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マッドジンクス  作者: 和達譲
志帆視点:日本酒とブルドック
15/24

第十五話:焼けたような



『───ごめん、遅いのに。ちょっといいかな。』



カウントダウンは、突然始まった。




『聞こえなかった。もっかい言って。』


『だーから、癌だよ癌。ガーン。』


『なんで。』


『なんでも何も、なんでかよく分かんないのが癌でしょ。』


『ちょっと待って。待って待って待って。まって。

いっかい冷静になる。』


『そうして。』


『前の時は見付かんなかったんだよね?なんでこんな急に?』


『一年でモリモリ増殖しちゃったんじゃない?

それだけ、わたしの体が居心地いいってことね~。』


『子宮系の癌って、いきなり癌にはならなくて、なんとか異形成?ってのを経て、徐々にって聞いたことあるけど。』


『よく知ってるね。』


『……治るんだよね?』


『んー。

ま、なるようになるっしょ。』



"病気になっちゃった"。

口ぶりは他人事ひとごとのようでも、必死に嗚咽を堪えているのが、スピーカー越しにも分かった。


ステージ1の子宮頸がん。

昨年の検診には居なかったはずの"そいつ"は、着々と先生の体を蝕んでいった。




「───てんい、」


「する前に、を取っちゃうの。」


「他に……、方法ないの?」


「なくはないけど、後手後手になっちゃうから。

どっちみち進行は止められないし。」


「だからって……。

なくなるんでしょ。体の一部。消えちゃうんでしょ。怖いでしょ。」


「怖くても、命なくなるよりかマシってね。

いやー、結婚してなくて良かった。」


「………。」


「そういうわけで、別れてください。」


「ふざけんな。絶対やだ。」


「こっちのセリフ。

子宮頸がんの主な原因、調べたんでしょ?

残念ながら、わたしは清廉潔白じゃあないのよ。」


「30年も生きてりゃそんくらいあるでしょ。

前は普通に彼氏いたってのも聞いた。」


「それともなーに?

カラッカラのミイラになってく様をお披露目しろっての?」


「そうだよ。」


「今より益々しんどくなるんだよ、お互いに。」


「分かってる。」


「分かってない。」


「分かってないのはアンタの方。

病気の恋人捨ててくなんて、私に十字架背負わせるつもり?

しもの世話でも何でも、させてよ。」


「……ほんとに、言うようになったなぁ。」



ステージ1だから。

早期の範疇だから。

前向きでいられたのは、最初のうちだけ。


癌とは、血気盛んな若者こそ抑えるのが難しい病。

先生の場合も例外ではなく、あっという間にステージ1から2、2から3へと移行し、子宮の全摘出を余儀なくされた。




「───そんな泣かないでよ。目腫れるよ?」


「代わってあげたい。」


「断固拒否。」


「アンタばっかりこんな、かわいそう。」


「女じゃなくても愛してくれるかい?なんちゃって。」


「当たり前でしょ。

ミイラになってもババアになってもキスしてやるよ。」


「ミイラからババアなの?ふつう逆じゃない?」



"女じゃなくなっちゃった"。

また他人事のように笑った先生は、子宮どころかおっぱいの肉も削げ落ちて、本当に性別を失くしたみたいだった。


私はなんと言葉をかけていか分からず、どんな姿になっても貴方を好きだと伝えることしか出来なかった。




「───ほんとに誰も来ない?」


「当分はね。

で、どうやって持って来たの?」


「これ。」


「水筒じゃないか。小学生の遠足みたいだ。」


「中身は大人の飲みモンだけどね。はい。」


「ありがとう。キミも。」


「ん。」


「改めて、ハタチの誕生日おめでとう。」


「ありがと。

80まで祝ってね。」


「おや、あと60年ぽっちでいいのかい?」


「じゃあ100まで。」


「その頃には……、わたしは114かぁ。」


イイヨ(・・・)ー、の年じゃん。」


「イーヨー。

あはは、ほんとだ。」



宣告から一年後の秋。

闘病も虚しく、先生は天国へと旅立った。

私の成人祝いとして、周りの目を盗んで酌み交わした、三日後のことだった。




「───まさか、気付かれていなかったとでも?」


「え……。」


「僕が許可を出したんです。

まだ味覚がハッキリしているうちにと、ご本人から要望があったので。

だから特別に、目をつむったんですよ。」


「そうだったんですか……。」


「……喜んでおられましたか?」


「……はい。とても。」



直前にお酒を飲ませたせいに違いないと、私は担当医に白状した。

担当医は飲酒との因果関係を否定し、いつ息を引き取ってもおかしくない状態にあったと付け加えた。

もしかしたら、あなたが大人になるのを待っていてくれたのかもと、看護師さん達には慰められた。




「───志帆ちゃん。」


「あ……。おばあちゃん。」



葬儀は密葬。

先生の親族と、先生と親しかった一部の友人のみで、内々に執り行われた。

そこで私は、先生の生い立ちを知った。




「てことは、先生のご両親がお見舞いに来なかったのって───」


「連絡はしたんだけどね。何度も。結局、返事はこなかった。」


「入れ違い、なんだと思ってました。私とは時間帯が別なだけで、私のいない時に、ご両親と会ってるものとばかり……。」


「そう……。

話してなかったのね、あなたには。」


「どうして、言ってくれなかったんでしょう。

実は疎まれていたんでしょうか。」


「逆ね。大切だったのよ。

だから変に心配されたり、同情されたくなかったんだわ。」


「心配、させてほしかったのに。」


「ありがとう。

あの子を支えてくれて、あの子を好きだと言ってくれて。

本当に、ありがとうね。」



先生の父親は、彼女が生まれて直ぐ出奔。

母親もシングルマザーとしては生きられず、実家に先生を押し付けたらしい。


おじいちゃん・おばあちゃんに育てられたとは聞いていたが、仕事で忙しい両親に代わってなんだと解釈していた。

両親の存在自体が抜け落ちていたとは、想像もしなかった。


だって、そんな素振り皆無だった。

底抜けに明るくて、なんとかなるさが口癖だった先生が、実は深い悲しみを抱えていただなんて。




「いかないで、」




子供っぽいと、この人には私が付いていてやらないと駄目なんだと、思っていた。


違った。

先生はとても大人で、私が先生を必要としていたんだ。




「もえないで、」




碌にお礼も、生意気に接してきた詫びも出来なかった。

先生と出会えたおかげで私の人生は始まったことを、ちゃんと伝えられなかった。




「きえないで、」




もっと堂々と、イチャイチャしておけば良かった。

誰に後ろ指を差されようと、恋人なんだと皆に自慢して、真昼でも手を繋いで歩けば良かった。


もっと、何度でも、一生分を前倒しにするくらい、愛していると言えば良かった。






「やっぱり、お酒は嫌いだ。」



抜け殻のようにして迎えた49日。

先生と最期に酌み交わした日本酒は、一人で飲むと味がしなかった。



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