メリーちゃん
翌日。
僕は栄太から呼び出しを受けた。撮影以外で僕が呼び出されることはない。
唯一、呼び出されるとしたら、撮影に不備があったか、取りたい映像が取れてないかのどちらかだ。故に、昨日の撮影で、何か不備があったのかと僕は怯えながら呼び出しに応じた。異常事態だったのだから、撮影の不備くらいは許して欲しいものだ。
……理不尽な『4X』に、僕の願いは届かないだろうけど。
そんな訳で、僕が呼び出された場所は栄太の自宅だった。
栄太の家はかなりのお金持ちだ。
ここは、日本の地方都市なんですけど。と、言いたくなるような場違いな景観。周囲の住宅と比べると、倍以上の面積を誇っており、庭に良く分からないような植物が植えられていた。
余りの豪華さに入るのを躊躇うのはいつものことだ。
少し悩んだが、集まるのが遅いと怒られるのも嫌なので、敷地内に入った。
勝手に入っていいと言われていたが、常識として取り敢えずインターホンを鳴らした。すると栄太の声が聞こえてきた。
『早く上がってきなよ』
玄関の扉を開けて中に入る。
栄太の家にお邪魔するのはこれが初めてではない。
数か月ぶりだ。
そして、その数か月の間に、大規模な模様替えが行われていたらしい。外観の通りの広さを誇る内部には等間隔で甲冑が置かれていた。
今回は『鎧』がメインなのか。
前回来たときは、高そうな陶器が飾られていた。いったい、どんな仕事をすればこんなお金を稼げるのだろうか。聞いてみたいが、そこまで栄太と仲良くないので、この答えが解けることはないだろう。
甲冑に触らないように階段を登り栄太の部屋に入る。
部屋の中には栄太と敦がいた。僕が部屋に入り栄太と敦の顔を見ると、困ったような顔をして栄太が言う。
「撮った記憶がないのに、カメラに残っていた映像があるんです」
どうやら、今日は千紘と志保は来ないようだ。
人数がそろったところで、栄太が呼び出した理由を語りだした。
……。
僕は栄太の言葉を聞いた瞬間に、頬に痛みが走るのを覚悟した。どこかで間違えて撮影を開始してしまったのか。
僕まで呼び出されるくらいだから……相当のミスだ。
頼まれてもいない無駄な映像を撮ってしまったせいで、本番の映像が最後まで録画できていなかったか可能性が濃厚だろう。
やってしまった。
ミスをしたら殴られる。
それが『4X』と僕の関係だった。
眼を閉じて衝撃に耐えるが、いつまでも痛みこなかった。恐る恐るそっと目を開けると、敦は栄太のパソコンを食い入るように見ていた。
ミスをした僕を怒らないほど――映像が気になるということか?
殴られなかったことに安堵しつつ、邪魔にならないように、一歩離れて画面を見る。僕のミスでないとすれば、一体なにが残っているのか。
少し気になる。
画面に映し出されていたのは――昨日、訪れた『メリーゴーラウンド』だ。
やはり、昨日の映像じゃないかと僕は、再度怯える。だが、『メリーゴーラウンド』に光が点いていないことに気が付いた。
暗闇の中に浮かぶ白馬。
僕が撮影を始めたときには、既に『メリーゴーラウンド』は光っていた。そして帰る時もあんなことがあったのだ。余計なことはせずにすぐに『裏野ドリームランド』のゲートを潜った。
つまり、僕はこの光景を撮っていない。
本来ならば、『廃墟』となっている『裏野ドリームランド』の当たり前の姿を僕は写していないのだ。
ならば、何故、こんな映像が……? 栄太が知らない映像があると呼び出しをかけた。ならば、参考資料として栄太が集めた訳じゃないだろう。
こ の映像が何なのかを考えていると、画面がどんどんと拡大されていく。
『メリーゴーラウンド』の中心部を写して止まる。そこには、一匹の白馬の上に座る少女がいた。
金色のウェーブがかった髪。
青い瞳。
どうやら、外人の子供らしい。
『メリーゴーラウンド』が良く似合う少女だった。
白馬と白人は映像映えするな。などと、僕は場違いなことを考えるが、それ以前に、なんで子供が一人でこんな所にいるのかを考えるべきだ。
廃墟に子供が一人でいるのは危険すぎる。
「こんな奴……昨日はいなかったよな?」
敦が栄太に確認した。
栄太が無言で首を縦に振って敦の言葉を肯定する。これで、この映像が僕とは無関係であることが証明されたといっていいだろう。
見知らぬ外人の少女より、僕は自身に罪がないことの方が重要だった。
自分に罪が消えたことで、半ば、興味を失った僕だけれど、真剣に画面を見る敦と栄太の気を悪くしたくない。少しだけ上半身を前に出して一緒に見ているフリをする。
……『4X』といるとフリばかりしているな。
もっとも、そんなことしなくても、今は気にはされないのだろうけど。
画面に映る少女は、画面越しに僕たちを見た。
そして真っ白な表情で少女は言う。
「どうも……。私は『メリーちゃん』」
見た目は外人のようだが、発する言葉は流暢な日本語だった。流暢と言うよりは無機質な声。電話の音声サービスのような一定のリズムで彼女は自分を紹介をした。
この少女は『メリーちゃん』というらしい。
……。
『メリーゴーラウンド』の『メリーちゃん』ということか? いや、名前がどうであれ関係はないだろうけど。
しかし、昨日の今日だ。
慎重になるのは当然である。だからこそ、栄太も全員を呼び寄せたのだろう。お気楽に応じなかったメンバーもいるようだが。
「やっほー、『4X』の皆―、見てるー」
少女はテンションがフラットなまま、無理やり明るい言葉使いで、動画を見ている僕たちに話しかけてきた。
そう。
話しかけてきた。
これはあくまでも事前に撮影された動画であり、LIVEではないはずだ。
それは間違いない。
何故なら――今は夕方。
時間は18時。
冬ならば暗くてもおかしくはない時間だが、今は夏真っ盛りである。窓から見える空はまだ青みが強い。映像に移る空ほど――暗くはない。
さらに言えば「『4X』の皆」と、言いながらカメラを指差した指の数は3本。
この場にいるのは敦、栄太、僕の三人。
全く同じ数だ。
……これは偶然なのだろうか。
『4X』なのだから、少なくとも4本でなければ数が合わないことくらい、『4X』を知ってるなら4本でなければならない。
『メリーちゃん』の行動に、敦と栄太が顔を見合わせる。
少しでも怪しく思うのであれば、こんな動画を律儀に見なければいい。これ以上、見ないでくれと僕は祈るが、そこは有名気取りの配信者。
最期まで見ることにしたらしい。
引くことを知らない馬鹿な男だ。
「『4X』に、これから撮影しようと思ってるタイトルを発表するね」
乗っていた馬から「ぴょん」と可愛らしく飛び降りると、撮影しているであろうカメラに向かって一歩近づいた。
撮影しようとしていると言った。
なるほど。
少女も動画配信者ということか……不気味ではあるが、同業者ならばそこまで恐怖を感じることはない。
怖れる必要はない。
僕は何かを振り払うように頭で何度も繰り返す。
でなければ、この胸の冷たさに身が凍りそうになる。この少女の異質さが画面の中から伝わってくるのだ。それは栄太も同じなようで、彼の肌に鳥肌が浮かんでいた。怖いもの知らずの敦だけは至って普通であった。
『メリーちゃん』は、下手糞な効果音とエフェクトで文字を浮かびあがらせる。
こんな編集を栄太がしたら、敦がなんというか。自分は何も出来ないくせにこだわりが強いのだ。
画面一杯に浮かんだ文字。
それは――、
「『4X』と命がけのゲームをしてみた」
であった。
真っ赤な文字で描かれた言葉を、栄太が声に出して読んだ。
命がけのゲーム……。
タイトルで興味を引こうとしているのがバレバレだ。
下らない。
そう思い込もうとする僕だが――心の奥がまた冷たくなる。どれだけ理性で何度否定しても、心が少女を受け入れない。少女の言葉が冷えた心を強く握る。
「なんだよ、これ、笑えねー。なあ、エイター。お前なら分かるだろ? この悪戯動画がなにかさ」
意味わからねーと敦が笑う。
だが、聞かれたところで栄太も知る訳もない。そもそも栄太が助けを求めて呼び出したんだ。そのことを敦は忘れているのだろうか。
自分で考えることもしない無能だ。
栄太は申し訳なさそうに答える。
「……全然です」
「……ちっ」
「すいません」
仕えないと露骨な舌打ちに栄太は頭を下げる。敦は人に文句を言える技術を持っていないのだから謝る必要はないと思うのだけれど、もう、そういう関係が出来上がってしまってるのだ。
僕だって同じだ。
加虐されるだけの人間。
栄太を馬鹿には出来ない。
敦の怒りを鎮めることができるのは『4X』には誰もいない。
ましてメンバー全員が揃っていない中で敦を宥めるのは負担が大きすぎる。ただ、黙ってやり過ごそうとした僕と栄太を裏切るように、画面の中から声が聞こえてきた。
「もう……。私のために喧嘩しないで!」
『メリーちゃん』が、敦に言ったらしい。
抑揚がないからか、馬鹿にしたような雰囲気だ。
僕と栄太が同時に敦の顔をみる。『メリーちゃん』のことで怒っているのに、その相手が挑発したとなれば、敦は激高するだろう。
そうなれば、当然、僕たちに八つ当たりが飛んでくる。
僕と栄太はそれが怖いのだ。
……不気味な映像よりも、敦に怯えた自分が馬鹿らしくなる。
さっきまで心が受け付けないとか言っていたのに……。
心理的恐怖と肉体的恐怖に、交互に震えながら敦の言葉を待つ。
ピクリと敦の顔に浮かぶ血管が動いた。
相当――怒っていた。
再び白馬に座る少女に敦が叫んだ。
「おい、どういうカラクリか知らねぇけど――今、俺たちを見てんだろ? お前、何が目的だよ。あん? 喧嘩なら買うぞ!」
映像の映し出されたディスクを殴る。
当然、液晶の中にいる少女にダメージを与えられるはずもない。敦の怒りに、あくまでも平坦な言葉に『メリーちゃん』は言葉を残す。
「私、言ったよ――『4X』と命がけのゲームをしてみたって」
それ以外は何もない。
ふと、一瞬、映像が消えると今度は違う動画が流れ始める。
それは――僕たちが『メリーゴーラウンド』に乗っている映像だった。
この映像は僕は見覚えがある。
僕が撮った動画だ。
最初は馬鹿みたいに楽しそうな『4X』の笑顔が、恐怖に染められていく姿が鮮明に映し出されていた。
思えばこの時の映像を見返してないから、皆がどんな表情をしていたのかを見るのは始めてた。
全員が凄い形相で棒に掴まっていた。
勿論、今しがた少女へと凄んでみせた敦も普通に怯えていた。
カメラの映像を使っているということは、栄太が編集したのだろうか。敦が何をやっているんだと、睨むが、「僕は知らない」と青、ざめた顔で首を横に振った。
敦のこんな顔を無許可で使用したら、ひどい目に合わされることくらい、栄太だって分かってる。
ならば、これも『メリーちゃん』の仕業と考えるべきか。
どうやって、動画データを盗んだのかは疑問だが。
「……これが、どうしたよ! 別にただ、怯えてるだけじゃねぇか!」
確かに無様と言われれば無様だけれど、編集して投稿するつもりだったのだ。
最悪そこまでのダメージは敦にはないようだった。
怯えた間抜けな表情も、敦の気分と編集次第では、配信することもいとわない。敦は人気のためだったらそれくらいはするだろう。
ただ、自分の許可がなく映像を使うことが許せないのだ。
敦の怒号に少女は怯えない。
「気付かないかな……」
少女が見せたかったのは僕たちの醜い顔ではないようだ。
もう一度、最初から映像が流れ始める。
だが、何度見ても変わったところはない。いや、異常すぎて、二回見ても何が起こっているのか理解していない。
二度目が終わっても答えを見つけられなかった僕たちに対して、『メリーちゃん』が答えを教える。
「一匹だけ――首が落ちていないの」
答え合わせと言わんばかりに――三度目の映像が流れた。
言われてみれば、首が着いたままの馬の映像が残されていた。撮影しているカメラのすぐ下で――ブレずに顔を覗かせている白馬がいた。
隣の馬の返り血で赤くは染まっているが、首は付いている。その位置から、誰が乗っていたのか、すぐに見つけ出せる。
カメラを持っていた人間――つまり、僕の乗っていた馬だった。