43.大きな風呂を作る
それから三か月の時が過ぎた。
敵対宣言をしてきたラスタンだが、あの後目立った動きはなかった。
第二王子オズワールの陣営がこっちにやってきた嫌がらせといえば、ルクレティア所有の金山を難癖つけて取り上げたくらいのものだ。
ハルトが姫様に金をねだりまくったせいで、すでに金鉱脈を掘り尽くして廃坑寸前になっていたから、こちらへの影響はほとんどない。
王都周辺や王国中央軍は、何やら揉めているという噂だが、この辺境のノルト大要塞は平和なものである。
そして、その間ハルトが何をやっていたかというと、毎日自宅に作った檜風呂でくつろいでいたりする。
「あー、やっぱり風呂はいいなあ」
毎日風呂に入りたい。
ハルトが金持ちになりたかった理由の、半分ぐらいがこれだったりするのだから仕方がない。
市場でこの辺りでは珍しい檜を見つけて、これしかないと思ってドワーフのドルトムから建築士を紹介してもらって造らせたのだが、「木材で風呂を造るなど、聞いたこともない」と驚かれた。
ハルトのような依頼をする人間は、このあたりでは珍しいのだろう。
なにせ、ローミリス大陸の北部地域は、気候が乾燥しているせいか風呂文化がなかったのだ。
これでは面白くないので、姫様が提供してくれる潤沢な官費を流用して、早速ノルト大要塞にも石造りの公衆浴場を設置してみた。
そのためには、上下水道の整備が必要になるのだが、実はノルト大要塞には元から存在したのだ。
百年も昔の天才幾何学者パルメニオンは、そこまで計算してこの大要塞の街を設計していた。
それがこの百年で経年劣化し、溝が壊れたり詰まったりして、軍事要塞には不要な物として放棄されていた設備をハルトが整備し直したのだ。
せっかくの上下水道を台無しにされて、パルメニオンも可哀想である。
風呂文化を一部の貴族だけではなく、市民にも提供しようとして造ったのかもしれないのに(多分違う)。
ああ、この檜風呂の香りの素晴らしさよ。
理解されない天才という者は、いつの時代も悲しいものだ。
それはさておき、ハルトは贅沢な暮らしがしたいのだ。
そのためには、自分の住む街は、公衆衛生もしっかりしていた方が居心地もいい。
貴族だけではなく市民にも風呂文化を勧めて、王都の工房で生産している石鹸を売って儲けたい。
そんな勝手な理由で始めた施策であったが、市民からの評判は上々だった。
市民の憩いの場となった公衆浴場は評判を呼んで、レギオンの街の方にも市民の要望で上下水道と公衆浴場を造る工事が進行中だし、山から温泉を掘り出そうなんて計画もある。
「ハルト様、アイスコーヒーをお持ちました」
「ありがとう」
エリーゼが、アイスコーヒーと書類を持ってきてくれた。
ちなみにハルトは湯着を着ているので、見られても平気である。
ただぼんやり浸かっていても暇なので、半身浴を楽しみながらハルトは書き物をしたり、読書をしたりしているのだ。
風呂場で仕事というのは、血行が良くなってこれで捗るのである。
少し茹だったあたりで、冷たいアイスコーヒーは、頭をシャキッとさせてくれてありがたい。
「ハルト様。レギオンの街と、このノルト大要塞で、ハルト大隊の募兵を完了いたしました」
「おお、ついにですか」
給金の払いもよく、帝国に勝利したという評判のハルトの大隊に参加したいと、市民から応募が殺到していたのだ。
だが誰でもいいというわけではない。
当然のように入り込んでくるだろう帝国の密偵などを排除するために、エリーゼは苦労したようだ。
最新兵器を使う手前、情報漏洩はできる限り避けたいところだ。
「これからのことを考えて、王国ではなくハルト様にのみ忠誠を誓う兵を私自らが集めました。経歴のチェックも徹底的にやりましたので、有能で信用できる兵ばかりです」
「そうですか」
ハルト個人に忠誠を集めるというのはやりすぎじゃないかとも思うのだが、今の混迷した状況を考えると、自前で使える兵力はあったほうがいい。
エリーゼが太鼓判を押すなら、安心だろう。
「これでハルト大隊は、いよいよ三千名となりました。レンゲル兵長が、新兵の訓練を実行中です」
「ごくろうさま。ところで、新兵の訓練マニュアルを作ってみたんだけど、こういうのは役立つかな」
なんか自分の書いた書物は、敵ばかり育てているような気がするので、味方にも使える読み物があったらどうかと思ったのだ。
新兵教育のため、初歩的でわかりやすい内容にしたつもりだ。
読み進めるエリーゼは、目を見張った。
「これは素晴らしい、さすがハルト様です! さっそく、訓練に生かすようにいたします!」
「うん。レンゲル兵長にもよろしく言っておいてよ」
「その他の報告ですが、新兵の増加に合わせての兵器増産に加え、アラル山脈での資源調査も進んでおります」
「おお、それどうなりましたか」
「既存の鉱物資源に加えて、ハルト様のおっしゃっていた燃える石、燃える水の採掘にも成功しています」
「そうか、石炭も石油もありましたか」
元の世界の知識から、アラル山脈の地形は資源地帯じゃないかと当たりをつけて調査させたのだ。
もともと、燃える石や燃える水と呼ばれる物質は一部で利用されてもいたそうだ。
「過去の記録を調べましたが燃える石は暖房に、燃える水は蒸留してピッチ油として利用してました。ピッチ油は、松明や防城戦で敵を燃やしたりするのに、ごく一部で使われたことがあります」
古代の技術もバカにならない。
ちゃんといい線までいっているのだ。サリアの火と呼ばれる火炎放射器みたいなのもあったらしい。
エリーゼのまとめてくれた書類を読むと、上級騎士や貴族が酷い匂いを忌み嫌って利用をやめさせたらしい。
こういうところだよなあ、身分社会の悪いところ。
「ドルトムさんが、全然手が足りないから、更に故郷の山からドワーフの鉱夫や鍛冶師を呼びたいと言ってましたが」
「その辺りは、ドルトムの目を信用するから、いくらでも資金を使ってくれって言っておいて」
ハルトは面倒くさがりなので、大胆に任せてしまう。
リスクもあるだろうが、自分でやるより自分よりできる人材に任せたほうが効率的だとも考えている。
「それなのですが、金より酒が足りない。酒はドワーフの燃料だと言われまして」
「ああ、王都の醸造所から運んで足りない分は買い込んで、先々のことも考えて、ノルト大要塞の街にもラガービールとブランデーの醸造所を増設しよう」
酒はすぐには増えないが、ドワーフとの付き合いが増えるにつれて必要になる物資なので、たくさん造っておくに越したことはない。
アラル山脈の北方に住むドワーフとの取引を考えると、ここから安定供給できたほうがいい。
「はい、早急に手配いたします!」
「頼むよ。ああ、でもエリーゼ」
「はい、なんでしょう!」
「……少し働きすぎじゃないかな」
この三か月、エリーゼは少し無理しすぎているように見える。
有能で何でもやってくれるから、ついついエリーゼにばかり頼ってしまうのだが、気遣いが足りなかったかもしれない。
「ハルト様のお役に立てるのが嬉しいんです!」
「それはありがたいけどね。たまには休暇を取るとか、したいこととかないかな」
もはやエリーゼがいないと、ハルトの仕事は立ち行かなくなっている。
別に休暇でなくても、望むなら特別ボーナスを出してもいいぐらいだ。
「あ、あの、もしお願いを聞いていただけるのでしたら……」
「うん、何でも言ってよ」
「ハルト様のお背中を流してもよろしいでしょうか!」
「気持ちは嬉しいけど。ちょっとなあ」
年若い女の子の前で、半裸になるのはちょっと恥ずかしい。
「すす、すみません! 差し出がましいことを申しました!」
「いや、気持ちは本当にありがたいよ。ただ、そういうんじゃなくて、たまにはエリーゼもゆっくり湯治するとか、息抜きしたほうがいいんじゃないかと思ったんだけど」
「ええ! 私がハルト様と一緒にお風呂にですか!?」
「いやいや、そんなこと言ってないからね!」
なんでそうなる。
一緒にって、いくらなんでもまずすぎる。
「だだだ、大丈夫です。実は私、この服の下に湯着を着用してまして! これならいつでもお背中を流せるかと!」
だから、なんでそんなに背中を流すことに執着する。
「いやいやいや、脱いじゃダメだよ! 湯着を着てても、男女が風呂に一緒に入るのは問題があるって。一体どうしたのエリーゼ。今日おかしくないか?」
エリーゼが、その場でメイド服のスカートを落としかけるので、ハルトは慌てて止める。
薄い湯着なんて、いろいろ透けちゃったりするから、一緒に入れるわけがない。
いくら二人でもゆっくり入れるほど湯船が大きいとは言っても、エリーゼが一緒に入ったらハルトだって落ち着かない。
「そ、そうですよね! 私何を言ってるんだろう、仕事で疲れてるのかなあ。アハハハ」
「うーん。まあ俺はそろそろ上がるから、たまにはゆっくりお風呂に入っておいでよ」
「はい、そうさせていただきます」
うーん、なんだろう。
なんだかこの間から、エリーゼの様子がおかしい。
「まあ、大丈夫かな」
よく考えてみるとエリーゼってたまにこんな感じになるから、気のせいかもしれない。
元気がないわけじゃないんだからと問題ないかと思い直して、ハルトは濡れた髪をタオルで乾かしながら、さっさと着替えて脱衣所から出ていった。
「ハルト様の入ったお風呂、うふふ……」
その場でメイド服も湯着も脱ぎ捨てて裸になったエリーゼは、含み笑いをしてお風呂にちゃぽんと浸かる。
ハルトが入ってた場所に身を沈めて、ちゃぷんちゃぷんとお湯を手で遊ばせるのだった。





