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パンティ職人 宝田純白

作者: いさお

以前、ライトノベル作法研究所というサイトの小説勝負企画に投稿し、上位に入賞したものの管理人氏の判断によって爪弾きにされたいわくつきの小説ですw

真剣なバカバカしさをご堪能いただければ幸いにございます。


 パンティ【Pantie】

 女性用の、下半身に直接着用する下着。

 基本的には性器から臀部、脚の付け根からへその下までを覆い隠す形状となっている。形状及び覆う面積やデザイン等は多岐にわたる。

 米国では『Panties』、英国では『Knickers』と呼称。

 近年では『ショーツ』、または『パンツ』と呼称される事も多く、特に一部の層においては可愛らしさを強調する為か、ひらがなで『ぱんつ』と記される事もある。

(民明書房館『現代用語の嘘知識』より抜粋)





 プロローグ




 

「これで……どうだ」

 純白は小さく呟くと縫い針を置き、使い込まれた指貫を外した。なめした皮で作られたその指貫は、汗が染み込んでしっとりウェッティ。8月のねっとりとまとわりつく様な暑気はエアコンが効いているはずの室内にも、その力を惜しみなく発揮していた。

 が、しかし。

 その汗の理由は、もちろんそれだけでは無い。

 今、彼が縫っていたそのひと針ひと針は、彼のこれから先の人生すらも左右する。その重圧こそが、彼に緊張の苦い汗を掻かせていた。

 手の甲で額をぬぐい、純白は今まで縫っていたそれを改めて手に取った。

 細部を見直す。幼い頃より修練し続けた運針はあたかもミシンで縫ったかの様に精密。それでいて、縫い目からは人の手でなければ決して出す事のできないハンドメイドの優しさが滲み出ている。

 まばゆく輝く、絹で作られた、それは可憐な白色パンティ。

 表。裏。一通りの縫い目を確認した彼は、両サイドのゴムに手を掛けるとそれを広げ、何ら躊躇無く頭に被った。

 ふんわりとしたフロントは、額にしっくりとなじみ。

 腰周りに仕込んだゴム紐は、きつく締め付ける事無くはんなりと頭を包み。

 後頭部をやさしく納めたバックは、まるで母の腕に抱かれている様な安心感を彼に与えている。

 そして、フロントとバックに挟まれた中心部――

 クロッチの部分はまるで頭頂部に吸い付いて身体の一部にでもなったかの如き、完璧なフィット感。

「よし!」

 裂帛の気合いを篭めてそう発した純白は、被ったパンティもそのままに仏壇へ向き直り遺影に語りかけた。


「父さん、母さん。見守っていて下さい。宝田パンティの誇りは、僕が守ります」


 傍から見れば、どれだけ好意的に解釈しても変態のそしりを間逃れないであろう、その風貌。それでも、彼の瞳に宿る闘志は微塵も色あせる事は無かった。

 


 ▽



 宝田純白たからだ じゅんぱくは、パンティ職人を志す高校一年生である。

 パンティ職人とは、もちろんパンティ作り専門の職人である。


 宝田家と下着との関わりは古く、そして深かい。創業は天保十二年。百七十年以上の歴史を誇る、かつては老舗の腰巻屋であった。

 そんな宝田家がパンティとの関わりを持つ様になったのは、維新を迎えてしばらく経った明治初頭。まだ、ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がしていた頃、七代目当主宝田幻腰たからだ げんようが、とある華族より西洋式下着の製作を依頼された事に端を発していた。

 以降。和裁と洋裁の長所を微妙に取り入れて作られた宝田家のパンティは上流階級で人気を集め、一時は皇室献上品に指定されていた事すらあった。

 当時、鹿鳴館で踊っていた貴婦人の実に四割以上が宝田パンティを着用していたというデータが、今でも非公式ながら残っている。

 しかし――

 そんな宝田パンティの栄華は、そう長くは続かなかった。

 一九二九年。米国株の大暴落を引き金に起きた世界大恐慌は日本においても多くの富裕層を破産に追いやり、宝田家は多くの顧客を失った。

 更に、やがて勃発した太平洋戦争のさなかでは高価な絹のパンティは贅沢品として作る事を許されず、さらに戦後の復興期には雨後の筍よろしく乱立した新興メーカーと一億総中流化の波に飲み込まれた。

 受難はそれだけに止まらない。

 女性が社会的地位を向上させるにつれ、白一色のみが許されていたパンティに様々な色や模様、そして新たなデザインが次々と登場。頑なに白のフルバックパンティのみを作り続けている宝田家は、時代に取り残されていったのである。

 いつしか宝田パンティは、一握りの通人のみが愛好する超レアなアイテムとなってしまっていた。


 そして、時は流れて西暦二〇五一年。二十一世紀も折り返し地点を迎えた頃……



 ▽



 純白が通う、私立竜胆ヶ丘学園 服飾科。

 かつて学園が女子高であった頃から、多くのデザイナーや職人を輩出している名門学科である。その生徒の中には当然、純白の様に家業を継ぐ為に通っている生徒もいた。

 

「よお、ぱんつ屋。今日も古臭い白ぱんつ縫いに来たのか?」

 七月の、とある朝。

 教室に入った途端、純白を迎えたのは嘲笑混じりの野次だった。

 彼の家が代々伝わる古風なパンティ職人である事をからかう、心無い生徒は少なからず居た。先進的なファッションを目指す彼等に取って、もはや絶滅したと言っても良い無地のフルバックパンティなぞに情熱を傾ける純白は、物笑いの種でしか無いのであろう。

 しかし、そんな言葉にも彼が心を乱す事は無い。その誰が放ったかも分からない野次に対し、純白は簡潔だが一切の妥協を許さない気概を篭めて、言い返した。

「ぱんつじゃない。パンティと呼べ」

 途端に巻き起こる爆笑。嗤いの渦は瞬く間に他の生徒にも伝染する。

 しかし。

 誰もが彼をあざ笑っているかと思われた、その時。

「みんな、いい加減にしなさいよ!」

 ばんっ! と平手で机を叩いて、一人の少女が立ち上がった。

 胸元まで掛かる綺麗な黒髪の、凛とした雰囲気を纏ったトラディショナルな美少女である。

「あなた達。笑っているけれど、この中で宝田君のクオリティに迫るパンティを作れる人は居るの? 『自分は絹の白パンティしか作らない』って、胸を張って堂々と宣言できる人は居るの? 居ないでしょう?」

 少女は、意思の強さが滲み出ているかの如き切れ長の瞳に怒りの炎を灯して、そう続ける。

 彼女の放った言葉に、教室は一瞬にして静まり返った。本当は大部分の生徒が心の中で『いや、堂々と宣言できる事じゃないし』とツッコミを入れていたのだが、それを口に出す者は居なかった。

 その静寂に包まれた教室の中を、まるでモーゼの様な足取りで純白は歩み、彼女の隣に位置する自席に腰を下ろす。

 そして何事も無かったかの様に、

「おはよう、川中島さん」

 自然な笑顔で挨拶を交わした。

「おはよう、宝田君」

 彼女も、つい先程声を荒げていたのが嘘だったかの様に、たおやかな笑顔で返す。

 そんな二人のやり取りを合図に、教室は元の喧騒を取り戻した。

「……川中島さん。いつも、ごめん」

 純白が、彼女にだけ聞こえる様な小声でそう囁いた。一見涼やかな顔をしている様に見えた純白だが、良く見るとその顔には微かな蔭りが見える。

「ううん、いいの。それよりもあんな野次を相手にしちゃ駄目。私達は職人を目指す身なんだから、言葉では無く作品で黙らせてあげましょう?」

 川中島と呼ばれた少女はそう言うと、鞄の中からいそいそと何かを取り出した。

「それよりこれ見て。昨日作ったの。最新作よ」

「うわ、これは……」

 それは、サイケデリックな模様と鮮やかなスパンコールで彩られた、一本の蝶ネクタイ。

 模様や色使いもアレだが、特筆すべきはその大きさだ。全長は二十センチを悠に超え、それはむしろ蝶と言うよりも世界最大の蛾ヨナグニサンに迫ろうかというサイズである。

「どう? 凄いでしょ。昨日テレビを見てたら、二十世紀のお笑い特集でこんなネクタイをした芸人さんが出てきたの。もう一目惚れしちゃって、一気に作っちゃった」

「うん、これは凄い。流石は装飾職人を目指すだけの事はある」

 心から嬉しそうにそう話す川中島に、純白は眩しいものでも見る様な瞳で答えた。

 彼女、川中島みゆきはリボンやフリル等を専門に扱う『装飾職人』を目指している。

 彼女の実家は川中島重工という日本、いや世界でも有数の大企業の総本家なのだが、彼女は自分の生き方は自分で決めたいという意思の下、両親の反対を押し切ってこの学校に入学したというつわものであった。

 元々は、彼女は純白とは入学当初に、たまたま席が隣同士になっただけの間柄だった。しかし、そこは同じ職人志願者同士のシンパシーとでも言うのだろうか。彼等は瞬く間に意気投合し、夏が来る頃には互いの夢を語り合う仲、まさに同志と言える間柄になっていたのである。

 時代遅れな古典的白パンティを頑なに作り続ける宝田純白と、超巨大企業の令嬢にも関わらず服飾の世界に飛び込んできた川中島みゆき。彼等は入学して僅か三ヶ月で、色々な意味で学校の有名人となっていた。


「それより宝田君は、どう? 製作は順調に進んでる?」

「う、うん。まあ、ぼちぼちかな」

 川中島の問い掛けに、純白はそう答えながらも再び顔を曇らせる。

「大丈夫。宝田君なら、きっとお父様を超えるパンティ職人になれるよ。今度のP‐1グランプリで優勝して、みんなを見返してあげようよ。私、応援してるから」

「うん、ありがとう。どこまでできるか判らないけど、俺頑張るよ」

 川中島の言葉に、純白は無理矢理自分を奮い立たせる様に笑みを張り付かせて、答えた。



 ▽



 P‐1グランプリ。

 それは今年初めて開催される、日本が世界に放つ一大コンペティションである。

 下着の通販会社から始まり、今では世界有数の大衣料メーカーとなったブランド、『ピーチジャム』

 そのピーチジャム社が、新進気鋭デザイナーを発掘するために主催した大会。もちろん、ここで好成績を残す事ができたとしたら、もう将来は約束された様なものである。

 それを狙って、全国の下着デザイナーがこぞって応募しているのだった。

「この歳でP‐1の予選を突破できるなんて、本当に凄い事なんだよ? もっと自信を持って。あんな野次なんかに負けないで、ね」

 そう。

 そんな競争率の高い大会の予選に、なんと純白は現役高校生では全国でただ二人、そして最年少で突破したのである。先程彼に浴びせられた野次は、その事に対するやっかみも多分に含まれているのだ。

「あ、ありがとう。でも、川中島さんは、どうしてそこまで僕の」

 事を気にかけてくれるの? という彼の問い掛けは、次の瞬間『すぱぁん!』と勢い良く開け放たれた扉にさえぎられた。

「HAHAHA! グッモーニン純白。今日もオールディーなホワイトパンティースを作ってるのかしら?」

 高飛車な態度と共にいきなり現れたのは、一人の少女。見事に縦ロールの施されたゴージャスな金髪と、ブルーの瞳。一七五センチは悠に超える長身に、ぼん、きゅっ、ぼーんのグラマラスな体型は明らかに高校生離れをしていた。

彼女の顔を見た瞬間、純白が心から嫌そうな表情を見せる。

「……エリカ・スキャンティ。一体何しに来た」

 そんな彼の言葉に、しかしエリカと呼ばれた彼女は余裕めいた笑みを浮かべて言葉を返す。

「オーノー。まったく、生意気な後輩ネ。せっかく私のニューワークを見せてあげようと思って来たのに」

 次の瞬間、彼女の言葉を聞いたクラスの面々が色めき立った。

「エリカ先輩が新作をっ!?」

「P‐1本選用のですかっ!」

「私にも見せてください!」

 瞬く間に、彼女の周りに人垣ができる。

 彼女、エリカ・スキャンティこそが純白と並んでP‐1グランプリの予選を突破したもう一人の高校生。竜胆ヶ丘高校服飾科三年生にして、裁縫部部長。


 そして、純白に取って不倶戴天の敵であった。


 一九八〇年代、通常のパンティよりも更に布地の少ないローライズの下着『スキャンティ』を初めて世に送り出した米国の名門下着メーカー、『S&S』ことスキャンティ&スキャンティ社の社長令嬢。そんな彼女を、白のフルバックパンティのみ作り続けている彼が受け入れられる筈は無いのであった。

「別に、僕は見せてくれなんて頼んだ覚えは無い」

 彼女に、殺意にも似た視線で言葉を返す純白。ひと睨みした後露骨に彼女を視界から外し、鞄より持参した作りかけのパンティを取り出して針を通し始める。

「そう? でも私はイントロデュースしたいの。ほら、よぉく見なさい」

 そんな純白の意思表示を綺麗に無視して、エリカは懐より一枚のパンティを取り出して両手で広げ、まるで挑発する様に純白の鼻先にかざした。

「なっ!? これは!」

「おおっ!?」

 突きつけられた純白と、周りを囲んでいるオーディエンスが綺麗なユニゾンで驚愕の声を発した。

 彼女が用意した、P‐1本選用のパンティ。

 それは一見、淡いピンクのレース地を幾重にも重ねて作られた紐パン型のTバックショーツ。セクシーな雰囲気ではあるが、特別なものとは思えない。レースに施された花柄の刺繍は適度な透け感を演出し、淫靡な雰囲気の中にもどこか可愛らしささえ感じさせる。

 しかし。

 そのレース地でできたフロントの下、一番大切な部分である所が何やら大変な事になっていた。

 肝心な所を覆う筈のクロッチ部分に布地は存在せず、フロントの両サイドから伸縮性のある二本のストリングが股間を挟んでバックで重なり、そのままTバックを形成。海外モノのアダルトビデオなどで馴染みの深い、いわゆるオープンショーツという奴である。

「どう? 純白。中々コケティッシュにできてるでしょ?」

 蝶々むすびに結われたウエスト紐を両手に引っ掛けて、みょーんみょーんと伸び縮みさせながらエリカが言う。彼女の動きに合わせて、股間のストリングがくぱぁっと開いたり閉じたりしていた。

「じ、邪道だ! そんなもの、僕は認めないからな!」

 そんなエリカの挑発に、純白は顔を真っ赤にしながら叫ぶ。しかし、その叫びはエリカに取っては更なる嘲笑の材料に過ぎなかった。

「だからユーの家は没落してしまうのよ。オーケー? オンナは、もっともっとフリーダムであるべきなの。古い風習に縛られるのはノーセンキュー。自分の一番大切な部分をあえてオープンする事により、ミー達は新たなステージへ昇る事ができるのよ」

 エリカの説く言葉に周囲の女生徒、そして一部の男子生徒から大きな歓声が上がった。

 この学園において、過去多数の有名デザイナーやスタイリストを輩出してきた裁縫部のステイタスは有り得ない程に高い。そんな裁縫部部長のエリカは、持ち前の美貌や実力、そして統率力やカリスマ性の高さも相まって学園では絶大なる支持を得ているのだった。

 しかし、例えそんな相手であろうと、もちろん純白は黙ってはいない。

「それは極論だッ! 全ての女性がそう思っている訳じゃあ無いだろう。むしろ殆どの女性は昔ながらのパンティを選ぶ筈だ!」

 椅子を蹴って立ち上がり、残念ながら彼より幾分背の高いエリカにそれでもしっかりと向き合って、その瞳を睨みつける。

「それが古い考えだって言ってるの。ユーは古臭い『デントウ』とやらに縛られているけど、ミーは違うわ。常にフューチャーをルックしてるの。 ニューウェーブをビルドするのは、前を向いている者だけなのよ」

 そんな純白に、まるで罠にかかった獲物を見つけた様な笑顔で答えたエリカは、周りを見渡すと突如、

「例えば純白。ユーが言う『デントウ』のホワイトパンティース。この中で一体どれだけのガールが履いているのかしらネ。エブリワン、パンティースのカラーは?」

 と声を掛ける。

「私はピンクです!」

「私はグリーンの紐ぱん」

「白と青の縞ぱんー」

「紫のTバックです」

「黒!」

 次々と返される返答の中に、『白』の言葉は無かった。

 悔しそうに顔をしかめる純白。しかし、エリカの猛攻はそれだけに留まらない。

「ミユキ。ユーは?」

 純白の隣で俯いていた川中島に、エリカは問い詰める。

 川中島は幾分かの躊躇の後、申し訳なさそうに呟いた。

「今日は……ライトブルーです」

「くっ」

 彼女の告白に、純白は悔しそうに肩を落とした。対するエリカは満面の笑みを浮かべて胸を反らす。

「どう? 純白。ユーが守ろうとしているトラディションは、その程度よ」 

 彼女の追い討ちに、純白はなす術も無く唇を噛み締める。

 こんな結果が出る事は、実は彼にもわかりきっていた。

 昭和時代後期に産声を上げたウーマンリブ運動は様々なシーンで女性の意識を向上させ、その結果生活スタイルやファッション、恋愛観に至るまで大きく様変わりさせていた。

 特に。平成時代に生まれた、恋も仕事も積極的に謳歌する『肉食系女子』世代あたりから現在に至るまで女性のファッションは開放化の一途を辿っており、今や古風なフルバック白パンティは見向きもされなくなっている。

「ユーもせっかくそれだけのテクニックを持っているのだから、いつまでもオールドファッションに拘ってないで……」

 勝ち誇った笑顔でエリカはそこまで言うと、純白の頬に右手を添えて引き寄せて耳元で

「裁縫部に戻って来なさい。いつでもウェルカムよ」

 と、色っぽくささやいた。

 そのまま彼の頬にチュっと軽くちづけて、その場を後にする。

 純白は屈辱に顔を歪めつつも、彼女の後姿を睨みつけながら搾り出す様に呟く。

「まだだ。まだ勝負は付いてないからな……」



 ▽



「よいか、純白。パンティにおいて一番の肝要はクロッチだ。女性の一番大切なところを包む部分であるから、一切の妥協は許されない」

 純白の父、宝田家十二代目当主宝田純潔たからだじゅんけつは気迫の篭った眼差しで手元のパンティに針を通しながら、純白にそう語り掛けた。

 白髪が混じった総髪の、巌の様な風貌はいかにも職人然としたオーラを全身から発している。絣色の作務衣が実に似合っていた。

「はい、父さん」

 純白もまた、まばたきすらも許さぬ程の真剣な瞳で父の手元を見詰めながら答えた。

 パンティは、大まかに数えて三つの部位から構成されている。

 前部をカバーする、フロント。

 後部にてヒップを覆う、バック。

 その前後の間に挟まれた、股下を包むクロッチ。

 いずれも大切な役割を持っているパーツだが、特に重要なのはクロッチである。純潔が説く様に、この部分は女性に取って一番大切な箇所を守る最後の砦。まさしくパンティの要と言えよう。

 そして、このクロッチこそが宝田パンティ最大の特徴なのである。

 かつて『女の身体を知り尽くした漢』と称された、八代目当主の宝田股彦たからだまたひこが確立したと言われているその技法は、パンティ業界では『宝田クロッチ』と呼ばれ幻の秘法とされている。

「こ、こうですか?」

 その宝田クロッチを実際に縫い上げている純潔の手先を真似て、純白は手元のパンティに針を通す。

 ところが――

 息子の運針を見た純潔は、次の瞬間、

「愚か者! 全然成っておらぬわ!」

 まるで猛る獅子の咆哮が如き叱責と共に、容赦無い鉄拳を振るう。無防備な顔面を殴られた純白は、そのまま錐揉み状に回転しつつ壁に叩き付けられた。

「ぐはあっ!」

 まるで轢かれた蛙の様に壁にへばりついている純白に、しかし純潔は更に叱責を投げつける。

「貴様、クロッチの質感を重視しようとして全体のシルエットをないがしろにしたな!? 確かに儂はクロッチの重要性を説いたが、履き心地を重視するあまり見た目の美しさを崩すとは言語道断。そのようなパンティなぞ、犬も履かぬわ!」

「で、ですが父さん。普段目に付かないパンティに、何故そこまで見た目の美しさが必要なんですか?」

 冷徹とすら言える父の言葉に、純白は思わず問い質す。

 そんな純白に、純潔は厳しい表情を崩さずに説いた。

「判らぬか純白。普段見えないからこそ、見えた時の事を考えねばならないのだ」

「普段、見えないから……こそ?」

 納得のし難いといった形相で、父の顔を覗く純白。

「純白よ。貴様、パンチラを見たら何とする」

「は、はい。見る事ができたら、大変うれしく思います」

「うむ、そうであろう。……では、その折角見る事叶ったパンチラが、もしも機能性のみを重視した毛糸パンツだったとしたら、何とする!」

 くわっ! と目を見開いて、再び純潔が咆哮した。

 その言葉は、純白にまるで全身を雷に打たれたが如き衝撃を与える。

「!?」

 次の瞬間、純白は全てを理解した表情になり、姿勢を正して頭を下げた。

「そういう事だ」

 純潔はおごそかにそう呟くと、正座して額を床に擦りつける息子に今度は存外に優しい声で語り掛けた。


 しかし、その次の瞬間――


「ごふっ! ごふげはぐほっ! へぐはぁっ!」

 激しく咳き込む純潔。口元を押さえた指の隙間から、鮮血が滴り落ちる。

「父さん!」

「うろたえるな!」

 慌てる純白を一喝。たとえ病魔に犯されていても、その気迫は微塵も揺るがない。

「純白よ……お前にはわしが持つ技術を全て教えたが、ただ一つ当家の秘法である宝田クロッチの真髄だけは教える事叶わぬ。これは教えられて身に付くものでは無いのだ。ましてや、女の体を知らない今のお前には、なおさら……げふっ」

「父さんっ」

 駆け寄ろうとする純白を血の付いた手で遮ると、部屋の鴨居に掲げられた彼の妻、すなわち純白の母の遺影を愛おしそうに眺めて、言った。

「いつの日か、お前にも愛する女性ができるだろう。お前を愛し、お前に全てを捧げてくれる相手を見つける事ができた時、お前は宝田クロッチの深奥に達する事ができるであろう」

「…………はい」

「よいか純白。その名の通り、白く輝くパンティの様に、清らかに生きよ。清い心無くして清いパンティ無し。忘れるな……忘れるな……忘れるな……」


(っ!! また、この夢か)

 授業中。教科書の影で舟を漕いでいた純白を現実に引き戻したのは、今まで何度も見せられて来た夢。父と交わした最後の言葉だった。

「父さん……」

 思わずそう呟いた純白は、机の中から縫いかけのパンティを取り出し、悔しそうな瞳で見詰める。

(宝田クロッチさえ、会得できていればっ!)

 ここの所暫く。P‐1予選に合格してからというもの、純白を常に追い詰めているのがこの宝田クロッチなのだった。

 宝田パンティの代名詞と言われている、クロッチ。

 特に、彼の父純潔の作品は歴代最高傑作との呼び声も高く、そのクオリティは履いた全ての女性に深い感動と安息感を与えると云う。もしもそんなパンティを作る事ができたなら、P‐1グランプリで優勝する事も、彼の目標である伝統的白パンティの再興も夢ではなくなってくるだろう。

 しかし――

 そんな宝田クロッチも、父の没後は幻の技法となってしまっている。

 彼の父、純潔は自分の死期を悟ると自らの作品を全て処分してしまい、純白には只一枚のパンティすらも残してはいなかったのである。

『宝田クロッチは、教えられて会得できるものでは無い。考えるな、感じろ。女性の股間を心で感じるのだ』

 父が生前、事あるごとに語っていた言葉。

(そんな事云われても。見本も無ければ彼女も居ない僕に、どうやってそんなもんを感じろって言うんだよ)

 不完全なパンティを握り締め、小さく溜め息を吐く純白。

 そんな彼を、川中島は隣の席から切なげな瞳で見詰めていた。



 ▽



 純白がそんな悶々とした日々を送っている間にも、時はいたずらに流れていく。暦を見れば既に七月二十六日。学園は夏休みを迎えていた。

 健全な高校生に取って、夏休みは一大イベントである。大抵の学生は後半の軍資金を稼ぐ為バイトに励んでみたり、気になるあの娘を誘って遊びに出かけたりして青春を謳歌するものである。

 にも係らず、純白は日夜家に篭ってパンティ作りに汗を流していた。

一男子高校生、いやそれ以前に人として相当に問題のあるレベルの生き方ではあるが、今回ばかりはそれも仕方が無い。P‐1グランプリの本選は八月二日『ぱんつの日』に開催。既に残り一週間となっていた。


「くそっ!」

 純白は苛立った声を発して、たった今縫い終えたばかりのパンティを乱暴に投げつけた。軽い絹で出来たパンティはしかし涼しげにひらひらと宙を舞い、その様は彼を余計に苛立たせる。

 辺りを見渡すと、同じように投げられたパンティが床を覆っていた。夏休みに入ってから向こう、彼が作っては投げている失敗作が散乱し、部屋の中はもの凄い有様となっていた。もしも何かの拍子に警察的な人達に見られたとしたら問答無用でしょっぴかれる事請け合いの、それはもう凄まじい様相である。

 そんなパンティまみれの部屋の隅で、埋もれていた彼の携帯が突如鳴った。高校入学以降、川中島以外に友達らしい友達ができていない純白としては異例の事である。

 掘り出して、手に取る。ディスプレイに映った名前は『エリカ・スキャンティ』だった。

 険しく眉をしかめながらも、純白は画面をタッチして電話に出た。

「もしもし」

「ハァイ純白。ロングタイムノーシーユー。ご機嫌はいかがかしら?」

 相変わらずの、少しウザい独特の喋り方。間違い無くエリカである。

「たった今最悪になった所だ。一体何の様だ?」

「オーノー。それはバッドだわ。でも、そんなユーにハッピーなお知らせよ。明日マイハウスで裁縫部員を呼んでパーティをするから、ユーも来なさい」

「僕は今忙しいんだ。あんたと遊んでいる暇なんか無い」

「どうせ失敗作のパンティースに埋もれているのでしょう? ライヴァルがそんなボンレスでは、ミーもノットインタレスティングよ。息抜きに来なさい」

「ぬうっ!」

 屈辱に顔をゆがめる純白。しかし彼女の言葉はまぎれも無い事実であるので、何も反論できない。エリカはきっと『骨抜き』と言いたいのだろうが、今の純白に言い返す気力は無かった。

「フフフ、どうやらビンゴだったみたいね。じゃあ決まりよ。明日の午後五時、マイハウスまでいらっしゃい。ああ、今回のパーティはスチューデントだけだからドレスコードは関係無いわ。普段着でノープロブレムよ」

ぐうの音も出ない純白に、エリカは持ち前の押しの強さで一方的に告げると、

「じゃあ、明日。アイウェイトフォーユートゥカム。バイバーイ」

 と、普段通りヤケに陽気な口調で電話を切った。

「……エリカ・スキャンティ。どうしてここまで僕に構う」

 純白は切れた携帯のモニタを見詰めながら小さく呟いた。


 翌日。

 幾分迷ったものの、純白は結局スキャンティ邸に足を運んでいた。

 あそこまで言われて無視するのもどうかと思った事もあるが、何より創作に行き詰っているのは事実だからである。

 エリカは名門下着メーカーの跡取り娘だけあって、流石に卓越した技術とセンスを持っている。彼に取っては悔しい事この上無いが、そんな彼女に会う事は創作上何らかの刺激を得る事ができるのではなかろうか。

 そんな、普段は決して思いつかない様な事まで考えてしまう程に、今の純白は追い詰められていたのである。

「それにしても、でかい家だな……」

 スキャンティ邸の門前で、純白はあきれたようなため息を吐く。

 豪奢な装飾の施された鉄柵とレンガの塀で囲われたその敷地は、学校の校庭くらいはありそうだ。正門から中庭には綺麗に刈り揃えられた芝生が広がり、その奥に映画でしか見た事の無い様なゴージャス極まりない洋館が厳かに建っていた。

 エリカの父はかつて日本人女性、すなわちエリカの母と恋に落ち、それ以来日本に居を構える様になったらしい。

 が、屋敷を含め生活スタイルそのものを一切合切持ち込んできた所はさすがに米国の富豪、スケールが違う。

『普段着で来い』との言葉通り、Tシャツにカーゴパンツという何の飾り気も無い格好で来た自分が、なんとも場違いに思えてきた。

(や、やっぱり帰ろうかな……)

 急に怖気づいて、そんな事を考えていた時。

「純白! 来てくれたのね。さあ、入ってちょうだい」

恐らく監視カメラでもついているのだろう。インターホンからエリカの声が響き渡り、ぎぎいっと金属音を立てて門が開く。

「あ、ああ。えーと、おじゃまします」

 すっかり気圧された純白は自分でもなんだか間抜けだと思いながらもそんな事を口走りつつ、門をくぐって敷地に入った。

 やたらと広い庭を過ぎ、屋敷の扉を開ける。すると、

「ウェルカム、純白。今日は楽しんでいってね!」

 ぱんっ! とクラッカーの快音と共に、エリカ自らが出迎えた。

 しかし――

「な!? ちょ、あんた一体何て格好してんだよ!」

 彼女の姿を見た瞬間、純白は瞬時に赤面して怒鳴った。

「フフッ。S&Sの、秋のニューアイテムよ。どう? セクシーでしょ?」

 彼女が身に着けているのは、白のレース地にバストラインやお腹周りを黒のストラップで強調したとんでもなく扇情的なビスチェと、お揃いのローライズスキャンティ。そして、黒の網タイツ。つまり思いっきり下着姿だった。ビスチェから下がっているガーターベルトが実に艶かしい。実際には相当に派手な下着なのであるが、日本人では遠く及ばないワガママボディの彼女には、まるであつらえた様に似合っていた。

「そうじゃなくて! そんな格好で恥ずかしくないのかって言ってるんだよ!」

 耳まで真っ赤にしながら純白が叫ぶ。だが、それでいて視線はどうしても胸の辺りとか腰の辺りとかにいってしまうのは、健全な高校生としては仕方の無い事だろう。

 しかし、エリカはそんな視線に怒るどころか嬉しそうな表情すら見せて、更に官能的なポーズまで取り始める。

「HAHAHA! ミーはS&Sのランジェリーカタログでモデルもやってるのよ? 今更何を恥ずかしがるファクターがあるの? ほら純白、もっとディープにルックしてもいいのよ?」

「いいから! 谷間とか強調しなくていいから!」

 と、怒鳴りつつも。世界遺産に登録できそうな程見事なエリカ渓谷をついつい横目で覗いてしまう純白だった。


「さあ。アメリカンジョークはこの辺にして、パーティールームに行きましょう」

 下着姿のエリカに連れられて、純白はリビングに通される。

 そこには、先日彼女が言っていた通り裁縫部の面々が既に集まっており、飲食をしながら談笑していた。

 パーティー会場となっているそのリビングは、広さにして五十畳くらいはあるだろうか。壁際には豪奢な調度品が飾られ、異様に高い天井にはクリスタルのシャンデリアが下がっていた。

 テーブルには、流石に学生同士のパーティーなだけあってパスタやピザにサラダや唐揚げ等のくだけた料理とかスナック菓子なんかが並び、もちろんアルコールなぞは置いていない。

 エリカは皆に純白が来た事を軽く紹介すると、

「また後でね、純白。シーユー」

 と、手をひらひらと振りながら談笑の輪に入っていった。

 純白は少しだけホッとした顔で部屋に入り、顔見知りの何人かに形ばかりの挨拶をしてから部屋の隅に陣取った。

 人の輪から少し離れて、楽しそうに振舞っている他の参加者をボーっと見る。

 かつて、純白が入学直後一週間だけ在籍した裁縫部。

 入部してすぐに、部長であるエリカと反りが合わなくて退部した為、知っている顔は殆どいない。それに対して純白は一方的に有名人であるが、多くの生徒は問題児である彼とはあまり関わりたくは無いらしく、声を掛けてくる者もいない。

(……まあ、こんなもんだろうな)

 壁に寄りかかって烏龍茶などをちびちびと飲みながら、自虐的な笑みを浮かべた。

 幼少の頃より、父親にパンティ職人としての修行しか教わって来なかった純白である。パンティの作り方は熟知していても友達の作り方など知らないのであった。

 無論、その事を恨む純白でもないのだが、それでも楽しそうな空気の中に一人だけ醒めた状態で居るのは、彼の様に孤高の志を抱く者に取ってもあまり居心地の良いものでは無い。

(まったく、柄にも無い事するもんじゃ無いな。どうして来ちゃったんだか)

 適当な頃合を見て、こっそり帰ってしまおう。

 そう考えながら、特に意味も無くシャンデリアにぶら下がっているクリスタルの数を数えていた時。

「オーノー。あまりエンジョイできてないみたいね、純白」

 隣に、すっとエリカがやってきた。

「あ、ああ。どうも僕はこういう事に馴染みが無いから」

 力無い笑みを浮かべてそう言葉を返す純白に、エリカが言った。

「ずいぶん苦労しているみたいね。ユーがそんなじゃあ、ミーもつまらないわ」

「あんたが面白いとかつまらないとか、関係無いし。それよりも、あんたはどうしてP‐1に出るんだよ。ピーチジャムは、S&Sのライバル会社じゃないのかよ」

「だから、よ。自分のカンパニーが主催するコンペティションで、ライバルに優勝を持ってかれる。ソーファニー。さぞかし悔しいでしょうねえ」

 エリカはネズミを見つけた猫の様な表情で楽しそうに答える。

「ったく、悪趣味な。付き合ってられない。僕はもう帰るから。一応、礼は言っとく。呼んでくれてありがとう」

 普段エリカがやるようなオーバーゼスチャーで肩をすくめて、純白は立ち去ろうとした。

 ところが。

「ストップ!」

 エリカはそんな彼の腕を掴んで、

「こっちにいらっしゃい、純白」

 強引に部屋の外に引っ張り出した。

 そのまま屋敷の裏庭に連れ出す。手入れの行き届いた芝生と白いウッドデッキに、やや傾いた太陽がバーミリオンの色彩を滲ませている。

 そんな光景を眺めながら、エリカは唐突に言った。

「ユーが苦しんでいるのは『宝田クロッチ』の事で、かしら?」

「どうしてそれを!?」

 晴天の霹靂、という言葉を具現化した表情で純白は彼女に問う。エリカは含みのある笑顔で答えた。

「フフッ。これでもミーはパンティースクラフトマンよ。このインダストリーで宝田クロッチを知らない者は居ないわ」

「そ、そうか」

「そして、宝田ファミリーの十三代目がまだマスターできていないという事も、ネ」

「…………くっ」

「まあ、ユーが宝田クロッチをマスターできないというのもアンダースタン。見た感じチェリーボーイのユーが、オンナの体にフィットするクロッチをビルドできるとは、思えないから」

 彼女の言葉に奥歯を噛み締める純白。腹立たしい事だが、今の彼には何も言い返せない。ただ悔しそうにうつむくだけである。

 そんな純白に、エリカは体を摺り寄せて彼の手を取り、妖艶な瞳で言った。

「ミーが教えてあげようか? 純白。オンナの一番インポータントなト、コ、ロ」

 そのまま彼の掌を自分の腰元に当てる。

「ほら、このままパンティースを外しても良いのよ」

「な! ななななななに言ってりゅんですかっ!」

 余りの衝撃に軽く噛みながら、瞬時に赤面する純白。そんな彼の頭を抱き寄せ、耳元にそっと唇を寄せる。

「純白、アイウォンチュー。ミーのモノになりなさい。そうしたら、ユーにミーの全てを見せてあげる」

 耳たぶを軽く甘噛みしながら、そう囁くエリカ。

「そ、そそそそんな事言って、あんた結局は俺を自分の手下にしたいだけなんだろう?」

 のぼせた様に顔を真っ赤にさせながら、それでも純白はそう言って彼女を拒否しようとした。三ヶ月前の事が脳裏に浮かぶ。エリカは、入部したての彼に

『そんなオールドパンティースを作るのやめてミーのスタッフになりなさい。一緒にランジェリーシーンをジャックしましょう。ユーにはそれだけのタレントがあるわ』

 と迫って来たのだった。

 もちろん、宝田パンティの再興を使命と考えている純白が受け入れる筈も無く。彼女の猛攻に辟易した純白は、一週間で裁縫部を退部したのだった。

「もちろんユーをスタッフにはしたいけど、それだけじゃあ無いわ。ユーの全てが欲しい。これはトゥルーフィーリングよ」

 抱き寄せていた純白の頭をそっと離したエリカは、彼がびっくりする程真剣な表情で言った。

「……初めてなの。ミーに対して、こんなにストレートに自分をぶつけて来た人は」

「はい?」

「殆どの人は、ミーをS&Sの社長令嬢としか見ないで、トゥルーなミーに接してくれないわ。裁縫部のガール達も、そう。みんな良い子達だけど、ミーに気に入られようとする態度が見え見え。もっと普通のヒューマンとして接して欲しいのに。……でも、ユーは違ったわ。ミーに取り入る事無く、常にイーブンなスタンスで接してくれる」

「え、いや、あの」

 イーブンなスタンスどころかおもいっきり敵視してきた筈の純白は、エリカの告白に戸惑いを隠せない。

「ミーは、さびしかったの。本当はノーマルなスチューデントとしてスクールライフをエンジョイしたかったの。ミーを特別な目で見ない、ミーにおべっかを使わない、本物のナイスガイを探していたの。だから、純白……」

 エリカは熱っぽい視線で純白を見詰め、言った。

「ミーのモノになって。そしたらミーもユーのモノになってあげる。何だってしてあげる」

 そのまま彼に抱きつく。

 純白はもはや混乱の極みである。半裸の、それも飛びっきりの美少女が、情熱的な告白と共に抱きついてきたのである。異様にやわらかいあんな所とかこんな所とかが体に当たり、今まで味わった事の無い感触を彼に与えている。普通の男だったら、間違い無く陥落しているだろう。

 しかし――

 彼は只の、そこら辺にごろごろしている凡百の男では無い。確固たる自分の信念の下に生きる、『漢』って書く方のオトコである。

 なので。

「……ごめん。僕は、あんたの想いに答える事はできない。僕は宝田家の跡取りなんだ。あんたはとても魅力的だけど、僕は宝田パンティ以外のパンティを作る事などできない」

 申し訳無さそうに、しかしそれでもはっきりとした口調で純白はそう言い切った。そして、彼女の両肩に手を添えて、そっと体から離す。

「ふ、ふん。さすがにこんなチープなハニートラップには掛からないわね。まあいいわ、こ、今回は諦めてあげるんだからねっ!」

 エリカは真っ赤な顔でややキレ気味にそう呟き、純白に背を向ける。そして、裏口の扉に向かって言った。

「ミユキ。今度はユーのターンよ」

 


 ▽


 

「はい、エリカ先輩」

 エリカの言葉に答える様に、川中島みゆきが扉から姿を現した。清楚な白いワンピース姿の彼女は、エリカに小さく頷くと純白に向けて歩みを進めて来る。

「はへ?」

 間抜けな声をあげる純白。

 そんな彼に、エリカは

「ミーは、アンフェアなのは好きじゃないの」

 と答えるとそのまま無言で川中島とすれ違い、扉の奥に消えた。よく見ると背中が小さく震えている様にも見えた。

 ぱたん、と扉が閉められ、今度は川中島と二人きりになる。あまりに急激な展開に、純白はついていけない。ただアホみたいな顔で立ち尽くすのみである。

 そんな彼に、川中島が笑顔で語りかけた。

「私もね、エリカ先輩に呼ばれたの。『そろそろ決着をつけましょう』って」

「決、着?」

「ええ。私も、エリカ先輩に負けたくないからその提案を受けたわ」

 そこまで言うと、川中島は意を決した表情で純白に向き合った。

 そして。

「……見て」

 そう純白に呟くと、羞恥に顔を染めながらゆっくりとスカートの裾を摘んで、たくし上げた。細く美しく引き締まった、白い脚が現れる。

「なっ! 川中島さん一体何を!?」

「いいから、見て。宝田君」

 狼狽する純白に、川中島は小さいがしかしきっぱりと言い放ち、さらにスカートを持ち上げる。

 白磁の様に美しい、ほっそりとしつつも柔らかそうな、綺麗な太もも。そして、そのつけ根に納まっていたのはつつましくも可憐な、白く輝くシンプルなシルクのパンティ。

「こ、これは、まさか……父さんの……」

「ええ。これはあなたのお父様、宝田純潔さんの最後の作品よ」

 川中島はあまりの羞恥に小さく震えながらも、しかし上気した瞳で純白を見詰めて言った。

「い、一体どうして君がッ!?」

 色んな意味で興奮して、思わず声を荒げる純白。

 そんな彼に、相変らず股間を披露しながら川中島は熱っぽい表情で答えた。

「実は私、小さい頃からずっと宝田パンティを愛用しているの。私のお父様は古風な人で、『乙女たるもの、パンティも清くあるべし』っていつも言っていて、昔は柄物なんて一枚も持っていなかったわ」

「そうだったのか……」

 さすがは世界に名だたる川中島重工のトップに立つ漢。娘のパンティにすら毛一筋程の妥協も許さないのか。

 純白は深い感動を覚えつつ、彼女の股間を凝視しながら話を聞いていた。

「あなたのお父様が作ったパンティは、まるで私の為にあつらえたみたいにジャストフィットして、履いているのを忘れてしまうくらいの素晴しい一体感があって。こんな素敵なパンティを作れるなんて、どんなに素晴らしい事なんだろうっていつも考えていたわ。そして私もそういう、人を感動させる事のできる仕事をしたいと思って、服飾を目指したの。ねえ、宝田君。この、パンティ……もっと、見て……」

 まるで熱にうなされている様な表情で川中島はそう言って、スカートを両手に持ったまま腰をくいっと前に突き出す。

 その仕草に、思わず鼻血を垂らしながらも言われるままに凝視していた純白は、ようやくひとつの事に気が付いた。

「そういえば、これは只の宝田パンティとはどこか……あ。このパンティには、装飾が施されている?」

 川中島が履いている、可憐な白色パンティ。そのフロント上部には赤い、ちいさいリボンが縫い付けてあった。

 そのちいさな赤は、しかし鮮やかなワンポイントとして逆に周りの白を引き締め、パンティの質感や川中島の美しい肌をことさら強調させていた。

「これは、私がつけたの」

「川中島さんが?」

「ええ。宝田パンティに、私が抱いていた唯一の不満。それはリボンが付いていない事だったの。ねえ、宝田君。パンティにリボンが付く理由、わかる?」

「理由? 装飾する事に、何か特別な理由が?」

 きょとんとした顔で首をかしげる純白に、川中島は真顔で答える。

「ええ。パンティに付いているリボン。それは女の矜持なの。このリボンを男性に見せるという事は、『このパンティの中味を、あなたに捧げます』という意思表示よ。プレゼントは綺麗にラッピングされていないといけないの」

「そ、そうだったのかッ!」

 まるで雷に打たれたが如き衝撃を、純白は受けていた。

 シンプルな形状から生まれる機能的な美しさをひたすら追及してきた宝田家には、無かった発想である。これを取り入れる事は、宝田パンティに新たな風を吹き込む事になるだろう。

「私が装飾職人を目指したのは、これが理由。宝田パンティを、もっともっと魅力的にする、そのお手伝いをさせてほしいの」

 川中島は、職人の眼差しで純白を見詰めてそう言った。

 彼女の本気は、このリボンから嫌と言う程に伝わって来る。

 布地の大きさと白さ、そして履いた後の質感までも計算し尽くされた絶妙のサイズ。決してやり過ぎず、それでいて最大限に存在を主張する深紅の輝き。

 素材の輪郭を崩さずに、良さを徹底的に引き出す。これこそが装飾の真髄。川中島は、もはやその域に達していたのである。

「すごい……すごいぞ」

 尚も川中島のさらけ出しているパンティを凝視しながら、純白は呟いた。

 しかし、次の瞬間――

「でも、川中島さん。僕は、僕はまだ宝田パンティを名乗るクオリティを作れないんだ」

 急に素に戻った純白は、悔しそうに唇を噛んで呟く。まるで自分の不甲斐無さを噛み締める様に。

「それは、宝田クロッチの事?」

「うん。技術的な事は理解できているんだけど、肝心な所が、どうしても理解できないんだ。僕は、その……女の人の……見た事、無い、から……」

 さすがに赤面しつつ、恥ずかしそうに言葉を濁しながらもバカ正直に答える純白。

「宝田君……」

「少しでも、女性の気持ちを理解できる様、自分で履いてみた事もあったんだ。でも、駄目だった。ほら、色々と形状的に違うし。もしも母さんが生きていたり、僕に姉妹が居たら無理矢理にでも見せてもらっていたのかも知れないけど、残念ながらどっちも居ないし」

 それは、馬鹿馬鹿しい程に滑稽で。

 そして、馬鹿馬鹿しい程に真剣な。

 言ってる事もやってる事も最早限り無く犯罪者スレスレだが、その熱意は微塵もゆるぎない。

 そして、そんな純白のパンティに対する情熱は、川中島の心を大きく揺さぶるのだった。

「宝田君。私、あなたに会えて本当に嬉しいって思っているの」

「え?」

「学校に入ってあなたと出会った時、私は運命を感じたわ。あの純潔さんの意思を継ぐ人に出会えるなんて、これは神のお導きだって。そして、あなたは純潔さんが言っていた通りに、純粋で真っ直ぐな人だった」

「父さんを、知っているの?」

「ええ。純潔さんと私のお父様は昔からの知り合いで、ちいさい頃からパンティをお持ち頂いていたわ」

「そうだったんだ……」

 懐かしそうな瞳でそこまで話した川中島は、不意に摘んでいたスカートの裾をすとんと落とすと改めて純白に向き合った。

「昔ね、純潔さんに聞いてみた事があるの。『どうして男の人なのに、こんなにすごいパンティを作れるんですか?』って。そしたら純潔さん、『それはパンティに聞いてみるんだよ』って、そう答えたの」

 川中島の話に、固唾を飲む純白。

 そこで一端会話を切った川中島は、あろう事かスカートの中に両手を入れ、なにやらもぞもぞとしだした。

「ちょ、川中島さん、何やってるの!」

 やがて彼女はゆっくりとしゃがんで小さく片足を上げ、交互にもう片方の足も上げた。すると、その手には小さく丸まったパンティが納まっているではないか。

「宝田君」

 そして、今までに無い程真剣な眼差しで彼を見据える。

「な、なんですか?」

 その只ならぬ気迫に圧された純白は、つい敬語で応答。

「これを……被って」

「……は、はい?」

 今まで以上に顔を羞恥の色に染めながらも、川中島はしかしきっぱりと言い切る。

「これを、被って。純潔さんが言ってたの。『どうしてもパンティの声が聞こえてこない時は、こうやって頭に被るんだ。すると、パンティは色々な事を教えてくれるんだよ』って」

「そ、そんな事を、父さんが……」

「ええ。そして、これはあなたのお父様、純潔さんが最後に作ったパンティ。間違い無く彼の最高傑作よ。これを頭に被って、パンティの声を聞いて。そうすれば、必ず何かが得られる筈」

 そして純白の手を取り、脱ぎたてのパンティをそっと手渡す。

「川中島さん」

 まだ彼女のぬくもりがほっこりと残る、そのパンティ。

 それを眼前にかざして、純白はじっと見詰めた。

 亡き父の思いと、川中島の想いが籠められた、脱ぎたてパンティ。

「は、恥ずかしいから、そんなにじっと見ないで」

 消え入りそうな程に小さな声で、川中島が抗議する。当然の事だが、やはり彼女も恥ずかしいのだ。

 それでも、苦しむ純白の為に、彼女はこうやってある意味自分の全てをさらけ出してくれた。純白はその事に大きな感動を覚え――

 そして、手にしたそれを頭部に装着した。


「こ、これはッ!?」


 そのパンティを被った瞬間、純白は今まで判らなかった全てを理解した。

 各部のフィット感。ゴムの適度なホールド感。そして、頭頂部を包むクロッチのあたたかく、やわらかいタッチ。その全てを、彼は肌で感じる事ができたのだ。

「すごい。聞こえる、聞こえるよ! パンティの声が!」

 深い感動に身体を大きく震わせながら、純白は叫んだ。

 そして、

「川中島さん、ありがとう! 判ったよ! 僕判ったよ! これだったんだ!」

 彼女の手を取り、痛い程に握手をすると、

「僕、帰ってすぐ作業に取り掛かるから! 川中島さん、本当にありがとう。この恩は必ず返すからね!」

 そう叫んで、純白は被ったパンティもそのままに、もの凄い勢いで夕日に向かって走り去っていった。

「宝田君……」

 その後姿をじっと見詰めながら川中島は小さく呟いた。


「私のパンティ……返して……」



 ▽



 そして、暫く時は過ぎて八月一日。

 明日はいよいよP‐1グランプリの本選である。


 「これで……どうだ」

 純白はそう呟くと縫い針を置き、使い込まれた指貫を外した。なめした皮で作られたその指貫は、汗が染み込んでしっとりウェッティ。8月のねっとりとまとわりつく様な暑気はエアコンが効いているはずの室内にも、その力を惜しみなく発揮していた。

 しかし。そんな不快な状況においても、純白の心は晴やかである。

 父、純潔の教え。

 それを伝えてくれた、川中島みゆき。

 二人の思いを無駄にしない為にも――

 たった今完成したばかりのパンティを手に、純白はそれを頭に被った。

 次の瞬間、彼の脳裏にパンティの言葉が聞こえて来る。


 ――もう、大丈夫だよ。と――


「よし!」

 裂帛の気合いを篭めてそう発した純白は、被ったパンティもそのままに仏壇へ向き直り遺影に語りかけた。

「父さん、母さん。見守っていて下さい。宝田パンティの誇りは、僕が守ります」

 今の純白の瞳に、以前の不安気なゆらぎはもう無い。

 そこには自信と誇りに満ち溢れた、眩しいまでの漢の光が湛えられていた。



 エピローグ



 九月一日、午前八時。

 永遠とも思える夏休みもフィナーレを迎え、学生達は厳しい現実を突きつけられていた。

 朝の通学路には、だるそうに靴を引きずる者。真っ黒に焼けた肌で颯爽と歩く者。何をとち狂ったのか、有り得ない色に染めた髪の毛で登校して来る者。様々な生徒達が、悲喜こもごもの様相を見せていた。

 その中には、もちろん純白の姿も有る。

 普段通りに姿勢を正した、清らかな歩み。しかしその一見変らない様に見える姿を、他の生徒達は今までと違う、畏敬の念すら篭った眼差しで見詰めていた。

「おはよう、純白君!」 

 そんな純白に、以前と変らぬたおやかな笑顔で挨拶して駆け寄って来たのは、美しい黒髪が印象的な凛々しい少女。

「おはよう、みゆきちゃん」

 彼女に、純白も笑顔で挨拶を返す。その表情には、以前浮んでいた陰りのようなものは微塵も見当たらない。

「一緒に学校まで行きましょう」

「ああ」

 二人で肩を並べ、歩き出そうとしたその時。

「グッモーニン純白! ナイストゥミーチュー、今日も会えて嬉しいわ」

 まるで二人の邪魔をする様に入り込んで来たのは、見事な縦カールの金髪が美しい、活動的な印象の少女。みゆきを押し退けるようにして、純白の腕に絡みつく。

「お、おはようエリカ。ああもう、朝からくっつかないで。暑いし!」

「エリカ先輩! 近いです! 純白君から離れて!」

「オーノー。抜け駆けしてたのはミユキじゃない。アンフェアなのはバッドよ」

「ぬっ、抜け駆けなんて!」

「ああもう! 二人ともいい加減にして! 遅刻するから!」

 朝っぱらからきゃいきゃい騒ぐ二人を諌めて、純白は足を進める。

「あっ! 純白君、待ってよお」

「ヘイ純白! ミーに一回勝った位で調子に乗るんじゃあなくってよ!」

 置いていかれた二人は、抗議の言葉を発しつつ純白を追いかける。その時、季節外れの突風が瞬いた。

「きゃっ!」

「Oh!」

「どうした!?」

 悲鳴に驚いた彼が振り向くと、そこには突風にスカートを思いっきりまくられている二人の姿。

 そして――


 彼女達のその股間には、目にもまばゆい純白のパンティが輝いていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 迷さk……名作ですね! こういうノリの小説は大好物です!もぐもぐ
[一言]  拝読しました。  こういう真面目に全力でやるアホは大好きです!
[一言]  お誕生日おめでとうございます。お祝いにレビューを書かせていただきました。自分の中の大切なものを失った気もしました…。
2016/03/15 01:55 退会済み
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