26 帰還
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「ケンが飛び出して行った?」
アウグストは睡眠不足の頭で考えた。奴は遊軍扱いだ。戦場のどこかにいれば良い。命令違反は後で問うことにして、今は放っておこう。
「うん。今、デイフィールドってとこで、人狼が川を越えるのを止めてる」
領主館の大広間を作戦本部として、陛下と詰めている。そこで妻はサラッと重要なことを言った。
「もうそこまで来ていたのか?! 早すぎる!」
「落ち着けアウグスト。…シエル。様子を映せるか?」
陛下が命じると、彼女は頷いて水鏡を出した。そこに白馬に乗って人狼を斬り伏せるケンが映る。ギンは魔法の刃で戦っている。
「今、周囲に配した斥候達の見ている映像も出します」
アウグストは小さめの水鏡を幾つも並べた。確かに隣領の河岸に人狼がひしめいている。ケン達が先行して良かった。危うく奇襲を許すところだった。彼は胸を撫で下ろした。
「次から先に報告してくれ…」
「ごめん」
妻は素直に謝ったが、ハイテールの住民は軍人ではない。不慣れな事をさせているのはこちらだ。
「これは凄いな!戦場が一望できるのか!」
陛下は水鏡に感心している。指示もできると言ったら、やってみせろと言われた。アウグストは川にいる人魚族に念話した。
『私だ。ケンを援護できるか?』
『ハイ!』
人魚達は水を操り、人狼の足元を粘土のように固めた。更に深みに引き摺り込んで沈める。それだけで数十匹の人狼が消えてしまった。
「…凄い連中だな」
「定住希望の審査中でした。許可するとしましょう」
次に兎人族が渡河してきた人狼を迎え撃つ。アウグストは近くにいた鹿人族を応援に行かせた。
『無理はするな。敵は狼…』
『大丈夫デス!』
『オ任セクダサイ!』
最後まで聞かずに、草食の2氏族は争うように走り出した。兎人は人狼の鉤爪を掻い潜り、逞しい脚で頭を蹴り飛ばした。首が千切れるほどの威力だ。鹿人は低い姿勢で突進すると、角で刺した。人狼の皮膚は刃こぼれするほど硬いはずだが。王と王子は無言になった。
「なぜこれほど強い種族が移住をしたがる?」
やっと口を開いた陛下の問いに、シエルが答えた。
「数が少ないの。力を合わせた人間には敵わない。隠れ住んだり、少ない土地を奪い合ったり、見せ物にされたり、そういうのが嫌なの。ハイテールは、“納税”すれば人間と仲良く暮らせるから」
「ゲホッ!」
陛下が飲んでいた茶をむせた。慌てて狐人の小姓が背中をさする。シエルは拳を握って宣言した。
「だから絶対にゴッズリバーは許さない。この戦いに勝って、私達は必ず“納税”する」
「…」
「申し訳ありません。私の説明が足りないようです」
アウグストは謝罪して妻の手を取った。チヅルがいけない。曲解されている。その時、彼女がビクッと体をこわばらせた。
「お母さんだ!」
シエルはケンの映像を指した。そこには片脚を失った大きな鳥がいた。
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瀕死の鶴は懸命に飛んだ。封印中に溜めた霊力はダチョウの治療で無くなった。おまけに矢を射られた。ノッポが綺麗に切ってくれたし、すぐ凍らせたので脚の傷は痛くない。でも刺さった矢が生命力を奪っていく。
(痛い…。ケン、どこ…)
空が曇っていて方向がよく分からない。千鶴は泣きたくなった。すると胸の羽毛から袋がぴょこっと飛び出した。こちらに持ってきた、少年の骨が入った小袋だ。ずっと首にかけていたのを忘れていた。それは彼がいる場所を示した。
(あっちだ!)
ハイテール近くの川岸で、ケンとハク、ギン達が人狼と戦っていた。ウジャウジャと渡ってくる人狼を、他の種族も頑張って押し留めている。
『ケン!』
千鶴は念話を送った。気づいたケンが上を見た。もう大丈夫だ。彼女はホッとして下降を始めた。
「!?」
突然、何かが体当たりをしてきた。同時に傷ついた脚に激痛が走った。落ちながら顔を向けると、ワイバーンが脚に噛み付いている。奴は半分以上を喰いちぎった。
『ああああ!』
「チヅル!」
ハクが猛スピードで飛んでくる。ケンはワイバーンを一太刀で切り捨て、千鶴を受け止めた。あまりの痛みに彼女は気を失った。最後に見えたのは、目を見開いて青ざめたケンの顔だった。
◇
「チヅル!チヅル!」
酷い状態でチヅルは戻ってきた。喰い切られた脚からは血が流れ、胴には何本も矢が刺さっている。
何があった。何をされた。チヅルは痛がりなのに、こんな。ケンの中で何かが目を覚ました。
「ギン、ハク。ハイテールへ運んでくれ」
「う、うん」
ギンにチヅルを渡し、白馬に乗せると、彼は地上に飛び降りた。
「いけません!ケン!まだ、まだ生きています!」
嘘だ。心臓の音が聞こえない。
「ハク!急ごう!」
「ケン!すぐ戻ります!」
ギンが急かし、白馬は空に飛び上がった。それを見送ることもせず、ケンは人狼の群れに突っ込んだ。
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ボロボロの鳥が領主館に運ばれてきた。シエルが懸命に治癒魔法をかけるが、傷は塞がらない。意識も戻らず、脈がほとんど取れなくなってきた。
泣きながらシエルは説明した。鳥人の治癒魔法は、自分より上位の者へは効かない。チヅルと魔力量が同等以上の者でないと治せないと。
「どうしよう。お母さんが死んじゃう!」
アウグストも辛い。自分たちを逃がすためにチヅルは犠牲になったのだ。何とか助けたい。そこへ伝令が走ってきた。
「ワイバーンの襲撃です!」
「何だと!」
王子は本部に戻った。すでに陛下が鳥人族に指示を出していた。
「ワイバーン? どうして急に?」
水鏡に空を覆い尽くすような翼竜の群れが映った。領主館を目指している。
「狙いが我々なら、敵の仕業だろう。…人狼も川を超えてきたな。隻眼隊を出すぞ」
様々な事が同時に起こる。空ではワイバーンと鳥人族が、地上では人狼と騎士がぶつかった。チヅル女王が死ねば、おそらく鳥人族は崩れる。怒り狂ったケンも自滅しかねない。アウグストは両手を組み合わせ、目を瞑った。万事休すか。
「アウグスト。見ろ」
顔を上げ、陛下が指差す水鏡を見ると、高速で飛ぶものが接近している。新手だろうか。アウグストは念話でギンとハクを呼ぼうとした。だが何か様子がおかしい。
「鳥人の…男?」
明らかに女ではない、背に羽を生やした鳥人が現れた。
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レゼルもワイバーンと戦っていた。領主館には今、傷ついたチヅル様がいる。何としても食い止めなくてはならない。だが空中では得意の遠距離攻撃魔法が使えない。脚だけをハルピュイア形にして、鉤爪同士の肉弾戦となった。徐々に怪我をする者が増え、鳥人族は押されつつあった。
「どきなさい!」
急に頭上から聞こえた。レゼルは咄嗟にワイバーンと距離を取った。上空から光の槍が落ちてくる。それがワイバーンに当たると、奴らは一瞬で塵となった。
「下がって。あとは我々がやるよ」
見上げると男性の鳥人が3人いた。大きな羽を広げこちらを見下ろしている。彼らは次々とワイバーンを消した。同時に数十発の光槍が出せるのだ。只者ではない。神だ。
神々は怪我をした者を癒やし、全員に魔力を分けてくださった。
「いや、びっくりした。何だ? 今の。ジュラ紀か!」
黒地に白い筋が目立つ羽の神は笑顔で言った。
「しまった!全部消してしまった!研究用に残しておけば…」
灰に黒い斑点が入った羽の神は、嘆くように言った。
「あれは売れば幾らになるのかね?」
青と緑の輝く羽の神は、レゼルに尋ねた。
「分かりません。売ったことがないので…」
「まあいい。千鶴は?」
女王陛下のお身内に違いない。レゼルは神々を領主館へ案内した。
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アウグストが病室に駆け込むと、見知らぬ3人の男が振り向いた。黒髪黒眼がチヅルに似ている。羽は仕舞っているが先程の鳥人で間違いないだろう。
「やあ。婿殿。初めまして。私は“大鷲”の長老だ」
一番大柄な男が右手を差し出した。アウグストはその手を握った。
「同じく“梟”」
「“雉”」
眼鏡をかけた教授風の男と、スラリとした神経質そうな男とも握手する。向こうはアウグストのことを知っているようだ。気づくと、ベッドに人間化したチヅルが眠っていた。
「チヅルは持ち直したのか?」
シエルが頷いた。
「うん。お爺さま達が治してくれた」
大鷲の長老は笑ってシエルを抱き上げた。
「お爺さま!いい響きだ。こんな小さな鳥人は久しぶりだな」
長老とは言え、姿は若い。それが馴れ馴れしく妻に触るので、アウグストは不快感を露わにした。跪いていたレゼルが小さな声で止める。
「神に逆らっては…」
「神だと?」
聞き咎めると、梟の長老が口を挟んだ。
「似たようなものだが、違うぞ。時間がないから講義はまた後でな。王子よ。反撃だ」
「え?」
雉の長老はレゼルの手を取って立たせた。
「我らが鶴姫の借りを返してもらう。ゴッズリバー国とやらは今日で消滅だ」




