86話 テオとジェードは将来について考えます。
「本日はお買い上げいただきありがとうございます。2人をよろしくお願いします」
ルーベンにしっかり頷いた姉弟は、テオとジェードの正式な主人として店を出た。
「次は商業ギルドで口座を作るわけだが、2人は冒険者ギルドと商業ギルド、どちらで会員証を作りたいなど希望はあるか?」
「えっと……それはどう違うのでしょうか?」
「冒険者ギルドは一定期間内に1つ依頼を成功させなければならない。期間は一番下のランクが2週間以内。ランクが上がれば期間は長くなるがランクを上げるには討伐依頼も受けなければならないことも多いから戦闘経験がなければあまりおすすめしない」
「商業ギルドは年会費を払って会員の規約さえ守っていればそういうのはないの。ただ、商人の伝手がいるから身分証を持っていない人はまず冒険者というのが普通ね。そのことをマルスランさんに相談をしたら、マルスランさんの紹介ということで2人の会員証を発行してくれると言ってもらえたわ。もし希望がないなら私達は商業ギルドの会員になることをお勧めするわ」
「私は戦闘経験がないのでありがたいですが、マルスラン様に借りを作るのはご主人様の不利益になりませんか?」
「え!? そ、それはダメです!」
ジェードの言葉に慌てるテオ。ヒメカは笑いながら「それは大丈夫よ」とすかさず否定した。
「マルスランさんの目的は貴方達を通して魔物の素材を卸してもらう事なのよ。私達はすでに冒険者ギルドに所属しているから商業ギルドの会員になる気がないのだけど、冒険者が直接商業ギルドへ物を売るのはあまり推奨されない行為なのよね。規約には明記されていないから絶対にダメというわけでもないけれど。でもそこでテオとジェードが商業ギルドに登録してくれたら、大手を振って取引が出来るというわけ」
「この街に戻って来た時に余っている素材があれば売って欲しいって話だから俺達の行動は制限されないし、俺達も余らせている素材を処理できる」
「商業ギルドに直接卸した方が高く買い取ってもらえるしねー」
良い事尽くめであることをアピールすると、テオもジェードもそれならば商業ギルドでの会員証兼身分証の発行を決意した。
(売値を決めておいて買うか買わないかは相手に丸投げ方式にすればいいわよね)
相場を把握する必要はあるが、莫大な利益は求めようとは思っていないヒメカは、冒険者ギルドの買い取り額より2~3割上乗せした程度で値段設定しようと思っているので大体は売れるのではないかと考えている。
(解体技術向上と査定眼を鍛えないとねー。【鑑定】が育つかもしれないし、そうなれば楽が出来るわね)
これにより、将来、ステータスの職業欄に『解体師』や『鑑定士』が増えることになるが、姉弟はまだ知らない。
商業ギルドへ赴くと、テオとジェードは無事に身分証を手に入れることが出来た。そして同時に、巨額の財産も手に入れることとなる。
「…………」
「…………」
それにより、具体的な数字を目にすることとなった2人は絶句。テオはキャパオーバーでそのまま倒れてしまいそうだ。
「お気持ちはわかります」
マルスランがそんなテオとジェードを見てうんうんと頷く。マルスランも試算の手伝いをしたが、何度も姉弟に確認をした程だ。相続税などない世界なので、財産分与したらそのままの額が与えられる。
「あの……桁が間違ってませんか……?」
「だって65年分だもの。怪我や病気になった時の治療費も入っているし、口座の維持費もあるからその位にはなるわよ」
「ご主人様の引退後のために積み立てておいた方がいいかと思います」
「もう手続きはしたし、返却は却下だ。それにその位の額なら、真面目に働いていれば引退するまでに稼げる」
ただし、死ぬ前にそれを使い切っても自己責任。労働を疎かにしないように、とだけ釘を刺しておき、ユウトは話を打ち切った。
「マルスランさんもありがとうございます。違う部門のことなのに色々としていただいて……」
「いえいえ。これからもよい取引が出来ればと思いますので、先行投資ですよ」
「言葉を飾らないのは嫌いではありません。では早速1つ。こちらなどはいかがですか?」
そう言って取り出したのはミノタウロス亜種の毛皮3/4頭分。凍傷部分は全て売るつもりなので、損傷の少ない部分とセットで売ろうとしているヒメカ。
「こ、これは……!」
「ミノタウロス亜種の毛皮です。もうすでに情報をお聞きになっているのでは?」
「……そうですね。なんでもラトローの迷宮の最下層で出現したとか。すでに問い合わせが数件来ております」
あまり出回らない物は値段をつけにくいため、ヒメカも交渉しないわけにはいかない。ユウトは長くなりそうだし先に帰ると言い、マルスランとヒメカの交渉に興味があると言うジェードを残してテオと一緒に帰っていった。
「いやぁ。いい取引が出来ました」
「こちらこそ。損傷部位まで結構なお値段で買い取っていただき、助かります」
魔物素材を扱う部門の人間も途中参加しての商談は無事終了。金額決めは難航するかと思われたが、マルスランがヒメカの性格を大分把握してきたので長い交渉にならなかった。
「ジェードは見ているだけで退屈じゃなかった?」
「いえ、大変勉強になりました」
その言葉にマルスランは探るような視線を向けるが、ジェードは視線に気づきながらも素知らぬふりをする。
(…………あの青年、なかなかいい目をしている。もしかすると次からはあの青年が交渉相手になるやもしれんな)
まだ芽吹いていない若い才能に口元を緩ませる。同時に、今まで利益をさほど求めていなかった取引相手が利益を求めるようになるかもしれない。
(あの青年がヒメカ様の交渉能力を引き継げばどうなることか……私もうかうかしておられんな)
ヒメカとジェードを見送りながらそんなことをマルスランが考えていたことを2人は知らない。
「…………あの、もしよろしければ私に交渉術を教えていただけないでしょうか?」
帰り道、ジェードはヒメカにいくつか交渉中には聞けなかったことを聞きながら帰途についていると、少々考えてからジェードは告げた。
ジェードは交渉中、じっと職員2名とヒメカを観察しては頭に焼き付けていた。その様子に気づいていたヒメカは、もしかして、くらいには思っていたので驚きはない。
「ええと……私がしているのは本格的な交渉というわけではないのよ? 情報を集めて大体の値段を予想はするけれど、あまり利益を求めようとはしてないから参考になるかはちょっと……。本格的に勉強したいならどこかの商家で働くのが一番だけど、あいにくこの街の商人に伝手がないのよねぇ。マルスランさんは商業ギルドの職員だからちょっと違うし、ルーベンさんならお願いすれば働かせてくれるかもしれないけど頼んでみる?」
「いえ、商人になりたいわけではなく、御主人様が商業ギルドへ素材を販売する時の交渉を任せていただけるようになれたらと思った次第で……。御主人様はあまり交渉事が好きではないですよね?」
「しなくていいならしたくないわね」
ヒメカの答えを聞き、ジェードはさらに決意を固めたようで、ならば私にさせてください、と言った。
「それは凄く助かるけど結構面倒臭いわよ?」
「それでも御主人様のお役に立てるのであればやってみたいのです。…………私では利益が出せないかもしれませんが……」
「……そういうことなら私も協力するわ。物凄くありがたい申し出だしね。あと、利益については心配しなくても大丈夫。この値段以上で売って欲しいというのは伝えておくし、売れなければ売れないで別に困らないから。……そうね。では、私が金額を設定するからその額より多くなった分はあなたへの交渉代として支払う、というのはどう? それ以下の値段では売らないようにして、交渉決裂になれば交渉代は出ない。利益を出せばあなたの収入になるの。相手は商業ギルドの職員だから簡単じゃないわよ?」
交渉を代理でお願いする場合は失敗でも一定額は支払うのが一般的だが、ジェードの成長を願ってヒメカはそう提案した。衣食住は保障しているので、臨時報酬が出なくとも生活は出来る。
「……いえ、利益の3割にしてください。7割は御主人様にお返しします」
「私達の利益は設定額で調整するから気にしなくていいわよ?」
「いえ。売り物を用意していただいて、目安となる金額設定までしていただくのです。その辺りが妥当かと」
ジェードの意志は固いようなので、ヒメカは苦笑しつつも頷いた。
「でも本当に期待しないでね。私、商売の経験はないから」
「そうなのですか?」
「そうなのです。特に素材売却は、冒険者ギルドに買い取ってもらうだけで金額交渉とかしないから。マルスランさんは手強いけど一緒に頑張りましょうね」
ハードルを下げることも忘れない。2人は家までのんびり話をしながら帰った。
家へ帰ると、ヒメカはジェードが交渉役を買って出てくれたことを報告。ユウトは感謝の言葉と「頑張れよ」とジェードを応援した。
テオも応援の言葉をかけるが、その心中は焦燥に駆られていた。ジェードは自分で道を見つけて進むので、テオも何かしたいと思うが何が出来るのか分からない。読み書き計算は大分身に付いてきたが、ジェードは最初からそれが出来ていた。繕い物も、すでにヒメカに教わらなくとも簡単なものは出来るし、最近では、ヒメカの作品を見ながら刺繍にも手を付け始めたことをずっと一緒にいるテオは知っていた。
(ジェードはどんどん先へ進んでいく……)
「……ォ、テオ」
「は、はい!」
「どうしたの? 難しい顔してたわよ?」
いつの間にか俯いていたテオにヒメカが声を掛けると、テオは弾かれたように顔を上げて返事をするが、テオは素直なので感情が表情に出てしまっている。
「えっと……あの、俺もご主人様の為に何かしたいんですけど、何をすればいいのか分からなくて……」
テオの悩みを聞いた姉弟は顔を見合わせる。
「そうねぇ……出来れば料理を覚えてくれると嬉しいわ」
「料理、ですか?」
「ええ。テオが料理をしてくれたら私はレシピの考案や改善に専念できるのよね。マルズで見つけた食材が沢山あるから色々研究してみたくて」
どうせやるならお金も稼げる技術を、と考えて料理を挙げた。
テオはジェードと自分を比べたがるが、料理に関してはテオの方に軍配が上がる。元々やっていただけあって手際がいいし、何より味覚が鋭い。食べ慣れているはずのユウトでさえ気づかないような微妙な味の違いにもすぐ気付くので、ヒメカが料理に関して真っ先に意見を求めるのはテオになりつつある。
「ご主人様がそれでいいのでしたら……俺、頑張ります!」
「ありがとう。でも無理はしなくていいからね。やりたいことが見つかればそちらを優先してくれて構わないわ。私達が自由にしている分、貴方達にも自由にしてほしいと思うし、気を遣われ過ぎるのはお互いに疲れてしまうから」
「わかりました!」
役割を与えてもらうことで安心出来たテオは元気な返事をしてようやく笑顔を浮かべた。
そうしていると、厩舎の仕事の時間になったので、テオとジェードはそちらへ向かった。
「姉さんナイス」
「あれで将来の選択肢を狭めなければいいのだけど……難しい……」
「そこは色々させてみればいいだろ。ギルがこっちに来たら色々と連れ回せばいいし。それに結局選ぶのは本人だから。俺達は相談された時に一緒に考える位でいいんじゃない?」
「……そうね」
ヒメカは悩むのをやめて夕食を作ることにしたので、ユウトは風呂の用意をしてから厩舎の手伝いをするために庭の方へ出て行った。
「明日、オビギュの迷宮へ潜る為に色々買っておこうと思っているけれど、皆はどうする?」
夕食も食べ、風呂も済ませてもう後は寝るだけなのでまったりしていると、ヒメカが全員に明日の予定を聞いた。
「どこに寄る予定なんだ?」
「武器屋は絶対で、軽くて頑丈なマントが欲しいから防具屋も。後は、価格調査で素材屋巡り、食材も買い足したいし、市場や商業地区を歩き回る予定。出来ればジェードとテオにもついて来て欲しいかな。今回は日数がかかる予定だから、自分達で買い物して欲しいし、顔なじみのお店も教えておきたいから」
テオとジェードは身なりを整えて隷属の首輪もそれと分からないようにしているが、それでもやはり奴隷相手だと物を売ってくれなかったり価格を引き上げたりということはある。ヒメカが好んで利用する屋台や店舗はそういうことはあまりないが、一度一緒に挨拶をしておいた方がスムーズに買い物が出来るだろう。
「ご一緒させていただきます」
「俺も行きたいです!」
「了解。ユウトは?」
「行く」
全員で出かけることが決定し、その後は思い思いに過ごした。




