09 人狼
◇
夕食後、ケンは教官の私室を訪ねた。チヅル達から聞いた話を確かめる為だ。1つしかない椅子をケンに勧め、教官は寝台に腰掛けた。
「何が聞きたい?」
単刀直入に訊かれたので、こちらも正直に話すことにした。
「従者が偶然、耳に挟んだ。俺たちは捨て駒だそうだな」
「…だったら何だ。脱走するか? 村も連座して罪を問われるぞ」
教官は厳しい声音で言った。ケンは真っ直ぐに教官の目を見て訊いた。
「俺たちが何と戦わされるのか、教えてほしい」
歴戦の勇士であろう、教官の顔に動揺が走った。やはり人間相手ではなさそうだ。黙って答えないので、ケンは推測を述べた。
「使役された魔物の類だな。新兵は囮か。騎士が本陣を叩くまで、あるいは大魔法を撃つまでの時間稼ぎだろう」
「…」
教官の顔色が悪い。正解らしい。ケンは詳細な情報を求めた。
「どんな魔物だ。数は。どんな攻撃をする? 弱点は?」
「聞いてどうする。新兵が勝てる相手じゃない」
教官は味方だ。冷酷な事務官に怒っていたそうだから。ケンは頭を下げた。
「勝つ気はない。あの子らを生きて故郷に返す。協力してくれ、教官殿」
◇
教官は長い沈黙の後、極秘事項を教えてくれた。
「人狼だ。隣国の魔法使いが、最近使い始めた」
昨年の合戦で我が国は大敗した。原因は前衛に配された魔物だ。頭と手脚は狼、胴体が人間で二足歩行をする。武器は持てないが、並外れたスピードと鋭い爪で歩兵を切り裂く。騎士とて馬をやられれば逃げられない。
「攻撃魔法も避ける。数は50から100だそうだ。正確には分からん」
「それほど生き残りが少なかったわけか」
「そうだ。歩兵は全滅した。騎士もほとんどやられた」
「弱点も不明か。一応、犬と同じとしておこう」
ケンは文机の上にあったペンを取り、紙にサラサラと何か書いた。それを教官に渡した。
「急ぎ用意してほしい。せめて出発までには」
それから2人は遅くまで訓練の内容について話し合った。
◇
次の日から訓練の内容をガラリと変えた。剣はもう振らない。代わりに鉄の鎖と鍬を使う。教官は説明した。
「今日は3人1組で鬼ごっこをする。1人が鬼役だ。まず足止め役が鎖を鬼の足に絡める。止まったところを攻撃役が鍬で殴る。やって見せるぞ」
教官が鬼役でギンが足止め役、ケンが攻撃役をする。
「始め!」
鬼が全力でギンに向かって走ってくる。ギンは落ち着いて避けざま、鎖を投げた。鎖は教官の足に絡まり、倒れさせた。すかさずその鼻先にケンの鍬が振り下ろされた。
「本当に殴るなよ。それぐらいできるよな。農夫なんだから」
ケンが言うと笑いが起こった。役を交代しながら、どの組も楽しげに訓練している。昨日までのぎこちない動きは見られない。
午後は鎌を使った訓練だ。朝一番で鍛冶屋に刃を潰させたものだ。教官がそれを鬼役に2つずつ配った。
「熊の爪を避ける要領だ。鬼は本気で人間の急所を狙え。人間は避け続けろ。必ず2人1組で立ち向かえ。隙をみて足止めしてみろ」
兵から笑顔が消えた。潰してあるとは言え、当たれば痛い。人間は必死に避ける。鬼役は両手に持った鎌で追い回す。あっという間に訓練の時間は終わった。
「なんか楽しかったな!」
「農具ならいける気がするよ」
彼らは明るくテントに戻っていった。ケンは教官と訓練を振り返った。
「良い動きだった。特にダンとウィル。反射速度が並外れている。あとは持久力をつけたいな」
教官は全員の詳細な評価を書き取っていた。ケンも同意した。
「そうだな。明日から難易度を上げていこう」
(最終的には本物のイノシシかクマを用意するか)
教官と明日の内容を確認し、テントに戻ろうとした。そこへ領主の召使いが来た。誰かがケンを呼んでいるらしい。彼は召使いの後についていった。
♡
千鶴はシエルの狩りに付き合ったりして、ブラブラしていた。訓練が終わった頃に城に戻ったら、ケンが召使いみたいな人の後ろを歩いていた。ギンもいるし大丈夫だと思ったが、一応ついていく。彼らは城の一室に入っていった。彼女は窓の外にまわった。カーテンが閉まっていて室内が見えないので、木の枝から聞き耳を立てた。
「そなた。チヅル殿をどこへ隠した」
どこかで聞いたような声が尋ねた。ケンは答えた。
「里へ帰しました」
「それはどこだ?」
「…」
何の話だ。千鶴が首を傾げていると、室内の雰囲気が剣呑になってきた。
「貴様!殿下にお答えせんか!」
知らない男が怒鳴った。ドスンとすごい音がしたので、妖術で透視をすると、ギンが大男を押さえつけて、首を締め上げていた。
「よせ。ギン」
ケンが止めるとギンは手を離した。大男は床に伸びている。椅子に座った身なりの良い男が言った。
「端的に言おう。チヅル殿と離縁してほしい」
思い出した。ダチョウ氏だ。帽子を被っていないから分からなかった。ケンが冷たい声で訊いた。
「失礼だが王族とお見受けする。離縁したとして、あなたに娶れるのですか?」
え。やだよ。ダチョウと結婚する気はないよ。千鶴はバタバタと羽を動かして伝えようとした。向こうからは見えないのを忘れていた。
「必ず幸せにする。正妃にしてみせる」
ダチョウ氏は言い切った。
「…里を教えることはできません。俺は戦に行かねばならない。戻ったら彼女に訊いてみます」
「それは」
「この城に連れてきます。彼女があなたを選ぶと言うなら、置いていきましょう。私を選んだら、諦めてください」
不満げだが、ダチョウ氏は納得した。千鶴は先回りしてテントに飛び込んだ。毛布を被って、先程のやり取りを思い返した。何故、断ってくれなかったのか。
(ケンはどっちでも良いの? 私がダチョウを選んでも気にしないの?)
両の目から涙がこぼれ落ちる。そこへケンとギンが戻ってきた。
「どうした? チヅル?」
「嫌だーっ!捨てないでー!うえええーん!」
千鶴は毛布を跳ね飛ばして、ケンに飛びついた。彼は優しく受け止めた。
「聞いていたのか。あれは方便だ」
「…本当に?」
「あったりめーだろ。貴族相手なんだから。それよりアイツが元凶だろ?」
ギンが顔を顰めて言った。
「分かんない? チヅルからケンを引き離そうとしたのさ」
ケンは困ったような顔をしている。千鶴は数秒考えて、やっと理解した。復讐の妖鳥となった彼女はテントを飛び出そうとした。
「殺す!全力で引き裂く!きーっ!」
2人が押さえつけて引き留めた。あまりに暴れたのでテントが鷲の羽根だらけになってしまった。