34.休戦
侵攻してきた王国軍第一軍、第二軍を次々と各個撃破して勝利を確信したところで、ヴィクトル皇太子が受けたのは「帝都落つ!」の知らせであった。
「私としたことが、まんまとしてやられたか」
戦場に姿が見えなくなった第三軍が、やったのだとはわかる。
相手が、あの『幻の魔術師』だということも一瞬でわかった。
薄々、第三軍こそが『幻の魔術師』が指揮しているのではないかと疑っていたところだ。
しかし、ヴィクトルが守りの戦には絶対の信頼をおくガードナーが、堅固な帝都を守護しているのに、どうしてこんなにも早く攻略されたのか。
どんな奇術を使ったのか、皆目見当もつかない。
ヴィクトルにとって、第一軍、第二軍の撃破など前哨戦に過ぎなかった。
大陸の二大国家がぶつかり合う、この世紀の大会戦において、かの『幻の魔術師』を正面から打ち破ってこその勝利だと考えて準備をしてきたのに、盤上を根底からひっくり返されてしまった。
「殿下、帝都を落とした王国第三軍より、休戦を求める使者が来ております」
「手回しが良すぎて気に食わん!」
余が戦術で裏をかかれるとは……と、生まれてこの方、敗北したことなど無いヴィクトル皇太子は美しい眉根を顰め、怒りに頬を赤くした。
いや、決して負けたわけではない。
戦果だけ見れば勝ってると言ってもいいが、完璧な作戦にならなかったことは不愉快に感じる。
皇太子殿下の激発を恐れて、伝令は恐縮する。
「い、いかがなさいますか!」
「……わかった、会おう」
それでも、苛立ち紛れに帝都を攻めて、自国の被害を広げるような凡将ではない。
何度か深呼吸して冷静さを取り戻したヴィクトルは、使者を連れてくるように命じた。
王国軍の使者として訪れたのが、自ら股肱の臣と頼んでいたヴェルナー准将であったので、さすがのヴィクトルも驚くこととなる。
殿下の天幕で、ヴェルナーはこれまでの経緯の全てを説明すると、頭を地に叩きつけて平伏したまましばし動かなかった。
「顔をあげよ、ヴェルナー」
ヴェルナーの額が割れて、血が流れていた。
「殿下。恐れながら、不忠の臣より申し上げます。王国軍の軍師ハルト・タケダよりの言伝を承っております」
「申すがいい」
「帝都とこの度の戦で王国軍が占領した全ての街を返す代わりに、王国軍の帰路の安全を保証してほしいだそうです。帝国軍の捕虜を全員解放するのだから、そちらも捕虜を取るなと」
「攻めてきておいて、随分と虫のいい条件だな!」
「しかし、それが双方に一番被害を出さずに済むかと……」
「それはわかっておる。余もまさか、帝都と父上を人質に取られて、うなずかぬわけにはいかぬわ」
「ハハッ」
「休戦を受けてもいいが、一つ条件がある」
「なんでございましょう」
「我らが『幻の魔術師』と呼んでいた謎の軍師、確かに名はハルトと申したな」
「はい」
「その者と会ってみたい」
「わかりました。会談の要請をしておきます」
「あと一つ。ヴェルナー、余のもとに戻ってこい」
「殿下! 私は、殿下を裏切りました。これはいかなる理由があろうとも、許されざる罪。この戦が終わったのを見届けた後に、この首を差し出すつもりです」
ヴィクトルは立ち上がって、懐より絹のハンカチを取り出す。
恐れを多きことと、下がろうとするヴェルナーを肩を抱くようにして、額の血を綺麗に拭いてやった。
「ヴェルナー。余の幕下に、お前ほどの忠臣がおろうか。主命に逆らっても君を利す。これを忠義と言わずになんというか。愚かな余が、敵将の器の大きさを読みきれなかったのがいけなかったのだ。お前に罪があろうはずがない」
皇太子が座右に置いてある書には、逆命利君という言葉が乗っている。
本当の忠義ならば、君命に逆らってでも成すべきだと。
「しかし……」
「ヴェルナー准将。お前を今回の功績により、将軍へと昇格させよう。余はまだ年若く、才気に走りすぎる悪癖がある。お前の慎重な判断力を必要としているのだ。どうかこれからも、余が至らぬときは遠慮なく諌めてくれ」
命を捨てる覚悟であったヴェルナーは、その温かい言葉にむせび泣く。
やはり自分が仕えるべきは、この君以外にはいないと心に誓う。
「しかし、ハルトとはな。余がしてやられるわけだ……」
ヴィクトルが戦場でも常に座右においている『政経試論』と書かれた本の著者名に、ハルトの名があった。





