9話 素材は大事です。
「良かった。間に合いました」
ヒメカはサポート魔法『遠視』で騎士の一人が襲われているのを見ていた。『障壁』は使い慣れていない魔法のため、肉眼で視認した場所にしか使えない。強度も把握出来ていない。もっと練習しておけば良かったと苦々しく思うものの、現時点では何の意味もなさない。急いで木々を避けながら走り、第五部隊のいる開けた場所へ出ると同時に障壁を張った。
「良かった。死者はまだ出ていないようですね」
ポゥと回復魔法特有の柔らかな光が、倒れ伏している騎士達を包み込む。魔法を行使している間は術者の体にも同様の光が纏わりつき、彼女の漆黒の髪と相まって幻想的な光景となる。このような場でなければ見惚れているとことだろう。
「大きな傷は塞ぎましたので後はポーションでどうにかしてください」
腰のマジックポーチからポーションを取り出したヒメカは、よろよろと起き上がる騎士達に投げて寄越した。同時に、細身の片手剣を取り出す。ユウトに貰ったものだ。
(……うわぁ魔法耐性高いとか面倒臭い。HPと攻撃力と、うわ、俊敏性も高い。どうりであの怪我人か。怪我のほとんどは切創に割創だった……てことは主な攻撃はあの爪と牙? 魔法も使えると思っておいた方が良いかな。でもあの巨体なら体当たりだけでも結構な威力だし、しっぽにも注意が必要……)
ステータスを確認し、相手が強い魔物なのは分かった。
(身体強化と俊敏性上昇を重ね掛けしておこう。ついでに武器も強化して……あれ、この剣、魔力が馴染みやすい?)
「まずは、いっ、ぱつ!」
一気にウルフとの距離を縮め、強化した剣を振るう。身体強化をかけているので、ただでさえ高い攻撃力は更にはね上がっている。
ウルフもヒメカの強さを感知したのか、全神経をとがらせて回避した。
「……ふっ!」
初撃は空振り。ウルフが体勢を立て直す前に追撃するが、右前脚に傷がついただけで致命傷には程遠かった。
「ギャンッ…………グルルルルルル」
(……あの速さは面倒だなぁ。でも前脚に一撃入れられたのは良かったかな?)
「き、君は一体……?」
ウルフに意識を残しながらも驚愕の表情で声を掛けてきたのはアーノルド。第五部隊が束になっても浅い切り傷しかつけられなかったのだ。それもすぐに治癒されてしまったので意味がなかったが。それなのに目の前の少女が入れた一撃は未だ治っていない。あのブルーミスリルウルフが、自身が治癒魔法を使うわずかな隙を警戒しているかのようだ。
「(忘れてた……)治癒師として訓練に参加させていただいている一介の冒険者です。現在休憩中なので散歩中ということでお願いします」
「…………そうか」
アーノルドとすればこんな危険な散歩は遠慮したい。が、現在の第五部隊にとっては僥倖である。
「こんな状況で失礼かと思うのですが、取引しませんか?」
「取引?」
「ええ。私、あのブルーミスリルウルフが欲しいんですよね。だから獲物を譲っていただけないかと」
冒険者には他のパーティが討伐しようとしている魔物には協力要請がない限り手出ししてはいけない、という暗黙のルールがある。
アーノルドとしてはブルーミスリルウルフの討伐は考えていない。むしろ、部下が動けるようになり次第、どうにかアレを撒いて撤退しようと考えていた。
「君はアレを倒せると思っているのか?」
「そうですね。今、どうやって“綺麗”に狩ろうかと考えているところです」
退治するのは確定しているかのようにのたまうヒメカに、再度驚かされる。
(彼女ならば可能かもしれないな)
先ほどの一撃は、騎士団の中でもトップだと言われているアーノルドをしても勝てないスピードと威力であった。魔法でパワーとスピードを補っていても、本人の能力が追いついていなければただ速いだけの的である。スピードが上がればどうしても攻撃は直線的になるのでブルーミスリルウルフともなれば避けるのも反撃するのも容易いだろう。しかし、一撃目は外したものの、二撃目は相手の動きに合わせて直前に攻撃の向きを変えて放った一撃なのがアーノルドには分かった。
初対面時、エナからヒメカが冒険者であることは知らされていたが、治癒師としての参加だったのと、魔力量が多いのだと聞いていたために魔法士だと思い込んでいた。
(立派な前衛職だったのだな……俺の見る目もまだまだ、か)
本人が聞いていたら、いえ、気分によります、と答えるところだ。
(一番の問題は、アレのどの部分が売れるか知らないことなのよね。……とりあえず毛皮は売れるとして、やっぱり首を落とすのが一番かな? ただ首を狙うと少しでもずれたら毛皮を傷つけそうで……どうしよう)
「わかった。獲物を譲る。そしてアレを狩るのも手伝おう」
「譲っていただけるだけで結構ですよ? 怪我をしている騎士様方を連れて離れた方がいいのでは?」
「部下達には撤退するよう伝える。君のおかげで部下達は動けるようになったからな。だが、私はほとんど怪我をしていない。多少の力にはなれるだろう」
「隊長! 俺達も戦えます!」
「他の連中がいない今、足止め位なら出来ます」
「聖女様のためならば囮にだってなりますよ!!!」
口々に立候補する第五部隊の騎士達。一部聖女信者がいたのは気にしない。信者コワイ。
「分け前はどうします?」
「ふっ……君はどこまでも冒険者なのだな。部下達からは『聖女』だと聞いていたのだが?」
「あいにく『聖女』を名乗ったことはないもので」
「そうか……君が来なければ俺達は全滅だっただろう。アレの討伐に成功したら、分け前は不要だ。すべて君に譲ろう。……お前ら! 討伐した暁には彼女にアレを捧げる! それでいいな!!」
『はい!』
全員から色よい返事を貰ったところで、再度ブルーミスリルウルフに対峙する。人間側が話している間に逃げなかったのは、魔物としての矜持からか、それとも、ヒメカへの怒りからか。どちらにせよ、逃げる様子がないのは都合がいい。
「我らが気を引く。その間に攻撃をしてくれ」
「危険ですよ?」
「死にさえしなければ君が治してくれるのだろう、『聖女様』?」
副団長はどうやら見た目以上に気さくな人らしい。ヒメカは一瞬目を見開き、驚いている。すぐに口元に微笑みを浮かべて平常に戻ったが。
「そうですね。人命優先で倒しましょう」
「助かるよ」
笑い合うアーノルドとヒメカを見た部下達は、別の意味で驚いていた。
「(隊長が笑った……!?)」
「(隊長と聖女様が笑い合ってる……だと……! 聖女様は年上趣味なのか!? だとしたら俺にもチャンスが……!)」
「(お前、隊長に敵うと思ってんの?)」
「(無理ッスね!)」
「(お前ら……隊長も笑うくらいするから。滅多に見られないだけで)」
「(副隊長は見たことあるんですか?)」
「(…………………………何度か?)」
「(本当に見たことあるんスか?)」
「((笑))」
冗談はさておき、第五騎士団はさすが精鋭の集まりだけあって、とても優秀だった。
隊長が頭一つ抜けているとはいえ、一人一人のポテンシャルは高く、ヒメカというイレギュラーが入っても問題なく統率が取れている。ブルーミスリルウルフの意識がほとんどヒメカへ向かっているため、少しでも意識が逸れれば比較的防御の薄い足を攻撃。ヒメカほど深い傷はつけられなくとも、多少の傷は出来る。それに気を取られると、今度はヒメカの重い一撃が繰り出され、全力で回避しなければ命はない。
(うーん。もっと先読みしないと……)
ヒメカにとってただ倒すだけならば苦労はない。だが、素材目的なので出来るだけ胴体に傷をつけたくないのだ。
(死体に回復魔法は使えないし…………回復魔法?)
「ランドルフ様、ブルーミスリルウルフは自己治癒が出来ないのですか?」
ヒメカがここへ来た時に無傷なのを思い出したのだ。しかし、第五部隊を相手に無傷でいられるものだろうか、と考えた。
「いや、奴は治癒魔法が使える。ただ、今は君を警戒して使っていないようだな」
「だとすれば、使わざるを得ない状況に追い込めば……」
「何をするつもりだ?」
「足を一本使えなくしようかと。切り落とすのも可です。というわけで皆さんに身体強化と俊敏性上昇の魔法をかけますね」
慣れていない者には扱いの難しい魔法である。それをさらりと無茶振りしてくるのだから驚きである。しかし、第五部隊はそんなヤワな鍛えられ方はしていない。
「全員に付与魔法を!? 君は一体どれだけ魔力があるんだ……」
「(今は2500位ですかね。まあ、もう半分以上使っちゃいましたけど)上級マナポーションを持っているので、戦闘終了後、皆さんの治療をしても大丈夫ですよ」
質問には答えない。ただ、たとえ魔力が尽きていなくても一応目の前の敵を倒したらナル特製の上級マナポーションを飲もうと決めたヒメカだった。そして、宣言通り、全員に『身体強化』と『俊敏性上昇』、ついでに武器と防具も強化しておいた。
「……凄ぇ。体が軽い……!」
「これなら足の一本や二本落とすのも楽勝ッスね!」
「調子に乗るな。……行くぞ!」
騎士達はすぐさま付与魔法の状態に順応し、ブルーミスリルウルフの足を狙う。攻撃役は入れ代わり立ち代わりで忙しく変動し、残りの者はフォローに徹する。よくそこまで連携が取れるものだ。下手に割って入れば連携が崩れそうなため、少し遠目に位置してチャンスを窺うヒメカ。
「これでどうだ!」
ウルフの右後脚はズタズタに切り裂かれ、ヒメカの攻撃が入っている右前脚も深手である。地面にはウルフの血がしたたり落ちる。
全方位を囲まれているので逃げようにも逃げられないウルフは、最後のあがきとばかりに全力で暴れ出した。
「うわっ!」
「回避に専念しろ!」
「聖女様は無事か!?」
※ヒメカは一歩引いて位置取っているので一番安全です。
(もう少し……………………ここ!)
冷静さを失った分、単調になったブルーミスリルウルフの動きを読んで『障壁』を展開。障壁が砕け散るほど強かに頭を打ち付け、よろめいて頭を上げたところでブルーミスリルウルフに回復魔法を施した後、首を渾身の力で切り落とした。よほど鍛えた者じゃない限り、見ることさえ出来ない速さでの出来事である。
「うえ、マジすか」
「一撃で首を落としちゃいました」
「まさか本当に討伐出来るなんて……」
「これ、俺らいらなかったんじゃ……?」
ざわざわと騒がしい中、ヒメカはあっさりとしたもので、マナポーションを一息に飲んだ後、全員に回復魔法をかける。挙動に支障はないが、怪我はしている。不十分だった回復も、今ので無事全回復した。
「では約束通りコレはいただきますね」
「ああ。構わない」
頭と胴体に分かれたブルーミスリルウルフをマジックポーチに収納したヒメカは剣に付着した血を拭った。
「聖女様はマジックポーチ持ちだったのですね」
「ポーションを取り出すときに見てただろ?」
「いや、あの時は観察する余裕はなかったんで」
「俺達死にかけてたんすよ?」
「無茶言わないでくださいよ副隊長ー」
結局、彼女の強さならマジックポーチ持ちでもおかしくないだろう、ということで完結した。
「お前ら、拠点に戻るぞ」
一応、確認のために拠点へと急ぐ。すでに誰もいなくなっているであろうが。
ヒメカに俊敏性強化をしてもらっているため早く拠点に戻ることが出来た。しかし、予想通り、拠点にしていた場所はもぬけの殻。唯一残されていたのは、
『王都への帰還が決定しました。私達は一足先に出発します。どうかこの文を見てくれることを願って。エナ』
という書置きがナイフで木に刺さっていた。ヒメカはそれを第五部隊の面々に見せ、ポーチへと仕舞った。
「あー予想通りですね。馬一頭いないですよ。俺達ここから歩いて王都まで向かわないといけないんスかね?」
「王都に着く頃には俺達死んだことになってそうですよね」
「冗談になってないぞ、それ」
軽口が叩けるようになって良かったのかどうなのか。緊張感大事。
「あの、王都に『地点登録』しているのですぐに帰れますよ?」
「マジすか!?」
「こら。……ありがたい申し出ですが、魔力は大丈夫なのでしょうか? 『地点移動』というのは魔力消費が大きいと聞きますが」
エドが気遣わしげに言うが、ヒメカはニッコリ笑って頷く。
「薬のおかげで余裕があります。ただ、登録しているのが南門なので王城から少し遠いですし、人数も多いので2度に分けさせていただきますが、それでもよろしければ」
「歩いて戻らなくていいだけ充分にありがたい。生死を彷徨ったばかりの部下を連れて、この森を抜けたくないのでな」
ヒメカが良く使うのが南門なので仕方がないが、南門は王城から一番遠い。この森へは北門を通ってきた。第五部隊は隊長、副隊長含めて14人。さすがに一度に全員は難しいようだ。
「かしこまりました。では先に戻る方はこちらへ」
アーノルドとエドは部下を優先的に戻し、自身は残ることにした。普通ならば上官が先に戻るというのに、本当に変わった部隊である。先発組は困惑していたが。
「いいから先に行け。どうせすぐに合流できる。……ヒメカさん、お願いします」
「はい。すぐに戻ってきます」
きちんとこの場所を『地点登録』してから、南門へ転移。うっかり忘れたらまたここまで来なければならなくなってしまう。
『地点移動』でパッと姿を消した部下にホッとしつつ、周囲への警戒は怠らない。数秒の後、ヒメカが戻ってきた。
「お待たせしました」
「早いですね。『地点移動』という魔法はそんなにも瞬時に移動できるものなのですか?」
「どうなのでしょう? あまり遠い場所へは行ったことがないもので。ですがここから王都くらいならば一瞬ですよ」
聞いたところによると、騎士団にも魔法士はいるが、基本『地点移動』は単身でしか行わない。それに加え、魔法士のいない第五部隊は、知識としては知っていても、今一つ勝手が分からないのだそうだ。そんな中で身体強化や俊敏性上昇に即座に対応したのはさすがとしか言いようがない。
「これ、騎士団より先に王都へ着いてしまいますね」
「死亡したことにならなくて済みますね!」
「その冗談はもういい」
「お前ら、ふざけてないでこっち来い。聖女様をお待たせするな!」
「聖女様、申し訳ありません」
「え、ええと……」
聖女呼びは御免被りたいが、彼らにその言葉が届かないだろう。ヒメカは苦笑するにとどめた。
すぐさま後発組も南門の前へと到着し、先発組と合流した。
「これで全員揃ったな。王宮へ向かう前にヒメカさんの件を神官長へ報告した方がいいだろう。依頼の失敗には該当しないとは思うが一応な」
「それが良いかと」
「ご厚情ありがとうございます」
「ではこれより教会へ向かう!」
『はっ!』
第五部隊とヒメカは南門をくぐり、教会へ向けて歩き出した。教会と王宮はあまり離れていないので方向は同じである。
教会へ着くと、出迎えたのはアーリャだった。アーノルドは有名人らしく、彼がやってきたことに瞠目し、ヒメカが軽く手を振ると、少しだけ緊張が和らいだ様子だった。それでもやはりアーノルド達を待たせるわけにはいかないようで、急いで神官長に取り次いだ。
「アーノルド様、お久しゅうございます」
「アリアナ様もご健勝のようで何よりです」
「ふふ。ありがとうございます。……ところで、遠征は明日までのご予定では? ヒメカさんも一緒のようですし……」
「実は不測の事態がありまして一日早く帰還することになりました。その事でヒメカさんには多大なるご迷惑を被らせてしまったので、そのことで彼女が責を受けることがないよう、お伝えしようかと参上しました」
「貴方が直接来るということはそれだけの事なのでしょう。……それで、不測の事態というのは?」
特にお咎めする様子もない神官長。それにホッとしたアーノルドは質問に答えた。
「我々騎士団はウォーウルフの討伐をしていたのですが、その中にブルーミスリルウルフがいたのです。それにより重傷者も多く出てしまい、ヒメカさんが来てくれなければ我が第五部隊は全滅していたでしょう」
「ブルーミスリルウルフ!? でも、ヒメカさんはDランク冒険者ですよね?」
『え!?』
今回一番の驚きはここにあった。Dランク冒険者が、死者ゼロ、本人無傷で一部隊を救出、しかもAランクの魔物を狩ってしまう事態を誰が想像できただろうか。
「……とりあえず事情は分かりました。ブルーミスリルウルフともなれば王への報告が必要でしょう。ヒメカさんの件はご安心なさってくださいませ」
「ありがとうございます。それではこれにて失礼させていただきます」
心なしか顔色の悪い第五部隊の騎士達は、すぐに王宮へと報告へ向かった。ヒメカはここでお別れである。
「あの、ヒメカさん……ブルーミスリルウルフを狩ったというのは本当なのでしょうか……?」
「私はほぼ後方支援でしたから。怪我人の治療と付与魔法、ああ、障壁も張りましたね。後は王都まで第五部隊の皆様を運んだくらいでしょうか?」
嘘は言っていない。ただ、最後の一撃をすっ飛ばしているだけだ。
「そ、そうですよね? それだけですよね?」
珍しく狼狽える神官長に、少しだけ悪戯心が働く。
「はい。動きが素早くて綺麗に首を落とすのに苦労しました」
「…………」
言葉を失くした神官長が再起動するのに少し時間を要した、とだけ追記しておく。
数時間後、ようやく帰還したエナ達が慌てて神官長室へ入ると、まさかのヒメカがお出迎え。そして神官長は動揺を残したままというカオスな空間が出来上がっていた。
依頼ですか? 勿論成功扱いになりました。
一部修正しました。