第四話:『元気なキミに思いを馳せる』
「───お待たせしました。
まずこちら様に、リキュールハイボールと、スモークチーズのカプレーゼ。」
しばらくして戻ってきた志帆さんは、おつまみの器とハイボールのグラスを司の前に置いた。
「こちら様にはフロリダと、チョコレートブラウニーです。」
私の前には、鮮やかなオレンジ色のカクテルと、チョコレートブラウニーの包みが置かれた。
どちらも甘そうだけど、フロリダってアメリカの州か?
馴染みのないお酒だな。
「志帆さん。」
「はい?」
「って、仰るんですよね?
さっき、そちらのお二人から伺いました。」
「ああ……。
そういえば、自己紹介がまだでしたね。」
司に促され、志帆さんは背筋を伸ばした。
「この度はご来店いただき、ありがとうございます。
フロムニキータのオーナーをしております、樫村志帆と申します。」
樫村。樫村志帆さん。覚えた。志帆さん。
司の動向を窺いつつ、自分はどう出るべきか脳内シミュレーションする。
「私は七波です。下の名前は司。
───と言っても、本名じゃあないんですけど。」
「そうなの?なにか特別な理由?」
「いやいや、単に源司名ってだけですよ。」
「源司名?」
「なんていうか、半分ホストみたいなことしてて。
その時に使ってる営業用の名前を、なんとなく普段でも名乗ってるんです。」
「へー。どうりでカッコイイわけだ。」
司の自己紹介が終わった。
次は私のターンだ。
落ち着け。
接客中のテンションだ。
王子様スマイル王子様スマイル。
「私も、彼女と同じとこに勤めてて、音琴っていいます。
本名は、小田切音々《ねね》です。
これを機にぜひ仲良くなりたいので、良ければアダ名の"音ちゃん"って呼んでください。」
司と違って、私はちゃんと本名も明かしたぞ。
節度はないけど礼儀は弁えられる女だからな。ウフフ。
「司くんと、音ちゃんね。覚えておきます。
ホストみたいって言ってたけど、ひょっとしてナンバーワンツーだったりする?」
「よくお分かりで。」
「やっぱり。二人とも洗練された感じするもんね。
というか、そんなお店あったんだ。」
「この辺りじゃ珍しいですかね。」
自然に話せるようになってきた。
この調子で核心に迫って、"本命の恋人を作らない"とやらの真意を確かめてやる。
「───いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「すいません、4人なんですけど……。」
「大丈夫ですよ。そちらの席へどうぞ。」
意気込んだ矢先、ちょっとした団体客が来店した。
「オーナーさんですか?」
「はい。オーナー兼バーテンダーをしております。」
「めっちゃイケメンですね!」
「お名前なんていうんですか?」
「わたし達、こういうお店来るの初めてなんですけど───」
一気に賑やかになる店内。
ホールとバックヤードとを行き来する志帆さん。
ちょっとしたと言えども、一人で切り盛りする身には大童の事態だ。
この非常時に、私だけが志帆さんを独占するわけにはいかない。
「忙しそうだな。」
「うん。」
「ここは常連さんの顔を立てて、我々は早めに引き上げるとしますか。」
「うん……。」
私と司は意見を揃え、お酒とおつまみを流し込むように平らげた。
もっとゆっくり味わえたなら、もっと美味しく頂けただろうに。
楽しみが延びたということで、今日のところは我慢しよう。
「───ごめんね。せっかく来てくれたのに、慌ただしくて。」
「いえ。どんな場所か知れただけでも良かったです。」
「スマートな返しだ。」
会計。
志帆さんと司が、レジを挟んでお愛想し合う。
「機会があったら、また顔出してね。お詫びに一杯サービスします。」
「そうですね。機会があれば。」
"機会があれば"の"機会"は、当面やって来ないだろうと二人は思っている。
「気を付けて帰ってね。」
「はい。ご馳走様でした。」
「ご馳走サマでした。おやすみなさい。」
私は違う。
機会があったらここへ来るのではなく、ここへ来るための機会を作るつもりだ。
消化不良のまま引き下がってなるものか。
「司。」
「うん?」
「私さ、ここ通うわ。」
玄関先で、ふと後ろを振り返る。
フロムニキータ。
地元で唯一のビアンバーにして、地元に他といないミューズのおわす場所。
私の命運を定めた分岐点。
「マジ?そんな気に入った?」
「うん。
店がっていうか、志帆さんを。」
カーテンに遮られた窓の向こうでは、志帆さんが休むことなく働いている。
「え。
お前あれ、マジだったの?」
「だったみたい。」
「"みたい"?」
恋に恋してるだけと言われれば、そんな気がする。
物珍しさの範疇である線も否めない。
ただ、志帆さんの姿を目にした時、志帆さんの声を耳にした時。
志帆さんの歩き方を、志帆さんの笑い方を、志帆さんのグラスの触れ方を知った時、段階的に思ったんだ。
どんな形であれ、私の一生に影響を与える人になると。
「正直、自分でもよく分かんないんだよ。
今まで好きになったことないタイプだし。」
「歴代のと比べると、真逆も真逆よな。」
「なんだけど……。
これがどういう類のパッションとしても、強烈に惹かれるってことだけは分かんのよ。」
「パッション。」
「笑うな。」
だから、確かめたい。
本当に恋なのか、気まぐれに過ぎないのか。
今すぐじゃなく、時間をかけて丁寧に、答えを出したい。
「つっても、多分あの人ウチらとどう───」
「そういうわけだから!今日はどうもありがとう!おかげでなんか吹っ切れたわ!」
司が何かを言いかけたが、私は一方的に感謝を述べた。
司は続きを言い直さずに、"なら良かったよ"と肩を竦めた。