25.王国の反攻
ハルトが、難攻不落をうたわれたノルト大要塞を陥落させたことで、バルバス帝国には激震が走った。
南方でもカノンの街がルティアーナ王国に奪い返され、拡大を続けてきた帝国の戦線は停滞し始めている。
ノルト大要塞陥落は、帝政を専横する皇太子の失策が原因であるとして、バルバス帝国の帝都西方の公都ブルームバーグで貴族反乱が勃発。
門閥貴族派の盟主ブリューゲルト大公爵は、皇太子の廃嫡と選帝侯による新しい帝政を求めて立ったのだ。
帝国はついに真っ二つに割れた。
こうなれば、俄然意気が揚がるのは王国軍だ。
このチャンスに、憎き帝国を完膚なきまでに倒そうという機運が盛り上がり、王太子シャルル・ルティアーナが中央軍を率いて王都を出立。
帝国に大攻勢をかけるため、三万もの兵が王国のものとなったノルト大要塞に集結していた。
「どうしよう! ハルトの言う通りになっちゃった! 私のせいで戦争になっちゃう!」
「わかりました。あの姫様、顔が近いですから……」
抱きつかんばかりにハルトに迫ってくるルクレティア。
姫様の顔が近づいてくると、またいきなりキスされるんじゃないかと思って、腰が引けてしまうハルトである。
それにしても、例の一件からの姫様の変わりようはどうだろう。
何をするのにも、ハルトはどう言ってるの、ハルトに聞いてからと、こうして屋敷まで訪ねてくる。
前の独断専行も困ったものだが、こうして頼られるのもウザ……いや、一国の姫君にそれを言ってはいけないのだが。
のんびり本も読めないなあと、ハルトはため息をつく。
「ハルト様、御髪が……」
「ああ、ありがとうエリーゼ」
ハルトの黒髪に、エリーゼは優しく櫛を通してくれる。
胸の傷が綺麗に治ってよかった。
嫁入り前の士爵家の一人娘が、もし傷物になってしまったら、ハルトが責任を取らなきゃならなくなるところだ。
そうなのだ。結局のところ、ハルトは責任を取りたくないだけなのだ。
中身はともかく見た目だけは美しい姫様と、可愛く家庭的なエリーゼに囲まれても手を出さないでいるのは、ひとえにハルトが怠け者であるからだった。
ハルトだって男ではあるから、美姫に心惹かれることもあるが、地位のある女性と関係を持ってしまうと後々面倒だと感じてしまう。
エリーゼはそれを察したのか、騎士らしく見えないように可愛いメイド服を着用して、せっせと家事万端をこなしてハルトとの共同生活を営んでいる。
自分がいなければ、ハルトが何もできなくなる勢いで甘やかして籠絡しようとしているのだ。
意外と、ハルトより策士なのはエリーゼなのかもしれない。
ようは、エリーゼがいないほうが面倒になれば、ハルトは一生エリーゼを側に置く。
その目論見が上手くいきそうなところに、割って入ってきたのが姫様である。
身分差があるため、エリーゼはルクレティアには何も言わない。
ルクレティアも、エリーゼには何も言わないのだが、さっきから視線がチラチラとぶつかっている。
その微妙な空気に、鈍感なハルトは全く気がついていない。
これは、ハルトの持つ天与の才能卓越した知性の適用範囲外である。
意外と範囲外の多い才能であった。
「ハルト様、とりあえずコーヒーでもお淹れしましょうか」
「私もちょうだい。砂糖とミルクはたっぷりとね」
エリーゼはさっとお辞儀してから、手際よくコーヒーを淹れて差し出す。
ハルトにはブラックのコーヒーを、姫様には……。
「にぎゃい!」
「あら、すみません! 私としたことが、間違えて自分のを出してしまいました」
さすがにブラックは厳しいが、無加糖のカフェオレを飲んでいるエリーゼである。
「そんなに苦いものを、よく砂糖も入れずに飲むわね」
そう言う姫様も、ハルトが飲んでるコーヒーを真似して飲もうとはしているのだ。
「ハルト様に付き合ううちに、慣れてしまいました」
そう言ってエリーゼは涼しげな顔で、カフェオレを飲んで見せる。
「それ、やっぱり私が飲むから貸しなさいよ!」
「大丈夫ですか?」
「にがっ! にが、くなんかないわよ全然。美味しいわ!」
「あら、意外とがんばりますね」
二人は何をやってるのだろうと、ハルトはぼんやりと見ている。
そんなことより、考えなきゃならないのは王国軍の侵攻計画の話だ。
「……姫様。それで話の続きなんですが」
「そうなのよ。お父様に言っても、お兄様に言っても戦争が止まらないの! なんでこうなっちゃうの!」
そうだろうなあと、ハルトは頭を抱える。
王都より二万を超える大軍勢を率いてきた第一王子シャルルだが、王太子であるため王都を守る王国中央軍を統括していて、これまで戦果がまったくないのだ。
第一王女のルクレティアは、ノルト大要塞を攻略するという大戦果を上げた。
南方軍の最高指揮官をやっている第二王子オズワールも、戦術の天才と謳われたグレアム将軍を失って精彩を欠く帝国軍に勝って、カノンの街を奪還するという戦果を上げている。
これでは、シャルル王太子が焦るのも無理はない。
そして、その焦りに王太子の幼馴染であり軍師でもある野心家、参謀本部次官ワルカスが付け込んだそうだ。
クレイ准将がかき集めてきてくれた噂をまとめると、そういう事情らしい。
今回の大遠征は、総力戦だ。
迷惑極まりないことに、姫様の北方軍も強制参加だそうである。
このままでは、その指揮下にあるハルトたちも巻き込まれてしまう。
「私たちのせいなんでしょうね」
怒りに我を忘れたハルトは、姫様のせいで戦争が起こるとキツく言ってしまったが、自分だって同罪だろう。
姫様が、帝国軍の皇太子派と門閥貴族派が争っている隙を突いて、鮮やかにノルト大要塞を陥落させた。
その成功に刺激されたシャルル王太子が、帝国で反乱が起きている今、それをさらに大掛かりにした大遠征をやりたくなってしまったのだろう。
危険な兆候である。
「ともかく、話をしてみるしかありませんね」
あのワーカホリックと話をするのも面倒なのだが。
そそのかされているだけの最高司令官シャルル王太子はともかく、黒幕である作戦参謀のワルカスが何を考えているのかを探っておく必要があった。
いよいよ締めくくりの第三章。
王国と帝国の最後の決戦が始まる。





