モブの俺が悪役令嬢にプロポーズしたら、乙女ゲームのシナリオが崩壊したのだが ~死の大地と呼ばれた領地を本気で復興してみる~
「リリアーヌ!! 本日この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
王立アカデミー卒業パーティー――
王族と貴族の子息が一堂に会する華やかな社交の場に、怒号にも似た声が響き渡る。
声の主はこの国の皇太子、レオニウス殿下。
燦然と輝く金髪に澄んだ蒼眼、神が彫刻したとしか思えぬ端正な顔立ち。
その隣に寄り添うのは、愛らしいストロベリーブロンドの少女。涙を滲ませたその瞳は、どこか怯えているようにも見える。
「理由をお聞かせいただけるかしら?」
冷静に問い返したのは、婚約破棄を言い渡された当の本人――
公爵令嬢リリアーヌ・グランチェスターだ。
艶やかな銀髪は優美に結い上げられ、紫水晶のような瞳が真っすぐにふたりを見据えていた。身に纏う濃紺のドレスは女性らしい曲線を際立たせ、彼女の気品と知性を更に引き立てている。
突如突きつけられた宣告にも、リリアーヌは一糸乱れぬ態度でその場に立っていた。
「お前は聖女マーガレットに度重なる嫌がらせを行った!その非道なる振る舞い、もはや看過できぬ!
リリアーヌ・グランチェスター、お前に王妃の座はふさわしくない。よって、婚約を破棄する!」
「ふぇぇん、怖かったですぅ。殿下ぁ」
殿下は高らかに宣告した。
腕に縋るマーガレットを抱き寄せ、満足げに頷くと、そのまま言葉を継いだ。
「なお、お前の悪行に対する裁きは近日中に言い渡される予定だ。覚悟しておくのだな」
――既視感。
なぜだろう。初めて見るはずの光景なのに、妙に馴染みがある。
この場面、この展開。俺は、確かに――知っている。
「っ……!」
脳裏で、雷鳴が弾けた。目の前が白く光る。
思い出した。俺は……前世の記憶を取り戻してしまった。
これ――前に幼なじみに無理やりやらされた乙女ゲームじゃねえか!!!!
そうだ。前世の俺には、ちょっとアレな幼なじみがいた。
隣りの家に住む、幼稚園の頃から付き合いのあったプライバシー皆無なクソの幼なじみ。勝手知ったる顔で無断で俺の部屋を漁り、ついには隠していた"特級呪物"――つまり秘蔵のエロ本を見つけやがった。
外面だけは完璧な猫かぶり幼なじみに弱みを握られ、逆らえず、乙女ゲームの攻略を手伝わされる毎日。
面倒な周回はすべて俺の仕事。レベル上げからスチル回収まで、何十周もしたおかげで、ストーリーは骨の髄まで叩き込まれていた。
どのルートでも、悪役令嬢は悲劇的な最期を迎える。婚約破棄、断罪、国外追放……お決まりのテンプレ。
――だが、俺は知っている。
リリアーヌ・グランチェスターは、“悪役令嬢”なんかじゃない。
彼女は、ただ誤解されているだけだ。
実際の彼女は、優しく、真面目で、気高くて、そして――誰より努力を惜しまぬ女性だった。
それでいて、高位貴族の出でありながらも驕らず、俺のような格下の男爵家の者にも対等に接してくれた。
困っている令嬢を見かければ、ためらいもなく手を差し伸べる。その姿を、俺は幾度となく目にしてきた。
普段は凛としていて、近寄りがたい印象を持たれがちだ。けれど、ふとした瞬間にこぼれる微笑みは、見る者の心をそっと温める。
リリアーヌ・グランチェスターは、そういう女性なのだ。
それなのに、誰かが流した悪意ある噂によって、彼女は次第に孤立し……ついには、断罪の場へと追い立てられた。
それを知りながら、俺は何もできなかった。
彼女が追い詰められていることまでは、分かっていたのに――格下の男爵家の出である自分が声を上げれば、かえって彼女を貶めるだけだ。そんな言い訳をして、目を背けていたのだ。
だが、もう違う。
俺は、知ってしまった。
この先に待ち受ける、リリアーヌの運命を。
――そして今度こそ、見過ごすつもりはない。
「ちょ、ちょっと待ったァァァ!!!!」
気づけば、身体が動いていた。俺は声を張り上げ、駆け出していた。
腰を沈め、前傾姿勢のまま床を滑る。人波を縫い、皇太子とリリアーヌの間にスライディングで割って入る。
そしてそのまま、彼女の前で膝をついた。
「婚約破棄されたのなら、俺と――俺と結婚してくださいませんか、リリアーヌ嬢!!」
スライディング土下座ならぬ、まさかのスライディングプロポーズである。
会場は、凍りついた。
響くのは、誰かの呑み込んだ息と、俺の心臓の鼓動だけだった。
静寂を破ったのは――女主人公・マーガレットの笑い声だった。
「ぷっ……あっはっはっは! なにこれ、モブキャラが喋ったと思ったら、バグ発生!? え、なにこれ、イベント? 本気?」
それにつられるように、皇太子も肩を震わせながら笑い出す。
「くくっ……、はっはっは!これはなんの冗談だ?あーお前は確か……何処ぞの貧乏男爵の子息だったな」
「あ、はい……」
余計な一言付け足しやがって……! 貧乏なのは否定しないが、今言わなくてもよくないか!?
取り巻きの一人が、冷たく状況を解説する。
「彼はアラン・ドイル。ドイル家の領地は、あの荒れ地ばかりの……開拓失敗地域ですね」
「借金まみれで、家名も風前のともしび……と聞くな」
皇太子は嘲笑しながら言う。
「ふん……いいだろう。ならばこうしよう。リリアーヌ、お前の罰を今、決めてやる。
この冴えない男と共に、没落と苦難の人生を歩むがいい。
貧しさに喘ぎ、己の罪を悔いるといい!」
冷たい宣告に、場の空気は更に凍りつく。俺に向けられる、冷たい眼差し。
だが俺に――悔いはない。
ここで何もせず、彼女を断罪されるままに見送るよりは、ずっと――いい。
***
そんなわけで、俺はリリアーヌと結婚することになった。
数日後、公爵家にしては信じられないほど控えめな結納金を伴って、彼女は俺の屋敷へと輿入れしてきた。
その日、屋敷の門で彼女を出迎えた俺は、顔を見るなり思わず叫んでいた。
「すみませんでしたァ!!!!」
「……何故、謝るのですか?」
突然の土下座に、リリアーヌは明らかに面食らっていた。
だが俺は、苦し紛れに搾り出すように理由を口にした。
「俺が……俺が勝手に動いたせいで……」
声が震える。
思っていたよりも、自分はずっと彼女に負い目を感じていたのだと気づいた。
「あなたは、俺みたいな冴えない男と、結婚する羽目になってしまった」
悲しいかな、転生したからといって俺の顔面偏差値が奇跡のように跳ね上がることはなかった。
ここは華やかな乙女ゲームの世界。煌びやかな王子様や、隙のないイケメン攻略キャラたちが並ぶ中で、俺の地味顔はどうやっても、その他大勢の枠から抜け出せない。
しかも、俺の領地は長く荒れ果てていた。贅沢な生活など夢のまた夢。
そんな場所に、公爵令嬢が嫁いでくる。常識的に考えれば、あり得ない話だった。
彼女には、苦労をさせる未来しか見えなかった。
だから、申し訳なくてたまらなかった。
リリアーヌは戸惑いながらも、しかし真っ直ぐに俺を見つめた。
深いアメジスト色の瞳は、気高く、そして揺るぎない強さを宿していた。
「……アラン様は、悪役令嬢の私と結婚したことを後悔していますか?」
意外な問いだった。
彼女の声は、いつもの毅然とした調子とは少し違っていて――ほんの僅かに震えていた。
俺は、咄嗟に首をぶんぶんと振った。
「まさか! そもそも、あなたは悪役令嬢なんかじゃない!」
その瞬間、彼女の鋭い眼差しがふっと和らぎ、優しい微笑みがこぼれた。
「……私のことを、信じてくれるのですね」
その笑顔があまりにまっすぐで、俺はいたたまれなくなった。
「……あなたは、あの場で私を救ってくださいました」
「っ……」
「婚約破棄された私に、誰よりも早く手を差し伸べてくれた。あなたがいなければ、私はきっと、あのまま孤独の中で黙って恥をかかされていたでしょう」
「リリアーヌ嬢……」
「私の方こそ、あなたに礼を言うべき立場なのですよ。ですから、顔を上げてください」
彼女は優雅にスカートをつまみ上げ、膝を折って俺の目線まで降りてきた。
そして、そっと俺の手に触れる。
「それに、あのとき名乗り出てくださらなければ、私はきっと……辺境の修道院に送られていたでしょう」
実際にそうなっていただろう。
俺が婚姻を申し出なければ、彼女はゲームの筋書き通り修道院へ送られ、そして――その道中で野盗に襲われ、命を落していた。
原作シナリオから一切外れないのなら、彼女の結末は、そう定められていた。
俺は、それだけはどうしても避けたくて、選択肢をねじ曲げるようにして、無理矢理プロポーズしたのだ。
「公爵家を追われ、持参金もなく、家の後ろ盾もない私です。きっと、がっかりされたでしょう?」
そう言って、彼女はふっと視線を落とす。
その仕草は自嘲めいていて、胸を締めつけられる。
「婚約破棄された、不束な私ですが……これから、どうぞよろしくお願いいたします。アラン様」
そう告げながら、リリアーヌはゆっくりと顔を上げた。
真っ直ぐに俺を見つめるその眼差しに、自然と背筋が伸びる。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
……今度こそ俺は、どんなことがあろうと、あんたを見捨てたりしない。
もう二度と、悪役令嬢なんて言わせない――!
それが俺の、ささやかだけれど確かな誓いだった。
命を懸けてでも、この人を幸せにしてみせる。
「ふふっ。何故だか、この結婚がたとえ罰……だったとしても――私は、あなたとなら乗り越えられる気がします」
彼女の微笑みは、まるで夜明けのようだった。
深い闇を抜けた先に、確かな希望がある。
そんな予感がした。
***
結婚と同時に、俺は父から爵位を継いだ。
その時、俺の前に広がっていたのは、見るも無残な領地の光景だった。
代々の無策と放漫な財政がもたらしたのは、破綻寸前の経済、手入れのされない農地、そして諦めきった眼差しをした人々。
かつて皇太子とその取り巻きが「王国一の負債領」とあざけったのも、今ならよくわかる。……正直なところ、無関係な第三者なら、その中に交じって笑っていたかもしれない。
だが、今の俺は違う。
俺には、前世の記憶があった――地球でサラリーマンとして生きた、あの不完全で、不器用だったもうひとつの人生が。
根拠は曖昧、確信もない。ただ、ぼんやりと覚えている知識のかけらが、俺の中に小さな希望を灯していた。
「火山帯……温泉……地熱資源……そうか、あの手があったか!」
きっかけは、地図を眺めていたときだった。
人々が忌み嫌い、価値のない荒地とされてきた火山地帯――。
だが、俺の前世の知識が、その土地に秘められた可能性を思い出させた。その地下には、眠るように高温の地熱と温泉が潜んでいる可能性があった。火山灰土壌は栄養豊富で、特定の農作物にとっては理想の環境だったという知識も、頭の隅に引っかかっていた。
「まずは温泉を探してみようと思うんです」
「おんせん……ですか? 自然に出来た、風呂。確か、東の島の文化で、そういうものがあると聞いたことがあります」
「だから、火山に登ろうと思ってます。火山の地下深くでは、マグマの熱で水が温められていて、その熱水が地表に湧き出すことがあるんです」
「私も、火山に登りたいです!」
リリアーヌは力強く、そう言った。
最初は冗談かと思った。山道を行くのは危険だし、何より彼女は元・公爵令嬢。登山靴すら履いたことがないはずだ。だが、その瞳は真剣だった。
「私も、領主の妻なんです。この領地を復興するのに……ただ待っているだけなんて嫌なんです。私にも、できることがあるなら、一緒に行かせてください」
その言葉は、思いのほか強く胸を打った。守るべき存在だと思っていた彼女が、自ら歩み出そうとしている。俺は、その申し出を受け入れた。
数日後、俺たちは麓の村から火山地帯へと向かっていた。
途中の山道は急で、ところどころ足場も悪かった。リリアーヌは何度も足を滑らせ、そのたびに俺が手を伸ばして支えた。
「ご、ごめんなさい……ご迷惑をお掛けして……」
「気にしないでください。俺は君の夫なんだ。支えあうのは、当然でしょう?」
息を整えながら笑う。
彼女は一瞬驚いたように俺を見上げ、僅かに頬を染める。それから小さくうなずいた。
頂きに近い岩場で小休止を取りながら、俺たちは地図を広げ、地盤を確認し、手に取った土を指で転がしては、その質感や匂いを確かめた。
地層に沿ったひび割れ、岩の色の変化、地熱の気配――
やがて、割れ目の隙間から、白い湯気が立ち昇っている場所を見つけた。
「……これが、温泉……?」
「かもしれない。地下の水が、地熱で温められてるんだ。間違いなく、熱源は近い」
最初は戸惑いを見せた彼女だったが、すぐに目を細めて言った。
「アラン様。温泉を掘るには多額の予算と、それに見合う収支計画が必要です。……事業を始める前に、土台を整えましょう」
その晩、彼女が俺に見せたのは、幾枚もの財務表と労働計画書だった。彼女の指先は、帳簿の数字を迷いなくなぞり、可能な資金運用のシミュレーションを示していた。その緻密さ、論理性、そして何より、俺の荒唐無稽ともいえる計画に対して本気で向き合ってくれていることが、胸に迫った。
そして、計画を立てただけで終わるつもりはなかった。
俺は領地中を回った。朽ちた村を歩き、疲れ切った農民に話を聞き、井戸端に座り込みながら未来を語った。彼らの目が変わる瞬間が、少しずつだが、確かにあった。
「領主様が自分の足でここまで来てくださるなんて……」
「ほんとうに、火山地に価値があるんですか?」
「ある。絶対に、ある。――俺は信じている。だから、一緒に観光地として盛り立てて、特産品を作っていこう!」
そう何度も、俺は言い続けた。正直なところ、心の中では不安で仕方なかったが、それでも前を向いた。
震える声でしか希望を語れないなら、せめてその背中だけは堂々としていたかった。
リリアーヌもまた、自ら動いた。
商人の家を訪ね、技術者に頭を下げ、役人と対話を重ねた。かつて王妃候補として教育を受けた彼女は、あらゆる知識を駆使し、外交交渉のような繊細さと厳しさで、信頼と協力を取り付けていった。
ある日、作業用の服で、泥だらけで帰ってきた彼女を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「……まさか、リリアーヌがこんな姿になる日が来るとはな」
「こんな姿ですか? あら、領主の妻にふさわしい働きぶりを見せているつもりですが?」
泥をつけたまま、にやりと笑うその顔は、かつての公爵令嬢の姿から程遠かった。だが、気品も、誇りも、何一つ失ってはいなかった。
ある夕暮れ、彼女が帳簿に目を通しながらぽつりとこぼした言葉が、今も耳に残っている。
「私は、王妃になるよう育てられました。全ての知識と作法は、王の隣に立つ器となるために……。なので、婚約破棄された時は、これまでの努力は無意味だったのかと——絶望しました」
「リリアーヌ……」
「でも、今こうしてあなたの隣で、知識が役に立っているのなら……それだけで、もう十分だと思うの」
王妃の座は消え、実家からも切り捨てられた彼女。しかし、彼女の本質——知性も誠実さも、高潔な志も、何ひとつ損なわれてなどいなかった。
いや、それどころか今のリリアーヌは、より自由に、より力強く、その器の中身を解き放っていた。
「今までの努力は、決して無駄じゃなかった。貴方の隣に立つために、必要なことだったのね」
彼女の知略が、俺の構想を支え、
彼女の人脈が、俺の理想を現実に変えてくれた。
俺たちの小さな領地。
湯煙が立ち上る渓谷の風景は、かつて“死の谷”と呼ばれ、人々に恐れられていた。
だが今では、その同じ景色が人々を癒やす光景へと変わりつつあった。
「アラン様、今月の来訪者数は先月の倍以上です。予約は二ヶ月先まで埋まってます!」
そう報告するリリアーヌの声には、もはや驚きすら含まれていなかった。
それが日常となるほどに、この地は変貌を遂げたのだ。
「これから、どんどん忙しくなりますね」
「やったな、嬉しい悲鳴だな。……領地がここまで復興したのは、ぜーんぶリリアーヌのおかげだよ!」
「いいえ。私は土台を整えただけです。あの発想も、あの情熱も――すべてアラン様のものでした」
「違う。お前が信じてくれたから、俺はここまで来られた。……一人きりで信じ続けるのは、案外きついんだ」
「それなら、二人の力ということにしましょう。貴方が私を信じてくださったから……私も、ここまで来られたのです」
地熱を利用した湯治場は、最初こそ懐疑的な声に包まれたが、効果が現れるのは早かった。
慢性的な腰痛に悩んでいた隣国の老将軍が、湯治のために一月滞在し、帰還後に「想像以上の効能だ」と広めたのが始まりだった。
やがて、その噂は遠方の貴族の間にも届き、彼らは我先にと湯の癒やしを求めてやって来た。
そして、その噂が本物であると人々が確信した時、領地の未来は変わった。
温泉街には高級宿が立ち並び、薬草風呂や香料を使った芳香湯、さらには医師による診察と連動した湯治療法までもが確立された。
これは、リリアーヌの提案によるものであり、王立薬学院と連携して、科学的な裏付けと信用を与えることで、さらなる信頼と注目を集めた。
「もはや、ただの温泉ではありませんわ。ここは癒やしの聖域と呼んでも過言ではありません!」
リリアーヌはそう誇らしげに語った。事実、それは誇張ではなかった。
王国の北部で広まっていた冷え性の病に、ここの温泉が劇的な改善をもたらすと証明されると、療養を兼ねた長期滞在者が増え、宿場町は人で賑わうようになった。
そして、ついに――。
「今朝、帝国より使節団が参りました。帝王陛下が自ら、湯治場への御訪問を希望されております」
その報告に、執務室が一瞬静まり返った。
続いて届いた書状には、「この地の温泉が帝国貴族の健康維持に役立つことを期待している」と書かれていた。名指しでの推薦者は、あの老将軍だった。
さらに、大陸教会の高官までもが、信徒の心と体の癒やしを求めて訪れ始めた。
湯治に使われる温泉を「神より授かりし恩寵の水」として認める布告が出された時、俺は椅子の背にもたれ、静かに天井を見上げた。
「まさか、ここまで来るとはな……」
温泉街は、もはや地方の小領地にあるただの保養地ではなかった。
「ここが、世界の客人を迎える地になるなんてな」
おれが感慨深く呟いた言葉に、リリアーヌは頷いた。
湯治場は一大観光業となり、領地に富をもたらし、国庫にも潤沢な納税を行うまでに成長していた。
温泉郷の利権を求めて、他国の商人たちも押し寄せる。さらに、この土地で育った栄養豊富な野菜は評判を呼び、各地の食卓や料理人たちを魅了した。
やがて温泉と食が人々の感性を刺激し――文化人や画家、詩人たちがこの地を訪れ、その魅力を作品として残すようにまでなっていた。
「かつて死の大地と呼ばれた場所が、今では“命の大地”だ」
今やこの領地は、国家にとってなくてはならない場所だ。
「王国一の負債領」などと、誰も口にしない。
ようやく、ここまで来た。誰もが「無理だ」と言った夢を、現実に変えてみせた。
***
……まあ、それはそれとして。
俺たちを陥れ、リリアーヌの人生を踏みにじった連中には、きっちりと“お返し”をさせてもらった。
まず手をつけたのは、リリアーヌにかけられた無実の罪を晴らすことだった。
かつて彼女は、皇太子の婚約者でありながら、数々の嫌がらせや不正に関与したと告発され、王都中の笑いものにされた。
だが、断罪の後に丹念に調べていくうちに判明した。あの一連の騒動は、すべて“ヒロイン”のマーガレットによって仕組まれた、周到で悪質な謀略だったのだ。
俺は領地運営で築いた人脈を頼り、王都で静かに動き出した。
当時の使用人、舞踏会の給仕、虚偽の証言をした生徒たち――一人一人を訪ね、話を聞き、記録を集め、捏造された証言の矛盾を丹念に洗い出していった。とにかく地道で骨の折れる作業だったが、俺には目的があった。
リリアーヌの名誉を回復させること。
さらに、彼女に手をかけようとした者たちに、償いをさせること。
そして、すべての歯車は噛み合い始めた。
マーガレットが受けてきたという嫌がらせは、自作自演。リリアーヌが彼女を階段から突き落としたという証言も偽りだった。さらに、証拠を突き詰める中で、驚愕すべき事実が明らかとなった。
なんとマーガレットは、俺たちの穏やかな暮らしさえ気に食わず、ならず者を使ってリリアーヌを暗殺しようとしていたのだ。
ゲームの中では、リリアーヌはエンディング後に追放され、修道院送りとなる。
そしてその道中、事故で命を落とす。今思えば、その事故も……マーガレットが仕組んだものだったのかもしれない。
その真実を知ったとき、俺の中で何かが切れた。
「クズに情けはいらねえ」
言葉にせずとも、心にそう刻んだ俺は、迷いなく告発へと踏み切った。証言、文書、状況証拠、全てがマーガレットの悪行を明確に示していた。
もし俺がただの貧乏領主のままだったら、真実など握り潰されていたことだろう。しかし、今の俺は、ただの田舎領主ではない。復興と発展を遂げた火山地帯の温泉地――今や王国を代表する観光地として名を馳せるその領地の、現当主だった。
火山の恵みにより生まれた高栄養の特産作物。
療養にも最適な湯治場として名を上げた温泉地。
国庫に利益をもたらす観光業と、定期的に訪れる外国の王侯貴族や大教会の高官たちとの交流――。
つまり俺の領地は、もはや王国の「顔」のひとつになっていた。
そんな俺の発言は、もはや軽んじられるものではなかった。
国政に影響を及ぼす実力と影響力を持つ者の言葉として、王都の誰もが耳を傾けざるを得なかった。
結果は、決定的だった。
皇太子は「無実の令嬢に罪を着せ、王家の信頼と威信を失墜させた」として、ついに廃嫡された。
マーガレットは、貴族籍を剥奪されたうえで、北方の僻地にある修道院へ送られた。
それは事実上の追放。もう、彼女が社交の場に戻ることは二度とない。
そして、そこでさらなる真実を知ることになる。
――マーガレット・フローラル。
この世界の“ヒロイン”として登場したはずの少女。
その正体は、俺と同じく、別の異世界――現代日本から来た“転生者”だったのだ。
「こんなエンド、ゲームになかった……!!」
優しい皇太子。攻略対象たちの甘い言葉。令嬢たちの羨望。
そのうえで、悪役令嬢を断罪しての華麗な勝利。
それが彼女の望んだ“ハッピーエンド”だった。
けれど、現実は違った。
悪役令嬢は消えず、むしろ潔白を証明し、領地を支える英雄として称えられた。
自分の味方だったはずの男たちは離れていき、仕組んだ策略の数々は、白日の下にさらされ、自身は罪人として独房の中にいる。
「どうして……私が……私こそ、この物語の主人公なのに……!」
誰にも届かぬ呟きが、冷たい石壁に虚しく響く。かつての愛らしい笑顔はもうない。憎悪と恐怖と屈辱だけが、その目に宿っていた。
異世界転生者として手にした知識も、この世界では何の役にも立たなかった。
むしろそれは――浅はかな知恵と過信によって、自らを破滅へと導く刃となった。
「リリアーヌなんか、悪役のくせに……!」
マーガレットは、そのまま歴史の片隅に消えていった。誰の記憶にも残らぬ、ただの愚かで哀れな悪女として。
***
かつて王妃として称えられるはずだった才女と、名もなき貧乏領主にすぎなかった俺。
あの日、婚約破棄をきっかけに――人生を築き直す機会を手に入れた。
この国の誰もが、夢にも見なかった未来。
俺たちはそれを、互いに支え合いながら現実に変えてきた。
試行錯誤の果てにたどり着いたこの日々は、何にも代えがたい、かけがえのない幸福そのものだ。
だからこそ、今なら素直迷わず言える。
あのとき、彼女を手放した皇太子に――
心から、ありがとう。
お前が捨てた彼女の幸せは、今、俺の隣で静かに微笑んでいるよ。
「……これからも、ずっと俺の隣にいてくれ」
夕暮れに染まる温泉街の高台で、俺は彼女の手をそっと握りしめる。
リリアーヌはわずかに目を見張り、そして静かに微笑んだ。
「もちろんです、アラン様。……私は、貴方となら、どこへでも歩いてゆけます」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥に懐かしい温もりが蘇った。
――そうだ、俺が心を奪われたのは、この笑顔だった。
まだ学園にいた頃、遠く手の届かない存在だった彼女が、ふとした拍子にこぼした、たった一度の微笑み。普段は凛と澄まし、誰にも隙を見せないその横顔からは到底想像もできなかった、やわらかな表情。それはまるで、春の陽を受けてそっと綻ぶ蕾のように、儚くて、優しくて、あまりに美しくて――
……その一瞬で、抗う暇もなく、恋に落ちた。
ずっと憧れていたその微笑みが、今、俺の隣で静かに咲いている。
もう二度と、この手を離さない。
何があっても――この笑顔を守り抜こう。そう心に誓った。
面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録をしていただけると嬉しいです!
余談ですが……
もともとは長編のつもりで書いてたのですが、途中で行き詰まってしまい……。もったいないので、ダイジェスト版にしてみました。本当はハーレムもので、魔法もばんばん使って魔物も登場させる予定でした。長編って書くの本当に大変ですね。男性主人公って難しい!
また、もしご興味がございましたら、同じ悪役令嬢ものの短編『あくまで悪役令嬢だもの』と、
完結した『婚約者に冷たくされた令嬢、妹の身代わりに嫁いだら辺境伯に溺愛されました』
もあわせてお楽しみいただけると嬉しいです。
下記リンク先よりお読みいただけますので、よろしければぜひ。




