第4話 葛藤
2枚の鏡を向かい合わせに置くと
鏡は果てしなく互いを映し続ける。
もし、その中に入り込んだら
どれが本当の自分なのか判らなくなるだろう。
まさに今日、僕はそれを実行したんだ。
彼女と会わない日なんて
彼女と会わない時間なんて
とても考えられない。
「……少し、逢わせ鏡から離れよう」
僕は今、まともじゃない。
少し冷静にならなきゃ。
頭じゃわかってる。
これは中毒だ。
だけど、僕の身体が……
僕の意思を無視して逢わせ鏡の準備をしている。
「ヤバイな。ヤバ過ぎなんじゃね?」
別の誰かのように動いている自分の身体を
他人のように見ている僕がいた。
僕の思考は止まりかけていた。
僕の意思は蚊帳の外だ。
完全に ”他人” になった僕の身体は
動揺する僕を無視して淡々と準備を進め
まもなく完了しようとしていた。
「うわぁ~!!!」
僕は振り絞って声を出し
机の上の逢わせ鏡を両手で払い落とした。
ガシャン! と音を立てて鏡が割れた。
「ちょっと! どうしたの!」
母親と姉貴が1階から駆け上がってきた。
「何でもねぇよ! 入ってくんなよ!」
逢えて嬉しいはずの彼女なのに……。
ずっと彼女と一緒にいられない決して変えられない彼女の死が
僕の頭の片隅から離れる事はなく黒くうずくまり
逢わせ鏡で会う度に楽しかった分虚しさが跳ね返ってきた。
……僕の心は笑顔の彼女に苦しめられる結果になったのだ。
「このままじゃ、駄目だよな……」
止まりかけている思考が自分を取り戻そうと僕に深呼吸をさせた。
逢わせ鏡で再現した彼女との日々は今日で半年以上になるのだが……。
じゃぁ、その逢わせ鏡を手にしたのは?
もう一度、カレンダーと時計を見る。
「……今日だ」
僕は愕然とする。
結局のところ、身体だけではなく自分の精神状態さえ
ヤバイと感じつつも僕は何度も何度も彼女へ逢いに行っていた。
逢わせ鏡の世界では半年以上が経っている。
だが現実の世界では夕飯を食べ終わって自室に戻り
お節介な姉貴に文句を言った後の時間で僕は止まっている。
「逢わせ鏡を手にしたのって今日の下校途中なんだよな……」
現実の世界に戻った僕は、また呟いた。
失った人に逢える事はとても幸せだ。
『幸せ』の一言で表現できるものじゃぁない。
もっと、もの凄く嬉しくて!
だけど、違うんだ。
なんで、こんなに悲しい?
逢えた分だけ、なぜ辛くなる!!
『それは、将来何が起きるかわかっているから』
何度逢っても変わらない事実
彼女の『死』が僕の頭の片隅に在って
彼女に逢うたびに幅を利かせてくる。
再び同じ瞬間に出会ったらきっと僕は気が狂う。
僕の目の前で車に跳ねられ
ポーンと飛んでいく彼女を思い出していた。
このままじゃいけない。
マジ、ヤバ過ぎる……。
彼女に逢いに行く事を少しやめよう。
本(逢わせ鏡)のペースに巻き込まれているこの状態を変えなきゃな。
このままじゃ、再度見ることになりそうだぜ
彼女の…。
「チキショー!」
絶対、この流れから脱出してやる!
頑張れ自分!
「くっそ~ぉお!」
逢わせ鏡に操られるように勝手に動く身体を
歯を食いしばって止めた。
「よし!」
自分の意思で彼女との思い出の写真を選び、逢わせ鏡の準備をした。
僕が数ある写真の中から選びに選んだのは
クッキーを選ぶ姿が可愛かった彼女を思わず撮った一枚。
場所は、カップル道路の途中にあるケーキ屋の店先。
女子高生にいつも人気だ。
そういや、この日は新発売のクッキーが並んでいたっけ…。
「きゃぁ♪ これヤバくない?
超カワイイー! 食べるの勿体ないよねー!」
彼女の声に、僕はハッとした。
いつの間にか逢わせ鏡の中に入っていた。
無邪気に笑う彼女を見ていると
再び逢わせ鏡のペースに引きずり込まれる。
彼女の全て一つ一つにドキドキしている自分がいた。
なさけない……
視線を感じてチラッと隣を見ると
どこかの女子どもが何か言いたげに
僕を見てクスクス笑っている。
僕はパンっと自分の両頬を叩いて気合を入れた。
(今回は、いつもと違うんだ! しっかりしろ自分!)
そう!
逢わせ鏡のペースでなく自分のペースにするんだ!!
「ねぇ、一樹♪ どっち試食してみる?」
彼女はさり気に自分の腕を僕の腕にからませる。
僕の意識は思わずフワ~と飛んでいく。
……が、馬みたいにブルブル顔を振り
なんとか気を取り戻す!
(ふぅ、まいったな。 めっちゃヤバかった)
そんな事おかまいなしの彼女は
今度は柔らかな身体をそっと寄せてきた。
(うぉぉおお♪♪ お胸かぁぁぁぁ!!!
いや!! しっかりしろ自分!!!)
さぁ、当初の目的を忘れかける自分と
気合を入れなおそうとする自分の戦いだ!
かなり分が悪いけど……。
僕は、さっきよりも強く
自分の頬を叩いて気合を入れなおした。
よし! 今度こそ言うぞ!
『暫く会えない』って。
たぶん彼女は複雑な顔をして泣きそうになるだろう。
でも、パニくるなよ、自分!
逢わせ鏡のペースになっている今を
僕のペースに戻す為に言うんだからな!
彼女に気づかれないように何度も何度も気合を入れた。
だけど、すぐにまた気合が薄れる……。
「一樹、はい、口あけて♪ 」
彼女が試食のクッキーを僕に食べさせようと……
微妙に口元に届かない距離に焦らされて
ぐはぁぁぁっ!!!
なに喜んでんだ僕はぁ!!
クソッ! このままじゃ、逢わせ鏡のペースに…
「えい♪ 」
彼女が、掛け声と同時にクッキーを
僕の口の中に押し込んだ。
「ね、おいしい?」
手を後ろに組んで
ニコッと笑顔でたずねる彼女。
まさに瞬殺だった。
(このまま彼女と一緒にいよう……)
いとも容易く、僕は逢わせ鏡のペースに飲み込まれた。