第二十話:『時間よ止まれ』
恋人ごっこの"ごっこ"が抜けた、一ヶ月後。
私と音ちゃんは、二人で飲むことになった。
音ちゃんに近況報告をしてもらうため、音ちゃんの行き付けであるというラウンジで。
「───前に勤めてたとこと比べて、どうすか?こっちのが格下?」
「そんなことはないけど、まぁ、そうだね。広さは、あっちのが余裕あったかな。
あとカクテルメニューの数も。」
「やっぱり。
どんなとこだったのかな~って、実はこっそりチェックしてたんですよ。」
「ほう。ご感想は?」
「めっちゃイイ感じのお店でした。さすが都会って感じの。」
「ここだって十分モダンだよ。
飲む時は居酒屋が多いって言ってたから、ラウンジの行き付けもあるって意外だった。」
「エヘヘ。
元は司のご贔屓だったのをパクっただけなんすけどね。」
まずは乾杯。
からの、当たり障りない世間話。
二つ目のおつまみが運ばれてきたところで、件の近況報告を促した。
「ないない。なーんにも。」
「ほんとに?無理してない?」
「してないしてない。
言ったでしょ、なにかあったら報告するって。」
「言ったけど……。」
「約束は守りますから、どうか心配しないで。」
「うん……。」
「あ。
ちなみにですけど、風邪引いたくらいはノーカンにしてくださいね。
タンスの角に指ぶつけたとかも。」
「ふふ。わかってるよ。
その時は普通に心配させてもらう。」
どの角度で攻めてみても、音ちゃんは"平穏無事"の一点張りだった。
本当は何かしら影響が出ていて、心配をかけまいと嘘をついているのか。
まだ交際し始めて日が浅いから、本当に何も起きていないのか。
今のところは顔色も悪くないし、体を壊した様子もないから、本人の申告を信じてやりたいけれど。
念には念だ。
今度それとなく、司くんにも探りを入れておこう。
「じゃー今度は、志帆さんの番。」
「近況報告?」
「じゃなくて、えーと、経歴報告……、遍歴報告?
昔の彼女さん達の話です。」
「こないだしたじゃない。」
「要点だけチョーざっくりね。」
「普通、詳しく知りたいものかね?元カレ元カノの話なんか。」
「私はぜんぜん知りたいですし、聞けるタイプですよ?」
「……こりゃあ長丁場になりそうだ。」
音ちゃんからの反撃。
出先でとは想定外だが、いつかはしなければならなかった話だ。
畏まった機会を設けるより、こういう雑多な空間に乗じた方が、話し手も聞き手も楽かもしれない。
「まずは、そうだな……。
初恋について、になるかな。」
拍子抜けなくらい、抵抗がなかった。
私の半生はどういったもので、私は何を思って生きてきたか。
自然と曝け出せた。
目の前にいるのが、音ちゃんだから。
私と近しいルーツを持つ、音ちゃんが相手だからこそ、変に意地を張ったりせずに済んだ。
「───どうりで、敏感になるわけですね。」
とりわけ三人目は犯罪臭が強いし、普通だったら引かれるだろう。
しかし音ちゃんは、驚きも疑いもせず、黙って耳を傾けてくれた。
本人いわく、普通じゃないのは自分も一緒だから、だそうだ。
「亡くなられた人達のことは、いくら自分には関わりがなかったといっても、辛いです。言葉にならないくらい。
ただ───」
「なに?」
「そのお三人には申し訳ないですけど。
私は正直、志帆さんの方が心配です。」
「私?」
「───失礼します。」
絶妙なタイミングで現れた店員が、空いた皿を片付けていく。
店員がいなくなると、音ちゃんは自分のニコラシカを一口飲んで、仕切り直した。
「私が志帆さんの立場だったら、耐えられる気がしませんし、最悪───……。
首吊ってるかもって、漠然と思いました。」
音ちゃんの所感は、あながち的外れじゃない。
浴室にカミソリを持ち込んだり、ドラッグストアで大量の睡眠薬を買い込んだりした前科が、実際にあるのだ。
一応は未遂に終わっただけで、彼女の言う"首吊ってるかも"と同じ結末を、私は否定できない。
「そうだね。
死ねるもんなら、死ぬべきなんだろうけど───」
「"べき"じゃありません。志帆さんは死んじゃ駄目。」
「ありがとう。
まぁ、なんだ。現状こんな感じで、なんだかんだと、生きてしまったよ。」
「"しまった"じゃありません。生きててくれて嬉しいです。」
「ありがとう。」
軽く流してしまいたいのに。
音ちゃんが前のめり過ぎるせいで、流しきれない。
居た堪れなくなって、グラスの氷を噛み砕いた。
知覚過敏には辛い。
「志帆さん。」
「うん?」
「何度でも言いますけど、当事者じゃなかったくせにですけど。
志帆さんのせいじゃないですからね。」
「……うん。」
「同情とか慰めでってんじゃなくて、事実として。
お三方が立て続けに亡くなられたのは、悲しいかな、偶然が重なっただけです。
もし志帆さんに超常的な、非科学的な力があるんだとしたら、それは相手を不幸にする力ではなく、自分自身を不幸にする力です。
愛する人を失って、それでも生きなきゃならないなんて、下手すりゃ死ぬより辛いことですよ。」
優しい音ちゃん。
きっと庇ってくれるんだろうなって、分かってた。
同時に、悲しい気持ちにさせるんだろうなってことも。
こんなやつを好きにならせてしまって、ごめんね。
こんなやつを好きになってくれて、ありがとう。
君のくれる言葉は、どんな偉人の金言より胸を打つ。
君が言うならそうなのかもって、一瞬でも肩の荷が下りるよ。
愛してしまって、ごめんね。
愛させてくれて、ありがとう。
「とりあえずは、一年ですね。」
「リミットのこと?」
「だいたい一年後にリミットを迎えるんなら、一年を凌げば一安心ってわけですもんね?」
「うーん。だといいけど。」
「歯切れ悪くね?病は気からですよ!」
必ずしも一年が期限とは限らないが、目安にはなる。
これから一年間、音ちゃんが五体満足でいられるように。
音ちゃん自身に注意してもらう傍ら、私は私で目を光らせよう。
「四度目の正直!四度目に仏の顔!」
「めちゃくちゃな造語だなぁ。」
「なんとでも!
よーし、景気付けにもう一杯───」
「今夜は、そのへんにしておこうね。」
「エエー?まだ全然イケるのにぃ?」
「健康。気を付けてくれるんでしょ?」
「はぁーい……。」
深酒になる前に、一次会はお開き。
二次会はスナックでも行こうかと相談して、私たちはラウンジを出た。
「───フー、すずしー。もうすぐ秋ですね~。」
「だんだん日、短くなってるもんね。」
「それ毎年言ってる気しますわ。」
「同感。」
初秋の風に吹かれながら、商業ビルのある方角へと足を延ばす。
「志帆さん、」
「うん?」
「手、握んのはアウト?」
ふと覗き込んできた音ちゃんに、お伺いを立てられる。
あんまり愛らしい"おねだり"に、私は吹き出してしまった。
「ベッドを共にして駄目なわけないでしょ。いいよ。」
「やったー。」
触れた手に指を絡める。
「わ、志帆さん手つめたー。」
「音ちゃんは温ったかいね。」
懐かしい感触。
腕を組ませてあげたのは何人かいたが、手を繋いだのはお嬢さんが最後だった。
10年単位でご無沙汰となれば、緊張するのも無理はない。
「(罰当たりかな。)」
今度があるなら、今度こそ私に皺寄せを。
隣にいる子には、指一本触れないでくれ。
「(尻軽だって、怒るかな。)」
節操なしと、罪作りだと、謗りを受けてもいい。
病気になって、車に轢かれて、殺人犯に狙われてもいい。
私が対象になるなら、なんでもいい。
「───志帆さん、」
この子を、私から取り上げないで。
贖罪の支えに、彼女を必要としてしまう弱さを、赦して。
「志帆さん。」
「うん?」
二度目の呼び掛けで振り向くと、音ちゃんは二度目のお伺いを立てなかった。
静かに近付いてくる顔に察した私は、繋いでいない方の手で互いを隔てた。
「キスはまだ駄目。ね。」
「はぁーい……。」
露骨にガッカリする音ちゃんがまた可愛くて、頬にチュッとすることで手打ちとさせてもらった。
音ちゃんの勤め先が潰れるのは、この三日後のことだった。




