06 ハルピュイア
◇
ケンが声をかけると、チヅルは青い顔で振り向いた。鷲娘はまだ生きていると言う。
「すみませんね。それは死んでいますので、片付けます」
戻ってきた主人が謝った。
「もし良かったら、その魔物の羽根を譲ってくれないか?」
ケンは取り引きを持ちかけた。
「羽根を? 何に使うんで?」
「矢羽にする。少し傷んでいるが、狩り用なら問題ない」
主人は檻を見た。もう捨てるだけのゴミだ。しかし祭りで忙しい最中に、羽根を毟るのは面倒だろう。ケンは値を提示した。
「羽根だけ売ってくれたら3万ディネロ出す。丸ごとなら2万だ」
「…丸ごとで2万5千ディネロ。箱もつけますよ」
「良いだろう」
交渉は成立した。主人が命じると、従業員が木箱を持ってきた。ケンは金を支払い、死体を箱に入れて脇に抱えた。彼らはそのまま街を後にした。
♡
人気がない山道に差しかかると、千鶴は箱から幼鳥を出した。衰弱が酷いので応急処置として霊力で包んだ。そこへ馬に戻ったハクが合流した。ギンが念話で呼んだらしい。
「乗りなさい。早く家に戻りましょう」
白馬は助力を申し出た。まずケンが乗り、彼の前に幼鳥を抱えた千鶴が乗った。ハクは駆け出した。夜なのを良いことに飛んだ。小狐に戻ったギンも天を駆けている。あっという間に小屋に着いた。
まず綺麗な水で幼鳥を洗い、土間の隅に藁を敷いて寝かせた。体を調べると、脚裏が腐っていた。千鶴は霊力で壊死した肉を再生した。何か刻印のようなものが押されている。
「従属印だ。そこから悪い菌が入ったな」
ケンが言った。奴隷や家畜に押す焼印だそうだ。
(酷い。手当もしないなんて)
千鶴の目から血の涙が出てきた。制御できない霊力が溢れ、ボロ小屋がガタガタと揺れ出した。
「落ち着け。チヅル。次は何をしたら良い?」
ケンが優しい声で訊いた。そうだ。暴走してる場合じゃない。
「コイツ、何食うの? オレ、獲ってくるよ」
小狐も助けてくれると言う。千鶴は深呼吸をして感情を抑えた。
「ありがとう。みんな。もう大丈夫。とりあえず容体は落ち着いたから。意識が戻ったら、兎とかをあげたいかな。頼むね、ギン」
「分かった!」
今夜はもう休むことにした。千鶴は鳥の姿に変化して、一晩中、幼鳥を温め続けた。翌朝、ケンに「おはよう」と普通に挨拶された。千鶴は寝不足の頭でぼんやり考えた。ケンに鶴の姿を見せた事、あったっけ?
♡
『お母さん…?』
翌日の昼近くになって、幼鳥が目覚めた。うつらうつらしていた千鶴は飛び起きた。今は両腕だけを羽にして、幼鳥を抱っこしている。小屋には誰もいなかった。
『念話ができるのね。良かった』
『誰? ここは?』
正気になった幼鳥は、警戒して周囲を見た。千鶴は彼女の頭を撫でた。
『私は千鶴。同胞よ』
昨夜の見せ物小屋での出来事を説明する。もう悪い人間はいない。安心して養生すると良い。そう話したら幼鳥の緊張は解けた。だが小屋の入り口にケンが現れると、悲鳴を上げた。
『イヤーっ!』
飛んで逃げようとして、ベシャッと落ちた。千鶴は慌てて抱き上げた。
『大丈夫!彼はあなたを助けてくれたの!』
「起きたのか。良かったな」
怯える幼鳥を気にすることなく、彼は農具を取って出ていった。千鶴はなんとか宥めて落ち着かせた。ところが狐が帰ってきて、同じことが繰り返された。幼鳥は些細なことに怯え、何日も千鶴から離れなかった。
◇
鷲娘は順調に回復した。初めはケンを怖がっていたが、1週間も経つと彼の膝に乗って食事をするまでになった。ギンが獲ってきた兎などを擦り潰して喰わせている。見せ物小屋では家畜の肉を与えていたが、栄養が足りていなかったらしい。
「猛禽類は動物の血や骨も食べないとね。よし!完食!えらーい!」
チヅルが笑顔で褒める。鷲娘も嬉しそうに喉を鳴らした。
「そろそろ名前を決めませんか?」
窓の外から首だけのばし、白馬が言った。ケンが街の図書館で調べたら、この子はハルピュイアという魔物だった。親がつけた名前は無かった。生まれてすぐに見せ物小屋に売られたからだ。ずっと“ワシムスメ”が自分の名だと思っていたそうだ。
「ハルちゃんで良いよ」
「えー。茶色いからチャコはー?」
チヅルとギンがあれこれと出す。
「ケンはどう思います?」
ハクが訊いてきた。何でも良いのだが、翼で飛ぶものだ。彼は提案した。
「シエルはどうだ。空という意味だ」
「ピュイ!」
幼子が鳴いた。チヅルたちは頷いた。念話で『それが良い』と言っているそうだ。この子の名前はシエルに決まった。
♡
シエルは元気になった。しかし人間形になれなければ、外には出せない。
生まれた時の鳥人族は人間の姿をしている。3歳ぐらいから少しずつ練習を始めて、5歳までには完璧に変化を習得する。大人になれば、体の一部の鳥化や人間形に翼の天使スタイルなどができるようになる。
千鶴とシエルは特訓に入った。人間の言葉を習得するために念話も封じた。
「まずは片方の手を人間にする練習からね」
「ピュイ」
千鶴は片手を鳥化させ、それを人間の手にしてみせた。そしてシエルの右羽に霊力を流した。
「感じた?今のが霊力。こうやって指や手のひらをイメージするの」
シエルに右手ができた。千鶴の霊力を遮断すると、すぐに元に戻る。
「さ、やってみて」
シエルは悪戦苦闘していた。ハルピュイアには霊力(こっちでは魔力)がある。修行すれば必ず変化できるはずだ。横で見物していたギンも教えた。
「こう、グウーっと力を溜めて、ガガっと流して、グワっと裏返る感じだ!」
全然わからん。大阪人の道案内か。
「グウーっ!ガガっ!グワっ!」
シエルが真似して叫んだ。すると両腕が変化した。
(嘘…あんな出鱈目な教え方で…)
子供の頃の努力は何だったのだ。千鶴はガックリと床に手をついた。
「ピュイ!ピュイ!」
「すげーな!シエル!俺なんか10年くらいかかったぜ!」
喜びあう幼鳥と小狐は手を打ち合わせた。夕食の時にケンに見せたら、彼は大いに褒めた。
「上手だ。さあ、手を出して」
ケンは輪に結んだ紐をシエルに渡し、あやとりを教えた。集中している間は変化が解けない。上手い導き方だ。千鶴が感心していると、シエルが近づいてきて言った。
「おかあさんも、やろう」
「!」
この子は天才かもしれない。涙が出た。自分が初めて話した時も、母はこんな風に感動したのだろうか。
「ケン。おかあさん、どうしたの?」
「シエルが良い子で嬉しいのかもな」
彼はあやとりの“吊り橋”を“田んぼ”にして返した。シエルが“川”を千鶴に差し出した。
「シエル。ケンは“お父さん”と呼ぶのよ」
母は正した。娘のあやとりの外側を小指に引っ掛けて、下から掬い取る。
「おとうさんって何?」
「え?」
“船”になるはずの紐はぐちゃっと絡まった。ケンが教えてくれた。
「本には、ハルピュイアには雌しかいないと書いてあったぞ」
そんなバカな。雄がいなくて、どうやって子孫を残すの。
「下手だな〜!貸してみ!」
ギンが紐を奪った。シエルと2人で遊びはじめる。シエルの腹から下はまだ鷲だ。同胞の歪な姿と偏った性。何かがおかしい。千鶴は強い違和感を感じた。