101.戦場を這いずる火竜
この戦いの鍵を握る予備兵力たるヴェルナー軍団四万を指揮するヴェルナー将軍は叫ぶ。
「伝令兵、中央陣のガードナー将軍に伝達。あのドラゴンのような馬車列にはヴェルナー軍団が対処するので、ガードナー軍団は中央を守られたし!」
「ハッ! ただちに!」
ヴェルナーの命令で、伝令兵は早馬を走らせる。
これでいい。
今回の戦いの切り札であるヴェルナー軍団は、各軍団から帝国軍の最精鋭たる部隊を束ねた精鋭だ。
集まった部隊長にヴェルナーは命じる。
「それでは、今より我々はあの装甲馬車に攻撃を仕掛けます。どのような敵かわからないので、各隊は軽はずみな行動は慎み、十分に注意して作戦行動に従うように」
各軍から集められた精鋭部隊の隊長たちは、口々に言い募る。
「先鋒は私の隊にお任せください!」
「あいや将軍閣下、ぜひとも某の隊にお任せを!」
詰め寄ってくる若い隊長たちを手で制して、ヴェルナーは言う。
「十分に注意せよと命じたばかりでしょう。我々こそがヴィクトル陛下を守る最後の切り札なのですよ。この戦い、決して負けるわけにはいけないと肝に銘じなさい。先鋒は近衛兵団が務めますので、手はず通り各自配置に付いてください」
不承不承といった様子で、散っていく各部隊長たち。
「フォッフォッフォッ、若いというのも困ったものですなあ」
近衛兵団一万の団長でもあり、ヴェルナーの副官を務めるパルス准将が苦笑しながら話しかけてきた。
すでに退役間近で茶褐色の髪に白いものがまじり始めているパルス老人は、平時には士官学校の校長も務めている身分なので、若い将士たちはみんな教え子のようなものである。
「これが最後の戦いになるのだから、功を焦るのもわかりますけどね」
野心のある将士が、なんとか手柄をあげようと張り切るのは仕方がない。
ヴェルナーも苦笑して軍馬に飛び乗る。
「ヴェルナー将軍! 各隊の準備は万端ですぞ。若い者どもが今か今かといきり立っておりますわい」
「ハハッ、それは大変よろしい。全軍前進!」
敵はあのような恐ろしげな装甲馬車なのだ。
士気が低いよりは、皆が功を焦るくらいでちょうど良い。
そう思いつつ大きく迂回して、こちらの裏に回り込もうとする不気味な装甲馬車に近づいていく。
敵は見るからに奇々怪々な動きであった。
ヴェルナー軍団が包囲を縮めつつじわりと近づいていくと、まるで蛇がとぐろをまくようにグルグルと回り始めた。
「こ、これは装甲馬車が幾重にも重なり、即興の要塞を作ったということですか!? ええい怯むな! 全軍攻撃を開始せよ!」
ヴェルナー軍団は、他の軍団のような経験の少ない徴募兵ではない。
恐ろしげな敵に対しても果敢に近づいていって、激しい銃撃を浴びせた。
だが、要塞のような形になった敵の守りは硬く、包囲攻撃でも分厚い木の板で守られた装甲馬車の守りを破ることはできない。
ヴェルナーと、敵の装甲馬車は膠着状態へと入った。
「おかしいですね」
わざわざ包囲陣を突き破ってここまできたというのに、敵の動きは鈍重であった。
防御形態に入った装甲馬車はまるで甲羅に閉じこもった亀のように、時折厚板に開けられた銃眼からライフルで狙撃してくるだけで一向に動こうとしない。
その時であった。
後方から雷鳴のごとき轟音が響き渡り、地面が揺れる。
思わずそちらを見ると、ガードナーが指揮する帝国中央軍に向かってまるで二本の光の帯のように真っ直ぐに炸裂弾の雨が振っていた。
そして、その流れを追うかのように新たな装甲馬車が二列現れて殺到する。
「なんじゃと! ヴェルナー将軍あれをごらんくだされ!」
ガードナー軍団四万と、ディーダー軍団四万が即座に対応してはいるが、新たな装甲馬車は落とせない。
そうして帯状の激しい砲撃と、装甲馬車の防護に守られて、三万もの王国軍がまっすぐに中央へと突入を仕掛けるのが見て取れた。
「そうか、こちらは囮ですか!」
帝国陣の中央に迫る兵数を見れば一目瞭然。
明らかに、あちらこそ本軍だ。
こちらのドラゴンをかたどった装甲馬車は、見た目こそ恐ろしいが虚仮威しだった。
たかだか二千程度の兵士がその姿を大きく見せているだけに違いない。
「ヴェルナー将軍!」
副官パルスに言われるまでもない。
「まんまと謀られましたね。まだ間に合います。ただちに、我々も向こうの防御に……」
そのヴェルナーの言葉は、ジャーンジャーンと鳴る奇妙な楽器の音にかき消された。
目をやると、トグロを巻く装甲馬車の中央にあるドラゴンの頭のような砲塔の上で、猫耳獣人の少女が平べったい板のような銅鑼を力いっぱい叩いている。
博学である老将パルスは、不思議そうにつぶやく。
「あれは東方の銅鑼という打楽器ですぞ。先の皇帝陛下への献上物として届いたのを見たことがあります。大きな音が鳴るので、遠く東方では戦の合図に使われたこともあると聞きますが、なんであんなものを」
銅鑼の音に誘われて、思わず吸い寄せられるように見てしまったヴェルナーは呻いた。
「……軍師ハルト!!」
砲塔の一番上にかかっていたカーテンがスルスルと上がり、そこに軍師ハルトがひょこっと顔を出した。
あれは、司令塔でもあったのか。
「ヴェルナー将軍、あれこそが稀代の天才軍師ハルトなのですか! なるほど噂に聞く通り、珍しい黒髪に黒目ですぞ」
自身も兵法家である老将パルスは、興味深そうに噂の軍師ハルトの様子を観察する。
一体何をするつもりなのか。
全軍の注目を集めるハルトは、砲塔から身を乗り出して仰々しくさっと手を振った。
「パルス准将、あれは何の合図かわかりますか」
「いや、ワシにも皆目。将軍、本当にこちらは囮なのじゃろうか。だったら軍師ハルトが、なんであんなところにいるのか」
ヴェルナーと副官パルスが不思議そうにしていると、砲塔に設置されてある大きなドラゴンの口からボォオオオオオオ! と炎が吹き出された。
同時にパンパンパンパン! と、激しく火薬の爆ぜる音も響く。
「な、なんですかあれは!」
「ヴェルナー将軍、あんまり近づかれては危ういですぞ!」
竜の口から飛び出た炎の弾は、帝国軍の前にベトンと落ちるとドロッとした炎が地面に広がっていく。
巻き込まれた兵士が火だるまとなり、阿鼻叫喚の悲鳴を上げている。
あまりにも奇っ怪な攻撃であった。
それが、新しく開発された焼夷弾と呼ばれるものであることを帝国軍はまだ知らない。
「いや、冷静に考えれば新兵器にしても大した威力はないのでは? しかし相手は他ならぬ軍師ハルトです。この策の意図を確かめぬことには……」
「ヴェルナー将軍。こうなったら、あの装甲馬車を潰すしかないのではありますまいか」
「敵の本隊は明らかに向こうにいるんですよ。ただの虚仮威しかもしれないのに、我々がこんなところにいては本軍が危ういではないですか」
「しかし、このまま新兵器に背を向けるのは危険すぎますぞ。見なされ、あの軍師ハルトの自信有りげな様子を! なにか恐ろしい神算鬼謀を用意しているに違いない。ここで引けば、後背を討たれ挟み撃ちされる恐れも!」
「ああ、どうすればいいのか」
「将軍。やはり軍師ハルトを先に倒すべきですぞ!」
「し、しかし……向こうからも敵軍が」
今度は砲塔から、ドーン! と大砲の弾が飛び出した。
かなりの広範囲の爆発で、前線の兵士たちが爆発に巻き込まれて吹き飛ばされる。
どうやら、あの砲塔にはかなりの威力がある大砲が内蔵されているようだ。
「あの威力はやはり本物! やはり無視はできませんぞ。ヴェルナー将軍! ご決断を!」
「仕方ありません。あの砲塔を放置してはおけません。まずこちらから落とすしかありません!」
時間稼ぎの囮かもしれないと疑いつつも、それこそが軍師ハルトの悪魔的策略である可能性が捨てきれず、ヴェルナー軍団の精鋭四万は防御態勢に入った装甲馬車に対して無益な攻略戦を仕掛けるしかなかった。
※※※
砲塔の上で、それらしいポーズで合図らしきものを送っていたハルトは、もう良いかと手を止めて頭をかいた。
もっともらしいポーズに最初から意味なんかないのだ。
「やれやれ、これじゃまるで道化ですね。なんでこう毎回ハッタリに頼らなきゃいけないんだか」
余裕がないとはいえ、自分でこんなことまでしなきゃならないかと情けなくなっているハルトだが、相方を務めているニャルはご機嫌だった。
「フニャフニャニャーン!」
もう必要ないのに、調子に乗ったニャルは一心不乱にジャーンジャーンまだ銅鑼を叩いている。
ハルトは、あんまりにも耳元でジャンジャンうるさいなと思って、隣りにいるニャルに声かけた。
「ニャル、もう銅鑼は十分ですよ!」
「これ楽しいニャー!」
「遊んでる場合ですか、戦場で調子に乗ってると痛い目見ますよ」
帝国軍の選りすぐりの精兵四万に囲まれているのだ。
すでに物陰に隠れているハルトが何度も注意しているのにまだニャルが調子に乗って銅鑼を叩いていると、パキューンと鉄砲の弾がニャルの至近距離に飛んできて銅鑼に穴が空いてしまった。
「ふぎゃ!」
「ほら言わんこっちゃない! ここは目立つんですから、さっさと隠れるなりなんなりしなさい」
「ニャルは下で奮闘してる部下たちを応援してくるニャー!」
ニャルはかなりの高さのある砲塔からポンと飛び降りて、たった二千の兵で四万の敵を防衛している部下の獣人たちの応援に向かった。
獣人の部隊は、ハルトのいる砲塔から大砲が撃たれるのを合図に、手榴弾を放り投げている。
砲塔に設置した、砲兵隊では使えない古い大砲の威力を過大に見せるための工夫だ。
これまで不敗だったハルトの『幻の魔術師』としての高い名声、獣人たちの粘り強さ、実戦に使うにはまだ準備が足りなかった焼夷弾の試作品を竜の炎のようにして見せつける。
それらのハッタリを積み重ね、どれだけ敵の精兵を引き付けられるかが今回の作戦の鍵だった。
「元気で結構ですね。申し訳ないですが、ここはニャルたち獣人部隊の粘り強さに賭けるしかありません」
前線で戦っている兵のためにせめて自分も毅然として囮を務めてみせようと、ハルトは身を乗り出して敵に向かってライフル銃を撃ち放つのだった。





