天寿を全うしても幸せじゃないよ②
その生物には名前が無かった。あったのは種族名。スライムと呼ばれる不定形生物だった。
そのスライムは特に自我と呼べるほどのはっきりとした自我もなく、ただ漠然とお腹が空けば近くにあるモノを捕食し、体内で分解し己の活力として過ごしていた。
しかしスライムと呼ばれる生物はそれほど強い生物という訳ではない。食べても美味しくないし栄養素もないため、食物連鎖のピラミッドには入っていなかったが、それでも放置していると分裂・増殖を繰り返すため、人間と呼ばれる世界の支配種に害とみなされており、見つかるなり処分するのがこの世の習わしだ。
そんなスライムの一匹であったそのスライムは、他のスライムと比べ精力的には動くことはなかった。
本来スライムの本能とはいくら食べても満たされぬ故に無差別に延々と食べ続けるという。だからお腹が空いているスライムというのは希有な存在であった。
けれど長い目でみればそのスライムの活動は効率的と言えた。
スライムは急激に捕食をすると栄養を消化しきれずに分裂するという体内機構を持つ。一つでダメなら二つだ! それでもダメならば四つだ! という精神を体現した存在なのだ。
しかしそのスライムのような生活を送ると、捕食・吸収を繰り返すと分裂などせずに己の体積を増すことになる。結果……ヒュージースライムへと至る。
ヒュージースライムとなったそのスライムは、やはり本来ならばヒュージースライムならではの本能からも逸脱していた。
ヒュージースライムの本能、それは食べ物の好みが出来てしまうのだ。
優秀なモノほど食べ物に困らなくなり、美味しい食べ物だけを好むのはあらゆる種族の共通項である。それはスライムという種族であっても変わらない。つまり、ただのスライムとは人間でいう孤児のように食べられるモノならば何でも食べるという状態に過ぎないのだ。
だがしかし、そのヒュージースライムは不味いと思っても何でも食べ続けた。……要するにグータラなのだろう。不味いと思う以上に動くのが――食べる作業が面倒だったのだ。引き籠もりだったとも言って良い。
身体に止まる虫すらもお腹が空いてなければ面倒だとばかり捕食しないスライムなど到底あり得ない存在なのだ。それが居たのだからお笑いだ。
通常のヒュージースライムは美食を心がけるため、精力的に動き回る。つまるところ、自ら処分してくれとアピールしているのも同然なのだ。まさに自殺行為を働いているといってもいいだろう。
そんな中で植物と同様、動かないヒュージースライムは雨や泥で汚れ、周囲と一体化している。そこに無防備にやってくる虫、冒険者、魔獣を落とし穴に嵌めるが如く、体内に沈ませて食していた。
脆弱なスライム種といえど、捕食し体内に生物を取り込んでしまえばその限りではない。
スライム種は外からは脆いが内側からでは頑丈なのだ。ただ完全に包み込む前に潰してしまえば処分出来てしまうので弱いとされていた。だからこそスライムは体積が増すごとに凶悪とされる。
やがてそのヒュージースライムは進化してキングスライムと至る。
キングスライムとはその名の通りスライムの王様であり、スライム族の頂点とも呼べる存在だ。
その王様が引き籠もりで下手物食いというのは使えるモノとしては恥じ入る所だろう。が、そのキングスライムとなったスライムは今まで分裂・増殖を一度もしていないため、自らに仕えるスライムは一匹もおらず、またスライムにその感情があるのかも疑問かもしれない。
さて、そんな怠け者のキングスライムだが……。
キングスライムとなった以上ヒュージースライム時代の様に、動かないことで自然と一体化する、という手段を執ることは出来ない。何せ……スライムの身体に宝石が生まれ、ピカピカと輝き、周囲にその存在感を主張してしまうのだ。
超希少種とされるキングスライムから採れる宝石は国宝……とまではならずとも、その希少さと輝き故に大貴族の家宝に匹敵する価値は十分にあった。
隠れられない、そして狙われる。そんな状況に追い詰められたら引き籠もりなどしていられなくなるだろう。
それでもなお、そのキングスライムはその場所を動くようなことはしなかった。
強欲な人間に狙われるようになったキングスライム。来る日も来る日も欲に捕らわれた亡者どもに襲われ続けた。
しかし、キングスライムにまで成長すれば生態系においても弱者とは言い難い存在である。
ならばこそ、実力不足な冒険者や貴族の兵隊を諸共しない強さを持ち得ている。倒した敵を捕食そして吸収し、傷ついた身体を癒やしながらそれらの打倒を続けていた。
運がよかった、といえば運がよかったのかもしれない。
そのキングスライムがいる土地にはあまり強いとされる人間はおらず、その数少ない強い人物ですら栄誉の為にキングスライムなどを相手にするようなことはなかった。そんな人物たちはこぞってドラゴンを倒し、ドラゴンの秘宝を手にすることを目指していた。
だがしかし、弱いと言っても数が揃えばその限りではない。
やがてその土地の領主は軍を立ち上げ、そのキングスライムを倒そうとする。
打ち込まれる矢には火をともされ、放たれる魔法は炎を浴びた物。領主は自身が統治する土地を焼き払ってでもキングスライムから採れる宝石を欲してしまった。
傷つきながらも身体に刺さった矢を捕食し、なんとか生を繋ぐキングスライム。息も絶え絶えになって、痛いし辛いもう死んじゃおうかな。なんて考えていたその時だった。
突如、地表は照らす光を遮られて影に覆われた。「ド、ドラゴンだ!」そう叫ぶ声が辺りに響き渡る。
人間が見たドラゴンは地表に舞い降り、キングスライムを足でつまみ上げて再び大空へと飛び上がっていく。
欲に目が眩んでいた領主も、流石に軍にドラゴンと戦えと命じる程愚かではなかった。そんなことをしては軍として徴発していた領民が減ってしまうだけではなく、勢力が激減してしまう。そうなってしまえば、他の領主に領土を占領されてしまう事くらいは弁えていた。
一方、ドラゴンに攫われたキングスライムだが――。
キングスライムはドラゴンの光り物を好み集める習性からただの宝石と勘違いされ、ドラゴンの巣へと住処を移していた。捕らわれてなお動かなかったので、それがキングスライムだとは気付かなかったのであろう。
また、キングスライムに取ってその巣は快適な生活空間にあった。
自らを脅かす外的はおらず、居てもドラゴンが食べてしまう。食事にしても、巨大な体躯を誇るドラゴンが捻り出した糞を食せば身体を維持することは出来るのだから。
そんな生活がどれほど続いただろうか。
やがてドラゴンの糞を好んで食したことから、キングスライムは突然変異を起こす。ドラゴンのみが宿すとされる竜炎属性を帯びるようになっていた。
身体に宿す宝石は紅の色を宿す様になり、更に豪奢にそして綺麗に輝く様になる。持ち主たるドラゴンも何処か満足げな様子で、暇なときはキングスライムを見つめ続ける日々だった。
しかしそれにより、ドラゴンも糞を汚いものと考えているのか、キングスライムを唯一の食料であるソレから遠ざけてしまう。
餓死寸前となったキングスライムはとうとう手段を選ばなくなる。同じ様に飾られていたドラゴンの秘宝を食したのだ。
そこには魔法の道具があった。魔法の武器があった。魔法が込められた宝石があった。
キングスライムも本能でそれが上位者の大切な物と思っていたからこそ、いらないと考えられる糞のみを食べていた。けれど餓えのあまり、その本能を上回る飢餓感。いけないと思いつつもそれをつい食べてしまった。
次第に減っていくドラゴンの財宝。それと共により美しく、そして妖しさを増していくキングスライム。
魔法の器物を食べたことで竜炎属性だけではなく、食べた魔法の属性をも浴びて虹色に輝くそれは、もはやこの世の物とは思えない輝きを放つようになる。
うっとりとそれを眺めるドラゴンであったが、食料も残りわずか……といったところで漸く異変に気付く。
ドラゴンは残り少なくなった自らの財宝を見回していく。そしてキングスライムに視線をやったその時だ。
定期的に訪れる『ドラゴン殺し』を志す冒険者……否、勇者がやって来たのだ。
侵入者を撃退すべくドラゴンは、異変を感じつつもきびすを返して勇者の元に踊り掛かる。
戦いは激戦であった。
勇者もさることながら、やはりドラゴンというべきか。強靱な肉体と鋭い牙や爪は容赦なく侵入者に猛威を振るっていた。
しかしながら勇者は一人ではない。仲間の助けを元に遂にはドラゴンを打倒する。
勇者たちの勝因は、ここがドラゴンの巣故に飛べないことと、財宝を守るためにドラゴンが全力を出せなかったからだろう。
仲間の内の幾人かは死に絶え、勇者自体も何とか生き残ったという様子からそれは窺える。
もし、キングスライムが重い腰をあげ全力で撃退しようとすれば、この場にいる勇者一党は全滅していただろう。しかし怠け者のキングスライムは座して動くことはしなかった。
休憩し、回復した勇者たちはドラゴンの素材をはぎ取った後、ドラゴンの財宝を回収していく。その中にキングスライムが混じっていたのはピクリとも動かなかったことと、見たことも聞いたこともない変異種となっていたからであろう。
ドラゴンの財宝を持ち帰った勇者たちはその秘宝とも考えられるキングスライムを、大陸の覇者たる王にそれを献上した。
後の世にこう記されている。
それは見る者を魅了する虹色の宝石にしてあらゆる属性を秘めた魔晶石。念じるだけで様々な魔法を発揮し、国に矛を向けた愚か者を打ち砕く国宝にして守り神。これは我々に与えられた、神が作りし秘宝に違いない――と。
その国宝とは――あまりの美しさ故に、保持の魔法が掛けられた布に包まれたあげく、食事を取る事が出来なくなったキングスライムの化石であった……。
――それがボクの第3の人生だった。
観月「Zzz……Zzz……」