23.イージウスの覚悟
ノルト大要塞の中に飛翔魔法で逃げ込んだ次席帝宮魔術師イージウス以下二名は、家臣に荷造りを急がせているミスドラース伯爵を発見して降り立った。
「どこに行かれるおつもりですか、ミスドラース伯爵」
「イ、イージウス! もしや、ワシを殺しに来たのか!」
腰を抜かす伯爵に、老魔術師イージウスは深いため息をつく。
「あなたも見たはずだ。帝国軍は、伯爵閣下の命を狙ってなどいなかったのです。全ては敵の策だったのですよ」
まんまと敵の離間策にハマって、帝国軍に弓を引いてしまったミスドラース伯爵。
その愚かな判断が、帝国軍を瓦解させて、百年帝国を守り続けたノルト大要塞まで滅ぼしたのだ。
イージウスの部下だって、その攻撃に巻き込まれて殺されている。
本来なら殺しても飽きたらぬところ。
だが、イージウスが感情に任せてそうすれば、それもまた王国軍の『幻の魔術師』の手のひらで踊らされることになる。
「殺すつもりがないなら、助けてくれ。ワシが悪かった、もう敵がそこまできている!」
すでに、ノルト大要塞の要であった二本の楼閣と大防壁は、両方とも崩れている。
大要塞の三重の壁も、もはや最後の牙城である領主の居城と外壁が一枚残るのみだ。
ミスドラース伯爵がまだ生きているのも、たまたま司令部のあった楼閣から下に降りていたからに過ぎない。
それが幸運だったのか、不運だったのかはわからない。
どちらにせよ。
のちの歴史書は、ミスドラース伯爵を大馬鹿者と書き立てることだろう。
「いいでしょう。アントマ、フェルト。帝都まで伯爵を送って差し上げろ」
イージウスの命令に、部下の年若い方の中級魔術師アントマが驚いた顔をする。
「イージウス師! こんなやつを、護衛しろっていうんですか!」
ミスドラース伯爵には、仲間の魔術師を殺された恨みがある。
「魔術師は、常に冷静であれと教えたはずだ。伯爵がここで死ねば、門閥貴族派に動揺を与える。万が一敵に捕らえられでもしたら、傀儡にされて統治の正統性を与えてしまう」
領地を捨てて逃げようとしている貴族なのだ。
敵の軍門に下るのを潔しとせず自決する、騎士のような覚悟はあるまい。
年配のほうの中級魔術師フェルトは、少し考え込んでから尋ねた。
「私たちに伯爵の護衛を任せるとして、イージウス師はどうなされるのです」
「私は、ここに残って領主軍を指揮して最後まで戦う」
アントマと、フェルトは驚いて止めようとする。
「イージウス師、それは!」
「それ以上は言うな。ノルトラインの領主軍は、最後の防壁を守って、まだ帝国のために決死の覚悟で戦っているではないか。百年帝国を守り続けたノルト大要塞が落ちるにしても、看取る者が必要だろう。アントマ! フェルト!」
「はい!」
「はい……」
老魔術師は、もう二度と会うことはあるまいと思いながら、自らが育てし弟子らをしっかりと見て命じる。
「ヴェルナー准将の命令を覚えているな。ミスドラース伯爵を帝都まで送り届けて、必ずや見たことを皇太子殿下にお伝えするのだ。さあ、行け!」
二人いれば、伝令が届かぬということはあるまい。
ミスドラース伯爵が部下とともに逃げ落ちたのを見送ると、次席帝宮魔術師イージウスは、悲壮な覚悟を持って、大要塞の中央にある領主の居城へと入る。
領主軍の兵士たちにとって、ノルト大要塞は生まれ故郷なのだ。
敵の手に渡すまいと、最後まで戦うのは当然だった。
「私は、善き死に場所を得た……」
その勇姿を好ましく思いながら、老魔術師イージウスは逃げた領主の代わりに最後の防衛の指揮を執るのだった。





