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マッドジンクス  作者: 和達譲
志帆視点:日本酒とブルドック
16/24

第十六話:燃えるように


先生が亡くなった翌年の春。

まるで後を追うように、私の父が急逝した。


アルコール過多による動脈硬化が招いた脳卒中。

平たく言うと、お酒の飲み過ぎが祟って、頭の血管ブチ切れて死んだ。

病院へ運ばれた頃には、既に手遅れだったそうだ。




「───これからは、私とお前の二人きり。

あの人のいない分まで、支え合って生きていきましょう。」


「……はい、母さん。」



不思議なほど、なんの感情も湧かなかった。


ずっと死ねばいいと、殺してやりたいとさえ願っていたのに。

現実には嬉しくも悲しくもならなかった。


先生の死から間もなかったこともあるので、こっちにまで気持ちが回らなかったのかもしれない。




「───急なことで、さぞ大変だったでしょう。」


「ええ。

でも娘がいてくれますし、遺産も少しはあるので。」


「そうね。

せめて娘さんが成人した後だったのが、不幸中の幸いね。」


「ええ。

本当によく出来た子で、頼りにしています。」



どうせ死ぬなら、先生の分も引き受けてほしかった。

先生の分まで、お前が二回死んでくれたなら、誰も不幸にならずに済んだのに。


父方の親戚に香典返しへ伺った際にも、そんな不埒を考えていた私は、とんだ欠陥人間だ。




「───"アルコールが齎す人体への影響"……。

これはまた、下世話なテーマを持ってきたな。」


「下世話だからこそ、切っても切れないと思ったので。」


「なるほど。

うちの学部では扱った例が少ないし、悪くないんじゃないか?」


「ありがとうございます。」


「にしても、なんで酒について書こうと思ったんだ?

好きなの?」


「逆です。

大嫌いだから、正体を暴いてやりたいんです。」



立て続けの不祝儀を経て、ようやく日常が戻ってきた大学四回期。

卒論のテーマをどうするか迫られた私は、お酒と人の付き合い方について考察することにした。


飲まないと居られなかった父と、好みはするが呑まれることはなかった先生。

同じ酒好きにして、ああも差が生じたのは何故か。


精神と肉体の両面にスポットを当て、"お酒とは何ぞや"を私なりに突き詰めた。

父を狂わせた元凶を解き明かせば、少しは赦してやる気になるかもしれないと、淡く期待して。




「───卒論ってもっと、地球とか宇宙とか、夢のあるっきなテーマを掲げるもんだと思ってたよ。

あ、悪い意味じゃなくてね。身近な問題を攻めてやろうなんて、なかなかシブいことするなーってさ。」



期待は見事に打ち砕かれた。

父は、お酒のせいで狂ったのではなかった。

元から狂っていた父を暴いてくれたのが、お酒だった。




「───ウチは一応、大正の頃から続いてますから。

先輩方にしてみれば、それでもヒヨッコの部類なんでしょうが、プライドはありますよ。自分の代で途絶えさせる訳にもいきませんのでね。

良かったら、いくつか試飲していかれます?」


「───もちろん、妙なのも来るには来ますけど。数えてみれば案外、一握りですよ。

大概の人は、こっちが注意しなくても、自分でマナーを守ってくれます。

我々は後者のような、正しく(・・・)楽しんでくれる人に、楽しい時間と空間を提供するのが役目です。」



老舗酒蔵の当代も、流行りのラウンジオーナーも。

みな、誇りを持って仕事をしていた。

人々の暮らしを豊かにするため、彼らは酒を作り、売っていた。


単に金儲けの場合もあるとして、私が取材した限りには当て嵌まらなかった。




「───本当に出ていくの?

うちからだって、通えなくはないんでしょう?」


「通えても、朝帰りすること多いらしいから。

不規則な人間と暮らすのは、そっちのがしんどいよ?」


「私は別にそれくらい───」


「そういうわけだから。元気でね、母さん。」




残念ながら、卒論は及第点に終わったけれど。

先の一件で、私は三つのものを得た。


一つは働き口。

取材先であるバーラウンジにて、オーナーさんにスカウトされた。

お酒に対する暗いイメージは払拭されたし、店の雰囲気にも惹かれたので、口約束ながら了承した。


二つは恋人。

別の取材先である酒蔵にて、跡取り娘にアプローチされた。

当面は恋愛をしない気でいたが、あまりに熱心に迫ってくるので、白旗を上げざるを得なかった。


三つはパーソナルスペース。

自立するに伴って、生家を出た。

母からは相当に渋られたが、絶縁するわけでなし、たまには様子を見に来るし電話もしてやる。

親離れ子離れをするには、丁度いい機会だった。




「───志帆ちゃん、これ。」


「なんですか?」


「ラブレター。

今週入って三度目ね。」


「相手は?」


「30代半ばくらいの、OLさん風のお姉さん。」


「夜の魔法は恐ろしいですね。」


「またまた謙遜しちゃって~。

おかげ様で売上も好調だし、すっかり招き猫ちゃんだ。」


「招いてもネコ(・・)はやらないですよ。」


「おっと、そうだった。

ま、ぼちぼち対応してやって。」



仕事は順調。

真面目な働きぶりを評価され、一介のスタッフからバーテンダーへの転身を奨められた。

腰かけ同然に始めた水商売は、まさかの天職だった。




「───しーいちゃん、みてみて。」


「メガネ?」


「そう!ダテなんだけどね、友達に貰ったんだー。

アラレちゃんみたいで可愛いでしょ?」


「うん。かわいい。」


「……もしかして、先生と重なっちゃう?」


「………ごめん。」


「謝んないで。こっちこそ、無神経でごめんね。

やっぱりこれ、しいちゃんの前では掛けないようにするから。」


「そんなこと言わないで。よく似合ってる。」


「でも────」


「今の私は、君が好きだから。」


「……うん。

あたしも、今のしいちゃんが好きだよ。」



恋愛の方も存外、順調だった。

跡取りのお嬢さんは色んな意味で真っすぐで、その純粋さと力強さが私の傷を癒してくれた。


先生の手前、罪悪感がなくはなかったけれど。

すべてを引っくるめて、お嬢さんは私を愛してくれた。




「───どうしたのよ、それ。」


「ピアス?開けた。」


「どうして。」


「なんとなく。」


「"なんとなく"で親から貰った体に───」


「タトゥー入れるよりマシでしょ。これ今月分。」


「ちょっと待ちなさい志帆。

こないだも突然、髪染めたりして、一体なんだっていうのよ。

私への当て付け?」


「来月からはまた振り込みにしておくから。」


「志帆!!」



変わりたかった。

変わる努力をした。


コンペに出るためバーテンの腕を磨き、お嬢さんともデートを重ねた。

以前の私と逆をいけば間違いないだろうと、信じていた。






「───それって、いつ頃から始まったの?」


「たぶん先月。

厄年でもないのに、ほんとヤんなっちゃうよ~。」



カウントダウンは、また突然始まった。




「───てなわけで、じゃん。ニューモバイル。」


「おおー。CMのやつ?」


「あたり!」


「使いやすい?」


「まあまあかな。

問題はデータよ。しいちゃんとの思い出、ほとんど消えちゃった。

こんなことなら、まめにバックアップ取っとけば良かったぁ。」


「……また、増やしていけばいいじゃない。

消えないように、今度はちゃんとしたカメラでも撮ってさ。」


「だね。

思い出自体が無くなるより、よっぽどマシだよね。」



"聞いて、またアンラッキーがね"。

いつからか恒例となった、お嬢さんのトラブル報告。


何もないところで転びやすくなったり、手回り品を紛失しやすくなったり。

ある時から不運の連鎖が始まり、日に日にエスカレートしているという。


私は俄に胸騒ぎを覚えながらも、埋め合わせの利かないことはないからと、お嬢さんを励ました。

励ますしか、しなかった。




『───志帆ちゃん?』



コンペを控えた週末。

毎日欠かさなかったお嬢さんとのメールが、途絶えた。

手隙もないほど忙しいのだろうと配慮して、その場では催促せずに返信を待った。




『いつも、娘がお世話になっています。

今日は、娘に代わって、お伝えしなければならないことがあって。

私の方から、ご連絡させて頂きました。』



三日後。

知らない番号から、私の携帯に電話があった。


娘が交通事故に遭い、亡くなったと。震える声の主は、お嬢さんのお母様だった。


メールが途絶えた当日に、お嬢さんは酒気帯びの車に轢かれて、死んだ。

搬送するまでもなく、即死だったそうだ。




「───毎日毎日、今日はシイちゃんとこんなことをした、こんな話をしたって、そればっかり。

私たちが笑って、ハイハイってあしらうまでがお決まりだった。」


「はい。」


「過去にお付き合いしていた、どんな男の子より、あなたに夢中だった。

あの子が選んだ相手ならって、私たちも納得できた。」


「はい。」


「いつか、日本でも同性婚が認められたら、シイちゃんと二人で、一番キレイでゴージャスなドレスを着るんだって。

さすがに気が早いんじゃないって、また皆で笑って、なんだかんだ皆で、楽しみだった。」


「はい。」


「人って、本当に、いきなり死ぬのね。」


「………。」


「あなたのおかげで、あの子は幸せだったわ。」


「いいえ。」


「ありがとう、志帆ちゃん。

あなただけでも、どうか、健康に、長生きしてね。」




死んだ。また死んだ。

知り合って二年、付き合って一年。

恋人が、また、死んだ。


お嬢さんは、先生とは真反対のタイプだった。

髪型は先生と違って短髪で、体型は先生と違って小柄で、顔立ちは先生と違って可愛い系で。

年齢も先生と違って、私より年下だった。


先生とはやらなかったことも、たくさんした。

手を繋いでデートにも行ったし、ご両親へ挨拶にも伺ったし、"大好き"も"愛してる"も伝え合った。


なのに死んだ。

先生みたいに、恋人になって一年で死んだ。


さすがに二人連続となれば、ただの偶然とは言い難い。

もともと死ぬ運命にあった人を私が選んでいるのか、私が選んだせいで死ぬ運命を辿ってしまうのか。

かなり際どい二択だが、重要なのはそこじゃない。




「───気持ちは分かるけど、でも……。

あんなに頑張ってきたのに……。」


「いいんです。

こんな状態で臨んでも、お店の評判潰すような結果しか、出せないですから。」




お祓いをした。

オカルト雑誌を読み漁った。

祖先や生家のルーツを洗った。

なにが原因なのか、調べて調べて調べ尽くした。


なにも分からなかった。

私が悪いとも、相手が悪いとも、確証はどこにもなかった。

改善のしようがなかった。




樫村志帆の恋人だった女性が、死んだ。

耳を塞ぎたくなる事実だけが、残った。



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