信用できない告白につき
サンリーク王国ーー
かつて貴族は15歳でデビュタントを迎え、18歳くらいまでには結婚をする。それが通常であった。しかし、少しずつ考え方が変わり始め、今ではほとんどの者が20歳を超えてから結婚をするようになった。それに伴いデビューを迎える年齢も18歳と引き上げられている。
男女関係についてもかなり変容した。以前は婚約者、ひいてはいずれ結婚する予定の者とだけ交際が許されていた。女性で一番重要視されるのは『貞淑であること』。それ故に、特に女性には自由恋愛の権利などなかったのだ。
それに対して声を上げたのが、三代前の王女であった。
「政略結婚が存在するのは仕方がないわ。だけど、なぜ恋愛することも許されないの?どうせ結婚相手を決められるなら、それまでは自由に恋愛させてもらうわ」
酒の勢いもあったのだろう、ある夜会でそう宣言したらしい。そして大勢の目の前で、王女が想いを寄せる方の手を取ったのだという。
当時、王女には国王の決めた婚約者がいた。サンリーク王国の公爵家嫡男であった。国力維持と派閥の力の偏りを防ぐために決められた相手らしかった。しかし、王女には想いを寄せる方が別にいた。それは隣国の第三王子であった。そして、王女と婚約者の相性はすこぶる悪く、国王をはじめとする周りもヤキモキしていたのだという。
そんな中での自由恋愛宣言。そしてそこに居合わせた第三王子の手を取ると、第三王子のことが好きだと大胆にも告白をした。そして、第三王子もかねてより王女を好ましく思っていた。なんと、夜会の場でビッグカップルが誕生してしまったのだ。
普段の王女は国のために尽くす、美しくて聡明な女性であった。外交を卒なくこなし、他国の外交官や重鎮ともパイプがあったのだ。その夜会は周辺国の王子や重鎮たちが一様に招待される、大きな夜会であった。通常ならば到底受け入れられないであろう宣言も、『王女が言うのなら』とすんなり受け入れられてしまったのだという。
いくら公爵家といえど、招待客は公爵家よりも身分の高いものばかり。一気に祝福ムードになり、国王も各国の支持の手前それを覆すことができなかった。結局、王家は公爵家に多額の違約金を渡し、王女の自由恋愛を認めたのだった。
そして自由恋愛が貴族に浸透するのもまた早かった。皆心の中では不満に思っていたのだ。王家が自由恋愛を認めたこのタイミングを逃すものかと、皆が一斉に動き出したのだ。
その結果、今では自由恋愛、恋愛結婚が基本。政略結婚ももちろんあるが、基本的には双方の相性や意向も重要視されている。そして恋愛を楽しむ期間が生じたために平均婚姻年齢も上がっていったのだった。
***
「リリアちゃんおかえり。今日も可愛いね!俺の彼女にしたいよ」
リリアが帰宅すると、リビングには兄のオースティン、オースティンの友人のセスがいた。セスの『可愛い』『付き合いたい』『彼女にしたい』は口癖のようなものだ。
「リリア、おかえり。お邪魔していたよ」
死角になって見えていなかったが、ひょっこりと顔を出したのはサンリーク王国の第一王子ジョエルだ。なぜ王子が、と思うがここではよくある光景である。
うちはウォルター侯爵家。兄のオースティンと二人きょうだいだ。セスはレイコット公爵家の次男。オースティン、セス、ジョエル王子は同い年で、幼い頃から共に過ごして育ったりオースティンとセスは、いわゆる側近候補だ。学生時代からよくこうして三人集まっている。
三人とも21歳になるのだが、全員婚約者は決まっていない。19歳の私も婚約者はまだいない。
「リリアちゃん、無視しないでよ〜。今日も可愛いよ」
セスが追い『可愛い』の言葉をかけてくる。私は作り笑顔でいつものように流すだけ。
「それはありがとうございます」
「本当に思ってるんだけどなぁ。ずっと言ってるでしょ」
「ずっと言っているわりには、別の女性とお付き合いされている時期もありましたね。セスさんの『好き』や『可愛い』はただの挨拶にしか聞こえませんよ」
セスは物心ついた頃から会うたびにこうした言葉をかけてくる。言われすぎて信用できない。というか、本気ではないのだ。
セスは公爵家という爵位もあり、女性からモテた。より取り見取りのセスに、以前聞いてみたことがあるのだ。『いつも可愛いと言ってくれるけど、それは好きということなの?』と。そうして返ってきた言葉が『俺、好きとかよくわからない』だ。それ以来セスの言葉は右から左に受け流している。
そんな私達を見てジョエル王子はクスクス笑う。
「相変わらずだね。リリアもセスも。リリアはお付き合いしている方はいるのかい?」
「いいえ、おりません。何度か食事した方はおりますが……なんとなくしっくり来なくて」
「そうか。セスはいいと思うんだけどなぁ。身分も派閥も問題ないし、楽しく付き合えると思うんだけど」
これも何度か交わしているやり取りだ。ジョエル王子はやたらとセスを推してくるのだ。
「実際、リリアとしてはセスはありなのかい?」
これは初めて受ける質問だ。
ありかなしかといえば、ありだ。セスはジョエル王子のように『容姿端麗』という言葉が合うルックスではないが、全体的には整っている。なんとなく犬を彷彿とさせる顔つきは好みではあるし、言葉は軽いが一緒に過ごす時間は心地よい。
「ありですね」
「ありなの!!??」
被せ気味に声を張るセス。お兄様も若干の驚き顔だ。ジョエル王子だけはニコニコしている。
「男性としては魅力的だと思いますよ。ただ、言葉への信用がないだけで」
それが致命的なのだが。
「リリアちゃん、俺達正式に付き合おう!絶対大事にするよ!」
「嫌です」
「何で!?」
「それがわからないうちは無理です。ないです。」
『えぇ、どうして?』とセスの嘆く声が聞こえたが無視だ。ジョエル王子に挨拶をして自室に戻ったのだった。
***
別日。お母様とお兄様とティータイムを楽しんでいた。
「リリア、明日の夜の予定はあるか?」
「明日は予定があります」
「デートか?」
「………デートではありませんが、男性はいます。友人カップルと四人で。以前から声をかけていただいていたんですが、一度くらい会ってみようかなと思って」
「まぁ、リリアも良い方と出会えるといいわね!」
父と母は恋愛結婚だったらしい。今でも仲睦まじく、いずれ年の離れた妹が弟でもできるのではないかと思うほどだ。
私は恋人を探しているわけではないが、出会いは大切にしたいと思っている。だからよっぽど気が乗らない場合以外は、声をかけられたらお茶や食事くらいは行っている。まぁ、そこから発展はしないのだが。
***
翌日の男女二対二の食事はそこそこに盛り上がった。友人カップルは仲良く過ごしていたし、もう一人の男性も話しやすい方だった。ワインの他にシードルの品揃えも良い店だったので、美味しくて思わず飲み過ぎてしまった。なんとなくふわふわした気持ちだ。
友人カップルは彼女を家まで送るとのことで早々に解散した。男性と二人残されたが、二軒目に行きたい気持ちもない。帰ろう。
「リリアさん、よければデザートでも食べて行かない?夜でもやっている店は結構あるし」
誘われるとデザートなら食べたい気もしてくる。うーんと少し悩んでいると後ろから名を呼ばれた。
「リリアちゃん!今帰り?オースティンに用事があってウォルター侯爵家に行くところなんだ。一緒に帰ろうか?」
セスだった。セスはこんなに軽く見えても公爵家の人間だ。身分の上の男性が現れて驚いたのだろうか、デザートを打診してきた男性はいつの間にか消えていた。
「セスさん。ふふ、どうしてここに?今デザート食べに行こうって……」
「………リリアちゃん、酔ってる?」
「少し。シードルが美味しくて」
なんとなく目の前にあるセスの腕を取る。「家に帰るんですよね?」と声をかけるがセスは足を動かさないで立っている。
「セスさん?」
「…………リリアちゃん。今まで中途半端な言葉しか言わなくてごめんね」
「………??」
セスさんに手を引かれ、近くの公園のベンチに座る。昼は賑わっている公園も、今はセスさんと二人しかいない。セスさんは「リリアちゃん」と言って私の顔を見た。
「リリアちゃんのことを可愛いと思う気持ちや付き合いたいと思っている気持ちは本当だよ」
「そうですか」
「……伝わってないよね。俺は、リリアちゃんを女の子として大切に思ってるんだよ」
「はい。セスさんは女性にお優しいです」
「いや、言い方が悪いか……リリアちゃんだけっていうことだよ」
「そうですか」
お酒も入っているからだろう、だから何?いつもと同じことを言っているだけでしょうと思う。いつもの挨拶だ。
セスさんを見上げると眉間に皺を寄せて難しそうな表示をわたしに向けている。
「リリアちゃん」
「はい」
「ちゃんと聞いてね」
「はい」
「俺は、リリアちゃんのことが好きだよ。好きだから可愛いと思うし、付き合いたいと思う。交際期間なしに結婚したいくらいリリアちゃんが好きなんだよ」
ぼんやりとしていた頭が夜風に当てられてクリアになってくる。今、セスさんに告白された。いつものやつじゃないちゃんとしたやつだ。だけど……
「前に『好きとかよくわからない』と言われました」
「それは、その………リリアちゃんが皆の前で俺に聞くから!言いにくかったんだ……。そういう言葉は他の人に聞かせるものじゃないし、二人の時に伝える特別な言葉にしたかった。ごめんね。だけど本当にリリアちゃんのことが好きなんだ」
困ったような、こちらに縋るような顔。尻尾があればダダ下がりだろうなという表情だ。
今まで受け取ったことのなかった『好き』の言葉。何年もずっと『可愛い』『付き合いたい』と言ってくれていたけれど、唯一言われたことのなかった言葉。深く考えたこともなかったが、言われてわかった。セスさんからの『好き』はこんなにも嬉しい。自分でビックリするほど嬉しくてたまらないのだ。
「セスさん………」
「リリアちゃんは?俺のことどう思っているのか、嫌じゃなければ教えてほしい」
優しい目。子犬がおねだりして見つめてくる時のような愛らしさと少し不安気な表情。私の顔を優しく覗き込む。
あぁ、セスさんが好きだなぁと思う。今までなぜそう思わなかったのかが不思議なくらいだ。いや、確信を持てる言葉がないから、知らずのうちに自己防衛をかけていたのかもしれない。
「………私も、セスさんのことが好きみたいです」
セスさんが目を見開く。
「もしかしたらずっと好きだったのかもしれません。でも、セスさん大事なことを言ってくれなかったから……」
気がついたら私はセスさんの胸の中にいた。私はすっぽりと覆われた形だ。意識したことはなかったけれど、こんなにも大きな体をしていたんだなぁと冷静に思う。ギュッと抱きしめられて苦しいくらいだ。セスさんの体温と服越しに伝わる少し早い鼓動が心地良い。
「リリアちゃん、好きだよ。ずっと好きだった。もう誰にも渡したくない。他の男とも会ってほしくない。これからは俺だけを見ていてくれないかな?」
「はい。………ふふ、嬉しいです」
抱きしめていた体が離される。流れるように顎を持ち上げられ、唇に唇が触れた。顎に触れていた手は耳まで撫でてから首を伝い肩へ、そして背中へと触れる。触れるか触れないかのタッチがくすぐったい。
手が背中に伸びるにつれて触れるだけだったキスが深くなっていく。
「………んっ……セスさんっ………」
唇は解放されたが首や耳に次々とキスを落とされる。その度に吐息が漏れ、何も考えられなくなる。セスさんの腕にしがみつくしかできない。
どれだけそうしていただろうか、やっと体から唇が離れるとギュッと強く抱きしめられる。耳にキスを落とし、耳元で「俺の家に行こうか」と囁く。男性経験のないリリアだが、言われたことの意味はわかる。絶対に無理強いはされないだろうが、気がついてしまったこの気持ちと熱くなった身体で拒否はできなかった。ギュッと抱きしめ返して応える。
一人で使っているというタウンハウスには何人もの使用人がいた。なんだか恥ずかしくて俯いてしまう。タウンハウスの執事らしき男性に「オースティンにリリアは明日送ると伝えて」と言うと、そのままベッドルームへ連れて行かれる。
貪るようなキスと優しい手つき。身体中が熱くなり薄れていく意識の中で好きな人と触れ合える幸せを感じていた。
***
「セス、良い時間を過ごしたようだな」
「笑ってるけど笑ってない!オースティン怖いよ!ごめん!」
翌日昼近くになって帰ってきた私達を待っていたのはお兄様となぜかジョエル王子。お兄様はなんとも言えない表情で、ジョエル王子はいつも通りのニコニコ。
私はなんだか恥ずかしくて少し離れてお兄様とセスを見つめることしかできない。
「やっとセスの想いが通じたんだね」
「ジョエル王子………皆さん知っていたんですね」
「私達だけじゃなくて、セスに近しい人なら皆知っていたよ。まぁ、きちんと気持ちを言葉にしなかったセスが悪いね。ちゃんと言葉にすればこんなにスムーズにくっついたのに」
「本当だ」
「お兄様」
「回り道しすぎたな。そして急にステップアップしすぎだ。自由恋愛とはいえ貞操は大事だぞ」
「半端な気持ちで手を出したわけじゃないよ。責任は取るよ、お義兄様」
「やめろ!セスには義兄と呼ばれなくない!」
「オースティン、そう言ったってセスとリリアが結婚したら君はお義兄様だよ」
「リリアの幸せのためとはいえ嫌だ」
三人の姿を見つめ、一生この光景を見ていそうだなぁとリリアは思った。
実際、後にジョエル王子は王太子となり、側近として召し上げられたオースティンとセスがずっとそばにいた。そしてお忍びでウォルター侯爵家を訪れた際には、そこにリリアもいるのだった。