53.戦いの終わり
エルフの森から林へ抜けるのは、緩やかな下り坂になっている一本道だ。
脱兎のごとく逃げるハルト大隊を、ダルトン代官たちは意気揚々と追いかけていく。
「ブハハハ! 軍師ハルトか、姫将軍ルクレティアの首をあげたやつは、城持ちにしてやるぞ!」
勝利に酔いしれて慢心したダルトンは、坂道を転がるように追いかけてきて、自分たちが怪しげな木の橋を越えてしまったのにも気が付かないほどだった。
しかし森を飛び出てすぐに、樹甲兵三千は立ち往生してしまった。
「おい、どうした」
「それが、大きな堀があって」
どうやら、敵は開けた土地にぐるっと堀を巡らせているらしい。
堀にわたしていた木の橋を取り去られたから、そこで進軍が止まったのだ。
「こんなところに堀だと、足止めのつもりか?」
堀には臭い匂いの黒い水が溜まっている。
「どうしやしょう」
これまで破竹の勢いで駆け下りてきた樹甲兵たちだったが、逃げていたハルト大隊が堀を越えたところで立ち止まっているのに、なにか不気味な雰囲気を感じ取ったようだ。
「どうしやしょうじゃねえよ。こんなもんさっさと越えろよ。ここで敵を逃してどうするんだ!」
大した深さの堀じゃない。
ダルトンは兵を急かせて、堀に飛び込ませた。
鉄杉の鎧は軽い木製であるため、水に浮くから問題ないといえばないのだが。
「うえ、臭え!」
黒い水の酷い匂いに、鼻が曲がりそうになる。
だが、そんなことを気にしている場合ではない事態がすぐに起きる。
「ぎゃぁぁあああ!」
堀に溜められた黒い水が、燃え始めた。
酷い匂いのする黒い水の正体は、油だったのだ!
激しい炎にまかれて、堀の中に入っていた兵士たちは全身を焼かれて死んだ。
「な、なんだこりゃ!」
堀に溜められた油が激しく炎上している。
脱出路を探すが、堀はぐるりと丸く囲まれており、何処にも逃げ場がない。
炎の輪に囲まれて、樹甲兵たちは大混乱に陥った。
「ああ、燃えてる燃えてる、あぎゃー!」
鉄杉の鎧の材質は木だ、しかも何度も油を塗って乾燥させてある。
燃えたぎる堀に近づきすぎた兵士は、鎧に火が燃え移って火だるまになって転がっている。
自然と、炎の輪の真ん中に集まって身動きが取れなくなった。
鎧が燃えるという恐怖から、脱ぎ捨てた兵士もいたが、今度は堀の向こう側から銃弾が飛んでくる。
「ぎょえ!」
鉄杉の鎧を着ていればいずれ焼け死ぬ。
鎧を脱げば、銃弾に撃ち抜かれる。
まるで灼熱地獄だ。
進退窮まった樹甲兵たちは、徐々に数を減らしていく。
「ダルトン代官、どうしやしょう!」
「どうしやしょうしか言えねえのかお前は!」
考えろ、考えるんだとダルトンは髪をかきむしる。
俺は勝って、大貴族になって、全てを手に入れるんだ。
こんなゴミみたいな田舎で死ねるものかと、ダルトンは煩悶する。
どっちにしろ、鉄杉の鎧を着ていては、あの炎の壁は抜けられないから脱ぐしかない。
「よし、お前ら鎧を捨てて全軍突撃しろ!」
「突撃って、どこにですかい!」
「とにかく前に走れ! あの堀さえ飛び越えれば助かるんだ。全力で行け!」
「無茶苦茶だ。死んじまうよ!」
文句を言ったやつの首を、ダルトンは即座に剣で斬り捨てた。
「ここで確実に死ぬか。なんとか火の壁を越えて助かるかだ。どっちでも好きな方を選べ!」
そう言うと、もたもたしてる味方の背中をダルトンは斬り続ける。
「うわああああ!」
ダルトンを恐れて前に飛び出していったものの一部は銃弾に撃たれて死に、堀まで走って飛び越えようとした兵士たちも燃えたぎる油の中に落ちて死んだ。
「それでいい、お前ら全員いけぇええええ!」
なにせ三千人の兵隊がいる。
前に走った連中を肉壁にしながら銃弾の雨をかいくぐったダルトンに、炎の堀が見えた。
「しめた!」
燃えたぎる油の中に落ちて黒焦げになっている味方の死体が大量に詰まっている。
そこを足場にして、ダルトンはなんとかこの地獄から抜け出すことができた。
※※※
三千人もの代官軍が、灼熱の業火に焼き殺されていく地獄。
王国軍の側からみても、それはあまりにも惨い光景だった。
「油をもっと足してください」
「は、はい!」
ハルトは、冷徹にピッチ油を足すことを命じる。
ダルトンたちの酷い蛮行を見て、一兵残らず始末すると決めた。
なぜならハルトにとって、もうダルトンたちは人間ではないのだ。
相手が獣にも劣る畜生であれば、こちらも一切の容赦はない。
これはもう戦争ですらない。
相手を憎いと、この手で殺してやりたいと思ったのは、ハルトも初めてだ。
人に仇なす害獣を駆除するのに、何の躊躇がいるか。
「まだ、生き残りがいましたか」
あの炎上する堀を飛び越えてきたダルトン代官軍の兵士がいる。
しかし、そんな彼らに自慢の鉄杉の鎧はもうない。
すぐに、あたりを包囲している騎士隊に囲まれた。
「悪代官の軍に天誅を下すわ!」
騎士隊を指揮して血気盛んに斬り込んでいくルクレティアの先に、ダルトン代官がいた。
かなりの肥満体なのに、身体中を焦がしながらよく生きてあの灼熱地獄を越えたものだ。
しかし、その悪運もこれまで。
なおも、ルクレティアに向かって剣を振り回したダルトンであったが、剣を持った腕ごと吹き飛ばされた。
「ダルトン!」
ハルトに付き従っていたシルフィーが叫ぶ。
それに気がついて、ハルトはダルトンを斬り殺そうとするルクレティアを止める。
「姫様、待ってください!」
「どうしてよ、こいつは悪いやつなんでしょう」
斬り捨てられた腕を掴んで、思わず力尽きてその場にひざまずいたダルトン。
激しく血を流しながら、目をギョロギョロとさせて周りを見ている。
いまだに、自分が助かる方法を考えているのだろう。
だが、ハルトは許すつもりはない。
「これはエルフのための戦いです。最後は、俺たちがやるべきじゃないでしょう。シルフィー!」
「はい!」
ハルトは、持っていた拳銃を渡してシルフィーに使い方を教える。
「この引き金を引いて撃てば、相手を殺せます」
「わかります。魔法と同じですもん」
「では、できますか」
シルフィーは、瑠璃色の瞳をうるませてハルトをじっと見つめる。
「できます」
自分が撃てばよかったかもしれない。
それでも、これをエルフのための戦いだと言ったシルフィーが終わらせるべきじゃないのかと、ハルトはそう思ったのだ。
目をギョロつかせながら、ズタボロになったダルトン代官はその場にひざまずいたままでシルフィーを見る。
そして、殺されるとわかると、泥に額をこすりつけるようにして許しを請うた。
「た、助けてくれ。エルフにはすまないことをした! しゃ、謝罪する! なんでもする! 俺が悪かったから、殺さないでくれ!」
助けてくれ、殺さないでくれ。
そうやって哀れに慈悲を乞うたエルフを、この男はどれだけ理不尽に殺してきたことだろう。
シルフィーは、すがりつこうとしてくるダルトンに無言で引き金を引いた。
ターンと乾いた音が響く。
胸を撃ち抜かれたダルトンは小さくうめき声を上げると、その場に倒れて動かなくなった。
「ハルト様……私、やりました……」
「ああ、よくやりました。シルフィー」
「……うああああああ!」
泣き出してしまったシルフィーを、ハルトは泣き止むまでしばらく抱きしめてやるのだった。





