が入るかもしれない。
だから、たとえ疑問に思っていても、それを口に出す事は出来ない。
なぜなら、自分は一人ではないからだ。
私のお腹の中には、新しい命が宿っているのだ。
お腹の中の、まだ見ぬ娘の為にも、自分はなんとか元の場所に帰る方法を見つけて。
また、家族と共に……
「じゃあ、風呂入るわ。それで良いだろ?んで、えっと……」
「岬って言ってたの。それが彼女の名のようだ」
煩取り猫がカイトの意図を言葉を汲み取り、
その答えを出した。そしてそれは正解だったようで、カイトはその言葉を聞いてうんうんと頷くと。
「岬、さん……あんたも、風呂入るんだろ?」
そう、ややおずおずとした口調で岬に尋ねる。
「おぅーーーーん?」
その様子を、ヤマトが首をかしげながら、不思議そうに眺める。
「あ、お風呂……私も、入ろうかな」
岬がその言葉に返答する。
そういえば、あの水上レースで服が濡れて、色々と気持ち悪い。
今までなんとか我慢していたが、彼が用意してくれなら、それに便乗しようかな。
なんて岬は思いながら、彼の言葉に甘える事にした。
「分かった。じゃあ煩取り猫。メーテルのしょんべん汲んでこい」
「え?」
気のせいだろうか?彼は、誰かのしょうべんを汲む、と。
「岬、さん、あんた記憶喪失みたいだから言ってやるけど、俺達が使ったり飲んだりする真水ってのは」
「水イルカっていう家畜の、小便だから」
「んで、そいつの名がメーテルだ」
カイトの言葉、岬はそれに絶句する。
それは、本当の事だろうか。
それを聞く前に、カイトが再び言った。
「俺達が飲む水は全部そいつらのしょうべんだ。真水ってのはここでは貴重なのさ。他にも勿論、水を生み出す方法がある」
「でも、俺みたいな遠海で仕事するハンターや漁師にとっちゃ、水ってのは全部そいつの小便だ」
「例外は無い。俺はそれの小便を飲んで、小便で料理し、小便で風呂を焚く」
「そして、それがもっとも一般的だ。他で作った水は、集落や街の金持ちや偉いさんが飲む物さ」
「そして、あいにく俺はそんな身分の人間じゃねぇから、勿論俺に世話されてるあんたも、
その小便で生活する事になる」
「ここには酒なら結構あるが、その水が嫌なら、酒を飲みな」
「でも、あんたは妊婦の身だ。それでも飲みたいって言うなら、酒を出すさ」
「だが、酒で風呂は沸かせないぜ」
「それだけは、覚えておきな」
彼の言葉が終わる。
「随分、懇切丁寧だの、カイト」
口上を述べるカイトの言葉が終わった後、煩取り猫がそれを茶化した。
「俺にも、たまには人に何か説明したくなり時があるんだよ」
カイトはそう言って煩取り猫に笑い返す。
「カイトーーお風呂入るのーー?」
ヤマトが口を開く。その顔は少し嬉しそうだ。
「なら!!僕も一緒に入る!銛船頭も一緒に入ろーーー」
ヤマトは銛船頭と呼ばれた例の大男に風呂への同伴を希望し、語りかける。
銛船頭は重い船の頭を軽く上下させ、それに同意した。
「やったーー!じゃあ船頭の頭に乗って、船旅ごっこする!」
「ぷかぷかーぷかぷかーー」
ヤマトは万歳の格好で無邪気にそれを喜んだ後、銛船頭の頭に乗ると、そこでゆらゆらと揺らめき始める。
銛船頭はそれが不快ではないようで、ヤマトと銛船頭。二人は仲良さげに舟遊びを楽しんでいる。
が、岬は微妙な表情を崩さぬまま、その場で固まっている。
(イルカのおしっこでお風呂を……)
輝かしい科学万能の世界で育った岬とって、それは正直遠慮しておきたい問題だった。
だがカイト達の態度を見て、彼等が冗談を言っているとは思えなかった。
ならばイルカの小便で風呂、は。
本当の事で、そして私はそれに耐える必要があり……
考え込む岬、そんな彼女を気遣うかように、カイトが彼女に言う。
「ともかく、今後あんたも世話になるんだ。なら、その水イルカって奴、見てみるか?」
カイトが言う。岬はそれに応じた。
逆らう必要も無い。
水イルカ……果たしてそれはどんな生き物だろうか。
艦内の居住空間、そしてその中の更に下に降りる階段を抜け、岬はその水イルカが居るという場所に辿り着く。
そこには巨大な水槽が置かれており、その中に。
(クラ、ゲ?)
そこに、その水イルカが、居た。
見た所、4匹くらいだろうか。
半透明な、2メートル前後の、そう半透明な、文字通りの透き通った目をしているイルカが居た。
その半透明な体からは、また半透明な臓器が見えており、その異様な姿は、どちらかと言えば水イルカと言うよりイルカくらげ、っと呼ぶのが相応しいのではと岬は思った。
「こいつの呼び名は地方様々さ。水イルカって呼ぶ奴も居るし、くらげイルカって呼ぶところもある」
「だが変わらないのは、こいつ等が俺達人間の命綱って事だけ」
「人間を生かす、神にも等しいイルカ様」
「だから、あんたも敬意を持って接してくれよな」
カイトが笑みを洩らしながら、それでいてどこか寂しげな口調で、彼女に言った。
だが、岬はそれに答えられなかった。
間近で見る、その異様な姿の生物をただじっと見つめている。
岬はそのイルカを見て、ここが本来自分が居た世界とは違うのだと、本能的に完全に分かってしまった。
いや、初めあのウミヘビや海から出て来た化物を見てから、気付くべきだっただろう。
だが、どこでそれを否定し、[繋がってい]
ものだと、心のどこかで思っていたのだ。
だが、このイルカ。
人の生活と密着しているのだというそれを見て、考えを改める。
(ここは、違うんだ……)
自分が居た世界とは違う法則で動いてる世界。それを本能的に感じてしまった。
ここには、私しか居ない。
私と、この子だけ……
岬は子が居る、自身の腹に手を当てる。
ここには、おそらく夫と息子は、居ない。
自分が、なぜここに居るかも分からない。
そして、私が元に帰れる手段は……
(最後に、あの子と仲直りしたかった……)
岬は、とたんに泣きたくなった。
だが、見ず知らずの年下の男の前で、無様な泣き顔なんて見せたくはなかった。
もう若くない自分。
もしこれが十代の若者であったのなら、恥も外聞も無く泣けただろうが。
今の岬には、もはや守るべき者があった。
だから自分は……
彼女はそう思って、唇を噛みながら涙を堪える。
「風呂、入る気なったか?」
カイトが岬の背から、そう尋ねる。
「ともかく、俺は行くよ。あ、水イルカに手、出さないでくれよ?これは俺の大事な財産だ。大事な物、だからさ」
カイトの言葉、だが岬は答えない。
答える事が出来ない。
今、何か言葉を吐き出したら、違う物まで出てきそうになるから。
だから岬は答えない。
そんな岬を気遣うように、カイトが黙ってその場を後にする。
水イルカと自分、そして我が子だけが残った空間で、彼女は静かに涙を流した。