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純文系短編集

まろぶ

作者: 中田翔子

 その日、私は左の足元に小さな読点を見つけた。

 読点。句点ではない。クエスチョンマークやエクスクラメーションマークでもない。


   *


 ものごとを成すために必要な、最低限の要素を書き出してみる。銀色のカトラリー、白いディッシュ。制服のウェイター。学生服。ドリンクバー。私たちは今、駅の南口を出て向かいに位置するファミリーレストランにいた。窓越しに、バスを待っている人たちが、静かに日陰を取り合っているのが見える。西日が平らに差す。影が長い。冷夏と言われた八月を取り戻すかのように猛暑が続いていて、この時間でもまだまだ暑い。

 真紀子と喋るときは高校時代からずっとこの店に決まっていた。ファミレスの最低限に私たちは入っていない。

 「え…。今日って何日」

 さっきまでスマートフォンをサーフィンしていた真紀子が突然聞いてきた。私はいつものように、手帳を開くこともなく曜日も併せて告げた。三日。月曜。

 真紀子から安堵の声が漏れる。目当てのSALEが今週までなのだという。チュニックのカーキ色のものを買うのだと言った。

 「あんまり安いものばっかり買わない方がいいよ」

 と私は言い、少し迷ってから「感性」という言葉を用いてもう一言加えた。が、「ファミレスで言われても説得力ないよね」と言い返されて私は黙った。

 確かに私は食には無頓着だ。生きるのに必要なカロリーさえ摂れさえすれば、後は何でもいいというのが正直なところである。その分ファッションや住むところにはこだわっていたし、その方が良いと思っていた。どうせ他人は見えるものしか評価しないのだから、無くなるものにお金をかけるぐらいなら、何か残るものにお金を使いたかったのだ。そんな私を真紀子はいつもカワッテルといった。

 対照的に真紀子は何でもよく食べる。よく喋るし友だちが多い。ファストファッションでお洒落だと言われ、友だちとルームシェアもしている。SNSを巧みに操り、お酒も強い。ヨガだって習う。恋愛は勿論、いつも彼女が話題の中心にいた。


 「諒はカワッテルね」

 母にも昔、同じことを言われた。

 学校から帰ると玄関で出迎えた母に、いきなり抱きついた。母が理由を尋ねると、「どうして私の名前にはマルが付かないの」と言って泣いたらしい。

 文章の終わりには必ずマルを付けましょうと担任の中嶋先生が言ったものだから、答案用紙のなまえ欄に《はせ川りょう。》と書いた。

 当時の私としては、どうしても自分の名前をしっかりと終わらせたかったらしい。終わらせないと余計なものが付いてきそうな気がしたのだろう。私達の世代でも、女の子は「りょう」よりも「りょうこ」の方が多い。

 《はせ川りょう。》の。の上から赤ペンで小さく×が描かれていた。にもかかわらず、答案は一〇〇点だった。

 中嶋先生の好意とも知らず、私にはそれが気持ち悪くて、一〇〇の〇〇の上から鉛筆で×を二つ刻んでお道具箱の中に隠した。一の隣に地図記号の警察署が二つできた。

 泣き止んだ私に、母は笑いながらカワッテルと言ったのだった。


 真紀子がストローの先端を指の間で転がしながら、口癖のように彼氏欲しいと言っている。

 「彼氏いる時、まきこ全然遊んでくれないじゃん」

 「りょうはいつも急なんだって」と真紀子は笑う。

 「急に暇になるんだもん」

 「りょうも彼氏作ればいいじゃん」

 私たちはお互いの名前をひらがなっぽく呼び合う。一見、甘くて柔らかい。

 母や中嶋先生は私の名を漢字で呼んでいた。漢字で呼ぶとその人への関心や交流が見えやすい。母は私の名をさらりと呼ぶ。

 その時、真紀子のスマートフォンが光った。SNSアプリの通知のようだった。真紀子は一瞥すると、すぐに左手で画面を暗くした。真紀子は反応が早い。

 「りょうは理想高いもんね」

 私は高くないと反論したが、交際を公言したこともなかったので説得力はない。

 「付き合ってみないとわかんないよ。まだ若いんだから」と真紀子は尤もなことを言った。「次に交際する人と結婚する可能性も大いにあるのだから、若いとも言っていられないんじゃないか」言いかけて、口を噤んだ。

 真紀子はストローを転がすのをやめて、今度はせわしなく口を付けたり離したりしている。時々視線をスマートフォンに向けているのを見ると、相手が異性であることはすぐに分かった。きっと彼氏候補と上手くいっているのだろう。私は揶揄いの意味も込めて、共に天涯孤独を貫こうと提案したが、共に貫いたら孤独でなくなると一蹴された。いつの間にか私の注目も真紀子のスマートフォンになっていて、二人共、画面を視界の端に捉えながら集中力のない会話をした。スマートフォンの画面が光った。一瞬時が止まった。


 カズキ:昨日の!

 カズキ:画像を送信しました。


 真紀子はさっきのように左手で器用に画面を暗くしてから、トイレにいってくると言って席を立った。私は硬くなった頰を意識的に緩めながら、うん。と言った。


 私はごちそうさまでした。と呟いて、テーブルにお金を置き、黙って店を出た。


  *


 カズキには、日曜日の昼に呼び出されることが多かった。私から会いたいと言うと、「学生と違って忙しいんです」と言われた。彼は敬語を使う。仕事を理由によくドタキャンもされた。

 私の家で会うことは殆どなく、毎回私が彼の家まで足を運んだ。彼の家までは、電車とバスを乗り継いで行く。私は学校までの定期券をもう百四十円分のりこしした駅で降り、南口のバスターミナルから彼の家の近くのバス停まで百七十円分乗車する。バス停から歩いて五分程度。乗り継ぎの時間も相まって、片道およそ一時間はかかった。

 「買ってきた」

 「いくらだった」カズキは言う。

 「五四〇円」

 「四〇円ないや。五〇〇円でいい」また言う。

 「うん。いいよ」

 私たちのデートは、殆どが彼の家だった(一度だけ箱根へ行った)。付き合うまではいろんなところへ連れて行ってくれた彼だったが、私がどこかに出かけたいというと、あっさりと拒絶した。彼は異常なまでに、誰かに見られることを嫌がった。「人生」「責任」という言葉をよく使った。

 カズキは私の、そして真紀子のゼミの担当教員だった。

 容姿が特別良い訳ではない。身長も私と同じくらいだ。独身で、齢は朱夏にさしかかっている。しかし、若くして准教授になった彼は研究者として、その分野において期待されているひとりであったが、生徒に対 してもゼミの飲み会には必ず顔を出すなどといった面倒見のいいところもあった。女生徒から好意を寄せられることもしばしばあった。

 「最近デートしてないね」

 「先月箱根に行きましたよ」

 「もう九月に入ったよ」

 「先週のプレゼンの出来、よくなかったですよ」

 授業のことを言われると私は弱った。単位を出すのは小野先生(私は彼に対して担当教員として接する時には、尊敬の意味を込めて漢字っぽく呼んだ)だったから、カズキが小野先生になると何も言い返せなかった。

 小野先生のことが本当に好きだった。自分の専門分野である漱石について語るとき、潤いのある弾んだ声で話した。私は声から人を好きになるタイプだ。その声と一生懸命語りかけてくる姿が私には愛おしく思えた。だから私は清のような女性になりたいと思った。そういう意味では私自身も自分に酔っていたのかもしれない。

 カズキはケチだった。基本的に1円単位でワリカンをし、場合によっては私が多く払うこともあった。どうしてそんなにお金がないのだろうと思っていた。

 卒業したらすぐに結婚したいと彼は言っていた。だから別れようと思うことはあっても、私が社会に出て立場が対等になりさえすれば、堂々とデートもできるのだろうと思っていた。

 関係が大学に知れたら、少なくとも私の担当教員ではいられない。私は小野先生の講義を受けるために入学し、ゼミ生になったのだから、そうなってしまっては本末転倒だった。そう、自分に言い聞かせていた。


  *


 駅前のファミレスを出て、近くの小さなスクランブル交差点まで来ていた。私だけが苦しい思いをしているという思考に襲われて眩暈がする。

 スクランブル横断歩道の対岸には書店の入った大きなビルが建っている。五階あたりの窓に「占」「い」の文字が一文字ずつ枠にはめられている。そのまま頸を後傾させていくと、空に鳥の群れが横切っている。雁だ。規律の取れた隊形を保ちながら空を滑っていく。以前ボイドモデルについての記述を読んだことがある。仲間がたくさんいる方へ集まる。同じ速さで飛ぶ。ぶつからないようにする。この三条件を満たせば淀みのないVの字を保つことができるらしい。

 私の目は、その群れを最後まで追うことはなかった。


 ぶつからないようにする。

 真紀子の恋心は知っていたし、以前は相談にも乗っていた。付き合いながらその相手のことを好く人に相談を受けることは、良心を痛める作業だった。でも、親友の真紀子と小野先生のどちらも捨てられなかった。高校時代から色恋の絶えない真紀子だったから、時間が経てば諦めてくれるんじゃないかと期待したのだ。そして最近、その相談もパタリと止んだ。私たちが交際を始めてちょうど半年が経った頃だ。私も小野先生の話題に触れないよう注意を払った。親友と同じ人を好きになるという事は、思っていた以上に不健康なことだったから、相談が止んだことで束の間の安息を得た。ほんとうに束の間だった。

 さっき真紀子は画面を隠した。私に知られたくない理由があるということだ。きっと真紀子は私とカズキの関係を知っている。私は傷つくことを恐れた結果、最も惨めな立場に追いやられた。青信号が点滅している。


 『信じるものは救われる』

 釈迦や仏陀の教えをつまんで読者を啓発してやろうという試みのもと書かれた本らしい。話題にされることもなく、他の一冊一冊一冊に埋もれている。『なぜ人は嘘をつくのか』『曼荼羅のすすめ』『間違ってしまったあなたへ』

 書店長はこの本を信じた結果、救われなかったのだ。思う。あるいは、この本に救われたからこそ、売れる度に取り寄せているのか。ぼんやり思う。いや、そんなことは思っていない。本屋の最低構成要素は、本と店員、万引き防止の張り紙だ。

 ヨガ。ヨガが流行っている。関連書籍が手に取りやすい位置に並ぶ。

 ヨガのマインドは、国を破滅させると思う。一日一食で身体を細らせ、断捨離をして経済を鈍らせる。欲の低下によって生産活動が成長を放棄し、少子化をも招くことになる。欲というものは、目的に直結する。目的を失ったときマルクス主義のような崩壊をみるのだ。ミニマリスト、悟り世代、草食系男子。日本は着々と弱っている。戦争を放棄した日本を、足元から崩そうという他国の思惑が絡んでいるように思えてならない。空想に耽る。私はヨガについてあまり知らない。

 店内は洋楽が流れている。真紀子が好きだと言っていた外国人のアーティスト、なんだっけ。なんとかブルーだったと思う。私は洋楽に疎い。でも今流れている曲は、ビートルズのように優しい。多分ビートルズなんだと思う。優しくて泣きそうになる。私はビートルズにも明るい訳ではないけれど、ビートルズを憎らしくおもった。


 ビルから出ると、群れたドバトに混じって、一羽のキジバトが点字ブロックの上を歩いている。キジバトは、特に首すじのあたりが色っぽい。そっとビルの陰に入って、しばらくそのセクシーな首すじを眺めた。キジバトは私に気がつく様子もなく、懸命に何かを探しているように見えた。人が真横を通っても飛び立つことはなかった。ただドバトに紛れて、あてもなく、歩いていた。


 カズキに結婚したいと言われたのは私だ。

 真紀子にも同じことを言っているかもしれない。

 それならば、こんな身体も許さないような女を囲っておく必要はない。

 私こそが、彼の所有者だ。

 真紀子はきっとカズキにとって都合の良いだけの女だ。

 私はそんなに安い女じゃない。


 私は何が欲しかったのか。

 本当に小野先生を、カズキを欲しかったのか。

 欲しかったのは、真紀子に対しての優越感ではなかったか。

 デートの相手として選ばれたのは真紀子だ。

 私の方が余程都合のいい女なのではあるまいか。

 ハンバーガーを届ける女。

 部屋の掃除をする女。

 清。


 その時、キジバトが飛び立った。

 一瞬のうちに熱が篭った。血液が廻る。肺に空気が入ってくる。指先が湿る。曖昧だった視界が色味を帯びて、輪郭がはっきりとしてくる。身体中が醒めてくる感覚。

 私は見た。なんでもない、キジバトの飛翔を、見たのだ。


  *


 JJという名の騒がしい建物に来ていた。入り口でドリンクチケットを貰った。内は四階建の薄汚れた空間で、どのフロアも胸をバスドラムにされているような不快さがある。視神経を害するギラギラとした照明。溢れかえる程の男女が、音に合わせて身体を揺すったり、手を振ったりしてこの空間に浸かっている。彼彼女らはダンサーなのだろうか。初めて聴く音楽であんなにも上手に踊れることに関心しそうになる。

 この建物内にパーソナルな空間は存在しない。ある男は初めて逢う女にショットグラスを勧めており、女もそれに黄色い声で応えている。別のところでは背の高い筋肉質な男の頸に腕を絡みつかせている磯巾着のような女がいる。バーカウンターには無愛想な店員が大きな声で注文を聴き返していて、浮き足立つ空間の重石となっている。酒の臭いと汗の臭いで充満していて息苦しい。呼吸ができなくなる。呼吸の仕方を忘れる。水道水に入れられたメダカになったような心持ちだった。

 止まろうとバランスをとっていると、男に当たられた。拍子に酒も溢れた。男は当たったことにも気がつかず、そのまま奥へと消えた。四万円のワンピースと七万円のバッグに染みがついた。嗅ぐとエナジードリンクの臭いがした。足も挫いた。この間買ったばかりのヒールは既に何回も踏まれていた。どうでも良くなって、ヒールを脱いだ。早くスウェットに着替えたかった。

 挫いた足を引きずり、騒音から逃げるようにして地下のコインロッカーにたどり着いた。

 裸足でロッカーに身体を預けていると、自分の体格よりもワンサイズ大きな白い服を纏った華奢な青年が、こっちを見ているのがわかった。男と言うには幼くて、前髪が眼のあたりまで垂れている。青年は少し躊躇った後、声をかけてきた。一音目が一階から漏れる音にかき消されたが、次第にこちらの情報を聞き出そうとしていることはわかった。適当に頷くと、青年は饒舌に言い訳を紡いだ。


 普段こういうとこ来ないんだけどさ、

 ノリで?そういう感じで。

 友だち先帰っちゃって。

 ほんとはうるさいのとか苦手で、

 カウンターで音楽に聴き入ってるフリとかしたりした。

 誰も声かけて来ないんだね、クラブって。

 あ、女の子は別か。

 だから勇気を出して、

 普段こういうとこ来るの。

 いやね、なんかそんな感じしてて。

 だから声かけられたんだけど。


 青年が哀れに思えてきたから、「用件はホテルですか」と聞いてやった。


 ……いやいやいや、そんなそんな。

 え、え。

 そういう感じ。

 その、身体とかは、大切にした方がいいよ。

 そういうつもりじゃ、

 いや説教のつもりじゃないってことで、

 でも声かけたのはそういうつもりで、

 えーと。

 行こっか。


 青年がシャワー浴びるかと聞いてきた。私は寝ると答えた。青年は黙った。私は頭がいたいと繋いだ。青年は大丈夫かと聞いた。私は答えなかった。

 名前はコウタというらしい。水草みたいな子だと思った。ふらふらしていて、自主性がない。流されて、寄り添ったり。流されて、離れたり。社会の喰い物にされる、人間。草食の時代にさえ捕食される運命にありそうな悲壮感さえ漂わせている。その事さえ気づいていないだろう。

 「寝よっか。俺も疲れたし」

 俺という一人称が板についていなくて、私は思わず笑った。

 「なんで笑ったの」青年は言う。

 「小学校の先生ってさ」質問には答えずに私は言う。

 「当時は偉大な大人だと思ってたけど、いま思うと薄っぺらいよね」

 青年の寄り添い方が、薄っぺらくて、一方的で、優しくて、そう出た。

 「結構性格悪いね」

 言われて、セツアンの善人のことを思い出す。神様は善人に期待するだけ期待して、最後は逃げていった。ブレヒトも、真の善人など存在し得ないと思ったのだろうか。はたまた、善人は悪人的側面も含めて善人だとしたのだろうか。善意だけでは人間世界を生きられない。誰かにとって悪人に見える側面があってこそ人間なのだと。

 「どうしたの」

 「昔見た演劇のこと考えてた」

 「へえ。あんまりゲキダンとかわかんないけど」

 私は団の話はしていない。劇の話をしている。

 「でも、いいと思う。性格。面白いし」

 「なにが」

 青年は私の目を見て黙った。私も加えることをしなかったから、空気清浄機の音だけが部屋に聴こえた。外からは車の走る音がする。

 青年が口を開く。

 「俺のこと、安いって思った?」

 「なにが」

 「ブランドとか好きそうだし」

 「服?」

 「とかいろいろ」

 「なにそれ」

 「あ、一応告白みたいな感じ。なんだけど」

 「は?馬鹿なの」

 「どうして」

 「安いねって言われたらかっこ悪いよ」

 「そう?安いって大安の安、安心の安だし」

 「やっすい言葉遊び」


 「やっぱりヤろう」柔らかい声だった。

 私があんぐりすると、「いや、なんかムラムラして。やっぱり寝る」と言ってベッドに潜った。

 「だから安くないって」呟いて、私もそのまま眼を閉じた。


   *


 あの日、朝起きてから、結局あの青年と、した。初めてだったけど、青年の為人がゆえか怖くはなかった。気持ちよくはなかったけれど、むしろぎこちなく痛かったけれど、生きてる感じがした。

 家に帰って染みのついたバッグの中身を出すと、財布と一緒に一度も使っていないドリンクチケットがでてきた。バッグを空にして、ワンピースと共に処分した。

 気がつくと、私の足元には読点がいた。あの頃の念願が叶ったのか、私の足元には、読点がいた。


 ハンバーガーを届ける私。

 部屋の掃除をする私。

 ヨガを受け入れない私。

 ブランドにこだわる私。

 身体を許さない私。

 清になろうとした私。

 まきこと呼ぶ私。

 カズキと呼ぶ私。

 

 はせ川りょう。

 読点。私と読点。おわりのサイン。終わらせるための手段。

 あれ以来、あの青年とは遭っていない。


 「私さ、別れたんだよね」

 あの日と同じファミレスで、真紀子は何気なく発した。銀のカトラリー、白いお皿、店員、学生、ドリンクバー。いつもと同じ要素で構成されたファミレスに、今日も私たちは必要とされていない。

 「そうなんだ」

 「あれ、知ってたっけ」

 「いや、知らない」

 真紀子は今新しい彼にぞっこんだ。ベンチャー企業を起こしている人らしい。愚痴っぽく彼のことを話す。

 「真紀子、よかったじゃん」

 「え。なにが」

 「その服、可愛いね」

 「この前デート用に買ったんだけどさ」

 「りょうは、最近変わったね。雰囲気が柔らかくなって、綺麗になった」と言って笑った。

 外からはキジバトの鳴き声が一定のテンポで刻まれている。確かキジバトがこのテンポ鳴くのは、求婚をしているのだったと思う。

 「この後、服買いにいかない」

 「確かいま歳末バーゲンやってるよ」

 二時間くらい喋って、いつものファミレスを後にした。外はもう薄暗くて、ニットの上から冷たい風が吹きつけた。これから冬のバーゲンだ。

 安いよ安いよー。バーゲン。

 安いよ安いよー。私。

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