第十七話:『あなたを守りたい』
三十路を目の前にした転換期。
私は自分の店を持つことを決めた。
ラウンジの環境にもオーナーの人柄にも不満はなかったが、ここでは私の夢を叶えられないからだ。
ビアンバー。
お酒の有無に拘わらず、男性は決して立ち入れない、秘密の花園。
女同士、気兼ねせず寛げる場所を作ることが、いつからか私の夢になった。
「───あーん、まだ実感わかないよ~。」
「せっかく仲良くなれたのにぃー。」
「ありがとう。
これからも時々遊んだりしようね。」
「絶対だよ!」
「今の台詞、オーナーにも言ったげてね。」
「オーナー?
プライベートで遊んだことないけど……。」
「そーれーでーも!
物分かりいいフリしちゃって、なんだかんだ一番寂しがってんの、あの人だから。」
「見初めた張本人だもんね~。」
資金調達も、円満退社までのシナリオも、とんとん拍子の滑り出しだった。
店名をどうするかという、いの一番に立ちはだかった壁を、なかなか越えられなかった以外は。
「───聞いたよ。自分の店持つんだって?」
「ええ。
今年いっぱいで卒業させてもらうつもりです。」
「そっかー、寂しいなぁ。
みんな、志帆ちゃんに課金しに来てたようなもんだったのに。」
「買い被りですよ。
私に関係なく、いい店ですから、ここは。」
「ちなみに、もう決まってるの?」
「なにがですか?」
「名前。自分のお店の。」
「あー……。
いいえ。考えてはいるんですけど、なかなかね。」
せっかく自分の城を持つからには、晩年にも恥ずかしくない程度には拘りたい。
かといって拘りすぎると、一見さんが寄り付きにくくなる。
個性的で、かつ親しみを感じられるような、良きフレーズはないものか。
頭を抱えていたところ、ある女性がヒントを与えてくれた。
「じゃさ、ワタシも一緒に考えていい?」
「名前を?」
「そ。採用するかどうかは、そっちにお任せするからさ。
ほら、こう見えて一応、コピーライターですし。」
「それは有り難い。是非お願いします。」
彼女はラウンジの常連客で、私と同い年のコピーライター。
あくまでビジネスと割り切った上では、5年の付き合いになる人だった。
私を目当てに通っていたので、独立するなら今度はそっちを贔屓にする、と言ってくれていた。
「"フロムニキータ"……。由来は?」
「ニキータってフランス映画、知ってる?」
「知ってますよ。好きな映画です。レオン派ではありますけど。」
「私もレオン好きよ。どちらかと言えばニキータ派だけど。」
「なるほど。"フロム"は?」
「映画のラストでさ、ニキータがボブ宛てに手紙を残すじゃない?」
「ええ。」
「その手紙がどんな内容だったかって、ファンの間でいろいろ考察されてるじゃない?」
「ですね。」
「だから、そういう多様性?みたいのも含めて、手紙にかけて、フロム。」
「なるほど……。」
「あと……。
まだ不良だった頃の、ニキータの雰囲気がさ。ちょっと似てる気する。」
「私がですか?アンヌ・パリロー?」
「そうそう。」
「あー……、髪型だけは近いかな?」
「全体的に近いって!」
"フロムニキータ"。
彼女が好きだというフランス映画のタイトル、および主人公の通称から拝借した名前。
私の好きな"レオン"では何かと既出が多そうだったので、有り難く彼女のセンスに肖ることにした。
「───みて!ローストビーフ~!美味しそうでしょ!」
「ええ。
肉系被っちゃいました。」
「そうなの?なに?」
「燻製ベーコン。
自分じゃ滅多に食べないなって。」
「いいじゃんいいじゃん!今夜はお肉パーティーだ!
で、お酒の方は?なに作ってくれんの?」
「出来てからのお楽しみ。」
「フウ~!
独立して一発目なわけでしょ?"腕が鳴るぜ"?」
「お口に合えば。」
独立表明の一年後。
ラウンジを退社した夜に、私は彼女と祝杯を上げた。
門出を祝うためと、彼女が私を自宅へ招き。
世話になったお礼がしたいと、私が彼女へお酒を振る舞った。
プライベートでカクテルを贈った相手は、彼女が初めてだった。
「失礼な質問かも、だけどさ。」
「うん?」
「同性愛の……。
レズビアンの人たちって、どうやって知り合うもんなの?」
「それこそビアンバーとか、特定のコミュニティーに集まったり……。
最近だと、SNSで繋がる例も増えてきたって聞きますね。」
「出会い系ってこと?」
「ざっくり言えば。」
「志帆ちゃんは?
歴代の彼女さん達とは、どうやって?」
「私は……。
普通に、なんでもないとこで知り合って、最終的にそうなったって感じ、でしたね。」
「たまたまレズビアン同士、出会えたの?」
「の、人もいれば、もとは男性が対象だった人もいましたよ。」
「やっぱり。」
「やっぱり?」
「だって志帆ちゃん、魔性だもの。
彼氏や旦那さんがいた、いるって人でも、思わずクラッときちゃうものを持ってる。
ワタシなんか正にそう。」
うすうす、予感はしていた。
彼女が私に、好意を持ってくれていること。
意を決して、自宅へ招いてくれただろうこと。
こういう展開になるかもしれないことも含めて、お招きに預かった。
「遊び人だって、知ってますよね?」
「知ってるよ。
そういうポーズ取って、バリア張ってるってことも。」
「例外はありません。
たとえ好ましい相手でも、深い関係にはならないしなれない。
貴女のこともです。」
「うん。知ってる。」
彼女は知っていた。私が教えた。
私の恋愛遍歴と、犯した罪と、消えない傷を。
だから、誰に言い寄られても拒み続けた。
当分は根無し草でいるなどと、予防線を張っていた。
もう、なにひとつ失いたくないし、背負いたくないから。
先生の時のように焦がれたくないし、お嬢さんの時のように求められてもいけないから。
「けど、好きだって気持ちは、やめたくてやめられるものじゃあない。」
「私は────」
「分かってる。……わかってる。
付き合ってほしいなんて言わない。ただ、分かってほしいの、あなたにも。
ワタシが、あなたを好きなこと。
あなたは、自分で言うような、冷たい人間じゃないってこと。」
「買い被りなんですよ、ずっと。」
「通うから。お店。」
「遠いですよ?」
「遠くても、通うから。
志帆ちゃんの顔を一目見て、志帆ちゃんの作ってくれた一杯だけ引っ掛けるために、バス乗って、通うから。」
「貴女という人は───」
「"物好きなんだから"?」
「取らないでくださいよ、もう。」
それでも好きなんだと歌う唇は、ブルドックの味がした。
痛々しく笑う顔が、今際の先生と重なった。
「───樫村志帆さん、でいらっしゃいますか?」
ラウンジ退社三日後。
私の自宅に警察が訪ねて来た。
事情徴取にご協力をと、前口上に次いだ台詞は、彼女の名前と死因だった。
『───女性は一年ほど前からストーカー被害に悩まされており、警察にもたびたび相談に行っていたと。』
『どうしてこう、若い女性ばっかり狙われるんでしょうかね。』
『"若い女性"だからじゃないですか?』
『この前も20代の子が襲われて、前の前は女子高生だったでしょ。
遡ったらキリないくらい、みんな若くて、将来のある子たちで……。』
『好きだったとか何とか、加害者側の言い分も、同じようなのばっかりでしたよね。
好きなら何で殺すのって、まぁ、そんな常識あればね、そもそもストーカーなんてしないでしょうけど。』
『そうですね。
若い女性を狙った犯罪は、年々増加傾向にありまして───』
包丁でメッタ刺しにされた末の失血死。
犯人は彼女の元彼で、捨てられた腹いせで犯行に及んだらしい。
ニュースでは連日、彼女の事件が取り扱われた。
彼女に縁があるとしてラウンジも取材され、オーナーやスタッフがインタビューに応えた。
私にも同様のオファーがあったが、メディアへの出演は一切断った。
共通の知人友人からの連絡も、一切無視した。
"───別れたっていっても、もう三年以上前の話よ?
しかも向こうの浮気が原因で"。
"時間が経って、冷静になってみてやっぱり、貴女が大切だと気付いたとか?"。
"遅いってぇーの。
今さら復縁求められても応えるわけないし"。
"心配ですね。
しばらく、ウチ来るの控えた方が……"。
"イヤよ。
志帆ちゃんと飲んでお喋りするのが、ワタシの数少ない生き甲斐なんだから"。
"なら、ちょっとでも不安に感じることあったら、すぐSOS出すんですよ。
お友達でも、同僚でも、私にでも"。
"SOSしたら、助けに来てくれる?"。
"もちろん"。
"うれしい───"。
"まえ付き合ってたカレに粘着されてるのよね"。
何度か彼女に相談されたことがあった。
自分の不義理を棚に上げて、逆恨みでもしているのだろうと、彼女は呆れながらも怯えていた。
私は彼女と対策を講じた。
ケータイ番号を変えるためショップへ同行し、家を越すため荷造りを手伝い、タイミングが合えば送り迎えを買って出た。
おかげで無言電話や付き纏いの回数が減ったと、胸を撫で下ろした矢先に死んだ。
殺された。
失血死ということは、限界まで血を失って漸く、息絶えたということ。
息絶える瞬間まで彼女は恐怖し、激しい痛み苦しみに悶えたということだ。
"───樫村"。
報せがあったのは三日後でも、事件が起きたのは翌日。
私が帰って間もなくに、私と飲んだ痕跡のある部屋で、彼女は殺された。
かつて愛した人物に、どの家庭にもある包丁を使って、繰り返し刺された。
きっと、直前の記憶や長年の走馬灯、私の顔なんかも、脳裏に浮かべながら。
"───しいちゃん"。
やっぱり、私のせい、なのか。
先生とお嬢さんは恋人で、恋仲にさえならなければ回避できると。
なにか起きるにしても、きっかけから一年は猶予があると、思っていたのに。
関係性に関係ないなら、彼女はどうして死んだのか。
三人はどこに共通点がある。
"───志帆ちゃん"。
もしかして、好きになったからか。
彼女とは発展こそしなかったが、私も彼女を好いていた。
だとしたら、私と恋仲になった人ではなく、私に愛された人は死ぬ、のか。
「呼ぶな。」
先生と、お嬢さんと、彼女。
結末は異なれど、魔の手を誘ったのは私。
彼女たちに突き付けられたリボルバーの、引き金を引いたのが私。
私が、みんなを殺したんだ。
「私の名前を呼ぶな。」
ごめんなさい。ごめんなさい。
謝って赦されることじゃないけれど、生涯愛さないと誓うから。
寂しくても辛くても、空いた穴を埋めないから。
「お願いだから、」
神様、どうか。
どんな罰でも受けるから、私にかけられた呪いを解いて。
私を、死神にしないで。




