番外編 とある伯爵の誤算
彼の名はハルク・M・マクシミリアン・ベイクヤード。栄誉あるマクシミリアン家にしてベイクヤード伯爵を任されている人物だ。
彼の祖先はこのベイクヤード領を栄えさせていた名君であり、先代のマルスが<ホリックワーカー>を作るまではレイヤノルド王国においては上から数えた方が早いほどの権威を持っていた。
しかし彼の施政はそう優れている訳でもなかった。可もなければ不可もないと言ったところ。領民にとっては領主さまとしか認識されていない人物でもあった。
昔を知る老人たちは、栄えていただけに現在の衰退を見ると「昔はよかった。先々代さまは素晴らしいお方じゃった」と嘆くばかり。
そんな伯爵の元に一人の女性が現れた。名はミヅキ。天女と言われても信じてしまいそうな美貌の持ち主。いや、美の化身であった。
「伯爵さま。こちらの絵をご覧ください」
少女が示したのは一言で言うならラクガキ。色取り取りの絵の具で描き殴られたような、汚らしい物だった。しかし、それは彼女の美をより素晴らしくするスパイスに感じられた。具体的には額縁に押し上げられる胸が伯爵を惹きつけてやまなかった。
「お、おぉーーー。す、すば、すばらしい! 実に素晴らしい!」
伯爵の目には絵など映っていない。如何にしてアレに触れるべきか、そればかりしか頭の中に存在していなかった。
「うふふっ。ですが、それも当然なのです。これは、とある女神さまが天界に登る前に絶賛されたと言われる名画ですもの」
女性が何か言っている。絵の逸話を言っているのだろうか? しかし、伯爵の全神経はミヅキの美貌を捉えてやまない。それ以外のことはどうでもよくなっていた。ああ、あの声を耳元で囁かれたら……。あの肢体を自分の物と出来たのならば――と。
それから何があったのか、伯爵はよく覚えていない。ただ、起きがけに<メイド>に就いている侍女の悲鳴が聞こえたことと、以来「へたくそ」と呼ばれる様になったことだけが記憶に残されただけである。ミヅキの美貌とともに――。
やがて伯爵は自身が収める<ホリックワーカー>の、とある組織――<暗殺者>ギルドへ赴く。それと同時に『<美人局>被害者の会』にも所属する。
貴族としての汚点。その原因となった者を許すわけにはいかなかったのだ。
そこで彼は、ミヅキに払ったとされる金貨を同数分支払うことで抹殺を願った。それを受け入れる<暗殺者>ギルド。
これで大丈夫。そう思った伯爵は満足げな顔で、館へと引き返した。
その後日、『<美人局>被害者の会』にてミヅキの抹殺を宣言する。
それから、伯爵は『<美人局>被害者の会』で懇意にした好青年たちと娼館巡りへと出かける。これは彼が全額持つという旅だ。
伯爵は憂さ晴らしがしたかったのだ。
家で感じる侮蔑の視線。心ない暴言。仕舞いには己の財産運用にまで口を出してくる妻! いくら偽物を掴まされたとしても、それは自分の責任だ。何故、他者に委ねなければならない。主人の財産を運用する家宰でもないのに……!
そこで定期的に開かれるという慰安旅行に目を付けた。多少時期は早いものの、伯爵が金を全額払うという太っ腹を見せつけ、見事実現に漕ぎ着けた。
その旅から帰ってきた頃には、あの憎き! ミヅキの暗殺報告が来るだろう。そう思っていた。
しかし出かける前に報告書が届く。届いたのは失敗報告。ざっと見た感じ、戦力を見直すので期間を延長してくれという嘆願であった。
伯爵は憮然としながらもそれを受け入れ、「旅から帰ったときは期待しているぞ」と残し、同士と共に慰安旅行へと旅立つのだった。
娼館巡りは楽しかった。様々な容姿やスタイルの女性に、日々溜まっていたストレスと性欲を吐き出した! あのミヅキに何処か面影を残す少女を蹂躙する! 若い娘を手込めに掛けた! ありとあらゆる快楽の限りを尽くし、伯爵は若返ったような気分を味わっていた。
帰途についた伯爵を待っていたのは武装した王家親衛隊。有無を言わせず彼を捕縛していく!
彼は叫んだ。「私が何をした!」「これは陰謀だ!」「国が私を裏切るのか!」――と。
それから数日間、伯爵は牢の中で過ごすことになる。
そんなある日、一人の男が彼の元にやってくる。名をエルバ・M・フリューベル。王の懐刀とされる人物だった。
「突然の事に驚きを感じていることでしょう」
淡々とエルバは告げる。
丁寧な物言いではあるが目には何も込められておらず、無価値な物を見るかのようだった。
(まさかっ!? こいつが! 私の領土を奪うつもりで!?)
やはり陰謀だったかと、伯爵の胸の内は熱く、激しく燃え上がる。
歯を軋めエルバを睨み付ける。
「貴様っ! 何の恨みでこんなことをっ!」
激高する伯爵に、冷静なエルバ。その対照的な二人は互いに視線を交わし合った。
――と、そこでエルバが急に哀れみの表情に変わる。
「恨み……ですか。そんなものはありません。――あなたは手段を間違えてしまったのですよ、ベイクヤード伯爵」
「手段? 何をいっているんだ!」
その時伯爵の頭の中であることが浮かびあがる。
(まさか……。妻たちが謀反を起こしたのか!?)
いきなり夫の財産に口を出そうとした妻。あまりに怪しすぎる存在だった。これまでも似たような無駄遣いはあったにも拘わらず、何故あのときに限って……。
しかしエルバから告げられた言葉は予想外の物だった。
「あなたは――王族を暗殺しようとしてしまいました」
「――っ!?」
それは謀反を企むのとは訳が違う。起こしてしまったのと同等の大逆罪。それを自分がやったとエルバは告げた。
「馬鹿なっ! 私にそんな覚えは!」
そこであの<美人局>の女性を思い出す。
「まさか……ミヅキという女が王族、だ……と? ありえない。ありえないぞ! あの様な美貌を誇る女性が王族にいるならば知らない訳がない!」
王族の美貌を蝶よ、花よと褒め称えるのがこのレイヤノルド王国の風潮。それなのにあれほどの人物を後宮が隠し通すなど有り得ない。少なくとも伯爵の地位にいる自分が知らないなど有ってはならないことだった。
しかし、伯爵の言葉にエルバは何かを確信したように神妙に頷いた。
「……。やはりそうでしたか。――残念です。これであなたの罪が確定してしまいました」
「な――っ! 本当にそうだというのかっ!」
罠に嵌められた思いだった。もしやこれを狙っていたのか! 王家はこのマクシミリアン家を狙っていたのか――と。
「いいえ。ミヅキという少女が王族ということではありません。……しかし、彼女の仲間に王族――しかも<勇者>たるカリスさまがいたのですよ」
「…………ば、か、な……。そんな馬鹿な事が……」
凄腕に撃退されたことは知っていた。まさかそれが<勇者>だとは――。
「最初は偶々で、情状酌量の余地はあったのですがね。しかしあなたはギルドの者に許可したそうではないですか。『護衛諸共やってもよろしいか?』という返事に対し」
言葉もなかった。
確かに覚えはあった。けれど目的を果たすための些細な問題だと解釈していた。我々男から不当に奪い取った金で護衛を雇ったと思ってしまった。まさかそれが彼の王女さまだったなんて……。
(しかし何故――。何故王女さまがミヅキと一緒に……)
気持ちが伝わったのか、エルバは憐れな伯爵に対し更なる事実を告げる。
「あの少女は始祖さまなのですよ。それも生まれたてで<遊び人>にもなったことのない。それをカリスさまが保護したのです。まあ、あの美貌ですから<美人局>になってしまったのも、偶然というか必然というか……」
伯爵は、それを聞いて心がへし折られてしまった。
誰が思うだろう、<美人局>が始祖などと。しかも生まれたてで初めて就いた職業がそれだ、などと。
「ふ、ふふふふ、ふはははははっ。つまり――これは、あれだな? 私は神に嫌われたという状況だな!」
「あり大抵に言えばそうなります。まことにこの度は残念でした」
ここに来て漸く伯爵にも、エルバの憐憫の感情が分かってしまった。罪無く罪になるこれは笑うしか出来る事はない。
(いや、強いて言うなら報復を考えたことだろうか。最高神<ワーカー>が定めた摂理に逆らおうとしたことに)
ミヅキに払った金などそう大した額ではなかった。少なくともそれで家が傾くなどということはない。名誉に拘って<暗殺者>を差し向けた事が罪だったのかもしれない。
そこへ更なる追い打ちが掛かる。
「あなたは彼女が男の敵になると某結社で語ったそうですが、あなたが<暗殺者>を差し向けたとき、彼女は既に<遊び人>になっていたそうですよ」
(やはり私情を義憤と偽って起こした行動が罪だったのか……)
伯爵はゆっくりと息を吐き、そして――、
「それで。私の死罪はともかくとして、家族は? 家はどうなるのかね?」
罪を認め、最低限に収めるべく行動を起こす。
「意図してのことではないので、王家がマクシミリアン家を潰すことはありません。ただ、あなたの直系に存続させるわけにはいきませんので、従兄弟殿の家を宗家とすることになるでしょう」
どうやら先祖に顔向けできなくなるという状況にはならないようだ。不幸中の幸いか。
「それで、あなたの家族ですが――。貴族位の剥奪と家名の没収。つまり平民に処するとのことです。あなたは残念ながら死罪ですが」
「そうか」
伯爵はその一言を期に、以後喋ることなく己の罪を受け入れる。
妻への愛はないが、可愛い子供たちのことは別だった。
少し苦労を掛けるかもしれないが、生きていてくれるだけで伯爵には十分だった。
そして後日、彼は人知れず服毒する。
享年43歳。ハルク・M・マクシミリアン・ベイクヤード――否、ハルク。それが彼の最期の逸話であった。
転生七二日目
ミヅキ「ふっ、悪は滅びる!」
ライラ「悪って、あなたね……。でもこれで安心ね、後味悪いけど」
カリス「私が出汁に使われた形だけど、まあ、しょうがないかな。遊ぶ事にかまけて報告書をしっかりと読まなかったのが問題だしね」
ハルク(幽霊)「おっぱい! おっぱい! おっぱい!」
ミヅキ「ヒィィィィっ! なんかいるぅぅぅ!」
ライラ「ミヅキ。あなた、精霊で慣れて大丈夫になったんじゃないの?」
ミヅキ「いや、普通の幽霊と違ってエロい幽霊は流石にちょっと……」
ライラ「それもそうね」




