91.要塞の陥落
ノルト大要塞の指揮権を得たフッサーは、領主の館に向かいながら取り巻きの貴族将校に次々と命令を下していく。
「諸君らは、前面の大防壁で敵を迎撃せよ! なに大砲なんぞなくても、まだ大型弩砲がたくさん残っている!」
「ハッ!」
大砲とかいうあんなわけのわからない武器を使うから帝国軍に負けるのだ。
敵がここまで近づいてこれば飛距離は関係ない。
馴染みのある大型弩砲の方が、兵器としてずっと信用性が高いとフッサーは考えた。
「雑兵相手に遠慮することはない。大防壁に敵が迫れば、煮えたぎる油をかけよ。そうだ、街に火を放っても構わん! 敵を喰い止められるなら何でもやれ!」
ルクレティアたちが早々に撤退を決めたのは、市民が住む要塞の住居区に被害を出さないためでもあった。
それを無にするような命令である。
自分たちがこれから統治しようとする街なので、非道と呼ばれる帝国軍ですらそこまではやらない。
現在は戦闘に巻き込まれないように避難させているが、街が焼かれれば民は明日からどう生活すればよいのか。
そのようなことを考える貴族将校は、ここにはいない。
フッサーの非情な命令に嬉々として答える。
「それは名案です! すぐに焼き討ちの準備をいたします!」
よしと頷くフッサー。
確かに敵の数は多いが、だからこそ戦果を得るチャンスは多い。
「そうだ、ディボー。君には、特別に巨大投石機の指揮を任せよう。大役だぞ」
自分もフッサーと同じく安全な指揮所にいられると思ったディボーは、口を尖らせる。
「フッサー様はどうなさるんで?」
「私は、ノルト大要塞防衛軍の大将として領主の館で指揮を取る。貴君は、巨石を使い敵を完膚なきまでに押しつぶすのだ。できるな?」
ノルト大要塞の中央部である領主の館は、もっとも安全な場所だ。
フッサーはそこに引きこもって、偉そうに指揮するつもりなのだろう。命じるやつは楽でいいものだ。
「フッサー様のご命令のままに! では行ってまいります!」
ふてくされて命令を受けたディボーであったが、まだ前線にいかされるよりはずっといい。
考えようによっては、領主の館より後方にある巨大投石機の方が安全かもしれない。
もし、フッサーたちが名誉の戦死を遂げて自分が生き残れば、戦果は全て自分の物になるのではないか。
そう考えて引き受けたのだが、これがディボーの不幸となった。
※※※
領主の館までやってきたフッサーは、投石の攻撃が始まったことに気をよくする。
「おお、凄まじい威力ではないか」
すでに時代遅れになっている投石機ではあるが、大質量攻撃というのはバカにしたものではない。
何もわからないディボーが、味方に被害が出ることも気にせずに撃ちまくっているので、意外なほどに帝国軍に痛手を与えていた。
この分なら大丈夫だろうと、領主の椅子の座り心地に微笑みながらフッサーはやれやれと兜を脱ぐ。
「喉が渇いたな、飲み物はないか」
「それが、領主の館の使用人も出払っているようでして」
せっかく良い気分だったのにと、フッサーは不機嫌そうに取り巻きの貴族に叫ぶ。
「だったら、お前らがさっさと探してもってこい!」
「は、はい!」
貴族たちは、兵士を探して命じて持ってこようとしたのだが、兵士も外に出払っているようで消えていた。
仕方なく、自分たちで台所からワインの樽をかかえて運んでくる。
「なんだ、あるじゃないか」
「は、はあ」
フッサーは上機嫌で、なみなみと注がれたワイングラスをあおる。
戦地で指揮を執る立場だというのに、酒を水で薄めることすらしない。
玉座に座って、己の勝利を確信しているフッサー。
彼の目は濁っている。
戦を目の前にしながら何も見ていない。
フンデル公爵の公子として、ずっと戦争を知らずにいたからだ。
実際の戦争など、しもじもの者に任せればいいと思っている。
彼に従っている貴族の子弟たちも、それは似たようなものであった。
昔語りでいえば、百年の無敗を誇ったノルト大要塞は伝説だ。
それらの防衛施設を十全に使えれば、どんな大軍が押し寄せようと戦えるとフッサーは本気で信じていた。
「やけに静かだな。戦況はどうなっている」
フッサーにそう言われて、窓を確認した取り巻きの貴族が騒ぎ出す。
「あれ、おかしい。巨大投石機の攻撃が止まってます!」
「なんだと! ディボーのやつめ何をやっているのだ。さっさと攻撃を再開させるように命じろ!」
フッサーはそう叫ぶが、伝令を送る前に他の貴族将校が領主の館に逃げ込んでくる。
「フッサー様、大変です。街の拠点が、次々に落とされています」
「バカげた事を言うな。まだ前面の大防壁が落ちたという報告はないぞ」
フッサーは、万が一にも大防壁が落ちるようなことがあれば、街を焼き払って逃げようと思っていたのだ。
「敵は空から攻撃しているようです。敵の魔術師たちが、空から拠点を急襲してきて、落とされてしまいました」
魔術師による空挺戦術。
フッサーは、思いもよらない攻撃に唖然とする。
しかし、それは考えれば当たり前のことであった。
なぜなら、ノルト大要塞はもともと帝国のものだったのだから。
街にいかにたくさんの防衛網があっても、手の内は帝国軍にバレているのだ。
こうしている間にも、空を飛べる魔術師たちによって要塞内の拠点はまたたく間に落とされてしまっていた。
これがルクレティアたちが大防壁以外で防衛戦をやらなかった理由だと、フッサーはいまだに気がついてもいない。
「では、巨大投石機の攻撃が止まったのも……」
※※※
巨大投石機のある砦では、ディボーたちがむやみやたらに投石を続けていた。
「計算などどうでもいい、とにかく敵に向かって撃てばいいんだ!」
このディボーの無茶苦茶な命令が、意外と功を奏していた。
百年前の設計とはいえ、天才パルメニオンの作った巨大投石機の攻撃力はバカにできないものがある。
何もわからない素人に強力な武器を与えるほど怖いものはない。
一部、投石が大防壁を崩したり、弾道がそれて味方の兵士に当たったりしていたのだが、ディボーは知ったことかとありったけの巨石を放射し続けている。
すでに防衛軍の前線からは兵士たちが逃げ出していたのだが、指揮官のディボーが何度も自分たちだけは助かると言っているので、ここでは兵士の逃亡が起きなかったのも幸運であった。
しかし、そんなビギナーズラックはいつまでも続かない。
「やってくれたわね。あんたたち」
天から声が聞こえたかと思うと、巨石を動かしていた兵士たちが風斬によって切り飛ばされる。
「ダークエルフ!」
銀髪の髪で褐色の肌を持つ妖艶なるダークエルフが、ディボーの目の前に現れる。
帝宮魔術師団長アシュリーである。
「ふとっちょ貴族。お前が指揮官か」
「わ、私はボヨン子爵家のディボーだぞ!」
「私も一応、子爵様なんだけどねえ」
ダークエルフが貴族など言われても、偏見に凝り固まっている王国貴族のディボーが信じるわけもない。
「ふざけるな! 私は貴様のような下賤なエルフが口を聞いていい相手では」
アシュリーは手を一閃すると、そう叫ぶディボーの首を即座に落とした。
悲鳴を上げる間もなく、ディボーは事切れる。
「ふん、どこの国でもバカ貴族は話が通じないから困るね。付き合わされる兵士は可哀想なもんだけど」
「そう言いながら、殺してるじゃないですか」
あまりのことに、部下のダークエルフたちが苦笑する。
「フフッ、貴族だって問答無用で殺していいって言われてるんだからね。さあグズグズするんじゃないよ。我らがヴィクトル陛下のために、もう一仕事するよ!」
アシュリーたちは巨大投石機を沈黙させると、次々とノルト大要塞の重要施設を落としていった。
※※※
すでに打つ手がなくなった領主の館に、次々と敗北した貴族将校たちが逃げ込んできた。
「フッサー様、いかが致します」
「すぐに兵を集めよ! なんとか敵を喰い止めさせるのだ」
「それが、兵はおりません」
「はぁ?」
「すでに街が落ちているという敵の流言のせいか、このままでは殺されると騒ぎ出して、兵たちは我先にと逃亡してしまいました」
戦線が持ちこたえられなくなったのは、前線から兵士たちが一斉に逃亡していたからだ。
集まった金毛騎士団の貴族将校たちは、みな一様に配下の兵士を失っていた。
「お前たちはそれを黙って見ていたのか、バカモノどもめ!」
「フッサー様、どうしましょう」
もはやフッサーの手元には、五百余名程度の貴族将校たちしかいない。
これで勝てると思うほどフッサーもバカではなかった。
困惑する貴族将校の質問に答えず、足早に館から出る。
もう逃げるしかない。
「どうするもこうするもあるか!」
「はぁ」
「戦う兵がいなくてはどうしようもない。撤退するのは癪にさわるが、こうなったら街を焼き討ちして敵をなるべく巻き添えにしてから」
そこに、天から声が響いた。
「そうはさせないわよ」
魔法のエネルギー弾、衝撃波、風斬、炎弾。
次々に、周りの貴族将校たちが空からの攻撃によって倒されていく。
「ぐあっ!」
「フッサー様!」
フッサーは、それに為す術もない。
「ええい、帝国の魔術師か」
数少ない金毛騎士団の仲間も、空からの攻撃によって潰されていく。
これでは、準備していた焼き討ちもできない。
「フッサー様。一体どうすれば」
「クソッ、うるさい。そもそもお前らが無能なのが悪いのではないか!」
フッサーは、屈辱に震えていた。
このままでは、帝国に捕えられると思ったのだ。
そう、フッサーは味方が焼き殺されるのを見ても、自分が殺されるなどとまったく思ってもいない。
まるで他人事のような感覚であった。
「おい! 帝国の魔術師ども。攻撃をやめろ、致し方がないから投降してやる!」
しかし、敵の攻撃はやまない。
すでに抵抗を諦めて剣を捨てて投降を申し出ている者も大勢いるのに、次々に殺されていく。
「おい聞いているのか。私は、金毛騎士団団長、フンデル公爵家の公子フッサーだぞ!」
「フッサー様! あの敵に話は通じません。お逃げくださ、グハッ!」
フッサーの眼の前で首を飛ばされて死んだのは、伯爵家の子息であった。
伯爵といえば、大貴族である。
その尊き血筋にあるものが、こんなところで雑兵に殺られて無残に死んでいいわけがない。
「ふざけるなよ。おい、私は王国軍の大将だぞ。帝国軍の将と話をさせろ! 騎士の作法を知らんのか。投降を申し出た貴族に対してこんな狼藉が許されて良いわけがないだろう!」
「元気なのがいるね。そうかい、あんたが大将かい」
ぎゃーぎゃー泣きわめく貴族将校をあらかた倒し終わった後でも、フッサーはまだ怒鳴り散らしていた。
アシュリーから見れば、異常という他ない。
「貴様は誰だ!」
「私は、帝宮魔術師団長アシュリーだ。自分を殺す相手の名前くらいは、冥土の土産に知っておいてもいいかもね」
「私を殺すだと。バカなことを、この私を誰だと思っているんだ」
「記憶力はいい方でね、フンデル公爵家のフッサーだろ。確かに王国でも有数の大貴族だね」
ヴィクトル陛下の側近であり、帝国の魔術師の頂点に立つアシュリーは、王国の情勢もちゃんと理解している。
敵が自分を知っていると聞いて、フッサーは少しホッとする。
「ならば、私の重要さはわかるな。こんなことは言いたくないが、私を捕らえればフンデル家は莫大な身代金を払うだろう」
「それで?」
「それでとは、貴様のような下賤な者たちは金が欲しいだろう。それをくれてやるというんだぞ」
「いらないね。みんな給金は、ちゃんともらってるからね」
アシュリーがそう言うと、周りのダークエルフたちも笑い出す。
ここでようやく、フッサーは焦り始めた。
「そ、そうだ。私が交渉すればフンデル公爵家は帝国側につくかもしれんぞ。そうすればお前の手柄にもなろう!」
「陛下から直々に王国貴族は殺せと命令が出てるんだよ」
「バカげたことを、お前らでは話にならん。帝国の将に掛け合ってもらえれば、私の政治的重要さはわかるはずだ」
「はぁ、そればっかだよねあんたらは。あたしらじゃなくて、自分の方がバカだって、きっと死んでもわからないんだろ」
「何をバカなことを」
その瞬間、アシュリーが手を一閃すると、あっけなくフッサーの首が飛ぶ。
「ヴィクトル陛下が治められるこれからの時代に、お前らみたいな貴族はいらないんだ」
そうつぶやくアシュリーは、憎しみの籠もった目で転がってきたフッサーの頭を踏みつけるのだった。





