第五話:だからボナセーラじゃないって
「───志帆さん!また来ちゃいました!」
「いらっしゃい。
今日はお連れ様は?」
「私だけです!
デカいのは邪魔なんで置いてきました!」
「あらあら。
フフッ、何名様でも大歓迎だよ。空いてる席へどうぞ。」
初めてフロムニキータを訪ねて以来、私は三日と空けず志帆さんに会いに行くようになった。
時に司を伴うこともあったが、ほとんどは自分一人で。
「───エッ、34!?」
「まあまあオバサンでしょ?」
「てっきり、私と同じくらいかと……。」
「お上手ね。
音ちゃんは20何歳?」
「に、25です。」
「なら9個下だね。」
「身長は!?私は168です!」
「大きいね。私は170ジャスト。」
「また負けた……っ。」
「勝ち負けの問題?」
いつ訪ねても、志帆さんは温かく迎えてくれた。
私の質問に何でも答えてくれて、私の知らないことを何でも教えてくれた。
「───飲食店?」
「前身がイタリアンレストランだったそうでね。
そのご主人が店を畳もうって時期と、私が物件を探してた時期が、たまたま被ったってわけ。」
「はー、どうりで。
最初来た時、なんかイタリアンのお店っぽいなって思ったんですよ。」
「お客さん皆、そう言うね。
たまに、こっち系のバーだって知らずに入ってきちゃう人もいるよ。」
「レストランだった頃と、どのへんが違うんですか?」
「造り自体は大体一緒。
バーにしては厨房が広すぎたから、いらない分をカウンターに割いて……。
あとは壁紙貼り直したのと、棚とかテーブル持ち込んだくらいか。」
「そんなに弄らなかったんですね。」
「弄れなかった、かな。まるっと改装できるほど余裕なかったし。
ここに決めたのも、安かったってのが一番の理由。」
「なんだっていいですよ。
志帆さんがいるなら、どんなサバンナもオアシスです。」
「はは、詩人みたいだ。」
まずは、お店の成り立ちについて。
フロムニキータは、元はイタリアンレストランだった建物を改装したバーであるらしい。
レストランは地元民の間で隠れ家的に知られていたが、ご主人が高齢となったため已むなく廃業。
同時期に志帆さんが独立を計画し、共通項の不動産屋からレストランのことを教わった。
立地はあまり良くないが、築年数の割に外観は損なわれていない。
レストランにしては狭いという欠点も、バーにすると考えればむしろ都合が良い。
なにより、商業ビルの一角に構えるより、一城ごと設けてしまった方が、多くの人に認知してもらえる。
即決に近い形で志帆さんはテナント契約し、晴れて"イタリアンレストランみたいなビアンバー"は誕生した。
厨房を縮小したり、壁紙や家具を入れ替えたりなどの差分を除けば、レストランだった名残が強いと志帆さんは言う。
「───あの楯みたいのって、なんの記念なんですか?」
「あー……、あれか。
昔あった大会の、参加賞みたいなもんだよ。」
「大会って?」
「バーテンの腕を競う大会。」
「バーテンの!
前にテレビで観たことあります!」
「それはきっと、NBA主催のやつだね。」
「NBA……?
バスケの───、なわけないですよね。」
「こっちのNBAは、日本バーテンダー教会のこと。
その教会が毎年主催する、公式の技能大会があるんだけど……。
私は、そっちには出てないんだ。残念ながら。」
「なにか理由が?」
「バーテンって一口に言っても、私は教会に属さないアマチュアだからね。
この楯は、メーカー主催のコンペに出た時の。」
「いろいろ制約とかあるんすね……。
ちなみに、何位だったんですか?コンペでは。」
「……137人中、」
「うん。」
「………4位。」
「めっちゃスゴイじゃないすか!どこが参加賞!」
「参加賞だよこんなの。代名詞になるって言われて、仕方なく飾ってるだけだし……。」
「じゅうぶん代名詞ですよ!
もっとガンガンアピールしていきましょう!」
「本人より熱いじゃないか。」
次に、独立までの歴史について。
フロムニキータを立ち上げる以前の志帆さんは、札幌にあるラウンジの従業員であったらしい。
当時からバーテンダーとしての評価は高く、技能を競うアマチュア大会では惜しくも表彰台を逃したとのこと。
それだけの実績があって何故、プロを名乗らないのか。
名乗るための資格を取らないのかは、私には分からない。
まあ、志帆さんクラスなら集客に困らなそうだし、出されるお酒もちゃんと美味しいし、さしたる問題じゃないのだろう。
「───ほう、副業。」
「ぶっちゃけると、副業なんて言い方すんのも、おこがましいくらいなんですけどね。
私としては、賃金の発生する趣味みたいなもんです。」
「本業は?何してるの?」
「車とかバイク関連のお店で働かせてもらってます。」
「言われてみれば、ぽい感じするね。
車好きなんだ?」
「車もですけど、バイクのが性に合ってますかね。
志帆さんは?免許持ってるんですか?」
「持ってるよ。
普通と大型二輪と中型。」
「中型!?
ってことは、マイクロバスは───」
「乗れるね。」
「な、なんでまた。」
「んー。なんかの役に立つかなって。」
「予想外すぎる……。」
「───かわいい名前だよね。」
「え?」
「"音々"ちゃん。
美人じゃないと許されない感じ。」
「あー、イメージ的に?
志帆さんこそ、綺麗な良い名前だと思いますよ。」
「名前はね。
個人的には、あんまりしっくりきてないけど。」
「それなんですけど、中性寄りの女って、女っぽい名前のやつ多くありません?
"よし子"ーとか、"よし恵"ーとか、一発で女ってバレちゃう系の。」
「業界あるあるだね。
むしろフェム寄りの方が、"アキラ"とか"ジュン"とか、男女共にいける名前だったり。」
「なんなんすかねー、この食い違い。」
「お姉様タイプのゲイさん達も、キャラクターと食い違った、男らしい名前が多いって聞くね。
調べてみたら結構、因果関係ありそうだ。」
「司なんかスゲエっすよ。"靖子"。」
「ンフフッ。
───あ、笑っちゃいけないね。」
「いいっすよ別に。名前自体は良い名前だって、本人も認めてますし。
ただやっぱり、キャラクターと合わねえってだけで。」
「ジレンマも込みの我々さ。」
「ですかねぇ。」
「───ほら、あの人なんてケンチキ持って来てますよ。クッセーのに。」
「お酒はともかく、おつまみは種類出してあげらんないからね。仕方ないよ。」
「だからって、わざわざ"持ち込み可"なんてお触れ出さんでも……。」
「そういうカラオケだってあるでしょう?
お酒だけでも十分採算とれてるし、いいんだよ。心配ご無用。」
「この"ボナセーラ"は?」
「"カチャトーラ"ね。それは手作り。」
「おおー、手作り!」
「したのを、さっきチンした。」
「そういやチーンって聞こえたな……。
手作りのは全部、開店前に用意するんですか?」
「そう。あとは既製品。
スーパーで買ってきたものもあれば、知り合いの飲食店で頼んだものもある。」
「じゃあボナセーラは志帆さん大当りってわけっすね!覚えとこ。」
「カチャトーラね。」
他にも、互いの趣味や経歴の話、懐かしい学生時代の話。
過去にやらかした失敗談まで、色々な話をした。
「───おかえり、音ちゃん。いつもの席、空いてるよ。」
知れば知るほど、志帆さんは魅力的な女性だった。
知れば知るほど、志帆さんの人柄に惹かれていった。
気の迷いかもしれない、なんて懸念は杞憂に終わり。
私の志帆さんに対する想いは、段々と恋心へ、着実に愛情へと、昇華していった。
「───志帆さん。
そろそろ真剣に、お付き合いしませんか。」
「また言ってる~。」
「ヤケクソでしょもう。」
「ヤケクソじゃない。私はずっと本気だ。」
「ありがとう。
"友達の延長"としてなら、いつでもお相手するよ。」
ただ。
どんなに仲良くなっても、志帆さんが語ってくれない話題が、一つだけあった。
"本命の恋人を作らない"という、噂の真相についてだ。
「だーから言ってんじゃん。志帆さん本気にさせんのなんか無理だって。」
「みんなが噂してるだけで、実際は違うと思いたかったんですよ……。」
「ざーんねん。」
「来る者拒まず、去る者追わずが、志帆さんのモットーだから。
いよいよになる前に目覚ました方が身のためよー?」
「志帆さん抜きなら、キミめちゃくちゃ需要あるんだし、もっと周りに意識向けてみたら?
あそこに座ってる子なんかホラ、狩人みたいな顔してこっち見てるよ。」
「そうしたいのは山々ですが、今の私は志帆さん以外考えらんないんです……。」
「こりゃ重症だ。」
嘘か真か、有るか無しかの二択には答えてくれるのに。
理由や原因を掘り下げようとすると、途端にシャットダウンされてしまう。
古い付き合いだという人達ですらお手上げなら、いくら親睦を深めようと私に勝算はない。
「───気持ちは嬉しいけど、私なんかに血迷うのは、やめておいた方がいいよ。」
遊び相手は受け入れて、真剣交際の相手は拒む。
どうして。
なんのために。
さっさと暴いてしまいたい反面、タイミングを外して嫌われたくない。
「また来ます。」
「待ってる。」
ジレンマを抱えつつも、フロムニキータに通うことは、志帆さんに会いに行くことは、やめられなかった。