第六話:お散歩日和はお掃除日和
志帆さんと出会って一ヶ月ほどが経過した、5月某日。
今日が定休日と知りながら、私は仕事帰りにフロムニキータへ立ち寄った。
「(あれ……?)」
定休日にも拘わらず、店内は仄かに明るかった。
カーテン越しの窓から、人影も見受けられる。
表にはCLOSEDの看板がかかっているし、ゲリラ的に営業するならSNSに連絡があるはずだ。
泥棒がわざわざ電気を付けて盗みに入ったとも思えない。
人影の正体は十中八九、志帆さんだろう。
明日の仕込みでもしているのか、たまたま忘れ物を取りに来たタイミングとか?
いずれにせよ、今日は会えないと諦めていた志帆さんが、そこにいるのだ。
偶然のラッキーを喜びつつ、正面玄関から堂々とお邪魔する。
「───あれっ、音ちゃん?」
いつものようにカウンターに立った志帆さんは、暗がりでキープボトルの整理をしていた。
「すいません。
通り掛かったもんで、つい。」
「そこ、鍵してなかった?」
「なかったですよ?」
「あ、そっか。
さっき表の掃除したから……。」
「やっぱお邪魔でした?」
「そんなことないよ。
せっかくだし、ちょっと話そう。」
「いいんですか?」
「片手間で良ければね。おいで。」
「ヤッター……!」
お取り込み中ながら、志帆さんは私を招いてくれた。
名実ともに志帆さんを独占できる、またとない機会。
ひょっこり立ち寄った甲斐があった。
私がスキップをして近付くと、志帆さんは可笑しそうに笑った。
「ここもお掃除ですか?」
「最後にね。」
「他は済んだ後?」
「表とホールと、厨房もちょっとね。」
定休日という名の、お掃除日和だったらしい。
残すはカウンターだけのようだが、一人でこの空間を処理するのは骨が折れたことだろう。
「ごめんね暗くて。
ホールの電気も点けようか?」
「いーっすよそんな勿体ない。
志帆さんの顔見えればジューブン。」
「お仕事帰り?」
「ピンポン。」
「例のホストみたいなやつ?」
「そっちは今日はお休みなんで、本業の方です。」
「そうなんだ。お疲れ様。」
「エヘヘー。あざまーす。」
二日ぶりの志帆さんを摂取。
相変わらずのマイナスイオンが、五臓六腑に染み渡る。
私ばかりが得をするのは忍びないので、押しかけてしまった詫びくらいはさせてもらいたい。
「ね、志帆さん。」
「うん?」
「ご迷惑じゃなければ、私も手伝っていいですか?」
「これ?
構わないけど、お仕事帰りなんでしょ?」
「志帆さんに会ったら、疲れどっか行っちゃいました。」
「優しいね。
お言葉に甘えちゃおうかしら?」
駄目元で掃除の手伝いを申し出ると、意外にも快諾された。
私が志帆さんの立場だったら、私みたいな輩は自分のテリトリーに入れたくない。
優しいのは志帆さんの方だ。
「じゃあー、棚のボトル、一回ぜんぶ出しちゃって。
それから、棚とボトルで分担しようか。」
「私どっちやればいいです?」
「ボトルは私がやるから、君は棚を布巾で拭く係。」
「一日係長っすね。
水拭きですか乾拭きですか?」
「アルコールで磨いた後に、乾拭きもお願いしていい?」
「ガッテンデース。」
手分けして作業に当たり、棚もボトルもピカピカに。
ついでに厨房の換気扇を洗ったり、期間限定メニューのポップを作ったりもして、気付けば深夜10時を回っていた。
「───いやー、すごいよ音ちゃん!
こんなの作る才能もあったんだね!」
「うちの店───、本業の方ね。
男所帯なんで、こういう細かいのは殆ど私担当なんですよ。
おかげで慣れました。」
「素晴らしい特技だよ。
ちょっと手伝ってもらうつもりが、なんだかんだ色々やらせちゃって……。
拘束してごめんね。」
「いえいえ!どうせ暇ですし!楽しかったです!」
私の働きぶりを、志帆さんは大いに喜んでくれた。
スケジュールの関係から後回しにしていた部分もあったようなので、少しでも志帆さんの負担を減らせたなら良かった。
「待ってて、今バイト代───」
「いらないいらない。
私が好きでやったんですから。」
「でも、本当に助かったし、ありがとうの一言じゃ割に合わないよ。」
私としては、志帆さんと過ごせた思い出こそプライスレス。
対して志帆さんは、手ぶらで帰すわけにはいかないと食い下がった。
何かしらの対価を受け取らない限り、収めてくれなそうだ。
「なら、今度来た時、また私に合ったカクテル作ってください。
こないだの、フロリダ?も美味しかったですけど、別のやつ。」
ならば折衷案、もとい妥協案。
次回を約束することを対価とさせてもらおう。
「それくらい、お安い御用だけど……。」
志帆さんは尚も腑に落ちない様子で、しぶしぶ飲み込んでくれた。
「音ちゃん。」
「はーい?」
「この後って、なにか予定ある?」
「ないですよ。まっすぐ帰ります。」
「バイク?」
「今日は天気良かったんで、お散歩ついでに徒歩出勤しました。」
「ちょっとくらいなら飲めるんだね?」
「え……。
もしかして、今作ってくれるんですか?せっかく掃除したのに?」
「せめて一杯くらいサービスさせてもらえないと、私の気が済まないよ。
もちろん、無理にとは言わないけど。」
「ヴェ、うう嬉しいです!
アッ、もしっ、シュ、志帆さんも、一緒に飲んでくれたり、とか……?」
「いいよ。すぐ準備する。」
飲み込んだものと思いきや、今度は志帆さんから約束の前倒しを提案してきた。
二人きりで酌み交わせるなんて、棚から牡丹餅ならぬ、棚から金塊並の幸運だ。
すごくない?
たまたま徒歩出勤して、なんとなく店に立ち寄った過去の私、えらくない?
「ちょっとタンマ!」
準備のため厨房へ引っ込もうとする志帆さんを、慌てて引き止める。
せめて一杯くらいはと、志帆さんは言った。
どのみち一杯は提供されるなら、過程にちょい足ししても構わないはず。
「おまけにもう一個、サービスしてもらってもいいですか。」
「もちろん。高いおつまみでも開け───」
「お酒作るとこ。近くで、見てみたいです。」
フロムニキータに通い始めて一ヶ月。
未だ私は、"バーテンダー樫村志帆"を知らない。
飲食店のオーナーとして、良き話し相手の側面しか、志帆さんは見せてくれないのだ。
"───志帆さんって、カウンターと厨房と分けて使ってますよね。
なんか理由とかあるんですか?"
"さあね~。
ワタシも前に聴いたことあるけど、恥ずかしいからー、としか答えてくれなかったよ。"
"恥ずかしい?"
"あそこの楯。
なんでもっと分かりやすいとこ置かないのかって話、したんでしょ?
それと関係あんじゃない?"
"大した実績がないから、人前でやるのは恥ずかしい……?"
"かなーって。他に思い付かないし。"
"ラウンジに勤めてた頃は、普通にバーテンやってたんですよね?
なんで今になって……。"
"そんな気になるなら、本人に直接聴いてみなよ。
ま、どうせはぐらかされて終わるだろうけどね───。"
バーテンダーといえば、お客さんの前でお酒作ってナンボだ。
あの水筒みたいな茶筒みたいなのでシャカシャカやって、グラスに注いでフルーツなんたら添えたりして、へいお待ちってやるパフォーマンスまで含めての職業だ。
少なくとも、私はそう認識している。
ところが志帆さんは、注文を承ると先程のように引っ込んでしまう。
そしてカウンターへ戻ってきた頃には、注文通りの品が出来上がっている。
一から自分で手作りしているなら、専門店で修業経験があるというなら、なぜ隠すのか。
私たちも志帆さんがシャカシャカやる姿を見てみたいと、常連客の総意があるのに。
「あー……。
つまりシェイクの方を見たいのね?」
「シェイクってシャカシャカやるやつですか?」
「そう。」
「シェイク以外にもやり方あるんですか?」
「ステアね。
単に合わせたり、掻き混ぜるだけで作る場合もあるよ。」
「へー、知らなかった。
どうせならシャカシャカがいいですけど、見せてもらえるんなら何でもいいです!」
「んー。」
「サービスしないと気が済まないんですよね?ね!?
もう一声!オナシャス!」
不躾を承知で、私は前のめりに頼み込んだ。
志帆さんは"わかったよ"と頷くと、厨房から道具と材料を持って来てくれた。
「プロっぽーい!」
「道具はね。」
「名前は?名前は?」
「シェイカー、ストレーナー、アイスペール、ダブルジガー、マドラー、トング。」
「焼肉?」
「こっちのは氷用。」
必要の一式がカウンターに並べられる。
これらのアイテムが、志帆さんの魔法にかかるのか。