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第参刷 或る敗北

 目の前が歪み、上も下もわからなくなるほどに世界が歪んだ。


 少しするとその歪みが落ち着き、それと同時に目の前にまるで言葉そのものが泥となり、人の怨嗟や後悔が混ざり合ったような醜悪な塊。それが、目の前で蠢いていた。


「なんだこいつは?」


 思わず声が漏れる。


 現実であるはずなのに脳はこれは現実ではないと訴えかけてくる。


 僕が困惑している中、芥川が突然話し始めた。


「これはね、邪言じゃごん。まあ呪縛霊の一種みたいなものさ」

「一つ問う。これは現実か?それとも…」

「これは現実。ただし、選ばれし者にしか触れることのできない、最も純粋で、最も歪な現実──言葉が世界を動かす『物語の層(リードオブワールド)

 ほら言ったでしょ?過去の文豪たちはこの世界で生きてきた。はいこれあげるよ。これが君のリテラリストとしての初めての戦いだよ」


 芥川が一冊の本を投げてきた。


 中を開けば白紙のページ400枚程度で作られた厚めの本。


 その本のちょうど半分程度のところに挟まれていたのは一本の黒曜石で作られた鈍く光る羽ペン。


「これはなんの真似だ?」

「さっきも言ったでしょ?君にはリテラリストになる資格がある。さあ、君の言葉を見せてよ。君が言葉をどうこの世界に響かせるのか。それとも、君はただ見ているだけかい?」

「……書けばいいのか?」

「書かないとやられちゃうよ?」


 こんな面倒ごとに巻き込まれてしまうだなんて…


 僕は仕方なく筆を取り物語を書こうとした。だが、僕が脳内で言葉を生み出したその瞬間筆がまるで僕の思考を見透かしているかのように、達筆な筆跡で脳内に浮かび上がる物語を執筆し始めた。



或る敗北 著:太宰 雫

 言葉には力があるなどと、昔は本気で信じていた。

 今思えば、笑える。そのような純粋さが今の私のどこに残っていると言うのか。

 けれども、あの日──目の前にそれは現れた。

 『邪言』と呼ばれる、言葉の澱。毒のような化け物であった。

 逃げ出したくて仕方なかった。それでも、なぜか手が勝手に動き、私は原稿用紙にある一行をかいた。

「君のような醜き存在にも、私は優しく在りたいと思うのだ」

 たったその一行。それだけで、目の前の醜き化け物は崩れ、消え去った。

 静かに。哀れに。まるで己の愚かさに気づいた人間のように。

 言葉は人を殺すが、救いはしない。

 それでも私は書き続けるしかないのだ。

 書かなければ何も残らない。

 あゝ私の敗北だ。

 彼には醜さがあった。

 だが私には何もない。──



 僕が物語を書き終わると勝手に本が次のページへと進み、一文。


「君のような醜き存在にも、私は優しく在りたいと思うのだ」


 ただそれだけを書き、目の前にいる邪言に見せつけるかのように僕の手から離れ中に浮いた。


 そして、それをみた邪言は何かを感じ取ったかのように僕の眼前で涙を流しながら崩れ落ちた。


 そのまま灰となり、風に乗って消え去った。


「き、君は一体何を書いたんだ?あんな幸せそうな顔をしながら消える邪言を私は初めてみたよ…」


 後ろに控えていた芥川が邪言の灰が全て飛び去った瞬間僕に話しかけてきた。


「僕はいつものように物語を考えただけだ。それをこのペンと本が勝手に書き出して、勝手にあの化け物に見せた。そしたら勝手に化け物が消え去った。それだけだ」


 僕はただ冷静に事実を芥川に伝えた。


「君の才能は私たちが思っていたよりもすごそうだね…」

「たち?」

「そうか、君はまだ知らないのか。まあいい。この話はまた今度しよう」


 体感時間10分程度。だがしかし現実で流れた時間はわずか5秒と言ったところか。芥川に渡されたペンと本にどんな能力があるのかわからないが、ひとまず目の前の化け物を倒せたことを喜ぶべきだろうか。


「それより、『著 太宰 雫』と記されているけどこれは君のペンネームかい?」

「そうだ。曽祖父の姓を借り、雫という自分だけの名前をつけた。初めて小説を書いた時から使っている大切な名前だ」

「そうか。雫が一体何を表しているのかわからないけれど、文豪の血を継いでいる自覚は昔からあったんだね」

「……」


 雫──それは僕の人生を表した1文字。


 涙であり。

 藍色のインクであり。

 朽ちた人間の象徴。


 外界に触れず、本とともに育ち人に触れることを拒絶した。そんな朽ち果てた人間にぴったりの1文字。


 藍色のインクだけだ『あの部屋』には残っていて、それはまるで人の涙のような美しさだった。


 曽祖父の書斎。


 薬の散らかっている作業机。床に散乱しているのは試行錯誤の末に記憶から消された原稿用紙。


 棚には何冊もの円本があり、その本は本棚を埋め尽くし、床に重ねられていた。


 そこで僕はただ1人。曽祖父の影を追うかのように本を読み漁った。


 一人ぼっちで。その孤独が心地よかった。


 だが、中学に入る前。曽祖父の家から引っ越すことになった。理由はまだ知らない。


 中学に入ってからは曽祖父の部屋という居場所を失った悲しみをキーボードに叩きつけた。


 そんな生活が今のいままで続いていた。


 だが、今日描いた物語が世界を変えた。──


 ──これは、何かの始まりなのかもしれない。

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