第11話 奪う者達
勢いよく酒場から飛び出し、リンは来た道を戻り峠に差し掛かる。
「暗くなってきた……」
沈む夕陽は、彼女にとって最も苦手な暗闇の到来を意味していたが、唯一街灯の存在が暗闇を嫌うリンにとっての救いだった。
「今さら引き返すわけにもいかない。大丈夫大丈夫。怖くない。あー、あー」
如何に恐怖を紛らわすか? それが今のリンの思考を埋め尽くす。普段なら挙動不審になったりしないが、苦手なものはとことん苦手な性格が如実に現れていた。
「そもそも本当に出るのか? あの男がそうなのか?」
峠に出るとは聞いたが武装した人間を襲う、としか聞いてこなかったので、確実に出てくるかどうかが曖昧だった。もう少し話を聞いてから動けばよかったと、我ながら直情的な行動には呆れていた。
「もう少し冷静に考えるべきだった」
そう呟いた瞬間、目の前を風が吹き抜ける。いや、正確には風ではない。そして、リンはそれをよく知っている。
「くっ!」
高速の斬撃が生み出す風の刃。突如現れたその違和感に、全身全霊を以て回避行動に移る。
しかし、行動した時点で既に刃は振り下ろされていた。
痛みより先に、リンの右肩から鮮血が噴き出し、思わずよろめいてしまう。そして痛みに顔が歪む。
「速い……!!」
――気配を感じなかった! それにこの斬撃のキレは……
「よく避けたな。どうやらあの男は一緒じゃないらしい」
「やはりお前か……」
目の前にはあの黒衣の男。この男の出現はリンにとって望むところであった。だが、剣を持つその姿に違和感を覚える。
「右利き? あの時グレアがダメージを与えたのは右肩だ。なぜ怪我をした右腕でこれほどキレのある斬撃を……」
「そらお前、こういう事だ」
その刹那、耳を劈く爆裂音と、リンの後方を凄まじい衝撃が襲った。
「うぁぁぁぁっ!」
何が起きたのか、認識・理解する間もなく吹き飛ばされる。だが背部の激烈な熱さと、自分が大地に叩きつけられた痛みは、瞬時に己の身に起きた事態をリンに理解させた。
――まさか魔法!? 迂闊だった……!
「紹介しよう。魔道士である俺の妻エールカ。こいつの回復魔法のおかげさ」
「ごめんなさいねぇ。不意打ちは得意じゃないけど、どうしてもこの人がやれって言うから」
防御態勢も取れずに吹き飛んだダメージは大きく、意識ははっきりしているにも関わらず、身体が立ち上がろうとしない。辛うじて上半身を起こしてみるが、背部の痛みもあり思うように動けない。
「お前達は一体……何故こんな事を」
「あー、お嬢さんよ。今このラグレトナ王国はな、平和だ。どういう事か分かるか」
「平和・・・?自分の事を棚に上げてるのか?」
リンは男に向かって引き攣った笑いを見せる。少なくとも辻斬りがいる時点でルガルタは被害が出ており、平和とは程遠い。
「俺はかつて王国の騎士だった。自分の力を試したくて騎士団に飛び込んだ。だが、実際はどうだ? 訓練や警備……そんなんばかりだぜ。住民のいざこざは多少あれどもすぐに解決する。戦争なんかは起きねえし、実戦の場は皆無。そんな俺が実戦を求めようと思ったら、コレしかねえ」
「……だから殺すのか?」
そう口走った時、男の左足がリンの右手を思い切り踏みつけた。
「くっ……う!」
「女には分からねえよ。ただひたすらに戦いてえ、力を試してえ、最強になりてえって思いはな。だから俺が殺すのは傭兵とか、そこらばっかりだぜ? 何も一般人を殺したりはしてねえんだ。大体お前だって剣士なら、人くらい殺してるだろうが! 俺とお前は一緒だ!」
「そうだ……私は大切な人達を守るために相手の命を奪ったこともある。その事実から逃げたりはしない。だが、お前と私は違う!」
「お前イラつくな。一緒だよ」
右手が悲鳴を上げている。骨が砕かれるかもしれない。そう悟ったが、それでも話し続ける。
「お前のその手では誰も守れない!」
「ギーレン、その子早く殺しちゃいなよ」
「わーってるよ。けどもう少しいたぶ――ぶああっ!」
その刹那、ギーレンの顔面があり得ない方向に曲がったかと思うと、同時に頬骨の砕ける音が聞こえた。そして大きく宙を舞った後、地面に落下した。
「あ、あ、あれ……またぶっ飛ばされた……」
「大丈夫そうだな」
「ど、どこが、大丈夫そうに見えるんだ!」
その男が差し出す左手に掴まり、ゆっくり身体を起こし立ち上がる。見慣れているはずのその顔が、ひどく安心させてくれた。
「グレア、来てくれたんだな」
「酒場のマスターが追え追えうるせーから来ただけ。やれるか、リン。いや……お前ならやるよな?」
「当たり前だ」
そう言うと二人揃って向き直る。視界に、辻斬りと呼ばれる夫婦が見える。
先程頬骨を砕いた男は回復魔法で回復したのか、血走った目で立ち上がり剣を向けてきている。
「昨日、私の夫に傷を負わせたのは貴方ね」
「会えて嬉しいぜ! 俺の肩に傷を入れたお前に!」
「――昨日は見逃してやったが、今日はそうもいかねぇ。覚悟しろよ」
その声には確実に、敵意を剥き出しにした怒気が込められていた。