第十話:性
「───"ごっこ"の体を弁えるんじゃなかったんですか。」
「恋人じゃなくてもセックスはできるでしょ?」
「こ、この人でなし……。」
「はは。可愛かったよ。」
事後、私は生ける屍になった。
最中の志帆さんはマジで死ぬほどしつこくて、マジで死ぬかと思ったというか何回か死んだ。
ネコ可愛がられる側が、いかに疲弊するかを体感させられた。
高い勉強代だった。
「はい。喉渇いたでしょ。」
「ありがとうございます……。」
「寒くない?」
「いいえ……。」
志帆さんが持ってきてくれたコップの水を一口飲み、志帆さんが整えてくれたタオルケットに全身くるまる。
優しさが胸に沁みて、ついでに腰が痛い。
「北海道の夏はさ、夜だけ夏じゃないよね。」
志帆さんも自分用のコップに口を付け、ベッドの端に腰掛けた。
私と同じシャンプーに、志帆さん特有の甘くほろ苦い体臭が混じって、ふわりと香る。
「まあ、昼夜の寒暖差はエグいっすね。」
薄い背中、細い腰、乱れた髪、縒れたシャツ。
34歳に似つかわしくない瑞々しさと、34歳ならではの風格を前に、得も言われぬ感情が込み上げる。
「志帆さんって脱がないタイプなんですね。」
「うん?
まあ、そうかな。あんまし見せたいものでもないし。
音ちゃんは?」
「私も最中は脱がないですけど、裸でギューすんのは好きですよ。
肌と肌が合わさる感じとか、相手の体温が伝わる感じとか、気持ち良いから。」
「そっか。」
志帆さんは服を脱いでくれなかった。
私もタチる時は脱がない主義だから文句はないけど、志帆さんは主義だけの問題じゃない気がした。
「志帆さん。」
「うん?」
「志帆さんは、男になりたいって思ったこと、ありますか。」
コップをサイドチェストに置き、ベッドに仰向けになる。
「それは、同じタチとしての疑問?」
「タチはタチでも、ボイタチとしての疑問。
男みたいなナリしてる以上、一度はぶつかる壁かなと。」
志帆さんはこちらを一瞥して、頷いた。
「そうだね。
そういう時期も、なくはなかったかな。」
「今は違うんですか?」
「……むしろ、男なんかに生まれなくて良かったと思うよ。今は。」
なげやりに呟くと、志帆さんは残りの水を飲み干した。
「音ちゃんは?
男になりたいと思う?」
すぐに質問で返したのは、掘り下げられたくないからか。
志帆さんへの言及は保留として、自問自答に切り替える。
「なれるもんなら、なりたかったですよ。
男と女なら、結婚できるし、子ども作れるし。
普通以上も以下も、求められずに済みますし。」
「そうだね。」
「セックスだって一緒に気持ち良くなれます。」
「ふふっ。そうだね。」
「ただ、さっきの。
男なんかに生まれなくて良かったってのも、ちょっと、分かります。」
志帆さんがぴくりと反応し、ベッドが軋んだ音を立てる。
「音ちゃんは、いつからだったの?
自分がそういう類の人間だ、って気付いたの。」
私は男ではない。
男に生まれたかったと思うことはあるが、後天的に手術をしてまで男になろうとしたことはない。
女性としての自分を、貶しつつも嫌いになれない。
女性だからこその個性やコミュニティーに、なんだかんだと満足している。
だったらどうして、男みたいな格好をして、男みたいに振る舞うのか。
これという理由はないけれど、そんな風に生きようと思い立ったきっかけは、覚えている。
「レズビアンって───、バイもですけど。男が苦手って人、多いじゃないですか。
ゲイの人たちは、女が嫌いって人もいれば、女友達たくさんいるって人もいるのに。
ビアンの多くは、女が好きの前に、男が嫌いだったりする。
男が無理だからこっちの世界に逃げてきた、って人も少なくない。」
「かもしれないね。
個人差ありきだけど。」
「特に、私たちみたいな、半分男みたいなヤツは、半分男みたいなくせをして、男が大っ嫌いだって話をよく聞きます。
それも、全体的にざっくり嫌いなんじゃなくて、過去に特定のクソ野郎と関わったことがあって、そいつへの当て付けっていうか、反面教師っていうか……。」
「ウチに来る子の大半は、そのタイプが多いね。
なにに対抗してるんだか、自分でも説明が難しいけど。」
寝返りを打ち、暗がりに目を細める。
「私は、その特定のクソ野郎が、父親でした。」
生い立ちを詳しく語るのは、司にも、他の誰にもしていない。
タイミングが巡ってこなかったんじゃなく、私自身で拒んできたからだ。
今現在の"小田切音々"が、どうやって形成されたのか。
知られたくなかった。墓場まで持っていくつもりだった。
隣にいる相手が志帆さんでなければ、たとえ事後だろうと酔った勢いだろうと、決して明かさなかっただろう。




