11話
日が登らぬ内に俺は馬に跨り砦を後にした。森を抜けるには丸一日程の時間がかかる。森で夜を過ごすのは非常に危険なため、日が沈む迄に森を抜けたい俺は無理をさせない程度に馬を急がせる。
騎士達が持っていた魔物除けの香を持っていたため俺の手元にそれはあるがここで使うのは憚られる。
森を抜けても街まではかなりの距離があり野営も複数回必要になるが俺は一人だ。
森を抜けたとしても街までの道のりに魔物がいないわけではない。しかし魔物避けの香を使わなくても複数であれば見張りを立て交代しつつ安全に身体を休める事が出来るが一人で野営する場合は魔物避けの香に頼らなくてはならない。これは貴重な物であるためだろう、騎士達も森で使用する為の最低限の量しか持ち合わせておらず7人分とは言え量は少ない。魔物除けの香の使用は出来るだけ抑える必要があった。
森を貫く一本道を休む事なく進んだ。
日もだいぶ高く登り日差しが暑くなり喉を渇かすが水も持てる量に限りがあったため我慢し、渇きに向く意識を逸らすため今後の事を考えた。
先ずは今向かうビンドラでは長居出来ない。
犯罪奴隷が荒野に送られる際必ずビンドラに一度集められる。
特に俺は元伯爵の貴族であるという事で悪目立ちした。貴族に対しての日頃からの恨み妬みによる感情からなのか侮蔑.愉悦の視線を俺に向ける平民、兵士や貴族にあるまじきと憤怒の視線を向ける騎士などほんの短い滞在だったが強い感情を向ける者は多く、その分他の奴隷達に比べ俺の姿が記憶に残っているかも知れない。
ビンドラで必要なのは水と食料の補給、それに冒険者ギルドへの登録のみ。
幸い、騎士の一人が金を持っていたため街に入る際の通行料や補給に必要な払いなどの心配は無用になったが怪しまれず素早く行動しなければならない。
ビンドラで用を済ませた後は東に向かう。
いくつかの街や村を経由し国境を越えバルリングに隣接する国アズドーラへ渡りそこで勇者殺害の為の力を蓄えるつもりだ。
アズドーラには伝手もある。
俺の心は今すぐにでも勇者の目の前に立ち、罵り、その顔を斬りつけ、心臓に刃を突き立てたいと願う。
しかし焦る気持ちを無理矢理抑えなければ勇者には届かない。
奴には現在地位も名誉もあり、俺の知らない強さ、力もあるはずだ。
俺は、焦るな、焦るなと自分に言い聞かせる様に呟いた。
馬の足が歩を段々と減らして行くのに気がついた。森の半分を過ぎた頃であろうか、いつのまにか強かった日差しは消え空を厚い雲が覆い、森の空気はどんよりとし薄暗くなっていた。
馬は道の真ん中で立ち止まる。
疲れたのか、潰れたのか?
いや、何かがおかしい。
馬は硬直し、背に跨る俺の足からは馬の身体の異様な硬さを感じ、手綱を力を込め引っ張るも首を振らすどころか、びくともしない。馬を降り、馬の正面に立ち顔を伺うが、その大きな口や鼻からは息遣いが全く感じない。まるで生を感じず、造り物の様に感じられた。
しかし微動だにしない黒く大きな二つの瞳は何かを捉えていたのが分かった。
視線は正面に立つ俺の身体をすり抜けある一点を捉え、俺はその視線を追う様に振り返る。
突然、全身を走る、まるで身体の隅々までを見えないなにかで刺されたような恐怖。
先程まで何もなかったはずの道の上に女の姿があった。
全てが真っ白な女。
霞みがかった様にぼやけているが、体や顔、閉じた目、髪の毛一本一本までを淡く青く光る線が表し、形造り、その姿は美しい女性だとわかるが同時にそれは美しい女性の姿をした悍まし何かだと分かる。
その存在に触れた俺の全身の毛は逆立ち、手足は震え、ガチガチと歯を小刻みに鳴らす。
今まで理解した事も感じた事もない自分の中にある底、身体の何処か分からない内側から、とろみのついた滑らかでまとわりつく様な恐怖に似た形容しがたい何かがゆっくりと湧き上がり体の隅々まで流れ、血という血がそれに侵されていく様な感覚。
その感覚に耐え切れず俺は泣き叫び涎を撒き散らし、目の前の女のぼやけていた輪郭が次第にはっきりしたものになるにつれ、湧き上がる何かは量を増し、それに侵食されていく。
女の開かれる事のない両の瞳から真っ赤な血の涙が流れ、侵食され切った俺は意識を失った。
髪の毛を引っ張られている事に気づき目を開くと馬が俺の髪の毛を口で甘噛みし毟っていた。どうやら意識を失い倒れていた様だ。身体を起こし擦り寄る馬の頭を一撫でして、ハッとし辺りを見回す。
日差しの強い青空が広がり明るくもあり薄暗くもある森と真っ直ぐに伸びる道は代わり映えする事の無いそこでの風景だった。
自分の体を伺っても特に異常は感じない。
あれは...あれは一体何だったのか?
夢?それとも...。
穏やかな風が吹き、その風に森の木々が揺れ静かに音を出す。俺はゆっくりと馬に跨り馬を先へと走らせた。




