第十三話:四度目の喪失
紆余曲折あって、私の好意は受け入れられた。
まだ"ごっこ"の延長ではあるが、これからは志帆さんと、足並みを揃えて歩いていける。
恋人としてパートナーとして、信じ合い支え合える道を。
と、幸福の絶頂に至った翌日。烏にフンを落とされた。
更に三日後にはガムを踏み、更に五日後には免許証を無くした。
志帆さん曰くの"ちょっとした不幸"が、立て続けに私の身に降り懸かった。
まさか、と一瞬過ぎったが、その程度は日常的に起こり得るもの。
ナーバスになっているせいで、大袈裟に感じてしまうだけかもしれない。
そう思って、志帆さんへの報告はやめておいた。
せっかくの蜜月期間に、余計な心配をかけたくなかった。
「───今、なんと。」
「やー、俺もいろいろ、頑張ったんだけどね。
やっぱり地域柄っていうか、時勢柄なのかね。」
「つまり?」
「さすがに限界ってこと。廃業。」
「急───、す、ぎませんか。そんな、」
「ごめん。」
「せめてなんか、もっと、相談とかしてくれれば───」
「前もって言ってやれなかったのは謝る。でも、俺としても急なことだったんだ。
まさか、……いい関係を築けてると、思ってたんだけど。今更になって切られるとは、予想してなくてさ。」
「取引ですか。」
「そう。
首の皮一枚、切れちゃった。」
「………。」
「退職金は、できるだけ捻出する。
転職先も、当てがなければ紹介する。
君ならどこでも重宝されるだろう。」
「親方、」
「今まで支えてくれて、ありがとね。
……不甲斐なくて、ごめんね。」
更に何日か経って、9月初頭。
本業の勤め先が、店じまいすることになった。
バイクに特化したカー用品店なんて、よほど栄えた都心部でもない限り、流行らないのは承知していた。
けど、贔屓にしてくれる上客もいたし、オーナーも現役だし、なんだかんだ持つだろうと楽観していた。
どうして、こんなに、急に。
件の不幸とやらは、段階的に引き上げられるんじゃなかったのか。
僅か一ヶ月で職まで失うのは、段飛ばしが過ぎるんじゃないのか。
「───音ちゃん?」
「ンェ?」
「ぼーっとして、どうしたの?」
「ああ……。
きのー遅くまで動画みてたもんだから、寝不足で。」
「なんの動画?」
「聞きたいですか?」
「やっぱやめとく。」
「ふへへ。」
「……なんでもいいけど、無茶だけはしないでね。」
疑惑は疑念に、不安は恐怖に、私の能天気は空元気へと変わっていった。
志帆さんへの報告は、やっぱり出来なかった。
「───連敗記録の進捗どうよ?」
「18連敗ちゅー……。」
「うーわ。今度はどこ?」
「パチンコ、引っ越し、ゴミ収集……。」
「そのラインナップで落ちるって、よっぽどだな。
なにが駄目だって?」
「わかんない……。ずっとお祈りされてる……。」
「職歴はまずまずだし、資格もそれなりにあるし……。
印象は悪くないと思うのに。」
「貴社に言ってやってください……。」
「ま、最悪ウチを本業にしちゃえばいいんだし?いよいよ困ったら逃げてこいよ。
不動のナンバーワンは譲ってやんねえけどな。」
いやいや、偶然が重なっただけの可能性もある。
ここで挫けるようでは志帆さんに、少し前までの自分に申し訳が立たない。
心機一転、就職活動開始。
面接どころか書類審査すら通らなくても、めげずに履歴書を書き続けた。
副業の男装喫茶は平常運転だったのが、食い扶持的にも精神的にも幸いだった。
「───本当にいいの?
志帆さんに会いたいーって、寝言でも言うくせに。」
「いーの。
どーでもいー飲み屋で安酒あおりたい気分なの!」
「ごらんし〜ん。」
そして、11月の終わり。
間もなく師走に差し掛かろうという時節に、疑念が確信となる事件が起きた。
「あんだよ、ぜんぜん進んでねーじゃん。」
「だってなんか、安っぽい味する。」
「安酒あおりたいつったの誰だよ。普通に美味いじゃん。」
「んー……。
悪くはないけど、人工的つか、有り合わせつか……。
志帆さんだったら、生のレモン絞ってくれるのに……。」
「結局かよ。
昔は市販のチューハイでも喜んでたのになぁ?」
「残りあげる。」
「自分どうすんの。」
「日本酒にする。」
「珍しい。」
この日、私は司と飲みに出掛けた。
なかなか就職が決まらない私の激励会という名目で、司がセッティングしてくれたのだ。
どの地域にもあるような、派手すぎず地味すぎずの大衆居酒屋。
フロムニキータ以外で飲むお酒は味気なかったが、志帆さんの目がない点に於いては都合が良かった。
「さすが居酒屋。あんだけ飲み食いして一万越さない。」
「ごっそさん。」
「うむ。
落ち着いたら、今度はお前が奢れよ~。」
「わかってるよ。」
「んで、どうする?どっか行きたいとこある?」
「んー……。」
「なに、遠慮してんの?」
「そういうんじゃないけど……。」
居酒屋を出た後は、二軒目をどうするか司と相談した。
別の店で飲み直すか、ご無沙汰のカラオケと洒落込むか。
たまにはネカフェで朝までコースも乙だな。
なんて軽口を交えつつ、商業ビルの階段を下りていくと、ふと背後から切羽詰まった声が聞こえた。
なんだと振り返った時には手遅れで、私はどこぞの馬の骨に巻き込まれる形で、踊り場まで転げ落ちていった。
「音々────!!」
後から司に教わった話。
同じ居酒屋を出たジジイが、足を滑らせたのが発端らしい。
ジジイ酔っ払いの上にデブだったし、床も雪溶けの水で濡れてたし。
いつ事故に発展しても、おかしくない状況ではあったわけだ。
私を下敷きにしたおかげでジジイほぼ無傷だったのは、"しょうがない"の一言で片付けたくねえけど。
結果。
私は全治三週間の怪我を負い、二週間余りも入院をする羽目になったのだった。
「───小田切さーん、おはようございまーす。」
「おはようございます……。」
「うふふ、まだ眠そうですね。今朝の具合はどうですか?」
「いいですよ。美人の笑顔はよく効きます。」
「もー、ホストクラブじゃないんだから~。」
生まれて初めての骨折。
病院での寝泊まり。
丈夫な私には無縁と思われた体験だが、実際にはそう悪くなかった。
ナースのお姉さんは親身に世話してくれるし、病院食も噂ほど不味くないし、費用もジジイ負担で折り合いがついた。
なにより、後遺症が残らない範疇で済んだのは、むしろ幸運と言うべきだろう。
「───そんな顔すんなってば。」
「私が付いていながら……。」
「いやいや、あんなん誰も止められるワケねーし。
せめてお前は無事で良かったよ。ナンバーワンが一ヶ月も不在じゃ、みんな困るんだ。」
「お前いなくたって穴デケーよ。」
「ごめん。
爆速で治して戻るから。」
「うん……。
次なんか持ってきてほしいモンある?」
「もう来なくていいってば!」
事故現場に居合わせた司は、しつこいくらい何度も見舞いに訪れた。
私はこの有様で、自分はどこも何ともないのが辛いのだろう。
いざとなると発露する繊細な一面こそ、司の中に隠れた靖子の人格であることを、私は知っている。
「そろそろ行くわ。」
「おう。
次は店の格好まんまで来んなよ。つか来んな。」
「うるせ。
退院の日取り決まったらな。」
平日の昼下がり。
6度目の見舞いに訪れた司が退出し、一息ついたところで、再びの来訪者があった。
司と入れ違いで現れたのは、ここに来るはずのない、志帆さんだった。
「───なんで、」
「司くんに聞いた。」
「な────」
「"口止め"、されてたみたいだけど。
黙ったままでいるのは義理を欠くからって、教えてくれた。」
「えっと……。」
「そこ、座っていい?」
「……はい。」
あのヤロウ。
志帆さんにだけは絶対言うなと口止めしておいたのに。
志帆さんとの約束事を司は知らないから、そりゃそうなるか。
詰めが甘かったな。
「これ、お見舞い。」
「ァダ、アス、づ、ありがとナス。」
「具合どう?」
「よ、良かとです。」
「そう。」
沈黙が痛い。
なんで今日に限って、私の見舞い客しか来ないんだ。
もっとガヤガヤしてくれよ。
二人だけの空間にしないでくれ。
「車のお店、閉めたんだってね。」
「ヌッ、ブ、ま、なんの話───」
「誤魔化したって遅いよ。それも司くんに聞いたから。」
やっぱりか。
司が白状してしまったのは、事故についてだけじゃなかったようだ。
「仕事のことも、事故のことも。
───最近、ウチに顔出してくれなくなった理由、ぜんぶ。」
店じまいの旨をオーナーに宣告されて以来、私はフロムニキータへ近寄らなくなった。
タイヤ交換の繁忙期だからと、事実とは逆の言い訳をして。
就職活動で忙しかった、のも一理あるが、違う。
会えなかったのではなく、会いたくなかった。
志帆さんの前で嘘をつくのが、暴かれまいと緊張しながら接するのが、忍びなかった。
だから遠退くことにしたんだ。
また自然と笑えるようになるまでは。
「嘘、ついたんだね。」
「違います。」
「なにが違うの?」
「別に、あの、志帆さんのそれとは違うくて。
これは、なるべくしてなったことですから。
店は元から火の車でしたし、怪我したのだって私の不注意で───」
「"繁忙期"だからって話じゃなかった?」
「あ。」
やっちまた。
自分で捏ねた言い訳で、自分の首を絞めちまた。
なんだっけ、策士策に溺れる?
「いや、いい。分かってる。
そりゃ言えないよね。心配させたくなかったんだもんね。」
「あの、」
「でも、もういいよ。もう嘘つかなくていい。
答えは出たから。」
「志帆さん、」
「今までありがとう。
短い間だったけど、好きな人と過ごす時間は幸せだった。」
私の反論を悉く遮断して、志帆さんは席を立った。
「交際期間は今日で終わり。
明日からは店のオーナーとお客さん、もしくは他人だ。」
「待って志帆さん、」
「バイバイ、音ちゃん。」
頭のてっぺんにキスをされる。
私は志帆さんを捕まえようとして、ひらりと躱された。
「ごめんね。」
傷付くのも傷付けるのも嫌で、志帆さんは分厚い殻に閉じこもっていた。
私はそこに無理やり踏み入って、荒らすことしかしなかった。
また志帆さんに、喪失の痛みを味わわせてしまった。
あんな顔を、させたいんじゃなかった。
「ごめんなさい、しほさん。」
退院した後も、新しい勤め先が決まった後も。
私は、フロムニキータへ行かなかった。
志帆さんと、会わなくなった。




