29 修羅
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この壁の向こうに彼がいる。千鶴は涙を袖で拭うと、再び話しかけた。
「ダチョウに捕まったのは、ケンが置いてったからだよ。もう離れるのは禁止。あたしも行く。修羅の道でも何でも」
揺れがおさまった。
「とりあえず、優しい魔王を目指そうよ。また暴れても絶対止めるし。大丈夫。ウチの家族、みんな丈夫だから」
壁がポロポロと崩れ落ち、中から少年が出てきた。彼は俯いたまま訊いた。
「…こんな姿でも?」
河原で会った時と同じ顔だ。でも巨像と同じ格好をして、細い腕が6本ある。千鶴は少年を抱きしめた。
「あなたの妻にしてください。生涯お側を離れません」
6本の腕が彼女の背に回された。少年は震える声で礼を言った。
「ありがとう…チヅル…」
同じぐらいの身長なのが可笑しい。彼がトラックに轢かれなければ、こうやってプロポーズをしてたんだ。法的に問題があるけど。白鷺の婆の言ったように、可愛いがって育てよう。10年もすれば元の大きさになるかな。
「その腕素敵だね!同時に三品くらいお料理作れそう。芋の選別も三倍速だね」
浮かれた千鶴は、グイグイと少年を引っ張って歩いた。出口に着いて羽を出そうとしたら、
「それだけか?」
急に低い声が聞こえた。振り向くと大人のケンがいた。黒い鎧に戻っているが、6本腕のままだ。
「ケン!」
「ただいま」
彼は千鶴を抱き寄せて口付けた。一瞬、記憶が飛び、気づくとお姫様抱っこで宙に浮いていた。ケンの霊力だ。そのまま巨像の足元に着地した。それに気づいた仲間も下りてきた。
「お父さん!お母さん!」
シエルがケンに飛びついた。彼は千鶴を抱いたまま、空いてる手で娘を受け止めた。
「お初お目にかかりまする。鳥人族の梟でございます」
梟の爺は、何故か敬語で挨拶をして片膝をついた。
「同じく雉です」「大鷲にございます」
爺達が皆、跪いてケンに頭を下げた。それにハクも白馬に変化して言った。
「ご無事の神成り、お喜び申し上げます」
「「「お喜び申し上げます」」」
爺達が唱和する。何のこっちゃ。千鶴とシエル、ギンは困惑した。王子はハクに尋ねた。
「待て。説明しろ。ケンは魔王になったのか?」
霊力も凄いし、腕も増えた。人間でないのは確かだ。でも禍々しくはない。
「違います。荒ぶる魂が神になられたのです」
「じゃあ、もうこんな騒ぎは起こらないな…」
王子はホッとしたように息を吐いた。ハクは馬首を振った。
「いいえ。彼は憤怒と戦いの神。怒ればこの世は火の海となるでしょう」
「やっぱり魔王じゃないか!」
ケンは千鶴を下ろすと、彼女の肩を抱いて言った。
「大丈夫です。チヅルがいれば、優しい魔王になれます」
「…」
納得はしていなさそうだが、ギンが腹が減ったとうるさいので、帰ることにした。ケンは腕を元に戻し、ハクに跨る。他の面々も翼を広げて上昇し、開けた穴から出た。
外は晴れて青空が見えていた。積乱雲も少しずつ消えていく。下界では護衛騎士が手を振っていた。
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王子は魔王についての一切を他言無用としてくれた。神殿騎士とかいう人たちは、いつの間にか消えていて口止めできなかった。
ケン一家は王城の奪還作戦から外され、ハイテールで王妃様の護衛をしている。王様と王子は集まった軍を率いて王城を取り戻した。灰色頭がいなくなったので、お城の人間達も洗脳が解けたらしい。
『問題は兄上達だ。操られていたとはいえ、お前を監禁して傷つけた。どうしたい?』
千鶴は王都にいるアウグスト王子と水鏡通信で連絡中だ。そろそろ王妃様を呼び戻したいらしい。その前にダチョウの扱いを相談されていた。
「流罪とかで良いんじゃない? どっかの島とか」
適当に言ったら、王子はそれで良いならと島流しを採用した。
『ゴッズリバーも賠償金で良いよな? 長老達はまだ殲滅などと言ってるのか?』
「爺達も、もう忘れてるよ。今は住民達に妖術教えてる」
変化ができることを定住の条件にしたのだ。ギンと千鶴だけでは教師役が足りなかったので、正直助かっている。才能がある人にはもっと高度な術も教えていて、なんと王妃様まで習っていた。
「念話と防壁はマスターしてたよ。多分、王子の次くらいの魔法使いになれると思う」
『義母上が?!』
王子は驚いてるけど、そんなに不思議じゃない。高位の貴族ほど潜在魔力量が多いから。
「で、王妃様が魔法を教える専門学校作るって。場所はハイテールで、先生は爺達とギン。どうかな?」
『私が入学したいくらいだ。長老達はいつまで居てくれるんだ?』
「それがね。移住したいんだって」
こちらの大気には霊気が満ちているし、同胞も沢山いる。何より人目を気にせず飛べる。爺達は何百年もひっそりと生きてきた。老後は鳥人であることを隠さずに生きたいらしい。
(お母さんとお婆ちゃんは、どうかなぁ。白鷺と鸛の婆も)
通信を切って、千鶴はぼんやりと考えた。最初は恩返しが終わったら帰るつもりだった。でも今はケンがいる。シエルや鳥人族を守る義務もできた。もう向こうには帰れない。
迷った末に、満月の夜に、密かにあのボロ小屋の井戸に手紙を落とした。できれば母と祖母にも来てほしい。一緒にハイテールを盛り立ててほしいと書いた。
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ある日、どっかで見た事のある騎士が領主館を訪ねてきた。傷だらけの顔に不似合いな花束を抱えている。
「ブルータスじゃないか」
一緒に出迎えたケンが言った。思い出した。武術大会でケンと対戦した“不死のブルータス”とかいう男だ。
「で? 何の用?」
千鶴が訊くと、顔を赤くして、鳥人族の女性に交際を申し込みに来たと言った。二度ほど会ったが、名前が分からないらしい。特徴を聞いても、
「茶色いふわふわした髪で、凄く綺麗な顔をしている」
「ウチの子達は大体そんな感じだよ」
誰だか分からない。仕方なく山の上の村に連れていった。ケンも同行してくれた。
ブルータス氏に合わせて、険しい山道を登りながら話をする。彼は結婚を前提としたお付き合いを希望していた。
「人間じゃないよ? ご家族とか反対しない?」
「自分は孤児です。家族はいません。軍を辞めてハイテールに移住しても良いです」
これは本気だ。どうしようか。ハルピュイアの呪いを話した方が良いのか。そうこうしてるうちに村に着いた。
彼女達は樹上に住む。ツリーハウスが並ぶ村の中心で、梟の爺が妖術を教えていた。親も幼鳥も大体揃っていたので、ブルータスにどの娘か探させることにした。
「どうした千鶴? ケン殿も」
千鶴は爺にブルータス氏を紹介して、事情を話した。
「おーい!この男を知っている者はいるか!」
爺は親切にも皆に呼びかけてくれた。すると1人の娘が手を挙げた。
「ウエスト領に伝令に行った時にお会いしました」
幼鳥を抱いて出てくる。まさかの子持ちだ。どうするブルータス。緊張して見守っていると、彼は花束を差し出した。
「名前を訊いてなかった。それと、独身だろうか? 婚約者は? いや、その前にその子の父親は?」
娘は面食らっている。鳥人の女王は彼女に代わって答えた。
「この娘はエステル。夫や婚約者はいない。幼い娘の父親もいない」
「ではっ!ぜひ俺と結婚してほしいっ!」
公開プロポーズになってしまった。エステル嬢は困ったように仲間を見た。皆、鎮痛な面持ちで2人を見ている。人間との婚姻はタブーなのだ。気まずい沈黙を、梟の爺が破った。
「良いんじゃないか? この男は霊力が多い。元気な幼鳥が生まれるぞ」
「え? 人間の子じゃないの?」
レゼルから聞いた話では、人間との間にできた子は鳥人ではなかったはず。千鶴は同胞がハルピュイアになった経緯を説明した。すると爺はあっさりと否定した。
「霊力の無い人間だったんだろう。こちらでは魔力か。いいか娘達。相手が人間なら、魔力の多い男を選びなさい」
「先生!どうやったら魔力量が分かりますか?」
熱心な生徒が質問した。いつの間にか爺の授業になっている。
「こうやって握手をして測る。アウグスト王子が開発した計測器を使ってもいい」
爺はブルータスの右手を握った。左手に花束を持ったまま、彼は教材にされていた。
「双方の魔力量を足して100以下だと、ただの人間になる。この男は数値で言えばレベル55だ。鳥人族の平均レベルは大体80から90なので、幼鳥が生まれる確率は高い。ケン殿、この男は人間族の中でも強い方ですな?」
爺は黒板風の板に白いチョークでガリガリと書いた。ケンは頷いた。
「ああ。強い。王国でも5本の指に入る」
「では申し分の無い相手だぞ。エステル」
皆の視線がプロポーズに戻った。ブルータスは慌てて花束を差し出した。エステルがまだ迷っていると幼鳥が飛んで花束を奪った。そして母親に渡した。
「お母さん。私もお父さんほしい。シエルさまがうらやましいの」
カッコいいお父さんがいるものね。エステルはこくりと頷いて了承した。
「…お受けします。あなたのお名前は?」
「ブ、ブルータス。本当に? そうだ。この子の名前は?」
舞い上がった騎士は、抱きついてきた幼鳥の名を訊いた。雛が答えた。
「エステル」
「?」
代々同じ名前なんだよ。千鶴は急遽、2人の婚約式を行った。鳥人族と人間は久しぶりに婚姻を結ぶことになった。




