第十九話:『ドライな関係』
店が軌道に乗り始めた一年後。
暴風がやって来た。
「───これを機にぜひ仲良くなりたいので、良ければアダ名の"音ちゃん"って呼んでください。」
"音ちゃん"。
そう名乗った彼女は、大別して私と同じ人種だった。
背は高め、声は低め。
中性的かつ男性的な装いや振る舞いを好むトランスジェンダー。
頭にバリのつくタチであることも含め、初見で気付いた。
恐らくは、互いに。
「───志帆さん!また来ちゃいました!」
にも拘わらず、音ちゃんは私を口説いてきた。
タチ同士ではタイマンになると分かっていて、本来の好みから全く外れた私を。
「───今日はー……、と。
あ、アイ・オープナー?ってやつください。」
「───えっと、えー……。
あれだ、スクリュードライバーください!」
「───アプリコットフィズって出来ますか?」
自分で言うのは烏滸がましいが、私は割とモテる方だ。
バーテンダーの職業性も相俟って、やれクールだのミステリアスだのと、便宜的なイメージを持たれやすい。
一目惚れだとかって告白してくる人も少なくない。
「(アイ・オープナー、ブルーラグーン、スクリュードライバー、キャロル、アプリコットフィズ───。
もしかして、意味わかって頼んでる……?)」
きっと音ちゃんも、夜の空気に当てられた被害者なんだ。
何度か顔を合わせるうちに、幻想だったと悟るに違いない。
だって私は、君の言うような、綺麗でカッコイイお姉さんなんかじゃないから。
「───先に志帆さんがいると分かっていれば、私は手足を失くしても前へ進みますよ。」
音ちゃんが店に通い始めて、更に一ヶ月後。
暴風が嵐になった。
「試してみましょう。
どんな形なら平穏無事に済むのか、私と実験しましょう。」
"恋人ごっこの体ならどうですか"。
そう提案してきた彼女は、悟るどころか、ますますヒートアップした様子だった。
もしかしたら、私が余計な火種を撒いてしまったのかもしれない。
「どうせ上手くいかないからって、ずっと一人きりでいるなんて、寂しいじゃないですか。」
遊蕩は良くて、真剣交際は無理。
嫌いじゃないけど、愛してはやれない。
どっち付かずな私のスタンスを、そんなんじゃ納得できないと、音ちゃんは一蹴した。
今までの子達はみんな、愛してもらえないなら形だけでもと、最後には引き下がってくれた。
私も私で、体の関係に限るならと、不誠実なりに真心を以って報いてきた。
音ちゃんは、私との思い出よりも、私自身が欲しいのだと断じた。
せめて納得できる答えが得られるまでは、引くに引けないと。
「初めてついでに、最初で最後の四人目になってやりますよ。」
恋人ごっこ。恋愛ごっこ。
いい年をして子供じみていると呆れる反面、小田切音々という人物に些かの興味が湧いた。
ここまで執着されたのも初めてだし、初めて記念に一つくらいは要求を呑んでやろうじゃないか。
私が飽きるのが先か、音ちゃんが冷めるのが先か。
最初は火遊びのつもりで、くだらないお誘いに乗ってやった。
「───おっ、あのコ可愛い~。」
「どのコ?」
「あそこの。ふわふわした茶髪のコ。」
「水色のワンピース?」
「それそれ!」
「なるほど。
キミの言う可愛い系ってのは、ああいうタイプを指すんだ。」
「アレェ、もしかしてヤキモチですかぁ?」
「そうだね。
私とは正反対だから。」
「だから尚更なんじゃないですか。」
「え?」
「本来のタイプとは違う人を好きになった時が、本物の恋だって言うでしょ。
だから、私の志帆さんへの好きは、かつてないほど好きってことなんですよ。」
形勢逆転。
終始押せ押せな音ちゃんに、私のほうが防戦一方に追いやられた。
「───今日はそうだなぁ……。
よし。ブランデー・クラス───」
「"時間よ止まれ"。」
「へ、」
「それ。
自分から頼む時、いっつもスマホ見てるけど。
カクテル言葉の意味、確認してるんでしょ。」
「ば、バレました、か。」
「さすがにね。」
「ア!?分かってて態と惚けてたんすか!」
「まあね。」
「ぐぬぅ……。
やっぱりブランデー・クラスタは今度にして、志帆さんが良さげなの見繕ってください。」
「オッケー。カンパリソーダね。」
「"カンパリソーダ"……、」
「カンニング禁止。」
音ちゃんは、派手な見かけ以上に、中身が魅力的な子だった。
フットワークは軽いくせに、一度決めたことは梃子でも曲げない。
優しさや思いやりは人一倍のくせに、ここぞの我儘は遠慮がない。
先生とも、お嬢さんとも、彼女とも違う。
まさに陰と陽、毒と薬を併せ持つ。
今まで出会った誰より容易く、誰より手強い相手。
「───忘れるわけないでしょ。忘れたいだけ。」
いや、違う。
違うのが違う。
先生とも、お嬢さんとも、彼女とも、通ずるところがある。
お嬢さんみたいに明るくて、彼女みたいに芯があって、先生みたいに闇を抱えてる。
お嬢さんと彼女が先生に似ていたとするならば、音ちゃんは三人を足して割った集合体だ。
三人ともに近くて遠い、馴染み深くて目新しい存在なんだ。
「ね。気持ちいい。」
本気になっちゃいけないのに。
自制が追い付かないほど、惹かれていった。
音ちゃんの温かい手で、背中の傷に触れられたのが、駄目押しになった。
「絶対死なないから。
少なくとも10年、いや20年は、志帆さんの目の黒いうちは、絶対死なないから。」
証明してやると、音ちゃんは言ってくれた。
死なないからと、約束してくれた。
「いいかげん聞き分けろって、樫村志帆。」
信じていいのかな。
先生とも、お嬢さんとも、彼女とも、違って似ている音ちゃんなら、大丈夫かな。
音ちゃんとなら、私も普通の人間みたいに、愛して愛されてもらえるかな。
「この大馬鹿者、」
真正面から受け止めた体温。
懐かしくて、柔らかくて、温ったかくて。
少し、痛かった。




