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マッドジンクス  作者: 和達譲
コーヒーかレモンサワー
12/24

第十二話:マッドジンクス



「───じほざんは、」



ずびずびと鼻を啜りながら、志帆さんの方に振り返る。



「志帆さんは、なんでだったんですか。

男に生まれなくて良かったって、思ったの。」



薄く笑った志帆さんは、私の涙を拭ってくれた。




「私も、父親だったよ、クソ野郎。」


「どんな……?」


「お酒で暴れるタイプの人。

酔うと色んな箍が外れて、母と私をビール瓶で叩いた。」


「……離婚は?しなかったんですか?」


「する前に死んだ。

飲み過ぎが祟って、頭の血管ブチれて地獄行き。

でなきゃ私が殺してた。」



涼しげに毒づく志帆さんだが、不思議と悪い印象は覚えなかった。


むしろ、志帆さんほどの人でも、クソ野郎とか殺すとか、口汚くなる一面があるんだと。

亡き父親に対する憎悪さえ、酷く扇情的に感じられた。




「じゃあ、せめてもの幸い、でしたか。

クソ親父いなくなれば、お母さんと二人で静かに───」


静かに(・・・)、生きられたら良かったんだけどね。」



指先で私の鼻を摘まんだ志帆さんは、力なく壁に凭れ掛かった。

父親が早死にしてくれて万事解決、とはいかなかったようだ。




「お母さんとも、なにかあったんですか。」


「それこそモラハラってやつだよ。父親が生きてた当時からね。」


「どういう?」


「一人娘として、一人の女の子として、模範的であるようにって、幼稚園の頃から教育されてた。

父親があんな調子だったから、余計に私に執着したんだろうね。

よく私のことを、"生き写し"だの、"もう一人の自分"だのって言ってたよ。」




志帆さんのお母様は、"我が子に自分を投影する"タイプだったようだ。


"この子だけは、いつでも自分の味方でいてくれるはず"。

"この子には、自分が叶えられなかった理想の人生を送ってほしい"。


お腹を痛めて産んだからこそ、盲目的に信頼するし執着する。

一見には愛情が深いようでもあるが、突き詰めればエゴイズムに他ならない。


"子"としての志帆さんばかりを求め、"個"としての志帆さんを蔑ろにする。

ある意味で、私の母が父に受けたそれより残酷で、救えないかもしれない。




「今はどうされてるんですか?」


「稚内の、どこだったかな。

学生来の親友がおんなじように、配偶者に先立たれたとかで、合流したんだよ。

独り身同士、一緒に暮らそうってさ。」


「子離れしてくれたんですね。」


「向こうがっていうか、私が突き放した。

ちょっとずつ家を空ける機会を増やしていって、私がいない環境に無理やり慣れさせた感じ。」


「……う、上手くいって良かった、ですね。」


「苦労したけどね。

月一ツキイチで電話はしてるから、それくらいの距離感で丁度いいんだよ。

あの人も、私も。」



志帆さんの纏う色気は、ひとえに才能でも、天性でもなかった。


壮絶な幼少期を経て、数多の苦難と絶望を乗り越えた末に、レズビアンでボイタチでふんわりサディストでバーテンダーの樫村志帆となったんだ。


どうりで私は、本来の好みから外れた彼女に、こうも惹かれてしまったわけだ。




「お酒で苦労したのに、バーテンダーになろうと思ったのは?」


「お酒が人を悪くするんじゃなくて、悪い人をお酒が教えてくれるんだ、って気付いたから。」


「なんか聞いたことある。」


「テメエの本性あぶり出すツールと思えば、お酒ほど合理的なものもないでしょう?

悪酔いしておイタ(・・・)する奴がいたら、さっさと叩き出してやれるしね。」



ニヒルな志帆さんがカッコ良くて、流した涙がすっかり乾いた。


酒の勢いで言動が荒くなったりすれば、私も容赦なくフロムニキータを出禁にされるんだろうな。

恐ろしくて、なんだか嬉しい。




「"あんまり見せたいものじゃない"。

ってのも、そういう理由だったりしますか。」



志帆さんと同じ目線まで起き上がる。

志帆さんは再びこちらに背を向けると、シャツのボタンを外し始めた。




「汚いでしょ。

コーヒー零したみたいで。」



露になった志帆さんの背中には、茶色い染みが点々と広がっていた。

色素沈着でこれだけ濃いのだから、生傷はさぞ痛々しかったことだろう。


私は返事をするより先に、"コーヒーを零したような"背中に手を伸ばした。




「痛かったですか。」


「忘れた。」


「忘れるわけないでしょ。忘れたいだけ。」



盛り上がった肩甲骨と、浮き上がった脊柱に、指を這わせる。


辛うじて女性性を残した、志帆さんの体。

柔らかさも温もりも人並みに足らないけれど、好きな人の一部とあれば、無条件で愛おしい。




「ね。気持ちいい。」



タオルケットをはだけて、後ろから志帆さんを抱きしめる。

肌と肌を重ね合わせて、私の鼓動を直に伝える。


無言で抱擁を受けた志帆さんは、私の回した腕に恐る恐ると触れた。




「好きです。」


「目覚ませって。」


「覚めてます。」


「君はいい子だ。

素晴らしいお母様の教えを大事に、悪い父親の影と一生懸命戦ってる。」


「志帆さんだって。」


「私は戦う前に死んだ。

君と違って、母親もまともじゃなかった。

生まれも育ちも野蛮なんだよ。」


「だったら世界イチ綺麗な野蛮です。」


「聞き分けがないなぁ。」



何度繰り返したか分からない押し問答。

志帆さんが呆れて喉を鳴らす。


そのまま諦めてよ。

私を諦めさせることを。




「こうなったら、切り札を使うしかないね。」


「切り札?」


「私の愛した女たちが、どういう末路を辿っていったか、教えてあげよう。」



抱擁を解いた志帆さんは、私の心臓のあたりを指差した。




「死ぬんだ。」


「は、」


「一人は病気で死に、二人は事故で死に、三人は殺された。

三人が三人とも、原因は別でも、最後には死んだ。

私と恋をするってことは、そういうこと。」



志帆さんの冷めた息遣いが、淀んだ眼差しが、ブラフでないと駄目押ししてくる。


死ぬ。

志帆さんの恋人となった女性は、漏れなく死ぬ。

じわじわと進んでいった不幸が、最終的に死を招く。


さすがの私も、それくらいヘッチャラだと、即答はできなかった。




「この三ヶ月、一緒に過ごしてみて、君が見た目以上に素敵な子だと分かった。惹かれ始めてるのも白状する。

だからこそ、もう駄目だ。今ならまだ引き返せるから、終わりにしよう。

友達としてなら、末永く、仲良しでいられるはずだから。」



私の胸板に、志帆さんが額を預ける。


きっと、悲しい顔をしているんだろう。

もしかしたら、泣いているかもしれない。


反対に私は、目一杯に口角を吊り上げた。




「やです。」


「おい。」



志帆さんの潤んだ瞳に睨まれる。

泣きそうだけど、泣いてはいない。




「だって今、"惹かれ始めてる"って言った。」


「だから駄目なんだって───」


「"最後には"、死ぬんですよね?

段階があるなら、付き合ってすぐ死ぬわけじゃない。」


「屁理屈だ。」


「屁理屈上等。

ンなふざけたジンクスに、いつまでものさばられて(・・・・・・)堪るか。」



先程されたように、鼻を摘まみ返してやる。

志帆さんは"ふぎぃ"と、子豚に似た声を発した。




「これからはもっと野菜食べて、運動して禁煙して、お酒も程々にします。

間違っても自分で死んだりしません。」


「………。」


「烏にフン落とされたり、道端のガム踏んだりした時は報告します。

どんなに些細なことでも、アンラッキー起きたら逐一教えます。」


「音ちゃん、」



志帆さんの頬を両手で包み、軽く持ち上げてやる。



「絶対死なないから。

少なくとも10年、いや20年は、志帆さんの目の黒いうちは、絶対死なないから。

いいかげん聞き分けろって、樫村志帆。」



こらえきれず表情を歪めた志帆さんは、今度は正面から私を抱きしめた。




「この大馬鹿者、」



やっと泣いたか、大頑固者。



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