03 ギン狐
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少年はケンという名の百姓になっていた。残念ながら前世を覚えていない。両親はとうに亡くなり、ボロ小屋に1人で住んでいた。一応、何とか村の住民らしいが、見える範囲に家は無く、小屋の前の畑で野菜を作っていた。
朝夕の食事はケンが作る。一度、千鶴が作ってみたら、メチャクチャ不味かったのだ。実家暮らしで全然気がつかなかった。洗濯も掃除も彼がしてくれる。彼女は日がな一日、畑で汗を流す美男を眺めるだけだ。
(いかん。ただの居候になってる)
全く恩返しになっていない。むしろ世話をされている。
「ケンさん。お願いがあります」
こちらに来て1週間ほど経った夜。千鶴は寝る前に頼んでみた。一つしかない寝台を奪ったので、彼は床に布団を敷いている。嫁にすらなれていない。衝立越しにケンは答えた。
「何だ。改まって」
「布を織ります。ただし、織っている姿を決して覗いてはいけません」
千鶴は妄想した。まずは妖術でちゃっちゃと布を織る。それを売ったお金でボロっちい小屋を改装して、結婚式を挙げよう。だがケンは良い返事をしなかった。
「今時、機織りなどする者はいない。魔導織機がある」
「え?まどう食器?」
千鶴が聞き返すと、ケンは灯りを吹き消した。
「明日、町に連れて行ってやる。もう寝ろ」
◇
ケンはチヅルを連れて町に出た。乾燥させた薬草を薬屋に売ってから、布屋に行った。カッシャ、カッシャと布を織る音が響く。開いていた窓から機械が見えた。10年ほど前に発明された、魔力で動く織機だ。
「毛や綿、絹も織れる。おかげで安く布地が手に入るようになった」
説明すると、チヅルは叫んだ。
「何が中世程度だよ!梟の爺の嘘つき!」
めそめそ泣き始めたので布地と糸を買ってやった。家事はさっぱりだが、裁縫が得意だと言っていた。道具は母の遺したものがある。好きな服でも作れば良い。
「おや、ケン。とうとう嫁を貰ったのかい?」
布屋の女将が揶揄ってきた。
「いや。これは…」
「チヅルです。以後お見知り置きを」
布を受け取りながら、笑顔でチヅルが割り込んできた。機嫌は直ったようだ。
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千鶴は初めて男性から贈り物をされた。無地の水色の布だ。織機の存在に絶望したが、ケンの嫁として認められたので、すぐに復活した。彼はチュロスみたいな揚げ菓子も買ってくれた。
(これってデートだよね?)
ニヤニヤしながら、千鶴は隣を歩く農夫を見上げた。逞しい身体に凛々しい顔立ち。金持ちではないが、穏やかで優しい。超がつく優良物件だ。異世界の女の目が節穴で本当に良かった。
「少し待っていてくれ。八百屋と話がある」
商店街に来た時、ケンが言った。千鶴は広場のベンチで待った。鼻唄を歌いながら菓子を齧っていると、
「失礼。お嬢さん」
高そうな服を着た若い男が声をかけてきた。帽子にダチョウの羽みたいな飾りがついている。
「よろしければ、お名前を…」
「夫を!待っているので!」
夫を強調する。ケンが八百屋から出てきたので、千鶴は立ち上がった。
「ごめんあそばせ」
彼に駆け寄り、布地を持っていない方の腕につかまる。
「何だ?」
「しっ!ナンパよ」
小声で言うと、そのまま町を出た。千鶴はダチョウ氏にちょっぴり感謝した。
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小屋に戻ると日が暮れていた。戸の前の暗がりに、何か置いてある。よく見ると山盛りの茸や胡桃だった。
「ケン。これ、ご近所さん?」
田舎あるあるだ。留守だと玄関先に野菜とか置いてある。彼は籠を持ってきて、それを拾った。
「さあ。誰かな」
「茸汁にしよう!私が…」
千鶴が言いかけると、ケンは首を振った。
「いい。お前には料理の才が無い」
ぐうの音も出ない。せめて胡桃割りでもと挑戦したが、木っ端微塵になった。ケンが綺麗に割って中身を出してくれた。美味しかった。
山の幸のお裾分けは、その後も毎日続いた。千鶴は礼を言いたくて待っていた。だが親切な隣人には、一度も会えなかった。
◇
「また逃げられた!きーっ!」
チヅルがまた魔法の罠を破られ、怒っている。ケンは食いきれない茸を干した。冬の備えができて助かる。今年は2人分要るしな。
「誰でもいいだろう。ありがたく貰っておけ」
チヅルを嗜めると、彼女は言い返した。
「気持ち悪いの!私たちの愛の巣に!正体不明の奴がいるのが!」
「…」
縄張り意識か。ケンは裏庭に古典的な罠を仕掛けた。落とし穴だ。翌日、何かが落ちていた。
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捕まったのは白っぽい狐だった。穴の下で伸びていたのを、ケンが引き上げた。まだ小さい。戸の前に茸がどっさり置いてあるから、この小狐が贈り主らしい。千鶴は小枝で鼻先をつついた。
「おーい。起きろー」
小狐は目を開けた。黄色い瞳が周囲を見回し、ケンで止まる。ガバッと起き上がると、彼の足に縋りついた。
「オレが悪かったよう!許してくれ、十兵衛!」
喋った。こいつ、妖狐だ。千鶴は本能的に身構えたが、ケンが押し留めた。
「やめろチヅル。こいつにも事情がありそうだ」
妖狐は泣きながら話し始めた。
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オレは銀狐のギン。人間どもに悪さばっかりしてた。そのせいで、いつまで経っても半妖だった。
ある日、悪戯がしたくて、十兵衛が獲った魚を逃がしちまった。奴の病気のおっかさんに食わせるための鰻も。
おっかさんが死んだのはオレのせいだ。罪滅ぼしに、ちっとばかり茸やら栗やらを届けたけど。全然足りねえ。おまけに十兵衛は、わざと急所を外してオレを撃った。そんで手当てをして山に逃がしてくれたんだ。
元気になったんで、また茸を持ってったらさ。十兵衛は戦に取られてた。最新式の西洋銃に火縄銃で戦わされて。あっさり死んじまった。泣いてたら、妖狐の神・玉藻前様が言ったんだ。
『罪を償え。恩を返せ。それまでお前は半妖だ」
オレは150年近く、十兵衛の魂を探したよ。やっと探し当てたと思ったら、トラックに轢かれて死んじまってた。また泣いてたら、玉藻前様が憐んでくれてさ。
『十兵衛は異世界に転生したそうだ。行け』
ってオレを送ってくれたんだ。アンタは十兵衛の生まれ変わりだ。顔が同じだもの。間違いない。
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ギンは茸汁を食べ終えると、満足そうに毛繕いを始めた。なぜか3人で夕食を囲んでいる。
「それで? 何でコソコソ隠れてたのよ。紛らわしい」
半妖ごときに術を破られ、千鶴は不愉快だった。恩を返すというのも被っている。
「怖かったんだよう。赦さないって言われたらと思うと…」
ぺたりと耳を後ろに倒し、子狐は俯いた。
「何も覚えていない。すまんな」
ケンは食器を片付けながら言った。ギンが頭を深く下げた。
「忘れちまってても良い。すまなかった。十兵衛」
「もういい。赦す。茸や胡桃、確かに受け取った。恩も返されたぞ」
彼は優しく微笑み、ギンの頭を撫でた。羨ましい。小狐は目を潤ませて見上げている。
「じゃあ、そういうことで。お疲れ様でした!」
千鶴はパンっと両手を打ち合わせて、妖狐に退場を促した。だがギンはふるふると頭を振った。
「まだだ。オレ、もっと十兵衛…今はケンだっけ。ケンに恩を返したい。ここにいても良いか?」
冗談じゃない!新婚家庭なんですけど? 千鶴は文句を言おうとしたが、
「食い扶持はちゃんと獲ってくるよ。迷惑はかけない」
ギンの方が自立していた。
「勝手にしろ」
ケンはあっさり認めた。彼に世話になりっぱなしの女は、黙るしかなかった。