36.王国への帰還
王国軍を取りまとめてノルト大要塞への帰路の途中、エリーゼが手綱を握るハルトの馬車に並走して馬を走らせていた姫様が、とんでもないことをいい始めた。
「決めた! あいつが、宰相にするって言うなら、私はハルトを王様にしてあげるわ!」
ハルトは苦笑いである。
「姫様の冗談は、あんまり面白くないですね」
「なによ。私は冗談なんて言ったことないわ。ハルトが王様になったら、ルティアーナ王国はもっといい国になると思わない?」
確かに、この姫様は常にガチだった。
ハルトはちょっと不安になってくる。
「……もしかして、本気で言ってるんですか」
王族が、下剋上を勧めるとか亡国も甚だしいだろ。
この姫様はやっぱりどっかおかしい。
ハルトが唖然としていると、姫様はキョトンとした顔で言う。
「ハルトは私の婚約者なんだから、王様になったっておかしくはないでしょ?」
「それ本気で言ってます?」
「だから、私は生まれてこの方、冗談なんか言ったことはないわよ」
ちょっとムッとする姫様。
「婚約って、いつそんな話になったんですか」
「ハルトが、私にキスしたときよ」
「ああ、あのときか……って、いや、俺からキスしてないですよね?」
おい、ごく自然な流れで記憶が改ざんされてるぞ。
横から、やはり馬を駆っているクレイ准将が声を掛ける。
「ハルト殿。姫様は、国王陛下より自分の配偶者を自分で選ぶ権利を与えられているのです」
王族の姫ともなれば、政略結婚で相手は国王が選ぶのが普通だが、姫様を溺愛する王は請われるままにそんな権利を与えてしまっているという。
なんだか、話が見えてきた。
「もしかして、キスしたのがそれになるんですか?」
「はい、ですから私どもは、そのときよりハルト殿を王族と思って仕えておりますよ」
今頃知らされる驚愕の事実であった。
クレイ准将は、国の行く末とともに、姫様の嫁入り先を心配していたので、これで肩の荷が降りたと涙ぐんでさえみせる。
「つかぬことをお伺いしますが、それってキャンセルとかできないんですか」
「婚約破棄すると、同時に不敬罪で処刑になりますが、ハルト殿はそんなことはなさいませんよね」
いつの間にか詰んでる!
「エリーゼ、これなんとかならないか?」
ハルトは、押し黙って手綱を握っている自分の忠実な副官に、助けを求めた。
「私は、ハルト様が軍師でも王様でも、変わらずお仕えするだけです」
「うんそれは、ありがたいけども!」
こういうときは助けてくれないのか。
「ハルト様のなさりたいようになさってください。私は、なんでもお手伝いしますから」
参ったなと、馬車の座席に腰掛けるハルトに、ルクレティアが声を掛ける。
「ねえハルト」
「なんでしょう」
「私ってバカよね……」
自覚があったのかと、ビックリして腰を浮かすハルト。
まさか、姫様に「そうですね」とも答えられず、なんとも言えない顔になる。
「どうしたらいいのか、ずっとわからなかった。王族に生まれて、将軍にまでなって。ずっと苦しんでる民を助けたいと思ってて、失敗ばかりで、犠牲ばっかり増やしてしまって、ハルトはそんな私を叱ってくれて、正しいところに導いてくれた」
「そんなに立派なもんじゃないですけどね」
そう謙遜するハルトに、ルクレティアは微笑んで首を左右に振る。
「ううん。ハルトは、帝国との戦争だってこうして犠牲が少ない方法で終わらせたじゃない。ハルトが一番正しいって、私は信じてる」
「だから、私を王様にしようと思ったんですか?」
「うん。もちろん、ハルトがそれが一番いいと思ったらだけどね」
「とりあえず、聞かなかったことにしておきます。軍師だけでも荷が重いのに、王様なんて面倒くさいものになりたいとも思いません」
「向いてると思うんだけどなあ」
「姫様も、二度とみだりにそのことを口にしないように」
「わかったわ!」
返事だけはいい姫様。
まったく、困ったものだ。
小憎たらしい笑顔である。
まったく、ほんとに一度お仕置きしてやろうかとすら思うほど。
姫様のさっきの発言は、かなり危険なものだ。
あんまり軽々しく物を言わないように、注意しておいたほうがいいかもしれない。
王太子であるシャルルが亡くなり、順当にいけば第二王子オズワールが継ぐこととなるはずだが、これからの国内情勢ではどう転ぶかもわからない。
対応次第では、姫様の立場も危うい。
その麾下にある、ハルトたちだって微妙なものだ。
ハルトとしては、一番楽な選択は金だけ持ち逃げして、さっさと姫様のもとを離れることだろう。
しかし、なんだかんだでハルトも甘い。
無邪気に自分を信じると言い切った姫様を、見捨てられないだろうともわかっていた。
「やれやれ、まったく人生はままならないもんですね」
ハルトは楽して暮らしたいだけだったのに。
こうして戦争を終わらせてみても、またいろいろと面倒事は終わりそうになかったのだった。





