第6話 妻が知らない旦那様
「シュネー、そのことは暫く考えなくていい」
シュネーは耳を疑って、つい無遠慮に問い直した。
「……え? 子供について考えてはいけませんの?」
「若いのだから、子供を焦ることはない」
「男性はよくそう仰いますけれど、複数人望むのであれば、悠長に構えていられませんわ」
「それはうちとあちらの義両親の考えだろう。君自身はどう考えている?」
真っすぐな視線も声音もいつも通り硬質で真摯だ。ただそこに、何か普段とは違う、揺らぎのない意志のようなものが感じられた。
シュネーは少々戸惑ったが、貴族の子女としては――しかも、役に立たなければ離婚しろと実家からちらつかせられている以上――言わなければならない。
「旦那様、ご承知のようにこれは政略結婚ですわ。旦那様のご両親も、私の両親も納得いたしません」
「……そうか、君の立場と言葉は承知した。
だがまだ君はここに来て日が浅い。本来はこの日数で判断できる状況ではないと思う。
もし身重になれば不便も出てくるはずだ。何かあっても責任を取らなければならないのは親ではなく君自身だ」
正論で、ただ先延ばしが確定した回答にシュネーが不満げな顔になっていたからだろうか、ヴェルクは宥めるように微笑した。
「わたしは妻に思うようにさせられない、情けない男ではないつもりだ。遠慮深いのは世間では美徳とされているようだが、希望くらい叶えさせて欲しい」
「特段遠慮深いつもりはありませんし、希望はだいたい叶っていますけれど」
どちらかと言えば、実家でも我儘だと思われてきたし、実際そういう振る舞いもしてきた。ヴェルクにも、圧は感じるものの義母にも基本的には良くしてもらっている。
「気に入られようとか、義務で産みたいなどと言わなくていい。
もしわたしの機嫌をとりたいなら、まずは城や領地について知ってもらいたい。領主夫人としてこの土地を知り、それからでも遅くない」
「……はい」
「そろそろ定期の魔物討伐に出るから、少し城を留守にしなければならない。
その頃には城の生活にも多少慣れているだろうし、そこで改めて話し合うのはどうだろうか」
「……分かりましたわ」
内心渋々ではあるが、シュネーは頷いた。
顎を上げ、いくら眺めても見飽きない美貌から何か真意が汲み取れないかとじっと見つめれば、首を傾げられた。
「ん? 顔に何かついているか」
「いいえ、何も分からないのが問題なのですわ、きっと」
親からの手紙のことを知られてはいないかと、何となく後ろめたいのは何故だろうか。
シュネー自身に親になる覚悟なんて本当はまだないことを、それなのに“貴族らしく”唯々諾々と流されていることを、軽挙だと見透かされているのだろうか。
それに、政略結婚という一点では協力し合えると思ったのに、どうやらこの人は任務を遂行する気持ちが薄いらしい――と、シュネーは思った。
ないがしろにされているとは思わない。むしろとても大事にされていると思う。
それなのに本心は語られず、大事にする方法に既視感がある、気がする。
「そうか。……それではそろそろ雪を片付けて部屋に戻ろう。風邪を引いては困る」
シュネーは頷き魔法で雪を水に変えてしまおうとしたが、ヴェルクはそれを制し、
「君を見習ってうまく調整できるようになりたい。見ていてくれるだろうか」
「ええ、勿論ですわ」
ヴェルクは城では殆ど炎の魔術を使わない。感情も魔法もかなり抑制が効いている人のように思えたが、特に避けている風だった。
眉間に僅かに皺を寄せ、手から生み出された小さな火と熱が躍るように雪の上を撫でて静かに溶かしていく。
こうした作業を苦手とするようには見えないのに、必要以上に慎重に絞られた魔力の流れが分かる。
「燃やすことばかり上手くなってしまったからな。君のように繊細な彫刻を作ることなどできないのだ」
「ヴェルク様は、ご自身の火がお嫌いですの?」
それはほんのちょっとした疑問だった――本気で知りたかったわけでもない。
それなのに火がふっと消えて、横顔にまるで置いて行かれた子供のような表情が浮かんだものだから、シュネーは見間違いかと目を瞬いた。
目を開いたときにはもう影も形もなかったけれど、それは確かにあった。
黙り込む彼の名をためらいがちに呼ぼうとした時、
「団長!」
赤茶の髪のショートカットの女性が、練習場から手を振りながら駆けてきた。ひらり舞う春らしいグリーンのスカートの軽やかさに、ふくよかな胸。
年齢はシュネーと同じか少し下くらいだろうか、緑の目がにこっと、遠慮なく伯爵に向けて笑いかける。散ったそばかすが快活さを際立たせるようだった。
「今日は来客が多いな」
「お探ししたんですよ! ……っと、失礼いたしました!」
女性は器用にぴょこりとシュネーにお辞儀すると、1メートルほど手前で立ち止まり、ぴしっと騎士のように屹立した。
「城で騎士見習いをしておりますハンマーシュミットです! 所属は斥候部隊です!」
「先日従騎士になったばかりなんだ」
「初めまして。騎士の方々には一度改めてご挨拶をと思っておりましたの」
「……団長、ここでもまた半裸なんですか。奥様もびっくりしたでしょう」
満面の、邪気のない笑顔のハンマーシュミットに笑顔を返しながら、何故かシュネーはひっかかりを覚える。
「随分親しそうですわね?」
「騎士の家系でこそないが、幼い頃から訓練をよく見に来ていたのだ。そんな子供は大勢いるが、飽きずに見続けて実際に志願してくる者はそう多くない」
「団長は昔からとっても格好良かったんですよ! 巨大猪の巣の殲滅に、七ツ沼のスキュラ退治……!」
朗らかな顔で語られる憧れは真っすぐすぎて、眩しいほどだ。
「恥ずかしいからもういい。……シュネー、斥候には個人的な依頼をすることもある。定期的に、城下の見回りに行ってもらっているんだ」
「団長、今日も平和そのものでしたが、収穫もありましたよ。畑の被害のこととか……」
「それは後で聞こう。討伐日程の調整の参考にしたい」
目の前で行われる、自分の知らない話題に、シュネーは先ほどヴェルクが許可を出したように、少しだけ思うように振舞ってみることに――口を挟んでみる。
「……先ほども仰っていた討伐とは、ヴェストではどのように行いますの?」
「毎年季節ごとに、居住地周辺から魔物を追い払うための討伐隊を編成して決まったルートを巡回する。
魔物が増えた時だけでなく、他国と諍いがあった時に騎士だけではとても足りないから、傭兵を雇うだろう」
「そうですわね」
「元々多くは農民だから、彼らの練度や装備品の供給ルートの維持を兼ねている」
「どれくらい留守になさいますの?」
「10日ほどで帰る。もう何度となく行っているから、安心して欲しい」
10日も。
シュネーの実家では時折、しかも1、2日で済んでしまう傭兵の演習の長さに温暖ながらここは辺境だったのだ、と思い出す。
「大丈夫ですよ奥様。最近はあんまり強い魔物も出ないんです。それに交代で行くんですから、守りが手薄になることもありません」
「お前は今回が初めての演習だろう?」
「そうですけど」
シュネーはヴェルクの、部下を見るにしては優しい眼差しに、気遣いばかりでない親しみを読み取ってしまう。
恋愛ではないと思うけれど、ずっと同じ時間を同じ場所で過ごしてきた仲間に向けるものだ。
「……シュネー?」
ヴェルクがシュネーに、妻に向ける顔は違う。
仲間でも育んだ親愛や信頼でもなく、教師と生徒のような。
そう、庇護の対象――さっき子供たちを心配するものと重なった。
(生まれてからずっとこの城で過ごされていたのに、突然来た私なんかには追い越せないのだわ)
「……寒くなってきましたわ。申し訳ありませんが、もう部屋に戻りますわね」
手足の末端に冷えを感じ、シュネーは指先をこすり合わせた。
「では送ろう」
「お仕事でしょう、お構いなく。一人で戻れますわ。ハンマーシュミットさんも頑張ってくださいね」
「はい! 新婚さんの団長にはみんな無理させないって張り切ってます。大船に乗ったつもりで任せてください。――奥様もご安心くださいね!」
「……ええ」
シュネーは淡く微笑むと、ヴェルクの視線と伸びる手を振り切るように城内へ続く扉の中へ駆け込む。
大した距離など走っていないのに鼓動が早くてうるさくて、そのくせ指先は息を吹きかけても温まらない。
ぎゅっとショールを掴んで指先を握り込み、あり得ないはずの感情に戸惑う。
(こんなこと、はじめから分かり切っていたことではありませんの?)
嫁入り先で孤独になろうが、平気だと思っていた。ヴェルクは人並み以上に親切だと思ったからだ。
それでも疎外感を強く感じてしまうなら自分自身に理由がある。
(ヴェルク様への憧れを、うまく飼いならすつもりでしたのに。私って思ったより惚れっぽいのね)
自室へ戻ったシュネーは、早速熾火の暖炉の前にしゃがみ込む。
泣きたいような気持ちだったのに、何故だか自然と、不敵な笑みがこぼれた。手をかざすついでとばかり炎に向かって宣言する。
「――こんな幸運、滅多にありはしませんもの。頑張りますわ。何より私のために」