無職2話 ボク、異世界転生しちゃいました
澄んで波一つ無い泉を鏡としてボクは自身を見つめる。
男だった頃のボクは女顔ではなかった。にも拘わらず女となったボクはとても美しい女性といってもいい容姿となっていた。
これは――意識のないうちに勝手に手術されたってケースはないよね。
淡い桃色の髪は前述した通りだけど、ボクの顔と改めてセットで見ると……。うん、とてもよく似合っているな。
蠱惑までに赤い唇。ぷっくりとしてキスを強請っているよう。
ぱっちりと開いた大きな瞳は少し垂れ気味もあって男を刺激する妖しさを発揮している。瞳の色はライトグリーンだ。
一つ一つのパーツも美しいが、全てを併せ見ると声を掛けるのも憚れるような美女がそこにいた。
「ん~、でも美少女かも?」
声に出したとおり、美女というには少し幼い感じがした。まあ、ボクの年齢的に美少女と呼ぶ方が確かだろう。
ボクは泉に向かって微笑みかける。
ぽっ。
思わず赤面してしまう。やばいよ! 可愛いよっ!
ボクはナルシストなのかもしれない。泉に映る性転換したボクに惚れてしまった。
だってしょうがないよね? ボクの理想を超える女の子がそこにいるんだもの。こんなに可愛い子が女の子な訳がない! って違った。こんなに可愛い子がこの世にいる訳がない!
それからボクはしばらくの間、泉を覗き続けた。
髪が乾ききる頃、漸くにしてボクは魅了から解き放たれる。
美しき事は良き事かな。
なんて言い訳はともかくとして、いい加減この状況を何とかしなくてはならない。
見渡す限り木、木、木。今居る所は開けているが、目をこらして遠くを見つめていてもやはり緑一色で先は見えない。ボクの目が普通の人の視力と同じであまり遠くを見られないからだろうけど。
ここ、泉がある場所は動物たちの憩いの地といえるだろう。先程のお馬さんだけでなく小鳥たちも泉の水を飲んでいる。
そんな動物と同じく、ここを拠点としていれば水だけは困らないだろう。けど、ボクには食料が必要だ。水だけじゃ生きていけないし。
早くこの場所を脱出して人里に向かわなければいずれ餓死してしまうことだろう。
この病的に真っ白な肌も野宿するには少し心配である。せっかく綺麗な肌なのに傷つけるのも惜しいしね。
つまるところ、なんとかして森を抜けなければいけないということだ。まあ、野宿なんて出来ない、絶対に無理! とは言わないけれど、食料ばかりは如何ともしがたい。
ここが森林公園ならばいいだろう。でも深い森だった場合どうなる? 一日やそこらで抜けられない森だった場合……ボクはピンチだっ!
そもそも温厚な動物だけとは限らないし、もし獰猛な獣などいた場合……。
ブルルル。
いけないけない。悪い方に考えちゃっているなボクは。
何にせよ、ボクはこの森を脱出することを決めた。
「さてと……」と立ち上がり振り向いた所で、ボクが最初に寝転んでいた辺りに手荷物らしき物が転がっていた。アレは……ボクのかな?
多分そうだ、という決めつけの元にボクはカバンを開き中身を確認していく。
すると――、
中には鞭とフルーツ各種、そして金色に輝く小さなメダルが数枚収まっていた。鞭にはそれを修めるべく腰に巻くベルトが付いていた。
既視感、そのラインナップにボクは少し覚えがある。そりゃ当然かな。だって追試で選んだ物だもの。
だとするなら鞭は革製だろう。これであの教師をビシバシとする思惑だったが、こんな状況ともなると少し心細い。刃物を選ぶべきだっただろうか。
ボクは鞭をベルトごと装備した。他はカバンへと戻し、手に持てこの地を後にする。
向かう先は日の差す先だ!
時間が分からないので太陽の現在位置が分からないので、そう決めた。こういうのは思い切りが肝心なのだから。
ちなみに太陽に向かってじゃないのは、眩しいのはゴメンだった。
ちょっと歩いたところでこの森の情況は直ぐに判明した。
「自然の森の方だったかぁ……。出来れば森林公園のほうがよかったなぁ」
馬が放し飼いになっている以上は最低でもどこかの牧場あるいはお金持ちの庭だと思ったけど、舗装された道もなければ出口も見えない。
「まあ、分かりきっていたけどね」
泉のあの状態を鑑みて、人の手が入っているようにはとても見えなかった。でも希望と言う名の夢くらいみたっていいじゃないか!
さて……。
これは本気で――死抜きで森を抜けなきゃね。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
緑の臭い。草が生い茂って夏を感じさせる香りで辺りは包まれていた。ちなみに言うと、ボクはこの臭いが好きじゃない。えっ? どうでもいいって。うん、ボクもどうでもいいかな。
独り言くらいは言いたくもなる環境、それがボクの情況だった。
いくら歩いても森を抜ける様子もなく、次第に暗くなってくる森は少々不気味になりつつもあった。
どうやら顔を長く見つめ過ぎた。いや、精神的保全のために起きたのは夕暮れ間際だったということにしておこう。
森は深かった。どうやら一日で抜けられるような規模じゃないみたいだ。
どのくらい歩いたかも定かじゃない。男だったときに比べて歩みが遅くなっているのであまり距離は稼げていないだろう、歩幅が狭くなったし。
というか、ボクの背……縮んでたんだよね。
何故直ぐ気付かない? なんて言わないでくれ。比較対象がなかったのも考慮して欲しいところ。おマヌケと呼ばれればそれまでかもしれないけど、何よりも、揺れるおっぱい! に気を取られていたボクはつい先ほどまで気付かず、『何か歩くの遅いなぁ』と思うまで全く違和感がなかったんだ。
それは今は置いておこう。ボクが女になって縮んだというのは考えたって無駄なんだから。
この他にも問題があった。
靴がヒールだったのも原因の一つ。でも、一番の原因は……。
――ボク、こんなに体力が無かったかな?
体感にして三〇分も歩けば休憩が必要となる身体。深窓の令嬢(笑)と蔑まれてもしょうがない有様だ。「セバスチャン、なんとかしなさい!」と居るなら是非とも頼りたいね。
歩くと弾む胸も呼吸の邪魔をしていた。実に立派な物ではあるが、今このときばかりは恨めしかった。
せめてブラジャーが欲しい。男の願望的にノーブラは夢を感じるが、女となったこの身ではノーブラはあり得ない物と実感してしまった。
楓の体験も……ノーブラはなかったしね。あ、あまり大きくなかったから激しく揺れる感覚は初体験。嬉しくない。
それから二晩越えた。
ボクは野宿をこの柔肌で経験してしまったのだ。やれば意外とどうにかなるものだったけど。
心配した敵愾心を宿す獣もいなかったこともあるけど、カバンに入っているフルーツがボクの生を繋いでいた。
馬鹿食いしたら勿体ない! と少しずつ食べたので、まだまだカバンの中で存在感を放っている。
その考えも正解だけど、でも一番の正解はフルーツを選んだボクの判断力か。
追試の時お菓子なんて選んでいたら口がぱさぱさになっていただろうし、パンと水を選んでいたらこの暖かさ故に日持ちしなかったことだろう。ナイス判断、ボク!
そんな日が更に二日程続いた。
ボクの目に映るのは、深い緑ではない薄い緑が姿を現しているではないですか。それもこまめに揺れ動く姿はボクを歓迎しているかのように。
「え? 同じ緑だって? ブッブー、全然違うよ。見てご覧よ、あの草原。そう、ついにボクは森を脱出したんだ!」
はぁ……。虚しい。
ボクは一人いることは余り好きじゃない。今回の一人生活(野宿付き)はかなり精神的に苦痛を感じていた。だから独り言が多くなってしまうのも仕方がないことなのかもしれない。早く何とかしないと……。
しかし、ボクの足は休息を訴えていた。ううん、足だけじゃない身体中全部が休みたい! って自己主張しているよ。
限界を通しての森の踏破は全身を筋肉痛にしていた。
――違う……。これは筋肉痛というより筋を痛めているといった方が正解かも。
「それにしても――」
風が気持ちいい。あ、違った。
森を抜けて草原に出たのはいいが、やはりボクの見覚えのない場所だ。というよりボクのいた国なのかも定かじゃない。
歩く以外何もすることが無かったために、ある程度は我が身に起きている現象は理解出来ている。
ボクの身に降りかかった性転換。顔も変わって背も縮むというおまけ付きは人工的なもの――外科的な手術から起きた物とは考えられない。また、意図されたかの様に用意されていた手荷物も不自然たっぷりだった。
そこから何となくだが、これが何なのか想像は付いていた。
――ボク、異世界に転生しちゃったのかも。
気を失う前に響いた声は……種族に合わせるように性別を変えた、なんて言葉があったような気もする。というかあった。うん、誤魔化しはいけない。現実を見据えないとね。
で、その中に『転職神<ワーカー>の治める世界に再構成します』という物があった。ボクはそんな神様など知らない。そんな安易な名前の神様などボクの世界に居る訳がない。
ヒントは隠されることもなく大っぴらにしてボクに与えられていたわけで……。
そこから考えてもやはりここは、ボクの済んでいた世界とは違う世界――異世界だということが考えられる。気付くのにここまで時間が掛かったのは、ボクの心が認めたくないって感情に支配されていたのだろう。
また夢……と思いたいが、以前の経験――守、楓、そしてスライム。あれも夢ではなく実際の出来事、つまりボクの前世というのもこうなったら眉唾ではないのかもしれない。
「――まあ、いいか」
少し考えた所で、ボクはそう結論づける。
たとえこれが夢であるとしても、冷めるまでは人生を謳歌してもいいだろう。もし現実だった場合、破れかぶれに生きていたら目も当てられない。
ただ、気になる所は生まれ変わったのに赤ちゃんからじゃないことだけだが。
やはり転生ではなく『再構成』ってところがミソかな?
何にしても今は身体を休めることが先決。そんなことに気にしている暇があるなら少しでも体力を回復させるべきだろう。
これから日差しが強くなりもっと熱くなるから強行軍をするにはふさわしくない。
そう計算したボクは地べたに座り込み、身体に休息を促す。同時にカバンから残り少なくなったフルーツを取り出し口に入れていく。
――美味い……。このときばかりが至福の刻。
ボクにとって過酷な状況は他に楽しみなど食べること以外は存在しなかった。そして食べれば減っていくというカタルシスがより一層ボクを興奮させた。全部無くなったらボクは死んでしまうという空想とともに……。
転生五日目。
ミヅキ「別にボク、異世界転生とか望んでなかったんだけどなぁ。ボクん家のとなりのお兄さん、大学生なんだけど夜に『異世界、美少女、俺TUEEE』って叫んでることあるから、その人を連れて行けば良かったのに。でも、ボク、可愛い……ポッ」