第十八話:『運命の出会い』
彼女の死後、私はしばらく立ち直れなかった。
入浴は三日に一度。
食事は出来合いが中心。
並には気を遣っていたはずのファッションも、物欲が全く湧かないせいで、着古した服をローテーションした。
何もしたくない。
誰とも会いたくない。
平日も休日も自室に閉じこもり、たまに外出をしても茫然と空を眺めて終わり。
彼女を殺した犯人にどう復讐しようかと、恨みつらみを糧としたライフワークも、長くは続かなかった。
ナントカって元彼は、法が罰してくれるけれど。
私のことは、罪に問うてさえもらえない。
だったら、私が私の罪を罰するしかない。
およそ人間らしさを断絶して、せめてもの償いとしたかった。
「───もう充分だろう。
彼女が死んだのは、君のせいじゃないんだ。
弔ってやるのは良いとして、君が殺したみたいに思い詰めるのは違うよ。」
「はい。」
「お店持つこと、彼女も楽しみにしてたんでしょ?
だったら彼女のためにも、彼女の分まで、夢叶えてあげようよ。」
「はい。」
「どうしても辛かったら、またいつでも、戻ってきていい。いつでも、なんでも相談に乗る。
命日にはこうして、ね。みんなで飲んだりしてさ。思い出してあげればいいじゃない。
君がずっと、そんな顔をしてることは、彼女を含めて誰一人、望んでいないんだからね。」
「……はい。」
築城を再開したのは、31歳の時。
ラウンジ時代の仲間を筆頭に、たくさんの人たちに励まされて、やっと重い腰を上げた。
「───帰省かぁ。」
「けどまー、会いたかったら会える距離じゃん?」
「だね。
旭川なら、バス一本で行けるしね。」
「ずっと心配してたから、ひとまずは、ね。良かったよね。」
「ね。」
「ありがとうございます。ご心配おかけしました。」
「たまには、こっちにも遊びおいでよ。オーナーも喜ぶしさ。」
「そういや、今日なんでオーナーいないの?」
「悲しくなるから、別れの瞬間には立ち会いたくないって。」
「それ前も聞いたな。」
「元気でね、志帆ちゃん。」
「……はい。
改めて、お世話になりました。
皆さんにも、よろしくお伝えください。」
札幌を拠点とする計画は改め、地元の旭川でイチから物件探し。
地元に愛着があって、ではなかった。
札幌に当てがなくて、でもなかった。
仮にも飲食店を営むならば、都会の方が有利ということも、重々承知していた。
「バイバイ。」
「さよなら。」
「またね。」
「いってらっしゃい。」
同じ景色に、留まっていられなかった。
お嬢さんと彼女と、共に過ごした思い出が、札幌の町にはあり過ぎる。
ここにいる限り、自力で殻を破るのは無理だと悟った。
だから環境を変えて、無理矢理にでも割り切ることにしたのだ。
生きた彼女の夢でもあった、独立を実現させるために。
死んだ彼女の幻を、置き去りにして。
「───こんにちは。」
「お姉さん。いらっしゃい。いつもの?」
「いつもので。」
「頑張るね~。
さすがに耳ばっかりじゃ飽きないかい?」
「揚げたり煮たりして、色々バリエーション変えてやってます。」
「良かったら、今度レシピ書いてあげよっか?
ちゃんと食事っぽくなる食べ方も出来るんだよ。」
「お気遣いすいません。
今日は奮発して、ドーナツも買っちゃいますかね。」
「まいどあり。」
二年間も引きこもっていた上に、急遽の移転で予定外の支出。
独立資金はみるみるうちに減っていき、生活費を切り詰めて凌いだ。
不便だった。
でも不満はなかった。不幸じゃなかった。
たとえ貧しくても、人間関係にだけは恵まれていたからだ。
「───そうだ、樫村さん。預かりものがあるんですよ。」
「私にですか?」
「あった。
これ、例のマスターさんから。」
「これは……。」
「自分とこで出してたメニューの、レシピだそうです。
畑は違うけど、同じ飲食なわけだし、なにかの役に立てばって。」
「………。」
「……ご迷惑でした?」
「まさか。嬉しいです。
ただ、通ってるパン屋さんでも、このあいだレシピを頂いたので。」
「へー。なんのレシピです?」
「私がパンの耳ばっかり買っていくものだから、少しでも美味しく食べられるようにってことで。」
「なーるほど。
節約中だって仰ってましたもんね。」
「ええ。
本当に有り難いんですけど……。
そんなにひもじく見えますかね、私。」
「いやいや、ひとえに人徳でしょう。
頑張ってることが伝わるから、皆さん応援したくなるんですよ、きっと。」
物件探しに付き合ってくれた周旋業者。
居抜きを薦めてくれたイタリアンオーナー。
各種手続きで応対してくれた事務員さんに職員さん。
見切り品などを融通してくれたパン屋さんに惣菜屋さん。
たまたま道で擦れ違っただけの人にさえ、私は親切にしてもらえた。
こんな、疫病神みたいな、公害同然のヤツなんかに。
もしかしたら、彼女らが余していった幸運を、私が勝手に回収してしまったのかもしれない。
「───やっとか。長かったね。」
「うん。ご心配をおかけしました。」
「こーんな爆イケ姐さんが一人でお店~、なんてなったら、絶対みんな放っとかないよ。
どうすんの?客から求められたら。」
「仮にそうなったとしても、上辺だけ応えて終わりだよ。
名前の変わる関係にはならない。」
「ワタシみたいに?」
「キミは最初から、私を求めてるわけじゃないでしょ。
そっちこそ、例の彼女とはどうなったの?」
「順当にいけば、離婚かな。」
「やったじゃん。略奪愛だ。」
「略奪なもんか。
体よく捨てられたところを颯爽と迎えに行く王子様がワタシよ。」
「そうなるといいね。」
「師匠も。」
「うん?」
「孤高主義も結構だけど、人との繋がりは途絶えさせないようにしなよ。
深い関係じゃなくても、友達同士、気兼ねなくご飯食べたり、お喋りしたりしてさ。
そういう時間が、人間には必要なんだから。」
「ユウちゃん……、」
「ん。」
「大人になったねぇ。」
「いくつだと思ってんのよ!」
33歳。念願の城が完成した。
店名は"from/NiKiTa"。
彼女のアイデアを尊重し、他の候補は選ばなかった。
「───すいませーん。」
「いらっしゃい。何名様?」
「アッ、あー……。
あの、わたし達……。そっちの人ってわけじゃないんですけど、それでもいいですか……?」
「もちろん。女性は誰でも大歓迎です。
お好きな席へどうぞ。」
大した宣伝もしなかった割に、客入りはまずまず。
毎日毎晩、馬車馬のように働いた。
過労で倒れることがあったとしても、本望だった。
"───約束してほしいことがあるんだ"。
先生。
あなたと出会った故郷の地で、私はお店を開きました。
みんなにも良き出会いがありますようにと、願いを込めて作ったお店です。
"一人ぼっちでいないで。
わたしに義理を立てようとしないで"。
あれから約10年。
あなたの他に、私は二人の女性と恋をしました。
一人は老舗酒蔵の跡取り娘で、私の暗さを吹き飛ばすほどに、明るい子でした。
二人は駆け出しのコピーライターで、私の悲しみに寄り添ってくれる、落ち着いた人でした。
二人とも、先生とは異なるタイプで、どこか先生と似ていました。
二人とも、先生とは異なる理由で、先生のように若くして亡くなりました。
"たまにはお寿司たべたり、旅行いったり。
みんなが楽しいって言うようなことを、君も素直に楽しんで"。
先生。
あなたは病で、天国へと旅立っていかれましたね。
残された私はとても辛かったけれど、見送る猶予があったおかげで、受け止められました。
他の二人は違うのです。
彼女らは旅立ったのではなく、奪われた。
彼女らを見送る猶予を、私は与えてもらえなかったのです。
"いいかい。
君には、幸せになる権利があるんだ"。
先生。
私は酷いやつでしょう。
あなたのことは、過去にできました。
あなたと過ごした青春を思い出しても、泣かずに笑えるようになりました。
他の二人は違うのです。
私は故郷に帰ってきたのではなく、逃げてきたのです。
彼女らの喪失は、未だに受け止めきれずにいるのです。
"いつかきっと、心から愛せる人に出会える。
初めて付き合った相手は保健の先生だったんだぜ、なんて。
いつか、笑って話せる日が来るよ"。
生憎と、私はまだ死ねません。
病に罹ってくれないし、車が轢いてくれないし、誰も殺してくれません。
天寿を全うする以外には無い気がします。
早く終わらせるには、自分で選ぶしかないのでしょうが、そうはしたくありません。
生きている以上、生きていきます。
死に物狂いで、生きます。
"志帆。わたしの天使。
君の存在が、わたしの人生で最も素晴らしい出来事だった"。
そうして、たくさん徳を積んで、いつか最期を迎えたら。
一度だけ、一目だけでいいから、会ってくれませんか。
私が地獄へ堕ちるまでの一瞬だけ、天国から降りてきてくれませんか。
"生きて"。
"生まれて良かったって、笑えるようになるように"。
先生。
どうすれば私は、人間になれますか。




