第三話:from/NiKiTa
夕方5時。
昼のカフェ営業を終えた帰り、私と司は繁華街へと赴いた。
適当に暇を潰して二時間のブランクを埋め、そろそろオープンという頃合いに目的地のビアンバーへ。
「ここ?」
「たぶん。」
スマホの位置情報を確認しながら、司は頷いた。
「あんまバーっぽくないね。」
「ビル上がってくよりかは入りやすいんじゃん?」
「ふむ。」
雑居ビル群の奥にひっそりと佇む、一見するとイタリアンレストランかのような平家。
"from/NiKiTa"。
珍しい響きの店名だが、ネット上に掲載された写真と目の前の光景は、全く同じ。
ここが噂のビアンバーで間違いなさそうだ。
「いま何時?」
「7時27分。」
「30分出遅れたな。」
「競争じゃねんだから。行くぞ。」
「ウス。」
実際のオープン時間を30分弱押したのち、私と司はフロムニキータのドアベルを鳴らした。
店内もレストランのような造りになっていて、お酒と食事の両方を楽しめそうな雰囲気だった。
純喫茶にも近いかもしれない。
「えらいハイソだな。」
「汚ねえヤツお断り感。」
「じゃあお前は出禁だ。」
「下品と不潔は別だろ。」
「下品は否定しねえのかよ。」
店内を見渡してみると、既に何人かのお客さんが席に着いていた。
テーブル席に二人と、カウンター席に二人。
いずれも若い女性で、カップルとは違うっぽい。
司の言っていた、オーナー目当てのコ達だろうか。
肝心のオーナーはどこにいるんだ。
「いらっしゃいませ。」
そこへ、オーナーと思しき人物がカウンターから現れた。
バックヤードに引っ込んでいたらしい。
彼女の姿を目の当たりにした瞬間、私は雷に打たれたような、強い衝撃を覚えた。
「ご新規さんだね。
カウンターとテーブルと、両方あいてるけど、どっちにします?」
ふわふわの赤毛、スラリとした長躯、穏やかな物腰に不釣り合いなロブピアス。
私や司とはまた異なるタイプのハンサムウーマン。
彼女が、ここの主。
理解より先に、本能が囁いた。
私、このひと好きかもしれない。
「だってさ。どうする?」
先人いわく、運命の相手と出会った時、"ビビビ"と来る感覚を味わうという。
恐らくは、これが"ビビビ"だ。
経験がないので断定は出来ないが、形容するなら確実に"ビビビ"だ。
だってなんか、今にもおしっこ漏れそうだ。
「おい?どうした?」
硬直してしまった私を、司が訝しげに覗き込む。
だが私はロボットのような母音しか発せられず、司にもオーナーさんにも返事がままならなかった。
「あー……。
カウンターでお願いします。」
「どうぞ。」
痺れを切らした司が代表して答え、私の腕を引く。
私は司の誘導する通りに歩き、カウンター席の端に座らされた。
「二人ともカッコイイね。
うちじゃ滅多に見ないタイプだ。」
改めてオーナーさんに話し掛けられ、改めてオーナーさんの御尊顔を間近で拝見し、私は我に返った。
今、カッコイイって言われた。
こんなカッコイイ人にカッコイイと言われたぞ。
カッコイイなんて色んな人に言われてきたけど、こうも胸躍るカッコイイは生まれて初めてだ。
カッコイイがゲシュタルト崩壊。
「いやいや、お姉さんのがカッコイイですって。噂に聞いた通り。」
「乗せるのが上手いねぇ。噂って?」
「オスカルみたいな人が切り盛りしてるって。」
「オスカルかぁ。
あんな風になれたら、もちろん嬉しいけどね。」
司と会話を弾ませるオーナーさん。
ああ、酒焼けの低い声も(決め付け)、愛撫の上手そうな長い指も(思い込み)、つぶさに覗く所作の一つ一つが美しい。
男前の中に女性らしさも潜んでいて、日光浴ないし森林浴を彷彿とする包容力を感じる。
これぞ歩くマイナスイオン。
ルックス対決は司の勝ちでも、総合芸術的にはオーナーさんが一枚上手だ。
「なに飲まれます?」
「んー、最初だし軽めの……。
ハイボールでもいいですかね?」
「もちろん。
ウイスキーベースとリキュールベースなら、どっちがいいですか?」
「リキュール───、ってどんな味するんですか?」
「大まかには香草系、果実系、種子系がありますね。
スパイスかフルーツかナッツか、どんな風味がお好みか。」
「じゃあー、果実系のリキュールでお願いします。」
「かしこまりました。
……おつまみは?いる?」
「そっちも軽めのやつ、適当にお願いします。」
「かしこまりました。」
今まで付き合ってきたコ達とは正反対、理想のタイプには掠りもしてないはずなのに。
こんな風になりたい憧憬と、こんな人と付き合ってみたい欲求が交錯する。
なんて不思議な心地だろう。
あわよくば格上の相手をヒーコラさせたいなんて野心まで出てきた。
信じられるか?会ってまだ5分も経ってないんだぜ?
「そちらさんは?なにがいい?」
オーナーさんがこちらを向く。
司との会話を聞いているようで聞いていなかった私は、"なにがいいか"の部分を切り取って答えた。
「貴女がいいです。」
「え?」
「貴女がいい。貴女がほしいです。」
しん、と静まり返るカウンター。
短い間を置いて、司の二つ隣に座る先客が吹き出した。
おいネエちゃん、笑うとこじゃねえぞ。
「やい早漏。
お前には節度ってもんがねえのか。」
「ダッ。」
司に横からデコピンされる。
おかげで少し頭が冷えたが、体温はまだまだ下がる気配がない。
「じ、じゃあ……。オススメをひとつ……。」
「辛いのと甘いのだったら?」
「甘いので……。」
「かしこまりました。」
まともに判断がつかないので、注文はオーナーさんに丸投げ。
オーナーさんは私の粗相など歯牙にもかけず、バックヤードへと再び捌けていった。
「っとに大丈夫かよ。相当キてんぞ、今のお前。」
「相済まぬ……。」
突かれたこめかみを摩りながら司に宥めてもらっていると、先程のネエちゃんが司越しに絡んできた。
「あなたで三人目ですよ。」
「え?」
「志帆さんを一目見て告白したの。」
手前のネエちゃんが話し、奥のネエちゃん2号が遠慮がちに笑う。
志帆さん。
オーナーさんの名前、志帆さんっていうのか。
できれば本人の口から聞きたかった。
「前の人もすごい興奮してたよね。」
「運命です!とかって叫んだりしてね。」
「そうそう。」
どちらもフェミニンな装いで顔立ちも整っているが、どういうワケかそそられない。
気が強そうだから?
おっぱいが大きくないから?
いや違う。
志帆さんの後に見たからだ。
だから、どちらかと言えば彼女らの方が好みであるはずなのに、酷く褪せて見える。
志帆さんと比べると平凡だなとか思ってしまう。
自他ともに認める好色の私がこのザマとは、司いわくキている証拠か。
あるいは、私の気質を覆すほどの魔性が、志帆さんにあるのか。
「こいつみたいのが他に二人もいたってことですか?」
「ええ。好意を寄せてるって意味では、もっとたくさん。」
「へえ。おモテになるんですね。」
「そりゃあもう!
そっちの気があろうとなかろうと、志帆さんに落ちない女はいませんよ。」
「そういう貴女がたは?」
「わたし達もファンの一員でーす。」
「有象無象の男どもなんか足元にも及びませんて。」
ネエちゃんズと司とで勝手に盛り上がっていく。
恐らくは手前のがバイで、奥の2号がヘテロだな。
女性であれば誰でも入店可能のようだし、手前のガチ勢にくっ付いて来たら、奥の友達もハマっちゃったってとこだろう。
「けど────」
手前のネエちゃんが、ふと語気を落とす。
「本気で好きになるのは、やめといた方がいいですよ。」
「というと?」
「志帆さん、遊ぶ程度なら付き合ってくれますけど、本命の恋人は絶対作らない主義だから。」
遊ぶ程度なら付き合ってくれる?
本命の恋人は作らない主義?
口ぶりからして、ネエちゃんは"遊ぶ程度"の経験者と思われる。
虫も殺せないようで、志帆さんって意外と見境なかったりするのかな。
ギャップ萌えなような、ちょっとショックなような。