8話 不測の事態です。
翌朝、『洗浄』を自分と、まだ眠っている全員にかけてテントを出るヒメカ。予定の時間よりも早いため、起きていたのは見張りと朝食係の騎士のみだった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「おかげさまでしっかり眠れました」
軽く挨拶をして立ち去る。料理を作ることが常なので手を出しそうになるが、今は集団行動中なのでと場所を移動することで意識を逸らす。
(暇……)
出来ることなら森へ狩りに出かけたい、と思いながら陣内をうろついていると、リュドーがテントから出てきた。
「おはようございます、ヒメカさん。早いですね」
「おはようございます。目が覚めてしまったので少し散歩をしていました」
「今日は忙しいのでほどほどにお願いしますね」
「はい。気をつけます」
魔力は充分回復している。むしろ、体力が有り余っています。と、口にはしないが正直なところ。邪魔にならずにできることはと考え、結局、ヒメカは散歩をすることにした。
朝食の時間になり、全員が起きてきた所で食事の列に並ぶ。昨夜の件もあり、朝食は普通に用意されていた。
「副団長が何かしてくださったのかしら?」
「このまま大人しくしていてくれるといいですね。あまりにも酷いと次回からは人員を出さないとか神官長が言い出しかねないです」
「その方が俺達としてはいいけど」
ちらと医師団の方を見ると、苦虫を噛んだ表情をしている。どうやら、夕食の件で怒られたのだろう。もしくは、怪我人の治療をサボった件が露呈したのか。どちらにせよ、少しは嫌がらせが収まるだろう。
その日は、通常通りの患者の数(といっても多いのは変わらないが)で、夕食もキチンと食べることが出来た。夜間も多少怪我の程度が上がったくらいでいつも通りだった。
そして翌日の朝食後、騎士たちが訓練に出ている間に仮眠をとる神官達。一人も起きていないのは、ということでアルが起きている時間に事は起きた。
「すみません! 怪我人が大量に出たので診てもらえませんか!」
テントに飛び込んできた騎士の声に全員飛び起きる。さすがというか、すぐに各種ポーションが入った鞄を引っ掴み、外へと走る。
「これは……」
外の状況は凄惨たるもので、多くの重傷者が転がっていた。ポーションでどうにか延命しながら治療を待っている者も多い。
(そんな中でも階級制ですか)
医師団は貴族階級によって優先順位を決めているのが嫌でも目に入る。目の前に息絶え絶えの者がいても、真っ先に団長へと走っていったからだ。
(まあ、いいけど)
エナとアルが中位回復魔法を惜しみなく使って重症者から治療するが、それでも完治には届かない。重ね掛けする余裕はないのでポーションでどうにか補っている。
ヒメカもまた、重症者から順に治療していく。短時間で確実に。範囲回復魔法が使えると一昨日確認しておいたのが大いに役立つ。重症者が固まっている所では中位回復魔法でそれを行い、一度にMPが減るがお構いなし。下位回復魔法で済むならばそれを、と瞬時に判断しては次々に魔法をかけていく。
「待ってください! まだ副団長達が前線にいるのです! このままでは第五部隊は壊滅してしまいます!」
「応援に行ったところで全滅するだけだ! 相手はブルーミスリルウルフなんだぞ! このまま撤退だ!」
重傷者の治療を終え、中傷者の治療に移ると、すでに治療を終えていた団長と、怪我を負いながらも団長に食い下がる騎士が言い争っていた。
(ブルーミスリルウルフ……? ウォーウルフではなく?)
治療の手は止めず、そっと聞き耳を立てるヒメカ。事前に聞いていた情報との齟齬に、聞いたことがない魔物の名前。この大量の怪我人の理由が分かった気がする。
(…………前線に第五部隊のみ残っている? これだけの怪我人を出した魔物相手に?)
「それならば、丁度いい人物がいるではありませんか」
「医師長? 一体誰だというのだ?」
怪訝な顔をする団長に、医師長はニヤリと笑う。
「冒険者です。都合のいいことに、今ここに冒険者がいるではありませんか」
もうすでに嫌がらせ所ではない。ブルーミスリルウルフはAランク指定の中でも上位の魔物である。青みがかった銀色の体毛を持ち、魔法攻撃が効きにくい上に物理防御も高い厄介な相手である。医師長はそんな魔物にDランクの冒険者を向かわせようとしているのだ。
(ブルーミスリルウルフって希少なのかな? もしかしてかなり高く売れる……?)
………………たとえ本人がどんなことを考えていても。
「そうだな……おい、お前! 依頼を出してやる! 依頼内容は第五部隊の救出だ!」
嫌な笑みを浮かべてヒメカに向かって叫ぶ騎士団団長。騎士の面々が、彼女に行かせるのか!? という顔をしている。
(命令口調な上に報酬の提示もなしですか。そうですか)
「では、報酬は生還者一人当たり金貨500枚、副隊長は1000枚でいかがでしょうか?」
「な!? 聖女が人助けで金を取るというのか!!」
「私は聖女だと名乗ったことはございません。一介の冒険者です。王宮騎士団の騎士様がこれだけの怪我を負っているわけですし、何より、救出するのは副団長の率いる精鋭部隊。その位出してもいいのではありませんか?」
はなから依頼を受けるつもりがないヒメカは適当にふっかけているだけだ。とはいえ、法外とも言えない金額。しかし、この団長、医師長と旧知の中というだけあって性格がとても似ている。報酬を払うつもりがないことも先の発言で分かっている。団長にとって第五部隊はその程度の価値なのだろう。
(ブルーミスリルウルフがどの程度の魔物かは知らないけれど、これだけの犠牲者を出す程。その魔物を食い止めている第五騎士団が弱いわけがないわよね)
団長は渋っているが、騎士達は「全員で出し合えば……」「金をかき集めれば……」と小声で話している。
(なるほど。副団長は部下に慕われているのね)
「報酬が払えないというのなら依頼はなし、ということで」
それでも聖女か! 等と罵声を浴びせてくるが無視を決め込む。再度言うが、そもそも聖女ではない。
「(エナさん、エナさん、私、休憩を頂いてもよろしいですか?)」
「(え……?)」
騎士を壁にしてさっさと団長の視界の外へ逃げ、こっそりエナに休憩の申し出をするヒメカ。この状況でと驚いたエナだが、瞬時に頭を働かせた。
「(そうですね。あとは私達で対応できますから、ヒメカさんは休憩に入ってくださって結構です。これだけの怪我人を対処した後ではさぞやお疲れでしょう。長めの休憩をどうぞ)」
「(ありがとうございます)」
エナとて第五部隊の人達に死んでほしくないのだ。この短い期間だが、ヒメカは自分の出来ないことは出来ないとはっきり言う人間であると知っている。そのヒメカが彼らを助けに行くというのなら、任せてみたい。
「(ヒメカさん、マナポーションを持って行ってください)」
「(いえ。お心遣いはありがたいですが、自分用のマナポーションを持って来ていますので、それは皆さんで使ってください。では、いってきます)」
「(お気をつけて。……生きて帰ってきてくださいね)」
「(はい)」
こそこそと会話を済ませると、ヒメカは団長や医師団に見つからないように森へと姿を消した。さすがにこの場にいる全員の目は掻い潜れないが、休憩中という建前があり、第五部隊を助けに行ったのは自明の理なので騎士達が団長達に報告するとも思えない。
ヒメカは『身体強化』と『俊敏性上昇』の付与魔法を使いながら『遠視』で第五部隊のいる位置を確認しつつ全速力で走った。
「私、ヒメカさんが冒険者だと初めて実感したわ」
「私もです……」
「「「「(コクコクコク)」」」」
目の前から消えたように見える速さでいなくなった。ヒメカを目で追えた者は、残念ながら神官達の中にはいなかった。
その頃、ブルーミスリルウルフと対峙する第五部隊は、半数以上が地に伏し、絶望的な状況だった。
「ぐあっ!」
「ゴッシュ!!」
また一人仲間がやられた。微かにうめき声がするのでまだ生きていることが分かるが、ブルーミスリルウルフが倒れる仲間の方へいかないように気を引くだけで精一杯だ。
「副団長、団長は応援をよこしてくれますかね?」
「期待するだけ無駄だろう」
「はは。ですよねー……」
笑っている場合ではないが、笑ってしまう。そんな状況に辟易する。
第五部隊はアーノルドが実力重視で選んだ精鋭部隊だ。しかし、貴族出身者が極端に少ない部隊でもあるため、他の部隊からは下に見られることも多い。
そんな部隊で、副隊長に選ばれたエド・コーエンは、そのことが誇りである。エドは一般の出で、剣の腕だけでのし上がった叩き上げ。アーノルドが拾ってくれなければ一生下っ端騎士として冷遇されていただろう。
(たとえAランクの魔物だからってここで引いては騎士の名折れだろ!)
第五部隊以外はすでに撤退済み。応援も来ない。団長の性格を考えれば、ある程度治療を終えたら野外訓練を中止して即時撤退するだろう。ならば、出来る限り時間を稼いで団員達が王都へ逃げるのを手助けするのみだ。
「せめて一生残るような重い一撃を入れてから死にたいですね」
「縁起でもないことを言うな。……絶対に生きて帰るぞ」
「へへ。隊長のご命令とあれば……グゥ!」
「エド!」
吹き飛ばされつつも一撃は何とか耐え切るが、ブルーミスリルウルフは体勢の整っていないエドへ向かって一直線に走っていく。魔法攻撃は効かない上、物理攻撃耐性も高く、俊敏性も高い。そんなブルーミスリルウルフに狙われたら一介の騎士ではひとたまりもない。
(あ、やべぇ……俺死ぬかも)
死を覚悟しながらも剣を構え、前を見据えるエド。眼前には口を開けたブルーミスリルウルフが迫っていた―――――――ガツッ!!
「ギャウン!!」
「へ?」
目の前のブルーミスリルウルフは透明な壁に衝突し、すぐさま後ろへ飛びのいてエドを見ながら唸り声をあげている。
「良かった。間に合いました」
続いて聞こえてきたのは若い女の声。第五部隊どころか、今回の遠征軍に女の騎士はいない。
エドが声のする方を向くと、部下達が「聖女」と呼ぶ冒険者がいた。