第八話:三大原則
志帆さんとの恋人ごっこを始めるに当たり、破ってはならない三大原則が設けられた。
ひとつ、"ごっこ"の体を弁えること。
ふたつ、志帆さんから私を"名前"で呼ばないこと。
みっつ、"唇"にキスをしないこと。
志帆さん曰く、過去に"不幸にしてしまった"女性たちの共通点が、前述の通りだったらしい。
ディープだろうがフレンチだろうが"キス"は避け、
いついかなる場面に於いても私を"音々"と正しくは呼ばず、
所詮は"仮初めの関係"であることを心に留めて接する限りは、
取り返しのつかない事態は招かずに済むだろう。
というわけだ。
なんだかややこしいが、要は私が元気でいればいいだけの話。
少しずつ距離を詰めていって、尚も悪い変化が起きなければ、取り越し苦労だったと分かってもらえるはず。
志帆さんを馬鹿げたジンクスから解き放つため。
私自身の恋を成就させるために。
たった三つの原則くらい、守ってみせる。
受け流すこと風のごとし、胸に誓うこと山のごとし。
欲しがりません勝つまでは、だ。
『───志帆さん!今よろしいですか!』
『いいよ。どうしたの?』
『特にどうもしないですが、サシでは初めてだなと思って!』
『そうだね。
グループチャットだと、個別に会話って感じにはならないもんね。』
『二人だけの世界って感じで良いですね!!
やりとり全部スクショしたろかな!!!』
『ところで、えらい返信早くない?前から思ってたけど。』
『張り付いてるんで!
たまに遅くなる時あったら、宅配来たか、うんこしてるかですね!』
『みなまで言わんでよい。』
『質問!次のオフはいつですか!』
『来週の定休日は予定ないかな。なにか用事?』
『デートしましょう!恋人として!』
『(仮)が抜けてるよ。』
『恋人(仮)として!(不本意)』
互いの日常は、これまでと変わらない。
フロムニキータを志帆さんが切り盛りし、私が通う。
お店でする会話の内容も、前とだいたい同じ。
変わったのは、志帆さんとの連絡手段が個別になったこと。
折を見て、プライベートも共有するようになったことだ。
「───お待たせ。いい天気だね。」
「ラ、ライダースーツ志帆さん……!SSRや!」
「なんて?」
「バイクもめっちゃカッケェす!
なんか見たことあっけど、どこのだったかな……。」
「ホンダ。」
「ホンダ!やっぱり!」
「音ちゃんのは?」
「ヤマハで~す。」
「ヤマハか。ヤマハもいいよね。私も昔持ってた。」
「他には?他には?」
「あとはカワサキと、知り合いのお古でハーレーダビッドソンも一時期乗ってたかな。」
「ガチガチのゴリ勢じゃないすか。」
「逆逆。」
ツーリングに行った時は、想像以上に志帆さんが玄人だったと判明して、驚かされた。
「───うお~、マジでお酒ばっか……。」
「そりゃあ酒屋だからね。」
「外観は酒屋ってか、流行りの服屋かと思いましたよ。」
「女の人でも入りやすいモダンな空間を目指したらしいから……。
"服屋みたい"ならまぁ、及第点かな?」
「隠れ家的な。」
「音ちゃんには退屈でしょ。
どっちかって言うと、同業向けのお店だし。」
「これを機に見分を広めます。
好きな人の好きなことはバッチシ押さえるのがポリシーです。」
「なるほど。
じゃあ今度は、私が音ちゃんのテリトリーにお邪魔しようかな。」
「エッ。」
「いけない?」
「い、いけなくないです!是非いらしてください!」
「やった。お洒落してかないとね。」
志帆さんの買い付けに同行した時は、プロ御用達のあれそれを見聞きできて、勉強になった。
「───こんにちは、音琴くん。」
「いらっしゃいませ、志帆さん。本当に来てくれたんですね。」
「うん。
言ってた通り、いつもとぜんぜん雰囲気ちがうね。
知らない人みたいだ。」
「腐っても王子様キャラが売りですから。
お飲み物、なんにいたします?」
「そうだなぁ。
王子様のオススメは?」
「今の時期ですと、フローズンドリンクが人気高いですね。
個人的には、柑橘系のフレーバーがさっぱりして美味しいと思います。」
「じゃあその、フローズンドリンクの、レモンのやつを貰おうかな。」
「かしこまりました。」
「司くんは?今日いるの?」
「いますよ。
あそこで捕まってるのがそうです。」
「ああ、やっぱりアレか。
なかなか離してもらえないんだね。」
「志帆さんも。あんまり長居されると、同じ目に遭いますよ。」
「どうして?」
「自覚ナシですか?
それとも、わざと惚けてます?」
私の職場に招いた時は、私や司に引けを取らないほど志帆さんが注目されてしまって、気が気じゃなかった。