借り物の記憶
「経年劣化、ですね」
「……は?」
モニターを凝視する医者の言葉を疑った。
私は人間のはずだ。
最近、顔のシミやシワが気になる、至って普通の人間のはずでしょう?
老化と言われるのが自然のはず。
「先生、伊藤さんは――」
そばにいた看護師も慌てている。
やりとりを見て、私の心がざわついた。
これまで受けてきた健診でも、このような扱いは初めてだ。
しかし、目の前の医者は言い換えない。
「すみませんね、伊藤さん。宮下先生の言い間違えで……。そうそう、ネットの言葉なんですよー」
長田と書かれた名札の看護師が取り繕うように言う。
――ドクハラだ。病院のご意見書に書かねばならない。
「最近、疲れやすくはありませんか?」
宮下医師は看護師の言葉を無視して、私に尋ねる。
ハラスメントをしている人間というのは、幾度となく見てきた。
彼らは自覚なくやっており、性や立場などで無意識に区別する。無自覚にやる人ほど、一番たちが悪い。
ここは、我慢だ。
「ええ、倦怠感はありますが、それも〝老化〟のせいですよね」
言い間違いを訂正するように、さり気なくワードに組み込む。
それに嘘は言っていない。最近、疲れがとれないのも、眠りづらく朝早く目覚めてしまうのも年齢のはずだ。
「ふむ。血液検査の結果も、CTの結果をみても進行は穏やかですね」
私は病気だったのか? なにが、とは聞く前に、彼は続ける。
「適切に対処すれば、当面の業務に支障は出ません」
業務。
その言葉に、なぜか胸の奥がざわついた。
私は膝に置いた手を見る。いつもと変わらない。
ちゃんと動くし、感覚もある。
――大丈夫だ。
私は人間だし、まだ働けている。
そうでしょう?
病院のご意見書には、先のやり取りと不満を簡潔に書いた。
せっかく時間を作って仕事から抜け出したというのに、このような対応をされるのは不服だ。
老眼で見えにくくなった視界をリセットするため、担当医の科目の表示を見る。
『宮下医師 総合内科・機械工学科』
……なるほど。
昔はアンドロイドは左手の甲にLEDがあったそうだ。LEDは感情によって色が変化していたが、人間の雑な扱いに彼らは声を上げた。
そして、人間と変わらない権利をと制度を変え、LEDの義務の撤廃や、基本的人権を人間側が与えたという話だ。
「宮下先生って、アンドロイドも診るのね。だからあんな言い方が染み付いているのかしら」
それとこれは別なので、意見書は投函させてもらったが。
さぁ、急いで職場に戻って仕事をしなければ。
最近の若い子は物覚えも悪いし、手も遅いから伝票処理が溜まっているでしょうね。
以前、私がいないと仕事が回らないと言われたことがある。
「早く戻らないと、あの子たちが悲鳴をあげそうね」
病院でタクシーを手配して、私は会社に向かった。
「あっ、伊藤さぁん!」
後輩の鈴木ちゃんが私に抱きついた。
「あれから伝票がたくさん来て、大変なんです。帰ったばかりで申し訳ないけど、伊藤さんの〝鬼のタイピング〟でなんとかしてくれないですか?」
上目遣いで訴える彼女に「甘え上手め」と内心でつぶやき、頭を撫でる。
「あー、やっぱり。嫌な予感って当たるものね。オーケー、ずっちゃんの頼みだもんね。お局の意地、見せてやろうじゃない!」
腕をまくり、伝票の束をみっつ引き受け、パソコンの前に座る。
ひと呼吸おき、老眼鏡をかけ、カッと目を見開きキーボードを鳴らす。
それはまるで、ピアノの演奏会のようだった。
「伊藤さんのご帰還だ! みんなもがんばろう!」
「昼までの処理は伊藤さんに任せよう」
優先順位の高いものを瞬時に見分け、どんどん捌いていく。
この時ばかりはロボットのようだ。
「すげぇ、タイピングの鬼かよ……」
言ってなさい、後輩くん。
私は二十五年はここで働いているのよ。
ふと、指が止まる。
……ダメだ、最近集中力が足りない気がする。
コンビニで買ったコーヒーに手をつけ、目元を押さえた。
「大丈夫ですか? この束はわたしがやっておくので、無理しないでください」
「ずっちゃん……」
なんていい後輩を持ったのだろう。
入ったばかりはミスばかりでダメダメだったけど、今では立派な経理の子になった。
じーんとしていると、机に置きっぱなしだった健診結果の紙が目に入る。
『健康管理システムより伊藤様へ。判定Dのため、病院による検査が必要です。耐用年数管理課担当:寝屋川』
「はぁー……」
「伊藤さん?」
検査結果のあの対応は最悪だった。思い出して少し、落ち込んでしまう。
「……気にしないで。ずっちゃん、いつもありがとね」
つとめて笑顔で応対する。
このずっと続く倦怠感も、老眼も年をとればみんな出るじゃない。
思い出しては、思考が医者の言葉を否定する。
(一週間後にまた行かなきゃなのよね。はぁ、気が重いわ……)
宮下先生は苦手だ。
あの仏頂面にまた顔を突き合わせなきゃならないなんて、今から憂うつだわ。
それでも私の指は止まらない。
思考と仕事を並行させていき、時たま手を止める。
慣れた手つきで次の伝票の束を処理していき、処理済みの伝票の山ができていった。
チャイムが鳴り、ミッションコンプリート。
急ぎの仕事はすべて終わらせ、私は背伸びをする。
パキポキと関節が鳴り、肩と背中が楽になった。
「さすがです。やっぱり頼りになりますね!」
「ふふ、褒めてもなにも出ないわよ。……チョコレートしかね」
鈴木ちゃんに個包装のチョコをあげる。
彼女はすぐに口に入れ、喜んでいた。
「へへっ、ありがとーです」
今日の食堂のメニューはなにかしら。
肉はもたれるから、魚がいいな。
仕事のおかげで、病院での出来事を少し忘れられたかも。
一週間後。
私は宮下先生の顔を見る羽目になっていた。
「意見書なんて意味ないものなのかしら」
待合室で受付番号が呼ばれ、診察室に入る。
「SIA一三三七五……」
「?」
「先生!」
「ああ、伊藤さんですね」
なんだ、今の。
あまり聞き覚えのない番号は診察の番号だろうか。
「あの、さっきのは――」
「体液分析値を見てください。ここの項目。粘度が通常より高く、摩擦率も三十パーセント程度高いです」
仏頂面は私の言葉をさえぎり、更に続けた。
「これから個別面談室へ案内しますので、待合室でお待ち下さい」
「え? あのっ」
「伊藤さん、看護師の方から今後の方針についてご説明させていただきますので、待合室へどうぞ」
看護師の長田さんも私を急かす。
そんなに混んでいたっけ? いや、人はまばらのはずだけど。
言う間に私は診察室から追い出されてしまった。
「先生、思想を持ち込まないでください!」
出ていく前に聞こえた看護師の言葉がひっかかった。
待合室には人は多くなく、私は椅子に座れた。
しかし、さっきの番号は? 体液分析? およそ、人間の検査ではない。
……これは、覚悟するしかないだろう。
心臓の音が耳元で聞こえる。
私は、私は――。
子どもの頃、私は泣き虫だった。
転んでは泣き、母を困らせていた。
でも、母は優しかった。
キャラクターものの絆創膏を貼って、痛いの痛いの飛んでいけとおまじないを唱えて元気づけてくれた。
その度に涙をこらえ、母に抱きつき、頭を撫でてもらっていた。
「伊藤さん、面談室二番へお入りください」
呼ばれたとおり二番の面談室に入ると、知らない医者と看護師が椅子に腰かけていた。
「中川と申します。本日はよろしくお願いします」
「看護師の有村です」
「……よろしくお願いします」
挨拶はほどほどに、私も着席する。
心臓は相変わらず、うるさい。
緊張するな、でも止まってくれるな。
悟られないようにしなければ。
「さっそくですが伊藤さん、私たちは適用法第十六条に基づき、説明義務があります」
「はい……」
私の不安が伝わったのか、看護師が口を挟む。
「大丈夫です。権利は保証されていますから」
こめかみのあたりに心臓が移ってしまったのか。
鼓動に合わせて、頭痛がしてきた。
「あなたは社会実装型アンドロイド、SIA一三三七五という型番です」
宮下先生の言った、あの番号だった。
ズキン、眉間に痛みが走り、呼吸が荒くなる。
有村さんが席を立ち、私のそばに駆け寄る。
背中をさすられ、優しい声色でなだめてくれる。
「大丈夫です。落ち着くまで待ちますので、ゆっくり息を吸ってください」
言われたとおり、ゆっくり吸い、吐いて呼吸を整える。
頭は相変わらず痛いけど、鼓動は少し落ち着いてきた。
「……すみません。取り乱してしまって」
私は医師と看護師に謝罪をする。
「いいんですよ。ご自分のペースで受け入れてくれている証です」
中川医師は仏頂面とは違い、温和な人物だった。
春の日差しのような声で、私に安心を与えてくれる。
私は優しかった母の顔と声を思い出し、じわりと涙が滲んだ。
「私は、ロボットだったんですね」
「その言い方は……適切ではありませんが、端的に言えばそうですね」
頭の中で言葉が文字として浮かんで、駆け回っていった。
「あの、私には幼少期の記憶があるんです。本当に間違いではありませんか?」
どうか、肯定してくれと願った。
だが、先生は無情にも否定する。
「それは……実在した人間の記録データを入れているからですね」
私の母は、いなかったのか。
いたけど、私のじゃない。誰かの母だったんだ。
「なぜ、そのようなことを……」
「適用法でアンドロイドに社会参加させる時点で、あなたを個体として登録しなければなりませんから」
誰かの生きた証を私は背負っていたんだ。
中川医師は続ける。
「伊藤さんが会社にお勤めになった時期が、あなたの本当の記憶です」
二十五年。私は五十手間、定年間近だ。
「人間の定年は六十五です」
ああ、非常勤ではなく、あれは定年前だから働けていたんだ。
「これは各部品の耐用年数というのもありますが、脳に搭載したコンピューターの保証年数でもあります」
耐用年数、なんて冷たい響きなの。
私はおでこを押さえて、下を向く。
「アンドロイドは人間の一部と言っても過言ではないです。伊藤さんは、人間として生きてきたはずです」
「ええ、二十五年間、働いてきてたくさんの後輩も育ててきました」
「はい。それは紛れもない事実であり、伊藤さんの功績です」
私は、生きてきたんだ。
中川医師の目をじっと見つめ、私は問うた。
「えっと、では私はこれから修理、になるのですか?」
「いいえ。尊厳維持か、段階的停止のどちらかを選んでいただくことになります」
なんて遠回しな言い方なんだろう。
つまり、自殺か老衰かを選べるのだという。
これも〝権利〟なのだとか、笑えてこない?
「暴走防止のため、記憶は段階的に薄れます。老化といっても差し支えありません」
看護師が補足する。
「段階的停止の場合、定年後にこちらに入院してもらい、停止を待ってもらいます。尊厳維持の場合は、緊急入院後、停止の運びになります」
頭が真っ白になる。
「この決断は今でなくても大丈夫です。こちらのパンフレットを読んで、後日病院にお越しください」
私は会社に戻る気になれなかった。
電話をして早退の旨を伝え、病院近くの公園に立ち寄った。
ベンチに座り、親子連れを眺める。
私は恋愛なんて二の次に、会社に骨を埋めてきた。
もし、私が恋愛をして結婚してたら? ――いや、違うのだろう。
過去に言い寄ってきた男性にもときめかず、長く続かなかったんだ。
「ロボットは、死ぬ権利があるんだって」
足元に寄ってきたハトに声をかける。
ククル、ククルと灰色のハトが応えてくれた。
「人間には死ぬ日なんて、選べないのにね」
首を傾げ、ハトは私から離れていった。
「くくく……ハハハッ。私、ロボットだったよ!」
この気持ちを、誰に共有したらいい?
パンフレットには、自分がアンドロイドだとネットやリアルで公表するのは犯罪だと書いている。
権利なんて、誰が決めたの?
テレビでは先代のロボットたちの反乱のおかげとか言っていたけど、こんな〝権利〟なんて私にはいらなかったわ。
――分かっている。
私は人に迷惑なんてかけたくない。
私を覚えてくれて、たまに思い出してくれる人間がいれば、それでいい。
もう頭では決まっていた。
私はその足で病院に戻り、〝段階的停止〟を選んだ。
定年まで、あと一年。
「伊藤さん、今までお疲れ様でした」
鈴木ちゃんが私にピンクのガーベラの花束をくれた。
感謝だなんて、私の退職祝いにぴったりの、ずっちゃんらしい花言葉だ。
私の仕事の大半を彼女は引き受けてくれて、こちらこそ感謝しかない。
少し初心に戻って、厳しめに教えたけど、ずっちゃんは泣き言も吐かずに付いてきてくれた。
今は涙で化粧もほとんど落ちちゃっているけど。
私は彼女を抱き寄せ、母がしてくれたように頭を撫でる。
本当は別の人間の記憶だって分かっているけど、私にとってはかけがえのない〝思い出〟だからだ。
「ずっちゃん、こちらこそありがとね。これからはアンタが怖いお局になりなさいよ!」
「任せてください! 伊藤さん仕込みの〝鬼タイピング〟で後輩たちを黙らせますよ」
ありがとう。
私はその足で病院に向かった。
「……これから、よろしくお願いします」
中川医師と有村さんにお辞儀をし、入院の手続きに進む。
指が、震えた。
文字が波打っている。
私はもうすぐ、〝段階的停止〟されるのだ。
書類には私の型番が記載されていた。
『SIA一三三七五』
病室に添えられたピンクのガーベラが、私の余生を彩っている。




